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    Madeko.

    @akaikiseki

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    創作話「2020年の冬にて」(尸童+紅月+α)

    【2020年の冬にて】

     二〇二〇年、一二月。

     世間では冬の色が濃くなり、祓い屋が拠点を構える京都市内にも雪の日が多くなり始める中、それでいても此処、「御所」の結界内は桃の花が咲き誇り、温かな気温に満ちていた。

    「寒いのは嫌いではないが好きでもない。それに春の方が好きな野菜も植えやすいからのう」

     幼子の姿でありながら老人の口ぶりで話す祓い屋、そして母体となる「六歌仙名家」の祖である「尸童」は、子供用のスコップを持って御所内の裏手側へ構えている畑の土を掘り返していた。

    「そうは言っても、此処で育つ野菜などは気温、季節、関係なく育つのでは?」

    「も~紅月ちゃんは趣がないのう~。例えそうだったとしても『口にしない』のが『ナウ』なんじゃ」

    「はあ」

     土いじりをする尸童を渡殿(わたどの)で正座をして見守る祓い屋幹部の一人である「石英紅月」は、そんな尸童の言葉に生返事をする。

    「ちなみに御大。現在だと『ナウ』は完全に死語ですね」

    「え? こないだ『ついったぁ』で若い子達も使っておらんかった?」

    「彼らが使う『なう』は『いまこの瞬間、何かをしている、この場所にいる』等の『Now』ですね」

    「相変わらず英語の時だけめっちゃ発音良いの羨ましいが、…それってぶっちゃけ同じじゃない?」

    「ちょっと違いますかね」

    「はえ~」

     首に巻いたマフラータオルで汗を拭う尸童を見て、更に見た目と中身の世代差を紅月は感じたが、そのまま立ち上がる。

    「そろそろ見回りへ行ってきます」

    「うむ。まあ、そんな頻繁に見に行かんでも此処の結界など早々崩れんと思うんじゃがな」

     土の上に腰掛けた尸童は天を仰ぐ。その空は青々とした春の空模様が広がるが、そこに流れる雲は本物のようで何処かハリボテのような薄っぺらさも感じる。

     此処はあくまでも尸童が過去に「呪術」、…世界的に言うならば「魔術」を使って創り上げた「異空間」。この世に存在し、しかしこの世ではない場所。その空間は何らかの要因次第では簡単に崩れることも、今までは可能性はゼロではない、というだけで本気で壊れる事などあり得ない事だった。しかし今は…。

    「ですが御大もお役目を担うようになってそろそろ千年…。ご自身で『力の衰え』を感じていると仰るのなら、油断は出来ません。それに…」

    「うむ。『去年の件』と『今年の夏の件』であろう? 長年のしがらみが同時に動き出した、我の力の衰えと共に。油断できんのは分かる」

     立ち去ろうとしながら尸童に紅月は説明しようとするが、分かったかのように尸童は口を挟む。紅月が次に瞬きをした時、土の上に座っていたのは先ほどまでの幼子ではなく、紅月と変わらない年頃の長身の青年になっていた。

    「まさか、クルトは果て、盧橘(ろき)の奴は神相手にやらかしたとは、な…。全員、歳もとって頭ン中も老いぼれておったんじゃろうよ」

     紅月から背中を向けていた青年姿の尸童は小さなスコップを手に持って立ち上がると紅月とは反対の方の庭へと歩んでいく。

    「少々疲れた。見回りは任せる。風呂入って昼寝する」

    「…御意」

     去っていく尸童の背中に向けて紅月は静かに頭を下げた。

     

     ◆

     御所はとても広い。御所内の移動でさえ「門」を使わねばすぐに表門などに移動は出来ない。故に御所に入る際は「魔力の代わり」となるヒトガタや数珠などの呪具の所持が欠かせない。

     また、尸童の力の衰えを懸念し、電子機器類の持ち込みは一切禁じている。この結界内に近代機器は一つも置かれていない。その為炊事、洗濯、庭の掃除などは人の手あるいは呪術を使用して行う。

    「なの~」

     廊下を歩く紅月の横から可愛らしい声が聞こえたかと思えば、白いイカのような小さな生物がふわふわと浮かびながら彼の元へ飛んできて肩に乗った。

    「一緒に行くかい? まあ、いつもと同じ、ただの見回りだよ」

    「なのの!」

    「ふふっ」

     可愛らしい姿で合点! と話すように両側の触手を力を込めて奮起する生き物を見て、表情が固かった紅月も思わず微笑む。

     これらは尸童が創り上げた「式神」または「護法童子」である。名は尸童曰くそのまんま「げそ」とのこと。式神は情報の伝達、術の媒介などサポートに適した個体。護法童子は守護または使役者が予め設定した攻撃命令などを元に自発的に行動する、所謂セキュリティーに適した個体となる。この御所内にはどちらの個体も混ざった状態であちこちに浮遊している。

     紅月の肩に乗ったのは式神の個体のようで、式神個体は率先して情報を見つけてくる事が多い。

     何かあれば彼らを媒介にして呪術を展開することは可能だが…紅月はこの二年、尸童の世話係をしている内に彼らを犠牲にしてしまうのは惜しいと思うほどに可愛がっていた。

     なので、現在まで特に御所で騒動は起きた事はないが、例え何かあったとしても彼らを使用するつもりはないと考えている。

    「…君、さっきまで桃の木の上でお昼寝でもしていたのかい? 花の良い香りがするね」

    「なの?」

     小さな相棒から香る桃の花の匂いを少し楽しみつつ、紅月は御所内にある結界の要である「楔社(くさびやしろ)」へと向かっていた。

    「楔社」は、この御所の空間を作る際に尸童が設置した結界の要である。

     御所には全部で五箇所。その位置は毎日ランダムで配置が入れ替わり、常にその場所を把握しているのは、今までは創り手である尸童のみだった。しかし最近は世話係として紅月がその任を任される事も多く、彼は特別に尸童よりその日の「楔社」の位置を教えてもらっている。

     最初の頃はその事に関しても「なぜ外部からやってきた人間が…」と六歌仙名家の老人たちに批判されたものだが、紅月の「親友」の手配やそもそも名家へ戻ってきた際に起きた「尸童が起こした惨事」の件もあり、尸童が自分がそう決めたのだ、と言えばそれ以上誰かが口出しをすることはなかった。

    (新しいもの好きの尸童様と、保守派な末裔の六歌仙名家。始まりはあの方なのに、あの方のことを邪険に思う一族も多いだろう…)

