文化祭準備の颯マリ放課後にグラウンドに出ないなんていつぶりだろう。8月は欠かさずに走っていたし、雨の日でも小雨程度なら体を動かしていた。
腕のスマートウォッチを確認すると、時刻は17時をすぎたところだ。あと1時間は教室から動けないから、家に帰った後でロードワークに出よう。そんなことを考えていると、いよいよ体がムズムズしてくる。早く走りたい。
今年、うちのクラス出店は和風喫茶だ。机の上には女子が頑張って筆ペンで書いたお品書き。それを型紙に貼り付けてメニュー表を量産するのがオレの役割だ。と言っても、もう終わってしまったけど。かといってじゃあオレは帰るよ、なんて言えればいいんだけどさ。もちろん、それは無理。
早く帰りたい気持ちのまま、自然と視線は教室のドアに向いてしまう。廊下の窓からは秋晴れの透き通った青空が見える。
本当なら今頃、グラウンドでクールダウンの汗を流してるはずだったのにな。そんで、隣にはもちろん彼女だ。入学したての頃は何もかも分からないと言って泣きそうな顔をしていた彼女も、最近ではストップウォッチ片手に「がんばれ~」なんて檄を飛ばす姿がサマになってるんだから、その成長ぶりにはオレもびっくりだ。
努力家の彼女を見てると、オレの気も引き締まる。例えばこの文化祭準備だって、彼女と一緒だったらもっと楽しかったはずだ。
「ん?」
ぼんやり廊下の方を眺めていると、不意に見知った背格好が廊下を通り過ぎた気がした。いや、オレの願望が見せた幻か?でもー…
気がつけば座っていた椅子を蹴とばして、オレはドアに飛び付いていた。
「マネージャー!」
「ひゃあっ!?」
細い肩がビクッと跳ねて、肩で切りそろえた髪が揺れた。
それから、ゆっくり振り返って。
「…やっぱり、颯砂くんだ。」
ただでさえ大きな目をまんまるに見開いているのは、やっぱり彼女だった。改めて自分の動体視力に感謝していると、彼女は呆れたように眉を上げて言う。
「もう、声が大きいよ。すごくびっくりしちゃった。」
「あ、ごめん。きみが見えたから、つい。」
そんで、きみはこんなとこで何してんの?
そう言おうとして、だけど言葉にならずに口だけがパクパクと動いた。
いつもの制服よりずっと長いスカート。フリルたっぷりのエプロン。極め付けは、頭の上にちょこんと乗ったヘッドドレス。
これって、もしかして、もしかしなくても…。
「…メイドだ。」
「そうなの。文化祭の衣装なんだ。」
「う、うん。なんか、すごい気合入ってるじゃん。」
「手芸部の子がこういうのが好きみたいで。これでもまだ試作品だって言ってたよ。もっと生地にこだわるんだって。」
「そうなんだ…」
文化祭、サイッコーじゃん…。こんな可愛い彼女の姿が見られるサプライズが待っているなら、この時間まで真面目に残っててよかった。グッジョブ、自分。
止められないのを良いことに彼女をじーっと見ていると、きょとんと小首を傾げられた。
「颯砂くん、大丈夫?なにか急いでたんじゃないの?」
「え、オレ?なんで?」
「凄い勢いで教室から飛び出してきたから、何か急いでるのかと思ったんだけど。」
「あ、あぁ~…」
きみのことを想像して会いたいな~と思ってたら似た姿が見えたから、思わず飛び出してしまった…とは、口が裂けてもいえない。彼女のことだから、さらりと「凄い偶然だね」なんて流しそうだけど、万がいちドン引きされたら最悪だ。
こういう時は、なんでもない顔で会話を続けるのが一番だって。
「オレのことよりきみは?まさかその格好で家に帰るってわけじゃなさそうだし。」
「わたし?わたしは書類を届けるついでに、雑用係をこなしているところ。」
そう言ってヒラヒラさせる右手には、確かに書類と厚手のファイルが握られている。よし、一緒にいる口実、見つけた。
オレは「そっか」なんて無難な返事を返しながら、さりげなく手を伸ばして彼女からファイルを預かることに成功する。こういうのはさも当たり前かのようにするのがポイントだ。戸惑い顔でオレを見る彼女に、ニカっと笑い返して。
「じゃあオレも一緒にいくよ。」
「えぇ?颯砂くんの展示物は大丈夫なの?」
「今日の分はもう終わったから平気。」
「でも、悪いよ。わたしなら一人でもー…」
「普段きみにお世話になってるお礼なんだから、気にしないでよ。ほら、オレのことは番犬とでも思ってくれていいからさ?」
