ごちそうさまよりも先に口吻を「いちまぁつ、ただいま!ちょっと荷物で手が塞がってて、ドアを開けてくれないか?」
控えめなカツカツという義足でと思われるノックの後、次兄のよく通る声が家の中まで響いた。おれは確かにそれが聞こえていた筈なのに、それに応えることが出来なかった。
次兄はドラゴン研究家という、ドラゴンと対峙する機会の多い危険な仕事をしている。心配はあれどそれ自体は否定しない。次兄のドラゴンを目の前にした時の、あのキラキラと輝く瞳が好きなのだ。
とはいえ、心配なものは心配だ。あいつがある調査から片足を失くして帰ってきた時なんか、兄弟全員であいつを暫く軟禁状態にしてたくらいには。だから、あいつが調査から帰ってきたら、まず兄弟全員に顔を見せに行くこと、無事を直に確かめさせること。それを約束したのだ。
だというのに。ここ数ヶ月のあいつはおれの所に数日遅れて顔を出す。酷い時は出発直前になってひょっこり顔を出し、薬師として作っている薬だけ買って碌に会話もなく出て行ったりするのだ。おれだって兄弟の一人なのに。一緒に約束をしたのに。あいつの近況は、他の兄弟越しからしか分からない。
だから、というわけでもないが。そっちがそうやって蔑ろにしてくるなら、こっちだって応えてやる義理はない。と、あいつに必要そうな薬は事前にひとつ上の兄に託した。そうしたらあいつは薬を買う必要がなくて、だからここに来なくても旅立てる。けしてふたつ下の弟が嫌いになったからじゃなくて、忙しいから顔を出す時間が無いのだ。そう、思い込むことができるから。
なのに何故あいつは訪ねてきたのだろう。今回の帰りは2日前で、明日には発つとひとつ下の弟から聞いている。今更来るタイミングでは無いだろうし、渡す荷物があるのなら他の兄弟に託せばいい。
そうして悶々と考えている間にも外からの声が止むことはなく、寧ろ心配の声色が乗ってきて、ノックの音も一層大きくなる。一応頑丈な作りになっているとはいえ、義足でガンガンと蹴られると扉が壊れてしまわないか心配になる。いや、別に扉は壊れても構わないが、義足をそんなに雑に扱うなんて。また定期メンテナンスの際に機械技師にグチグチ言われるんじゃなかろうか。
心配にはなるが、ここで出ていく訳にはいかない。冷静に考えれば、おれたち兄弟は皆家がばらばらで、そこそこ距離もある。なのに帰ってくる度に全員の所に顔を出さなきゃいけないなんて、最初は良くても段々面倒になってくるだろう。
おれが毎回応えなければ、その内訪ねることを諦めるだろう。そしたら、そこに割いてた時間を他に回すことが出来る。おれは最近酷くなってきていた憎まれ口を叩いてあいつを傷付けずに済むし、うぃんうぃん、というやつではなかろうか。あいつの顔が見れなくて、話せなくて、ぎゅうと締め付けられる胸の痛みさえ見ないふりすれば、お互いにとって有益で。
「いちまぁつ!まさか倒れてるのか大丈夫か、今ドアを壊すぞ!」
有益、な、筈なんだけど。待て待て待てなんでそうなる。おれは万が一あいつが訪ねてきても居留守を使えるように、カーテンを締め切りあまり物音を出さないようにしてたのに。引きこもりだから家にいる筈ってか、うるせー。
「修理にいくらかかると思ってんだポンコツ!義足ノックもやめろ!」
つい大声を出してしまった。あぁ、おれの完璧な居留守計画が。
「なんだ、元気そうじゃないか!ならドアを開けてくれ!」
「嫌だけど」
「なんでだ?」
「なんでって…今忙しいんだよ。手離せないの。なんか用事あるなら他のやつに頼んどいてくれる」
こうなったら早々に追い返すしかない。いくらあいつが頑固でも、突っぱね続ければその内諦めるだろう。