     それ故に「楔社」の見回りは自分以外に任せる気はない、と尸童から直接言われた事がある。転生を繰り返し、幾度も人の醜さを目の当たりにしてきた彼からすれば、誰かを信頼するというのは滅多とない事なのかもしれない。

    (私も、何処まで信用されているかは分からない…今の所は問題ないが、瞬の思惑に気付かれた日には私だけではなく瞬…祓い屋自体危うくなるだろうな)

     そもそも紅月が尸童の世話係になったのは彼の親友である「土御門瞬」による手配だった。

     尸童が転生後、いち早く彼を見つけ名家へ連れ帰った瞬は転生前に尸童が名家へ迎え入れた家「洞橋家」の腐った内情を暴露し、それを聞いた尸童は実の子や孫もいた中で「粛清」を行った。

     血溜まりが広がる中、土御門家とそれに従うと決めた辻鳳寺家と属家(ぞっか)が勢揃いで血に濡れた幼子の尸童に並んで跪き、頭を下げるあの光景を、今も鮮明に覚えている。

     これは、前もって紅月と瞬が「自分たちの計画のため」に打ち合わせていた事だった。しかし紅月は自身が想像していた以上に尸童という現人神の力強さに、酷く恐怖を感じた。

     それから瞬に「お前が尸童へ近づいて信頼を勝ち取れ」と言われた。六歌仙名家の者が尸童に近づけば可愛がりはするだろうが、心の底から気にいる事などないだろうと瞬は話していた。

    「お前は外から来た人間だ。あのジジイは新しいもの好きでお前みたいな性格の奴は絶対に気に入る。…信頼を勝ち取ってお前を通して爺さんの力を利用する。そうすれば、…俺たちの計画も夢じゃなくなるぞ」

     真剣に話す瞬の目は決意に満ちていた。そんな中で「また」心の中の本来の感情を言うわけにはいかず、その任を紅月は受け入れた。

     

     ◆

    「…うん。此処も大丈夫だ。これで終わり」

     最後の「楔社」の供物に異常がないと確認できた紅月はそっとその小さな社の戸を閉める。

     特に問題もなく巡り歩いていた為、共に来ていた式神のげそはいつの間に肩の上で眠っていた。

     落ちたら悪いと思い、紅月はそっと肩から降ろすと懐の方へ入れた。

    「よく眠るのは、研修生(あの子)たちと同じか…ふふ」

     紅月が普段面倒を見ている青少年たちの事を思い出してまた顔が綻ぶ。しかしまたすぐに真顔に戻ると、桃の花弁が散る御所の空を見上げる。

    (信頼を得るのは今の所、順調。…けどバレたら私どころか瞬も祓い屋も、きっと、子供たちも粛清されてしまうかもしれない)

    (私がしている事は、本当に大丈夫なんだろうか。…いいや、あの日、瞬と決めたじゃないか。全てを取り戻すって。なら……でも…)

     紅月は世話係になってから、尸童は意外と話すと大らかな人格である事を知り驚いた。だがやはり時折人間の思考としては理解できない手段も、彼は軽い口ぶりで平気で話す様を見ては「人でありながら神でもある」というのを理解してきた。

     それでも、紅月が最近の尸童の態度に気掛かりな面があった。

    (去年の『聖なる母の歌教会』に関する一連の事件、それによる創立者の破滅。長年追っていたとは聞いていたが、此方が関わる事なく組織自体が壊滅したことを知らせた時、あの方は一日中呆けていた)

    (そして今年の夏に土留と一部隊員を連れて情報を探る過程で目撃した神栖町の騒動。近いうちにまたあの土地で動きがあるのは確実。それを伝えた時も、あの方はただ「そうか」と言って暫く一人で東屋から空を見ているだけだった…)

    (そしてさっきもそう。彼らに関する話をした時の尸童様は、何と言うか……)

     懐で眠るげそを落とさないように気を配りつつも思案していた紅月だったが、次の瞬間。

    「う゛おッいッッジイさあっーんっ!! 居んのかァッッー!!」

     まるで爆撃でもあったかのような男の大声で思考がかき消された。ついでに懐で寝ていたげそも驚いて起きた。

    「…この声は……珍しい、そして厄介な客だな…」

     紅月はため息を吐き、まだ驚きつつあるげそを懐から取り出して宥めてから渡殿の縁へ降ろす。

    「君は此処にいなさい。たぶん、少し騒がしくなるから…。はぁ、私が出てきたら怒るだろうなあの人」

     そう言いつつも紅月は指で印を切ると、すぐにその場から姿を消し残されたげそだけが心配そうに声のした方へと視線を向けるのだった。

     

     ◆

    「爺さーんッ! 何や、留守か? やっぱ参拝場に顔出してからの方が良かったか」

     カランカランと下駄を鳴らし小脇にクーラーボックスを抱えた大柄の男は、御所内の石畳の上を進む。赤茶が混じった髪を後ろへかきあげ、辺りを見渡す。

    「童(わらべ)らさえも居(お)らんやないか。いや、さっき俺が叫んでぶっ飛ばしたか? まあ、ええ。おぉーいッ爺さーんッ」

    「御大は今は休まれていますので、そう何度も大声を出されないでください。東述(とうのべ)シノ様」

     東述と呼ばれた男は怪訝そうな顔で足を止めその先を見る。

     いつの間にか現れた紅月が道の先からゆっくりと歩きながら自身より背丈がある男を見据える。

    「ちっ…ボンクラ坊ちゃんのひっつき虫。何でお前がおるねん」

    「石英紅月です。また友人を中傷しないでください。それと私は尸童様の世話係で時折御所にいると以前訪ねられた際にもお伝えしたはず」

     淡々と答える紅月の言葉を遮るように左足を地面に叩きつけ、その振動はほんの少しの粉塵を周囲へ飛ばし周りの桃の枝が揺れた。

    「俺ゃ訊きたいのは何で爺さん呼んでお前が出てきとるんかって話じゃボケェ!!」

    「…最初に言いましたが? 御大は休まれているので私が出てきたのですが」

     それでも顔色ひとつ変えない紅月にシノは余計に苛立つ表情を見せる。

     

     東述家。

     半分が人、半分が「人ならざる者」の血を引く一族であり、六歌仙名家で二番目に古い家系である。

     彼らはこの国では所謂「鬼」と呼ばれるが、その始まりを辿るならば一般的に歴史で語られる「鬼」とは全く異なる。その正体は、尸童が二代目神子を継いでまもなく、彼が初めて調伏した「神話生物の血を引く半人半妖の一族」なのだ。

