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    きりん

    @amenofurisika

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    きりん

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    🇨🇳パロ②-前半
    ①からしばらくして、とげとゆうたが租界の街角で再会します。もぶとげ匂わせあります。

    まだ夏の気配がさめない日差しを避けた部屋の隅で、棘は裸になって腰に鏡をかざした。昨夜噛まれた歯型が生々しく残っている。触れるとわずかに痛い。それだけでなく、点々と痕跡が残る。思い出しかけた煙草臭い囁き声を舌打ちで打ち消して、絝を穿く。
    五条という日本人が来た日、老大に抱かれろと命じられたが、あの日も肌に残されていた醜い痕跡のせいにして、命令に背いた。老大は仕方ないと納得したが、あとになっていかに五条が扱いにくいかと寝物語に八つ当たりされた。
    そんなこと、屋敷に入ってきたやつらを四阿から見たときからわかっていた。一筋縄ではいかないと棘も伝えたはずだ。顔では談笑しながら、三人の日本人は誰も目は笑っていなかった。あの若い男だって、と棘は山査子をくわえさせてやった五条の連れを思い浮かべた。
    あの男は、まるで見せつけるように警戒心をあらわに、辺りを見回していた。回廊で目があった瞬間には、殺意さえ感じた。だから、ふざけてからかってやった。
    棘は思わず唇を押えた。
    あいつの驚いた顔は、おもしろかった。
    からかったのは棘のほうなのに、妙に胸がざわつく。そわそわと落ち着かない。気持ち悪い。あいつの顔がちらつく。やわらかな唇の感触、酒の匂いさえ、思い出す。つい口走った余計な言葉は、漢語を知らないなら理解しなかったはずだ。
    この不快は、外に出れば晴れるはずだ。
    そう決めつけると、絝の上に外出用の旗袍を着て、ちいさな鞄にいくらかの小遣いを詰めた。外出を禁じられているわけでなし、夕方までに帰ればいい。小間使いがついてこようとするのがめんどうなだけで、外出自体はきらいではない。
    廊下に踏み出すと、ちょうど昼食を運んできた小間使いに出くわした。
    「小姐、この暑いのにお出かけですか。山査子なら買いに行きますよ」
    小間使いは不思議そうな顔で言う。棘はおつかいの駄賃をあてこんだ小間使いを鼻で笑った。
    「山査子くらい、自分で買えるよ」
    「お供しますよ!」
    頼んでもいないのに、やはり小間使いは日傘を持ってついてきて、一緒に門の外に出た。
    老大の屋敷は高い塀に囲まれている。その長い塀に沿って歩くうち、大きな橋のかかる川に行き当たる。市場も租界も川の向こうで、棘は数多の通行人に混じって境界を跨ぐ橋を渡った。
    川沿いの街路を、市場へと歩く。青空に日は高く、日傘越しにもじりじりと照りつける。石畳の歩道を行く人々はみな暑苦しい顔をして、店の軒先で西瓜を齧るものもいた。西瓜よりも茘枝がいいなと夢想する。
    「山査子のほかに、何か欲しいものでもあるのですか?」
    小間使いが背後から言った。
    「決めてない」
    棘は短く答えた。
    運河沿いの街路の内側の広い区画が、この都市最大の市場になる。やっと見えた門をくぐると、その喧騒は街路以上だった。店主も客も声を張り上げ、子どもも鳥も鳴いている。ごった返す場内で、小間使いも傘を畳んだ。手を差し出してくるので、日傘の駄賃に小銭を握らせる。
    色とりどりの香辛料が詰まった麻袋、肉や魚に果物野菜、菓子、茶、香、煙草、衣類、玩具、本。店先に並んだ品を数え上げたらきりがない。寝物語に聞くデパートでは、一棟のビルですべて手に入ると言うが、市場には劣るだろうと棘は思う。
