命の別名 見間違いか、と思った。そもそも人がいる場所ではないし、ましてやそれが知り合いだなんて――
「………」
幻覚か、と思った思考は、漂ってきた煙草のにおいに打ち消された。ふわふわと紫煙を漂わせながら、青い瞳がこちらを見る。
「おや、オリバー君。どうしたんですかこんなところで」
「レオス君こそ」
「見て分かりませんか?」
墓参りですよ墓参り。笑う顔に少し顔をしかめてみせた。そうは言うものの花のひとつも持っているわけではなく、墓前で平気で煙草をふかすなんて。
「こういう手向けもあるんですよ。そういうオリバー君こそ、ここで何を?」
まさか盗掘じゃないでしょうね。ニヤニヤ笑いながらそう言われて、全力で否定した。
「……近くで調査はしてますが、さすがに墓地は掘り返しませんよ」
「まあここも、墓地というより史跡になりつつありますけどねえ、古すぎて」
「確かに」
否定も出来ない。もう墓石も朽ち果てているところもある。詣でる人もなく墓守もいなくなり、あとは埋葬された主と共に土に還るのを待つ白い石の群れ。
「レオス君、ここに墓参り、ですか」
彼の前にある墓は崩れていた。刻まれているはずの名前ももう読めない。
「そうですよ?」
いつもと変わらぬ口調でそう返されてはなにも言えず。彼の見つめる墓に視線を落とす。
「莫迦な男ですよ」
しばらくの沈黙ののち、ぽつりとそんな声が聞こえた。すこしいつもより低い声音に目を見開くと、
「ねえオリバー君、魂の存在を信じますか」
いつもの声に戻って唐突に尋ねられた。
「人が死ぬと、体が若干軽くなるらしいのですが。当然魂という臓器はありませんし、それを司るものも実際には見えません」
記憶は脳が持つものですし。
「なのに。体が朽ち果てて幽霊として現れるのは『魂』とされてますし」
「……そう、ですね」
「魂なんてものは本当にあるんですかねえ?」
すこし考えて。「あると思います」と返したら、何故だか驚いた顔をされた。
「魂だけじゃなく。存在が分からなくても『ある』ことは認めていいものはあるのでは?」
「……そんなもんですかねえ」
「そうですよ」
それとも、なんでも証明しないと気が済まないですか、狂科学者殿。
「いやな言い方しますねえ」
そう言いつつ、レオスは笑った。こっちを見ていた視線が、ふい、と目の前の墓に落ちる。
――ここの墓がどのくらい前のものかは知らない。ただ、相当に古いものであることだけは知っている。
さっきレオス自身が言っていた通り史跡と呼べる年代のものである。当然、墓の主とレオスに面識があるとも思えない、けれど。
『莫迦な男ですよ』
呆れのような、嘲りのような。そんな声音で落とされた独り言がよみがえる。
ねえ、レオス君。呼びかけた彼の顔を見ず、自分も墓石に目を落としながら問いを口に出した。
「魂だとしても、その墓の主に会いたいですか」
驚いた顔をしたのは一瞬で、すぐに「いいえ」と否定された。
「会いたくないんですか?」
「私、莫迦の顔は見たくありません。言ったでしょう、そんな男なんですよ、ここに居るのは」
ひときわ大きな声で笑って。さて、私は帰りますかね、と煙草を携帯灰皿に入れた。
「オリバー君も。ここらへんに何の遺跡があるのかは知りませんが、あまりうろつかないことです」
それこそゴーストが出るかもしれませんよ。笑う顔は悪戯っ子のような、いつもの彼の笑顔だったから。
「……心配ありがとうございます、と言っていいのかな」
「あなたを心配したわけじゃないですよ? いつだって亡霊を起こすのは、人間ですから」
笑う顔に何故だかふと違和感を覚えて。もう一度名前を呼ぼうとした瞬間、強い風が吹いた。
「わ」
砂が舞い上がる。顔を伏せ軽く咳き込んで、大丈夫レオス君、と口に出そうとして。
「……あれ」
目の前には誰も居なかった。当然、周りを見回しても、隠れる場所などひとつもなく。
「レオス君?」
風で煙草の香りも灰も飛んでしまっていて。彼が目の前に居たのも、それこそ幻のような――
あわてて端末を取り出し、彼を呼び出す。数回の呼び出し音ののち、
『オリバー君? どうしました?』
いつもの声だった。無事に応答があったことに安心しつつ、今どこにいますかと言葉を投げる。
『どこって自分の部屋ですよ。さっきまで配信していて、そろそろ寝るかと思っていたところです』
「さっきまで配信」
じゃあやはり、ここに居たのは。口ごもったこちらに『どうかしたんですか?』と向こうから聞かれる。
『今どこにいるんです、オリバー君?』
素直に場所を告げた。今ここにレオス君が居たんですけど、と添えて。
『ああ、成程。そこですか』
「……?」
『幽霊に化かされましたね、オリバー君』
だって、君の顔をしていたんですよ。勢いでそう返すと、端末の向こうで彼は笑った。
『そこの墓に眠る男が、たまたま私と似ていたのかもしれませんねえ?』
そんな、確かに――反論は喉に絡んで出てこず。
『長居するところじゃないんですよ、そこは。調査か何だか知りませんが、離れた方がいいですよ』
「レオス君、ここを知ってるんですか?」
さっきの応答で、レオスは知っているような口ぶりだった。するとあっさりと『はい』と肯定された。
『そこの史跡、わりと有名ですよ。むしろオリバー君知らなかったんですか?』
「ええと、はい」
『とにかくさっさと離れなさい、幽霊の仲間入りをしたくないんならね』
はい、と頷いて。端末を耳に当てたまま、足早にそこを離れようとして――
『しがみつくようなものでも、ないでしょうに』
溜息にまぎれた、本当にかすかな言葉だった。
「レオス君、墓の主を知ってるんですか?」
古ぼけた広大な墓地の片隅で、当然墓の主の名前も分からないから伝えていない。端末の向こうの彼は沈黙してしまった。
もう一度、レオス君、と名を呼ぼうとして。
『人より頭が良くて、けれど要領は悪くて。世界を恨めるほど悪でもなく、すべてを認めるほど善でもなかった。ただ、諦めが悪いだけが取り柄の』
――そんな、ほんとうに莫迦な男ですよ。
ぷつんと音を立てて端末は切れた。半ば小走りになって墓地を出たその瞬間、視界の隅に濃紺の髪が見えた気がしたけれど――振り返っても、墓の前には誰もいなかった。