     人との交わりを重ねその人ならざる者の力は薄まってきているが、それでも中には「封印」を施さなければならぬほど先祖の力を発揮してしまう者が未だに生まれる。

     現当主である東述雛子や目の前にいる彼、本来なら東述家の跡取りとして当主になるはずが「今の六歌仙が全く気に入らん」という自己中心的な理由で断り家を出ていった男、東述シノがそれに値する。

     無論、そんな理由で出奔した為いま現在も本家から勘当されているが、尸童は特に気にしておらず、またシノも尸童には懐いておりこうやって時折御所を本家の許可も得ずに無断に訪問してくるのだ。

     

     しかし紅月にとってそう言った六歌仙名家の内輪揉めについては瞬から「気にする必要はない」と言われているし、実際紅月自身も特に気にしていない。

     ただ東述シノが来た事で面倒だ、と紅月が感じる理由は「彼は紅月を嫌っている」からだ。

     六歌仙名家の出ではない紅月を、むしろ現状の名家の人間たちをよく思わないシノからすれば好ましく思いそうなところだが、どうしてか彼は紅月に会う度に勝手にブチギレる。現状もそう。そして火に油を注ぐのが、紅月も「事なかれ主義」で終わらせる性格ではない、という事である。

    「お前は声が小さいんや聞こえるかっちゅうの腹から声出せ腹からッ!!」

    「東述様が一般基準よりお声が大きいから聞こえなかっただけかと」

     真顔で返答する紅月にまた足で地面を踏み下ろし、今度は桃の枝だけでなく花も揺れた。

     土留がこの場にいれば「こういう時は『はい』や『すみません』とかで流せばいーの!」と注意が飛んでくる事だろう。だが紅月は「言われたのなら言い返す、殴られたなら殴り返す」という幼い頃からの悪癖は大人になって多少は改善されたものの、根本的に直ったわけではない為、それが余計にシノを怒らせる要因となってしまうのだ。

     ※なお自覚はある※

    「そのご様子ですと参拝場に立ち寄らずに入って来たみたいですね。その…何ですか、クーラーボックスは」

     事態が進まないのも面倒に感じた紅月はシノが持つクーラーボックスへと目線を向ける。しかしシノはその中身についての説明を拒む。

    「だぁれがお前みたいな阿呆のひっつき虫に言うかッ。こりゃあ爺さんにしか見せん」

    「参拝場にも立ち寄らず荷物を持ち込むのは禁止されているのはご存知のはず。中身を改めさせてもらわないと御大へお見せできません。中を確認させてください」

    「嫌やって言うとンのが分からんのかガキンチョがッ」

     頑なに見せようとしないシノへと近づきかけた紅月は再び足を止め、そしてジッと彼の顔を見つめてから目を閉じる。

     本当にこの場へ二人以外、お互いのフォローをしてくれる人物たちも同席していたのなら良かったが、残念ながら彼らは今回いない。

     それ故に紅月はシノが確実にキレる一言を言った。

    「東述様は六歌仙名家をお嫌いの割には、やってらっしゃる事言ってらっしゃる事は名家の方と変わりありませんね」

    「…あ?」

     紅月の一言でシノはクーラーボックスを近くの桃の木の側へ置いた。次の瞬間。

     まるで弾丸を撃ち込む勢いで左足の下駄を紅月へ一直線に蹴り投げた。

     それを事前に察知していた紅月は寸前で小声で術を唱える。ヒラリと体を翻し弾丸のスピードで飛んできた下駄を避け、標的に当たらなかった下駄は奥の建物の屋根へ激突し瓦を吹き飛ばした。その威力は弾丸は弾丸でも大砲並みの勢いであり、屋根の端は木っ端微塵に粉砕した。

     掠りもせずくるりと一回転し体勢を立て直しシノの方を見直す紅月を、シノは頭の中で彼を品定めしていた。

    (直前であの野郎、『霊活符(れいかつふ)』を唱えやがったな…せやけど『神速(しんそく)』は使わなんだ…下駄が自身に来るタイミングを見極めるのは術に頼って、避けるんは『元々の身体能力』だけで避けたんか! はあ~…ほんまにコイツ…)

     服の袖を捲り上げるとシノは紅月へ言い放つ。

    「阿呆が相手だと、腹立ってしゃーないわなァッッ!!」

     言葉を吐きながらシノは瞬時に構え、紅月の懐へ先程の下駄同様の速さで跳んだ。

    (! 速いッ…)

     詰め寄られたことを認識し咄嗟に来るであろう打撃を受け止めるため紅月は手を動かすが、来たのは打撃ではなく「浮遊感」だった。

     人離れした速さで間合いを詰めたシノは紅月へ攻撃をするのではなく、彼の足首を掴み詰め寄った勢いで彼を振り上げ、遠くにある離れの屋根へゴムボールを全力で投げる勢いで吹き飛ばした。

     飛ばされた勢いは凄まじく、風圧で体勢を立て直せない紅月はそのまま離れの屋根瓦へと大きな音と共に突っ込む。音と振動で驚いたらしいげそ達が慌てて空中へ飛び出して逃げたり、突っ込んできた紅月の安否を確認しようと屋根の上までふよふよと飛んできたりした。

     だが土煙が上がる中、すぐにそれが意図的な風でかき消される。そして周囲に小さなガラスのような結晶を散りばめながらも勢いの割に軽傷な紅月が片膝を立てて咳き込む。げそ達が慌てて近づこうとするが目線を配り「大丈夫、危ないから離れなさい」と言えば、彼らは心配そうな目はしたがするんっと姿を消した。

    (簡易的な魔術障壁だと余裕で壊されたな…まあ、そのおかげでまだ動けるだけマシか。まともに突っ込んでいたら頭蓋骨が折れてもおかしくない)

    (どうせ、そうなったとしても私は平気だ。でも『普通なら致命傷』な怪我を負えば…札が燃えて…はあ、瞬が来たら余計にややこしくなるだろうな)

     

     祓い屋と六歌仙名家にはあるセキュリティー制度がある。「命(みこと)の札」という、小さな木版へ自身の血を垂らしその「命」の状態を反映させる術を施した呪具である。

     血を垂らした木版にはその人個人だけの模様が現れる。同じ模様は絶対にない。それらを祓い屋拠点内、六歌仙名家が尸童を信仰・支援をする為に経営されている宗教団体「結ひ人衆」のお堂内、そしてこの御所と合計三ヶ所にそれぞれ札場が設けられている。

    「命の札」は対応する人物が命に別状はないが行動が少し制限されるような怪我あるいは病にかかった場合、札は赤い炎で燃え始める。この時点では本人へ直接確認の連絡、連絡がつかない場合は数名の祓い屋隊員などが状況を確認しに行く事となる。