    菓子を売る屋台の店主が手招きをする。棘は山査子飴を十粒ほど貫いた串を一本買って、三つ摘んで残りは小間使いにくれてやった。芸を見せる幼い軽業師にはチップを、いつ行けるともしれない劇場のきっぷは二枚だけ。犬に吠えられ小間使いが立ちすくんだ隙に、棘は気づかないふりで人混みに紛れ込んだ。
    品定めをする買い物客の間をすり抜け、川とは逆側の門をくぐればまた広い街路、その先は外国式のビルが建ち並ぶ租界だ。気取った外国人に混じって歩道を歩きながら、ビルを飾る看板を眺める。
    幼い頃に老大に売られた棘は、学校には行かなかった。漢字も、アルファベットも、まして日本のひらがなも、すべてが読めるわけではない。あいつなら読めるかな、と名前も知らない五条の連れを思い浮かべる。日本式の読み方をするだろうか。今までに迎えさせられた日本人の顔も名前も、とうに忘れた。老大の言った、五条の前の男も。思い出したくもない。
    ビルにかかる看板のひとつに、五条の社名と同じ漢字を見つけた。五条の顔は、四阿から見ただけだが、見ればわかるはずだ。你好、はじめまして、ご機嫌いかが。醜い傷はあるけれど、いっそ逆手に取って同情を引く作戦だ。老大を苛立たせた扱いにくい男も、寝所に入ればどうにでもなる。
    「小姐!」
    子供の声に驚き振り返った。日本の着物姿の少女が二人、盆を持って立っている。誰のことかと辺りを見渡したが、立ち止まっているのは棘だけだった。
    双子らしい少女は、「うふふ」と笑って、棘を見た。
    「小姐、珈琲を一杯飲みませんか?」
    下手くそな漢語で、声を揃えて棘を誘う。
    ほっとした。五条と対峙することに、緊張していたらしい。前髪が冷や汗で濡れていた。
    憑き物を祓ってくれた少女に、棘はほほえんだ。
    「じゃあ、一杯だけだよ」
    人差し指を立てた棘の漢語を聞き取って、少女は同じように指を立てて笑う。「通じたね」「通じたね」と日本語で言い合いながら、「こっちこっち」と棘を手招きする。開けっ放しの窓際に案内されて、棘は椅子に座った。
    珈琲を待ちながら、街路樹のプラタナス越しに窓の向こうを見る。窓辺に行き交う人の中に、五条はいるだろうか。あいつもいたりして。なぜだか、また、胸がざわつく。
    「小姐! 珈琲です」
    双子がテーブルに珈琲を置いて行った。
    その皿に添えられた焼き菓子に、棘はある国の刻印を見た。腰を噛まれた不快がよみがえる。耳元で囁かれる異国の性愛の言葉、全身を這い回る舌、無遠慮に犯す陰茎。あらゆる不快な感触の記憶を、菓子と一緒に砕いた。ばらばらになった欠片の半分を掴んで、窓から投げ捨てる。すると、鳥が何羽も飛んできて、菓子の欠片をつつきだした。羽音、鳴き声が響き渡り、土埃が舞い上がる。ざまぁみろ。残り半分も鳥どもに投げつけた。道端は大騒ぎだ。人間だって近寄れない。顔も思い出したくない客を、老大に縋って金と権益を差し出してでも棘を求める男を、鳥に喰わせた気になった。
    「窓からものを投げてはいけないよ」
    その日本語を、自分にかけられた声だと気づいて、棘は振り返った。
    「外で鳥が騒ぐから、何事かと見に来たんだ」
    また日本語で言う背広の若い男は、五条の連れの、あいつだ。
    「前に会ったよね?」
    男はずっと日本語で話しかけてくる。棘は黙ったまま答えずに、首を傾げた。
    「お菓子はきらい? お昼ご飯、まだなら一緒にどう? ごめん、日本語はわからない?」
    男は「そうだ」と言うと、背広のポケットから紙片と鉛筆を取り出した。
    「僕も一人なんだ。きみも一人なら、一緒にお昼ご飯、食べよう」
    目の前に差し出された紙片には『昼飯』と漢字で書かれている。
    棘は男を見上げた。屋敷で見たときとは違って、屈託のない目で棘を見下ろしている。そのくせ、こいつは、棘が老大の身内だと知って、声をかけている。
    その腹の底を探りたいだけだ。
    棘は紙片を指さして、頷いた。
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