希くんは今、恋してる?相談に乗ってほしいの。そう言われることがここ最近急激に増えた気がする。模擬デートの帰り道、学校の帰り道、それからたまに夜にかかって来る電話。ごめんね、と申し訳なさそうに謝る彼女に、オレは鷹揚な態度で「いいって」と笑って返す。
そんなお決まりのパターンを踏んで、今日も夕方の海辺を2人で眺めにきた。
ざ…ざん…と静かに潮騒が響く。静かなのは、彼女が一言も話さずに海を眺めているからだ。眉を微かに寄せて、くちびるをきゅっと引き結んだ姿は、胸から迫り上がってくる何かと静かに戦っているみたいに見える。
相談の回数が増えてきた頃から、彼女のこう言う顔を見る回数も増えた。
何かに耐えるみたいな辛そうな顔や、怯えた顔。逆に全てなかったみたいに不自然に笑ってることもあるけど。
まぁ理由はこんなオレでも分かっている。もうすぐ卒業のシーズンなんだ。
先輩に恋をしている女子たちは、お通夜みたいにジメジメしているか、ここが最後の正念場とばかりに静かに燃えている。
彼女はというと、諦めているようでも、覚悟を決めているようでもない。
だけど何かに耐えて、波に攫われていく砂浜に足を踏ん張って立っている。
辛そうな彼女を見るのはオレも辛い。
だけど「希くんに応援してほしいの」と、最初にかけられた呪いのせいで、オレも動けないでいる。
「希くん。」
「ん?」
「希くんは、今、恋してる?」
「………あ、あはは、えぇ?」
やばい、変な間が空いた。慌てて笑い声で誤魔化して彼女をみると、泣きそうな顔でオレを見ていた。
「なんで、また急にそんなこと言うんだよ」
「なんで…って、聞かれたら困るの?」
「困るってわけじゃ、ないけどさ?」
うそだ。困る。さっきだって銃弾で心臓をぶち抜かれたのかと思った。
誤魔化すようにオレは大きく返す。
「オレは恋より陸上っ!」
「え、ほんと?」
「いやいや、なんで疑うんだよっ。」
笑いながらツッコむと、「なんでってことも、ないんだけど」と微妙な表情で彼女は笑った。
「オレのスケジュールはきみも知っての通りだよ。年間通してワークスケジュールを決めてるから365日陸上漬け。期日を区切って、この大会でこの記録を達成したいって目標も決めてるし。オレの脳は陸上以外に割くスペースなんてないよ。」
「うん、そうだよね。希くんならきっと次のインターハイで新記録が出せるよ。」
「ありがとう。きみにそう言われたらそうなる気がしてくる。」
「きっと、そうなるよ。」
あ、また辛そうな顔。
逆光でうまく見えないその顔が泣いてるみたいにみえて、堪らなくなった。
それが、彼女にかけられた呪いを弱らせたのかもしれない。気づいたらオレは、「そうなんだけどさ?」と続けていた。
「だけどさ…近頃きみの顔が頭にフラッシュバックすることが増えた気がする。」
「わたしの顔?」
海風に煽られて揺れるちいさな体にぐっと力を入れて、オレの次の言葉をじっと待っている。暗くて見えないはずなのに、きみの瞳にだけちかちか光が瞬いている。やっぱり、そんな表情のときでもきみは綺麗だと思う。
「ふとした時だよ。走り終わったあと水飲んでる時。家でストレッチしてる時。寝る前とか。ふっとさ。きみの顔が浮かんでくる。その、なんていうか、辛そうな顔が。」
「辛そうな、顔…」
「そんで心配で考えちゃうんだよな〜。きみは今日彼と上手くいったのかなとか、また泣いてないかなとかさ。なぁ、どうしたらいいかな。オレ、集中できなくて参ってんだ。」
どうしたらいいかなんて、意地悪な質問だよな、と自分でも思う。結局オレも彼女も途方に暮れて黙り込むしかないのに。
「はは…ごめん、オレ変なこと言ったな?」
「ううん、わたし…」
「でもほら、オレの陸上生活応援してくれるなら、もっと笑っててよ。オレがきみの心配しなくて良くなるくらいに。前みたいにさ?そしたらオレ、また安心して走れる気がするんだ。」
「わたしが笑ってたら、希くんは安心する?」
「うん、そりゃあする。するよ。」
幸せな恋してんだなってオレも納得できれば、安心して応援できる。きみの1番がオレじゃなくても、きみが幸せなら、身を引いたのは意味があったんだって。
「わかった。わたしたくさん笑うようにする。」
「あ、無理して笑ってたらオレすぐ気付くからな?それはノーカンだから。」
「厳しいなぁ」と笑う彼女の顔は、やっぱり泣いているように見えた。