     そして致命傷、重篤など命を失われる危険度が高い状態になった場合は白い炎へと変わる。こうなれば連絡がつくかつかないなど関係なく、すぐさま対象者の元へ手練れの者を派遣する事になる。

     そして、対象が完全に死亡した場合、札は黒い炎で燃え上がりそのまま灰になってしまう。

     なお、あくまで尸童や六歌仙などの当主ら以外での話であり、尸童たちの札に異常があればすぐに札を管理する「札番(ふだばん)」が連絡、指示を仰ぐ。

     ただ、その特別扱いの中に紅月も含まれる。否、瞬が紅月の札に異常があればすぐに連絡を寄越す様に札番へ指示をしており、かつ例え炎が白でも駆けつけてくる可能性がある。

    (今ので白花が燃えた可能性はあるが、前から白花程度の時は瞬へ報告しないでくれと頼んでいるからまだ大丈夫な筈だ。…しかしこれ以上怪我を負えばそうも言ってられなくなる。全く。瞬も『私たちはこんな事で死ぬことはない』と分かっていると思うんだけど…)

     紅月がため息を吐いてから乱れた髪を耳にかける。

     

    (にしてもあの馬鹿ゴリラ、真っ先に打撃を入れると思ったのに投げ飛ばすとは。割とマシな知能が一応あったんだな、ゴリラだけど)

     紅月がそんな風に思考していると、下から屋根を貫く音がした。

    「何のんびり構えやがってんのや阿呆!! まだ俺は苛立っとんのやぞッッ!!」

     シノが下から屋根を貫いて跳び上がってきたのだ。跳んで空中に浮遊し落下する勢いで跪く紅月に向けて拳を叩き落とそうとする。それを横に体を転がして避け紅月は体勢を立て直す。

    「前言撤回。やっぱり知能はそんなにない」

    「あん? いま何つった?」

    「普通は屋根に飛び乗ってくるでしょう。何処に下から屋根貫いて跳び上がってくる人がいるんですか。配管工の仕事でブロック頭で叩き過ぎましたか?」

    「誰が配管工の髭面赤帽子だ!! 俺がやってんのは探偵事務所だわボケ!! あとブロックは頭で叩いてねえ! 拳で叩いてキノコ出してんだよ!!」

    「すみません、私が言っているのは黄色い帽子の方でした。とにかくこれ以上交戦する構えなら、此方も手加減は出来ません」

     話で相手の気を逸らしつつ、その間紅月は瓦に付けている手で簡易術の印を素早く切り立ち上がる。

    「そもそも此方としては交戦の意図はなかったのにも関わらず、此処まで暴れられてはいくら貴方様でも押さえなければなりません。…ご了承ください」

    「ハッ! そっちが頭に来るような事を言うたんがそもそも…って、テメェ!!」

     紅月を見て何をするか察したシノはそう叫ぶが既に紅月の術は成っており、彼は短く「ヴァツ≪鷲掴み≫」と唱えるとシノの身体全体が屋根へと押し付けられた。

     しかし押さえつけたと同時に紅月も咳き込む。

     右袖で口元を隠しながらも左手で印を結んだ状態を維持し続ける。そうでなければこの拘束はすぐ解けてしまうからだ。

    (東述の者は精神力に関する呪術に弱い。これは詠唱者と被呪者の精神力を競い合い、詠唱者が勝てば押さえ続けられる。問題は術に対して集中を続けること。簡易式だから多少は思考へリソースが裂けるとしても、この場から動けない)

     しかし術を維持する紅月の左手は少しばかり震えており、それを何とか力で抑え印の形を保ち続けさせている。

    (けれど反動がキツい…! 元々当主を継ぐはずだっただけあって雛子様より圧倒的に素質全てが格上…!)

    (ただこれだけ騒いでるんだ。尸童様も流石にそろそろ気付かれるはず…)

     乱れた呼吸を袖で隠しながら整えつつ印を結び続け考える紅月だったが、途端にシノが雄叫びをあげる。驚き彼の方を見れば、押さえつけられている体を無理やり持ち上げて立とうとしていたのだ。

    (なっ術の方程式では勝っているのに!? ば、馬鹿力で術の拘束を解く気なのか!? いや集中を切らしたらダメだ思考をやめる。術だけに集中する!)

     紅月は思考を消し左手の印の維持だけに集中する。それにより更に拘束力が高まり、持ち上がり始めてたシノの体は再び屋根に繋ぎ止められる。

    「こ……ンの、あ、ほう…がァ!!」

    「?!」

     屋根に繋ぎ止められたシノは、自身の額を思いっきり屋根にぶつけた。彼の額が屋根瓦を砕き、それが周辺の瓦も吹き飛ばす衝撃を生んで元より不安定になっていた屋根全体が完全に均衡が失われ紅月の足元の屋根も崩れる。

    「しまっ…」

     足場が崩れ完全に集中を切らす。そして拘束が解けたシノは崩れ落ちる屋根の上だというのに跳び、紅月へと拳を突っ込む、が、それを同じく足場が消えた空中で紅月は瞬間的に回し蹴りで受け流した。

    (!! またコイツッ…自分の力で俺の拳を見極めて止めやがった!!)

     シノが何処かにかっと笑みを浮かべたように紅月が見えたと思うと同時にそのまま屋根ごと二人が地面へ落ちていった。

     

     …と言ったところで、一人の声が響く。

    「はぁい止めぇー。お主ら、どんだけ暴れとるんじゃ。前にも仲良くせえと言うたじゃろうに」

     気付けば紅月もシノも崩れていく離れの下ではなく、その横の庭へと移動していた。お互い首根っこを掴まれており、見上げるならそこには癖っ毛で首左側に痣がある青年…先代の姿の尸童の困った顔があった。

    「よ、尸童様…」

    「おッー!! 爺さんようやく会えた!! 爺さんにええ土産手に入ったから持ってきたのに腹立つ顔と会うわ喧嘩売られるわでえらい暴れてもうた!!」

    「阿呆。どうせ喧嘩売ったんはシノの方じゃろうて。お前いくつになってもガキ大将な所が抜けん奴じゃな」

     二人の首根っこを離して尸童はシノの頭を軽く叩く。シノは大袈裟に痛え! と言っては尸童に抗議した。

    「ちゃうわ! こっちのボンクラぼんのひっつき虫が言うてきたんや!! 俺ぁ悪ない!!」

     シノが紅月を指を差して言うが、瞬間、尸童の顔から一切の感情が消えた目でシノを見下ろす。

    「二度も言わせるな。お前が仕掛けたのじゃろ。暴れるのは良い、物を壊すのも構わん。…じゃが『紅月には手を出すな』。良いな?」

    「ッ…」

     思わず紅月もつられて息を呑む。その目はまさしく洞橋家を粛清した際に見た、幼児の姿の時と同じ冷徹であり人では無くなった「神の目」をしていた。

     紅月でも固まる尸童の言葉は、シノからしては死刑宣告に近いようなもので彼は冗談で済まない事態と理解したようで先程までの勢いは何処にいったか、血色の悪い顔で尸童のその「神の目」をただ黙って見ているだけだった。

