すべての幸せを君に(いよいよ明日かぁ・・・)
出久は手にしていた最新のヒーローマガジンを閉じて天を仰いだ。
見慣れた天井。
壁紙は柔らかなアイボリーで、つい最近二人で選んで新しくしたばかりだ。
座り心地の良いソファは勿論、全てが馴染んで心地よい空間。
AFO率いるヴィランとの最終決戦後、世界は着実に復興に向かっているし、大掛かりな犯罪も減ってきている。それでもヴィランがいなくなった訳ではないから、プロヒーローとして昼夜問わず飛び回っているのが現状だ。
けれど一度だって辛いと思ったことはない。
あの日、桜が舞う夕日の中で彼から一番欲しかった言葉を貰った日から一度も。
(あの日からずっと信じられない事ばっかりだ)
手を伸ばした先には緑色のクッション。
ヒーロー・デクのコラボアイテムで、小さな耳がついている。彼のお気に入りのそれはちょっとした際に指先でいじいじと捏ねられるものだから少しよれてしまっているけれど、そうしている時の愛らしい仕草を思い出すと顔がにやけてしまう。
幼いころからずっと憧れて、ずっと見続けてきたその人。
世界中で彼を知らない人間などいない。
でも、それでも、オールマイトー八木 俊典ーは驚くほど謙虚だった。
どんな敵も一撃でなぎ倒す、筋骨隆々とした最強のヒーロー「オールマイト」の姿からは想像もつかないやせ細った身体。それだって、AFOとの戦いで重傷を負った結果だというのに、「醜いだろ」と恥じるように笑うその姿に、いつの頃からか出久の中で別の感情が芽生えていた。
ーこの人を守りたい。
ーこの人とずっと一緒にいたい。
それが恋だと気付き、愛情に変わるまでそう時間はかからなかった。
自覚してしまったらどうにも抑えられなくなり、思い切って告白した。
すんなりOKしてもらえるとは思わなかったけれど、答えは勿論「NO」だった。
穏やかな口調で「ありがとう」と微笑みながら拒否されても引く気はさらさらない。
それどころか、俄然やる気が湧いてきた。
瞳をキラキラと潤ませ、頬を紅潮させながら鼻息荒く「絶対にOK貰いますから!」と叫ぶ弟子に、「いや待ってなんで!?私の返事NOだぞ君!」と師は大慌てだったが、「無理ですよ。だってあなたのことが好きだから!」と答えたあの時が懐かしい。
「君はまだ若いしこれからだ。プロヒーローになったらもっと世界が広がって色々な人と出会うよ」
「君は勘違いしているんだ。幼い頃から憧れていたオールマイトである私に対する尊敬の念の一種を恋愛と混同してしまっているんだよ」
「個性もない、こんなオジサンなんか」
なんとか考えを正そうとしてくる俊典の言葉を、毎回毎回丁寧に心を込めて否定し、論破する。
「なんて言われようと、僕は絶対に諦めませんから!」
「嘘だろ・・・」俊典はと天を仰ぐ。
だって「君のことが嫌いな訳じゃない」なんて言われて、諦められる訳がない。
だから、出久は諦めなかった。
そしてついに、俊典から「YES」の返事を貰ったのだった。
俊典は既に出久のSK的な存在としてヒーロー活動をサポートをしていたが、事務所に通う形で生活拠点は別々だったので、まずは新しく部屋を借りて同棲することにした。事務所からさほど遠くないそこは交通の利便性もよく、教師は引退したもののヒーロー育成や世界各国のヒーロー事務所との連携、警察の御意見番など相変わらず忙しい俊典のことも考えて選んだ物件である。
一緒に家具を選び、少しづつ、でも着実に二人だけの空間を作り上げていく喜び。
引っ越しの際に持ち込んだ俊典の私物の少なさにびっくりしていると、「ずっとオールマイトだったからね。八木俊典としてのものはあまりないんだ」とすまなそうに告げられた。
数少ないその中に、自分が高校生の頃にプレゼントしたマグカップがあるのを目敏く見つけて、出久は思わず俊典を抱きしめていた。
上背では全然適わないけれど、体の厚みや筋肉はとうに彼を追い越している。
「出久くん?」
「これからたくさん増えますから!」
「ウン、ありがとう」
互いに多忙の身だ。
いつも一緒にいられる訳ではないけれど、帰宅した時に最愛の人がいて「おかえり」と迎えてくれる喜び。「いってらっしゃい、頑張って」と送ってくれる喜び。
他愛もない話をしながら過ごす時間の大切さ。
「私、こんなに幸せでいいのかな」ぽつりと漏れたその言葉に、出久は渡すタイミングを見計らっていたそれを差し出した。
「俊典さん、僕と結婚してください」
澄み切った青空のような綺麗なブルーの瞳が揺らめく。
ああ、泣いてしまう、と思ったけれど、出久は黙って返事を待った。
傷だらけの手のひらに乗せられている小さなびろうど地のケースから覗くそれも、キラキラと輝いている。
「・・・こんな、オジサンでいいのかい」
「俊典さんはオジサンじゃありません」
「君、ほんと変わらないな」
零れ落ちた涙が泣き笑いにくしゃりと歪んだ頬を伝う。
出久は呼吸が止まるのを自覚した。
ぞわぞわと背中を這い上がるそれが脳天を貫いた時、それこそ窓ガラスや床がビリビリト震えるほどの勢いで「やったーーーーーーーーーーーーー」と絶叫していた。
結婚式はごくごく親しい人達だけを招待することにした。
日程も場所も絶対にばれないように細心の注意を払いつつ、2人で一つ一つ時間をかけて決めていった。
招待客について話をしていた時、不意に俊典が口を噤んだ。
それに合わせるように、出久も言葉を止める。
「あのさ」
「あの」
ほぼ同時に発されたそれに互いに顔を見合わせ、失笑する。
「いいぜ、君から言ってくれよ」
「いいえ、俊典さんからどうぞ!」
「そうかい?・・・じゃあね、あの、招待客のことなんだけど・・歴代のOFA保持者の方々も・・・お呼びしたくてね。彼らはもう解放されて今は安らかに眠っているんだから、彼らともう話せないという事は承知しているよ。でもね、形だけでもいいからお伝えしたいっていうか・・・その、ダメ、かな」
「・・・僕も同じ事を考えていたんです。彼らにも僕達の結婚を報告したいなあって」
「出久くん・・・」
「席を用意しましょうよ!だってずっと一緒にいたんですから。きっと想いは伝わりますよ!」
「ウン、ありがとう」
「何にやにやしてるの?」
「あ、おかえりなさい俊典さん!寒かったでしょう」
雨に濡れたコートを受け取り、冷え切った手を自分の両手で包み込んで温める。
「今お茶を淹れますね」
「うん、ありがとう」
湯気が立ち上るカップを受け取りながら、カレンダーに大きくつけられた花丸を見遣る。
「明日、だね」
「はい。なんだか信じられなくて・・・」
「私もだよ」
ソファでお気に入りのクッションを抱きしめながらこてんと自分に寄りかかってくる俊典の髪もまだ冷気を孕んだままだ。
「明日風邪を引いて寝込んだなんてなったら洒落になりませんからね。お風呂湧いてますから先に入っちゃってください」
「至れり尽くせりだね」
「大事な花嫁さんですから!」
花嫁、という言葉に俊典のほほがぼわっと朱に染まる。
そう、いよいよ明日は結婚式なのだ。