「分かった。じゃあやっぱりドア壊すぞ」
「なんで」
いやその結論はおかしいだろ。いつから次兄は話の通じない暴れん坊になったんだ。
流石にこれ以上突っぱねるのは危険だと判断し、待て待て動くなと声を張り上げながらドアを開けた。
「…なにこれ、本?ホンモノじゃないよ、な…」
「あぁ、頑張って作ったんだ!本型のケーキだ、よく出来てるだろ?」
開けてから真っ先に視界に飛び込んできた、まるで見開きの分厚い本のような形のそれ。薄い板状のホワイトチョコで覆われた、その上部には茶色のチョコレートで文字が書かれている。
『一松、愛してる』
…いやいやいや、よく出来てるだろ、じゃないんだよ。これが『I love...』みたいなイッタい横文字だったらスルー出来たのに。スルーしてケーキをぶん取って、凍結魔法で保存して一生部屋の片隅に飾ったのに。なんで、こんな。
顔に熱が集まっきて、そろりとケーキの持ち主の顔を見上げる。痛々しいキメ顔だったら冷静に戻れたのに、見上げた先には、本当におれのことを大事に思ってると錯覚させられるような、優しい瞳があった。
「ここ数ヶ月、あまり顔を出せなくてすまない。一松に秘密でこれを完成させたくて…受け取ってくれるか?受け取るよな?ほら、手を出して」
表情は優しいのに、言ってることは全然優しくない。言われるがまま手を出すとその上にケーキを置かれ、落とさないように手を重ねられる。
「うえ、あの、どういうこと…?おまえ、おれのこと嫌いになったんじゃ?」
「なっ嫌いになるわけないだろうこんなに好きなのに!」
「好っ」
「大体一松が言ったんだろ!『そんなにおれのことすきならすっごいすいーつつくってそこにあいのことばをつらねるぐらいしろー!』って!」
「は…?」
おれが、そんな発言をした?全く記憶にないし、なんなら『そんなにおれのこと好きなら』と言う前提となる、カラ松がおれを好きということ自体初耳だが。というか、もしかしなくてもカラ松のその口調はおれの真似だろうか、すごく殴りたい。
「…ごめん、まっったく記憶に無いんだけど、いつの話?」
「一松と最後に酒を飲んだ日の話だ。…え、覚えてないのか?あんなに可愛かったのに」
「酒飲んでるときの話を真に受けないでくれる」
信じられない。おれが酒に弱いことを知ってる筈なのに、酔っ払って考えられなくなったおれの言葉をそのまま受け取って実行したってこと?せめて翌日に確認…いや、あの日は確か起きたらカラ松は出発してたんだっけか。でもその後帰ってきてからでも確認すべきだろう。その場のノリとか冗談で言った可能性の方が高いのに。
「…すまない、オレ、一松を不安にさせてしまったんだな」
事態を把握したらしいカラ松は、おれの手からケーキを取り、我が家にズカズカ入り込んでテーブルに置いた。そして戻ってきたかと思うと、未だ動けずにいるおれをぎゅうっと抱き込んだ。
「酒の席で伝えたと思いこんでしまってすまない。一松のことが好きだ」
「うぇ、あ…」
酒を飲んでいるわけでもないのに、カーッと頭に熱が集まり、考えが覚束無くなる。好きな人からの愛の言葉はアルコールと同じ作用があるかもしれない、興味深い、なんて全然関係無い方に思考が飛んでしまう。
「一松、出来れば返事を聞かせてほしいんだが…そうだな、一緒にケーキを食べて、その後でいいから聞かせてくれないか?」
真っ赤になって微動だにしないおれを見かねたのか、カラ松はおれの腰に手を回してテーブルの方へ促した。いや、なにこれ、近い、というかお前返事聞かなくても分かってるだろ、それ!
そのままおれは、綺麗に取り分けられた『一松、愛してる』の部分を手ずから食べさせられる羽目になったのだった。