     

     東述家は元は神話生物の血も半分通う一族。かつて、平安時代には人々の生活を脅かすほど暴れ回っていたという。それを神子を継いだ尸童によって鎮圧され、そのお役目の手伝いをする事で一族断絶を見逃してもらえたと伝えられている。

     つまりは今でも東述の者は尸童に「逆らえない」。主従関係など優しい関係ではなく「契約関係」なのだ。そして東述は悪く言えば尸童の「奴隷」である。奴隷が主の命を背いて生き残れるはずがない。

     もちろん、普段の尸童からはそんな扱いをするような人物には思えない。しかしそもそもその見識が間違っているのだ。

     

     尸童は優しくもあり非道でもある。全を助ける為なら一を犠牲に、一を助ける為なら全を犠牲にする。それに対して何の抵抗もなく彼は簡単に神と交渉し、条件を飲み込み実行する。人の道徳の価値観とはまた別次元の認識を持っているのだ。

     

     そんな価値観を持つ尸童を前に東述の血縁者はこの六歌仙名家の中でも圧倒的に不利な立場なのだ。どれだけ尸童に気に入ってもらえたとしても「従僕」に変わりはないのだから。

     …だからこそ、紅月は恐る恐るであれど口を開いた。

    「…口を挟み申し訳ありません御大。此度の騒動、決して東述様だけの責任ではございません。私が、東述様がお怒りになると分かっていて発言したのが交戦のきっかけです。確かに東述様は規律に反した訪問をされた上で此方の指示に従って頂かなかった面はありますが、幾らでも穏便に事を済ませる方法はありました。が、敢えて交戦に至る方法を私は取りました」

     紅月が話すのを尸童は表情を変えずに静かに聞いている。シノは横目で紅月が話すのを見て、その言葉に居た堪れないのか目線を逸らす。

    「…ですので私も罰を受けるべきです。いいえ、私『が』罰を受けるべきなんです。東述様は交戦に関しては何も…」

     紅月がそこまで言いかけた際、尸童がパッと笑顔になる。

    「はいはい! 分かった分かった! 紅月ちゃんも喧嘩っ早いところあるもんねぇ。シノもまあ、いっつも喧嘩腰な所があるのが玉に瑕じゃが、そうじゃな…うん」

     尸童は何かを考えた後手をポンッと叩く。

    「二人とも、仲直りのごめんなさいして握手をするんじゃ」

    「は?」

    「仲直りしたらシノの説教もこれ以上せん、不問とする良いな? シノ」

    「あ、うっす…」

    「えっ、良いんですか東述様それで…」

    「爺さんが言うし、俺も悪いと思うんで、大丈夫や」

    (急にしおらしくなったな…良いのかそれで…)

     シノの変化に少し戸惑いながらも、尸童がほれほれと急かす為互いに謝罪をし、ぎこちなくありつつも握手をする事になった。

    (何かかえって気まずい…)

    (おい、ひっつき虫)

     紅月が心の中で思案している所に頭の中でシノの声が響く。瞬時にそれが握手を通して術による念話であると理解する。

    (東述は呪術の扱いは下手くそや。ほんで爺さんが横におって目の前で言えやんからこの状態だからこそ言うといたる)

     握手して良し良しと満足げな尸童を横目に見ながらも、目の前のシノの目線に合わせる。その目は今まで苛立っていた目とは違い、真剣そのものの目をしていた。そしてシノは念話でこう言った。

     

    (お前、ほんまにはよ六歌仙名家≪ここ≫から離れた方がええ。将来後悔したくないんやったら、早よ逃げてまえ)

    (前からお前みたいな奴がわざわざこんなクソみたいな環境に入ってくんのがアホらしと思ってた。此処に来ても六歌仙の奴らが、ほんで爺さんがお前みたいな奴を良いように利用するだけや。それを今回で完全に確信した)

     シノの言葉に戸惑い一瞬手を離しかけるがシノの方が力強く握り返して止める。その手にはマメが幾つかあるのが分かる。武具を手にし沢山鍛錬をした者に出来るもの。どうやら名家を出た彼はそれでも祓い屋が行っているような事と変わりない存在と対峙しているのだと理解した。

    (俺は今後『お前に手を出せない』。せやけど此処を離れた後なら、お前が爺さんらから隠れて生きていける場所を幾らでも提供できる。必要なったらすぐ連絡しろ。悪いこと言わんからほんまに早よ逃げてまえ)

    (もちろん、あのボンクラ坊ちゃんとも縁切れ。早々にな。何二人で計画しとるんか知らんけど、此処に良い未来はない。お前は外の家族ともまだ付き合いあるんやろ? なら尚更早よ此処と手を切れ。家族悲しませたくないならな)

     その言葉に紅月は表情が固まる。此処で確信した。シノは紅月を嫌っていたのではない。紅月がわざわざ安全な外から来てまで、因習などが多く存在する六歌仙名家に留まる事に理解できずに彼は苛立っていたのだ。

     

     それは当然のことかもしれない。元々六歌仙名家の属家でありながらも家同士の争いにより両親を失い、表社会へ逃げた土留からも言われた事がある。「わざわざ外からこんな腐った所にいる人も珍しい」と。内側にいたからこそ、自分のような外の人間が留まる事が理解できないと、留まる人間がいるとしたら心の内に野心を抱いたり名家連中に負けないぐらい、ろくな事を考えていない人間ぐらいだろうにと。

    「でも紅月ちゃんってどっちも違くない? 野心…っぽいのはまあ、瞬さんの影響で多少ありそうって感じすっけど、けど自発的なものじゃないっしょ? それ。めっちゃ善人だもん、紅月ちゃん。マジで、何でいんの? こんな泥沼に」

     彼の言葉に自分は何て答えたのだろうか。

    「何か急に仲良くなるじゃん。良いなぁ、我も二人と握手したいから二人のもう一方のおてて貸してぇ」

     尸童がしゃがみ込み紅月とシノの手を取った瞬間にシノは術を解いた。無論、尸童に今の話を聞かれたら拙いからだ。

    「爺さん、子供ちゃうねんぞ。これやったら幼稚園児が遊ぶアレやん」

    「一応我、いまは六歳じゃもん」

     ポンッと音がしたかと思えば白髪の幼児姿へと尸童は姿を変えていた。

     シノは一気に小さくなった尸童をまじまじ見る。

    「いやぁ…ほんま、昔肩に乗せてくれた爺さんと同じ中身とは思えやんな…」

    「はっはっはっいつも転生した直後は言われるんじゃよ。あ、そうじゃそうじゃシノちゃん。我に土産とか言うとったが、何持って来てくれたの?」

    「あっいけねえ! 忘れてた! 持ってくるわ!!」

     手を離して立ち上がったシノを皮切りに紅月も尸童と手を離す。シノが元いた場所へ戻っていく間に尸童がぶーぶーと紅月へ駄々を捏ねていた。

    「えー紅月ちゃんもっとおてて繋いでよー我のおてて寂しい~」

    「…いつも外へお出かけされる際は繋いでいますよ。それより御大、離れや損壊した屋根の件についてですが…」

    「あ、大丈夫。今直しておくね」

     パチンッと尸童が指を鳴らせば紅月とシノが交戦して損壊した建物が全て元の状態へと戻っていく。この空間は尸童が創った場所なので彼の力で幾らでも修復は可能なのだ。

    「お手数をおかけします…」

    「いーのいーの。それよかすまんのう、血の気の多い孫らばかりでなぁ」

    「いえ…私も人の事は言えないので……あれ?」

     ふっと紅月の肩にふわりと桃の香りがして、思わず目を向ける。その瞬間べちんっと雑に擦り傷になっていた場所へ絆創膏を貼り付けられた。驚き再度肩の上を見れば、「楔社」の元へ置いていった式神個体のげそが少し怒った感じで絆創膏の箱を背中にくくりつけながらポコポコ怒っていた。

    「あぁ、そやつから連絡を聞いてな。丁度お堂の奥へ篭っておったから音が聞こえた気はしたがちゃんと聞いておらんかった故助かったわ。まあシノちゃんの事じゃから殺しまではせんじゃろうけど、あとで瞬ちゃんと喧嘩になるんも嫌じゃろ? だから急いで飛んできたって訳じゃ」

    「はぁ…(こっちもそれを危惧してたよ…)」

     どうやら置いてかれた後に心配になったらしい式神は尸童へ連絡をしに行ってくれたようだ。これが護法童子個体なら助けに入っていたかもしれないが、シノは紅月と違ってこれらを「消滅」させる事に抵抗などないだろう。

    (…もしこの子達を『殺してたら』、たぶん私も大人気ない事をしていただろうな…)

     そう思いながら肩でまだ怒る式神を撫で「有難う、ごめんね心配かけて」と謝れば許してくれたのか、貼り付けた絆創膏の位置を撫でてくれた。

     

     そうこうしているうちに例のクーラーボックスを持ったシノがドカドカとした足取りで戻ってきてボックスを地面に置く。

    「何じゃ。えらい大仰なモノじゃな。まーた何を持ってきたんじゃ」

    「此処はいっつも春だがな爺さんッ、今年も来たんやでこの時期が!!」

     そう言って紅月の促しの時は頑なに開けようとしなかったボックスをシノ自らで開いた。その中身には…。

    「ジャジャーンッッ旬の寒ブリだッッ!! しかも今朝卸したばっかのモンやッッ!!」

     中には丸々と太って艶がかった鱗をした大きなブリが一匹入っていた。

    (まさかの、ただのブリ…!!)

    「おぉー! 氷見のブリか!! もうそんな時期になっておったんじゃなぁ~! ほっほっほっこれはこれはまーた美味そうな物を選んできたのう~」

    「せやろ~! 朝一番に佳乃(よしの)連れて車かっ飛ばしてきて買(こ)うてきたんや!! やけど鮮度一番やろ? んで早よ届けやなな! ってなって、車は佳乃に任せて門通って爺さんに届けてきたんや!」

    (そんな事で気軽に「門」を使うなよ!!)

     ※尚、二年後に紅月もしょうもない理由で「門」を使う事になる※

     中身がただの魚である事に衝撃を受けていた紅月だったが、肩から「なの…?」と心配そうに声を掛けてきた式神で我に返り、シノに声を掛ける。

    「た、ただの魚でしたらあの時普通にお見せしてくだされば良かったじゃないですか…」

    「あー…あン時ゃまあ……お前が気に食わんかったから」

    「でももうさっきおてて繋いで仲直りして良くなったもんなあ。もう喧嘩したらあかんよう」

    「うっすうっす! 爺さんの言う通り! もう絶対コイツとは喧嘩せーへんよ!! な!!」

     シノは紅月の横へ立ったかと思えばグッと物凄い力で肩に腕を回して笑顔で同意を求めてきた。急に近づいてきたシノに驚いて肩に乗ってた式神は紅月の懐へ潜り込む。無理やり肩を組まれた紅月もジトっとした目線で引きつった笑いを浮かべる。

    (…恐らくさっきの念話の事をバレないための誤魔化しかもしれないが逆効果だろこれだと…。そしてさすが東述一族。力が強い。リナより強い。いやリナも私の腰に飛びついてメリーゴーランドしてきたから腕力的には強いかもしれないけど)

     ふっと今年の盆の時期に帰省した時の義妹の奇行を思い出しすぐに脳内から追い出した。

    「うんうん! 仲が良い事はよいよい! 名家の者達もこうやって仲良しにすぐなってくれたら良いんじゃがなぁ」

    ((無理だろ))

     此処だけ心の中のツッコミが同じになった紅月とシノだが、本人達はそんな事に気付くこともなく、それよりも旬のブリを見てご機嫌になった尸童は庭に生えている大根を使ってブリ大根でもしようかの~、など呑気に話しながら厨房へと魚を三人で持っていくこととなったのだった。

     

     

     ◆

    「…で、この三名で夕食を共にする事になるんですね。そんな気はしていましたけど」

    「だって今の我一人じゃ食べ切れんし、どうせ紅月ちゃんすぐ帰したらまた徹夜でお仕事しそうだし」

    「んでも俺まで良かったんか爺さん。まあ、もうよばれてるから遅いんやけど」

    「よいよい。ほれ、たんとお食べ。シノはいっとうに身体がデカいから腹も減るじゃろうて」

    「有り難え!! 朝から漁港までかっ飛ばしてたからろくな飯食ってなかったんや!! んじゃ白飯お代わりさせてもらうわ!!」

    (…この人、車を佳乃さんに任せているの完全に忘れているな…)

     紅月は四華(しか)出身である佳乃については同じく四華育ちの土留経由での情報ぐらいしか知らないが、聞く限り今頃ブチギレていそうだなと内心思いつつ、自身も刺身にされたブリと茶碗に盛っている白飯を口に含む。

    「あ、紅月ちゃん三〇回噛むんじゃよ」

    「…ごくん」

    「三〇回!!」

    「すみません、忘れていました」

    「…お前いま結構大口で飯放り込んだと思うけど、三回ぐらいしか噛まへんかったわな…? よう喉通るな…? いやそれより、詰まるで」

    「幼少時から家族全員で夕餉のおかずは争奪戦をしていたので、早食いの癖が未だに直っていなくてですね…」

    「お前、外の普通の家出身なんよな? 何でそんな地獄の餓鬼道みたいな修羅場な飯時経験してるんや、俺の家でも一人一膳ちゃんと自分用の飯出されとったのに」

    「母の家の習慣で大皿で共有だったんで…」

     次にご飯を口に含んだ際は意識して三〇回噛むように心がけながら、紅月は妙な悪癖ばかり残っている己を少し恨めしく感じた。

     

     夕餉を終えてから尸童の指示でシノを門の近くまで送るついでに、げそ達にやる「金平糖」をやる為紅月は尸童と別れを告げた後のシノと共に石畳を歩いていた。

    「あのちっこい奴らは相変わらず菓子類が好きなんやな…ってかその金平糖って爺さんが作ったやつやろ、また沢山(よーさん)作ったなああン人」

    「えぇまあ…」

     本当は尸童のも含まれているが、半分以上は尸童から「特別に」作り方を教えてもらった紅月が殆ど作り上げた金平糖である。

     最初に作り方を聞いた際に尸童は「もう力も衰え始めている。次に転生できるかどうか分からんぐらいじゃ。出来るだけ神子の力は消費を抑えたいが、とはいえげそ達にご褒美をあげないのは可哀想なんでな。内緒じゃぞ」と話して紅月に託していた。

    (信頼は勝ち取っている。しかし尸童様から肝心な「神子になる条件」は相変わらず聞き出せていない。とはいえ、ある程度は瞬たちの方で絞れてきているらしいし、聞けたらラッキーな程度だけども…)

    「おい、おいお前」

    「? 何ですかシノ様」

     歩きながら表情を変えずに思考していた紅月にシノが肩を叩いて声を掛けてくるので足を止め彼の顔を見上げる。

    「カゴ、チビども群がっとるで」

    「えっ、ってうわっ!」

     シノに右手で持っていた金平糖が入ったカゴを指差され目線を動かせば、いつの間にカゴの中を勝手に開けようとするげそ、それを止めようとするげそ(救急箱を背負ったままなので昼間の式神の個体の様だ)、その隙に少し開いたカゴの蓋から金平糖を選び始めるげそ…と、御所内にいるげそ達が次々とカゴへと集まってきていた。

    「ちょ、こらっ待ちなさいっ後でちゃんと皆に配るから…こら! そこ喧嘩しない! あぁ蓋も勝手に開けちゃダメだよっ…待ってってば!」

     焦りながら紅月がげそ達を優しく払いながら窘めるが、げそ達は待ち遠しい個体が多いのか早く~と言わんばかりにあちこちから「なのー!」と声をあげている。

     その様子を見ていたシノが訪問した時と同じぐらいの大声で笑い出す。それに紅月と集まってきたげそ達も揃って驚き彼を見る。

     シノはと言うと、一頻り笑うとにかっとした笑みを浮かべて紅月の肩を軽く叩く。

    「やっぱお前、おかしい奴やわッ。爺さん以外でこんなに式神や護法童子達に気に入られる術師もまあおらんで! 俺の知ってる限りやったら前の爺さんの嫁さんやった桜子婆ちゃんぐらいやぞ!」

    「そ、そうなんです、か…」

    「コイツらは爺さんが大昔に作った奴を元に作り替え続けて生まれた存在や。普通な、式神も護法童子も作り手の心を反映されて性格や形が出来るってウチじゃあ伝わっている」

    「俺がガキの頃、前の爺さんに『自分が神子になる時に殆ど捨ててしまった人としての優しさが具現化してるかもしれない』って聞かされた事があってな。せやからコイツらは優しさの塊で出来てる。そんで、怖い奴には近寄らん。昼間の俺とかな。殺意が強い奴らには恐ろしくて近寄れん」

     紅月はシノの話を聞きながら、諦めて金平糖の入ったカゴの蓋を開け周りのげそ達に配り始めた。げそ達は喜びながら受け取ったものは周りでふわふわと浮きながら金平糖を美味しそうに頬張っている。

    「式神はともかく、護法童子がそんな危険な奴に近寄れん性格やったら意味がないんはお前も分かるやろ。せやけど、コイツらはその分『守護』に特化している」

    「御所内のあちこちにおるんは、優しさから生まれた呪力…外で言うなら魔力やな。それで外で受けたら致命傷になる怪我もほぼカバーする。んで勝手に治療される。お前も昼間の怪我はもう痛まんやろ。外やったら俺たぶんお前殺しとる勢いで行ったからな」

    「何となく分かってましたけど本気で殺す気だったんですね…」

     例えその加護が無くても自分は死なないと分かってはいるが、それでも背中がヒヤリと冷えた。

    「まあお前が腹立つ一言言うからやろ! 俺、お前みたいに『コイツ、これ言ったらぜってえ傷つくから言わんとこ。でも腹立ったら言ったろ』って奴は陰湿で大っ嫌いやからよ!!」

    (また喧嘩したいのかこの人)

     少しムッと表情を強張らせた紅月だが、すぐにシノが言葉を続けた。

    「んでも相手が掛かってくるのを分かってて挑発出来る度胸、俺が蹴飛ばした下駄を術で完全に避けるん違こて最小限の術使用で魔力消費を抑えかつ、実力でそれを避ける。そんでお前最後によ、俺の拳を空中で受け流したやろ?」

    「今回打ち合って分かったけど、お前ほんまに凄い奴や。強い、賢い、そんでチビ達が寄ってくるぐらい優しい。…本当に、そんな奴が何で此処にいるんや」

     殆ど金平糖を配り終えた中で、カゴの蓋を閉めずにただシノの目をジッと見つめた。

    「結局、またその話ですか」

    「俺はいま、外で探偵って名前で神話現象の対応をしている。名家(ここ)やお前がおる祓い屋じゃ扱っとらん、一般人に潜んでる小さな不可解な事件、事故を対処しとる。お前はそういう身近な連中を助けてやる方が、性格的にも合ってるんちゃうか?」

    「…スカウトですか」

    「生き方の一つを教えてるだけや。紅月、お前ほんまにこのまま此処におったら、お前の持ってる才能も全部持ち腐れて共倒れするぞ」

     彼が言っていることが、今まで出会った際に彼から投げかけられてきた言葉の中で一番優しく心配している言葉なのだと紅月は理解した。

     しかし、紅月はそれに答えるわけでもなく、ただ代わりの言葉を口にした。

     だがシノは怪訝そうな顔をした。その表情を見て紅月は少し眉を悲しげに下げると、また真顔になって口を開く。

    「お言葉、ありがとうございます。一応…心には刻んでおきます」

     そう言って金平糖が入っていたカゴの蓋を閉めようとして、少しだけまだ中身が残っているのに気付く。それを取り出し、少し疲れた様子で手にした金平糖をポリポリと紅月の横で食べていた昼間の式神のげそに差し出す。

    「残り、食べるかい?」

     そう言うと式神は喜んでもう一つ手に取る。しかしあと二粒が残っており、まだ食べる? と紅月が訊こうとする前にカランカランと下駄の音が近づいたかと思えばその二粒をシノが掴んだ。

    「久々に爺さんが作った菓子食いたくなったから貰うわ。ほんじゃあな。…ほんまに早めに逃げるなら逃げるんやぞ」

     シノはそう言って掴んだ二粒の金平糖の内一粒を口に放り込むと、そのまま門の向こうへと去っていった。紅月はその遠ざかる背に丁寧に頭を下げた。

     

     

     御所の門に入ったシノは温かな空気に満ちていた御所内と違って、ちらちらと雪降る冬空の元へ出てきた。寒いと言いながら先程口に放り込んだ金平糖をボリボリと噛み砕く。御所では持ち込めない携帯電話を適当な柵の上に小さな結界を張って置いていたのを回収する。結界を張っていた箇所だけ雪が積もっていなかったが、結界が解けその上にも細雪が積もり始めた。

     携帯電話の電源を入れたシノはウワッと顔を青ざめる。仕事の相棒である御園(みその)佳乃から何十件もSNSからの連絡、そして不在着信が入っており、最後のメッセージでは「クソ放置阿呆は迎えに行きません。歩いて帰ってこいドアホ」と共に中指を立てた絵文字が付いていた。

    「完ッッ壁に忘れとったわ…しゃーないな…もうちょいっと門使うには魔力足らんし、雛子に頼み込んで離れに泊めてもらおうかな…」

     携帯をズボンのポケットに戻し、空になったクーラーボックスを背負い直して御所の門から離れていく。

    「しっかし久しぶりに食った爺さんの金平糖、甘過ぎるやろ…こんな甘かったかいな…まあ、やっぱ外寒いし、糖分で寒さ凌ぐか…」

     カランカランと下駄を鳴らしながら残っていたもう一粒を食べる。今度はコロコロと舌の中で転がしながら歩くが、すぐに違和感に気付きシノは足を止めた。

    「…これ、これや。爺さんの金平糖。小さい頃に食ったんはこの味や。…そんじゃ、さっきの金平糖は…」

     シノは考え、門を出る前に紅月が何かを口にした事を思い出す。あの時、シノは「何の音も聞こえなかった」。東述の者は普通の人間より身体能力などは高い。どんな小さな音でも聞き逃さないほどだと言うのに、あの時の紅月は確かにはっきりと何かを口にした。しかしそれが音になって聞こえなかった。それが「神による制限」だと、シノはようやく気付いた。

    「あンの阿呆、もう何処まで首突っ込んでんのか訊きゃ良かった…!」

     振り返るが既に御所から離れており、また再度御所の中に入るには残念ながら今のシノの魔力では無理だろう。彼はただ御所の方を暫く見つめ、そして諦めたかの様に踵を返し坂道を下っていった。

     

     

     ◆

     シノを送り届け、金平糖のカゴを厨房へ片付けにきた際、夕餉で使用した食器類は既に洗い片付けられていた。恐らく尸童が自分でしたのだろう。置いてくれていたら自分がやるのに、と何度言ってもこれぐらいしないと退屈で仕方ない。と言って聞かないのを思い出す。

     紅月は無言でカゴを置き場へ戻すと、座敷に上がり住まいに使用している御殿の御簾などを下ろしていく。雨戸がある場所なら雨戸を閉め、最後に尸童の寝床へ訪ねる。

     尸童の部屋からは灯りが見える。まだ起きているのだと知り、廊下を静かに歩いて開いた戸の前までやって来る。尸童はまた青年の姿…転生前の「洞橋稔」の姿で文机に頬杖をつきながら縁側から見える月を見上げていた。もちろん、この空間にある月は本物の月などではない。だから此処の月はいつも満月だ。紅月は尸童に寝支度の挨拶をしようとした時、尸童が背を向けたまま先に口を開いた。

    「紅月よ、そなたは物思いに耽ることはあるか?」

    「…物思い、ですか」

    「その時は、そなたは何を思い浮かべたりする? 今日の出来事か? 夕餉の事とか、シノと喧嘩した事とかか? それとも、遠地にいる家族との思い出だったりか?」

     こちらを振り向かないままの尸童の背中を見つめながら、紅月は少し目線を落とす。その時に目に入るのは正座する自身の膝の上に乗った己の手。そして目に付いたのは、左手首に付けた木製の数珠だった。

    「…その時によります。きっと今日、私は寝る前に今日起きた事を思い浮かべるだろうし、義妹が突然京都に来た日の夜には家族との思い出を思い出すでしょう。でも、いまこの時に何を思い浮かべ、それに思い耽るかと言われたら」

    「会えなくなった、友のことですかね」

     紅月の言葉に尸童は振り向きも頷きもせず、ただ「そうか」と答えた。

     紅月はそのまま寝支度の挨拶をするが、尸童は自分でするので今日はもう休むように、と言った。

     それに対して紅月は深く問わず「御意」と短く答え、頭を下げた後、座ったまま部屋の戸を閉めた。

     紅月が去っていく足音が聞こえなくなった頃、月を見上げていた尸童はようやく体勢を変える。

    「会えなくなった友、か…。そう、そうじゃな。ああ、あの日、もっと我が早くに気付いてやれば。まだまだ力が衰えていなかったら」

    「クルト、盧橘。我もな、歳をとったんじゃ。そりゃお前達と比べりゃジジイどころじゃないぐらい生きている」

    「それでもな、歳をとったんじゃ」

    「今更、歳をとったんじゃよ。お前達の所為で」

     その場にいない尸童の、いや青年の友に向けた言葉を聞いていたのは、本物の様に明るく光りながらも何処か張りぼてのような薄っぺらさを感じる満月だけだった。

     

    【終わり】
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