「番犬…。えっと、颯砂犬ってこと?」
「はは、良いじゃん、颯砂犬。一匹いれば役に立つよ。力仕事も出来るし走っても早い!」
「ふふ、仕方ないなぁ。今日はわたしが散歩に連れて行ってあげよう。」
「…えぇ〜と…あはは。」
散歩って、なんかペットみたいじゃね?オレ、番犬って言ったんだけど…。
なんかちょっとカッコ悪い扱いになったけど、とりあえず彼女と一緒にいられるならまぁ良いか。男女問わず人気者の彼女だ。普段は玲太や花椿姉妹が、放課後がオレがぴったりガードしてるから良いけど、文化祭中は要注意だな。学校内だから変なやつはいないと思うけど、万が一ってこともある。学園祭ムードで浮かれてるし。
彼女がこっち、と言って歩き出す。方向からして、目的地は職員室かな。
「御影先生に、こういう企画で進んでますって報告しにいくの。この分厚いのが企画書で、こうするよ〜とか、これくらい物を買うよ〜っていうのをまとめてあるんだ。あとどこでいつ買うかとか…」
「へぇ、さすが陸上部の敏腕マネージャーじゃん!スキルを遺憾なく発揮してるな。」
「ふふん、そうでしょう?」
「ところで、きみのところは…メイド喫茶?」
「えぇ?違うよ、今はやりの昭和純喫茶だよ。ちゃんと純喫茶のお給仕姿をテーマに作ってあるでしょ。」
「ふぅん、昭和純喫茶か~。それってメイド喫茶とは全然別物なの?」
彼女は足を止めると、不満そうな顔でオレに向き直る。えぇっと、オレ、なんか変なこと言った?
「ほら、よく見てよ。袖がぽわんとしてるでしょ?」
「あ、本当だ。肩口が膨らんでいるんだな。」
「それから、スカート丈も足首まであるし。」
「うん、それから?」
「たっぷりフリルがついたエプロンだけど、すとんって落ちるフォルムがポイントなの。ほら!」
「うんうん…」
一生懸命説明してくれる彼女には悪いけど、違いが分からないオレからしたら、めちゃくちゃ可愛い、それに凄く似合ってるくらいしか感想が出てこないんだけど。
制服とはまた違う長い丈のスカートは新鮮で、動く度にチラチラ覗く白い足首に目が奪われる。
「ね?」
「………うん、良いじゃん、昭和純喫茶。」
「ねぇ、なんか違う風に捉えてない?」
「普段ジャージでテキパキ働くきみももちろん好きなんだけど、なんか違う良さがあるっていうかさ?昭和純喫茶のきみも、めちゃくちゃ可愛い。」
「待って、すごく恥ずかしくなってきたからやめて…」
「そうだ、きみ、その姿で陸上部にも出ない?そしたらオレ、もっと頑張れるよ!」
「出るわけないよっ。わたしがこの服を着るのは今日だけなのっ!」
「えっ!?」
衝撃の事実に思わず声がデカくなる。今日だけって、今日だけってことだよな?彼女は頬を赤く染めながら口唇を尖らせている。
「な、なんでだよ!すっごく似合ってるのに…」
「なんでって、元々表に立って目立つより裏方仕事が性に合ってるもん。だから陸上部でもマネージャーをやってるでしょ?」
「そりゃそうだけど…勿体ないよ。あ、裏方でもメイド服を着るっていうのはどう?」
「却下です。ほら、行くよ。」
「う、バッサリ切るなぁ…。」
彼女が腰元で白いリボンをふわふわと揺らしながら歩く。後ろ姿も完璧に可愛い昭和純喫茶風とやらに感動しながらも、オレは溜息を漏らす。残念だな、こんなに可愛いのに。
と、オレの脳裏に玲太の顔がふいに浮かんだ。玲太がこの姿を見ていたなら、彼女を一人で廊下に出すようなこと、しないよな?
「なぁ、今日、玲太はどうしたの?」
「玲太くんは男子チームだから買い出しかな。荷物が重くなるから、今日は男子が買い出しで女子は衣装合わせだよ。」
「…じゃあさ、きみのメイド服姿を見たのは男子ではオレが一番最初ってこと?」
「そういえば、そうかもしれないね。」
「そんで、衣装合わせが終わったからもうメイド服は着ないんだよな?」
「もう着ないってば。」
「へへ…そっか?なら、仕方ないよな。」
急にテンションが上がったオレを、彼女が訝しげに見てくるから、笑って誤魔化しておいた。オレが一番最初で、最後。それって、めちゃくちゃ良いじゃん!
そう思ってしまえば、文化祭で彼女が裏方って言われても全然良い。むしろオレ以外にはもう、見せないで欲しいまで思うんだから単純だよな。
「マネージャー、職員室まで少し遠回りして行こうよ。」
「え、どうして?」
「もうこの姿のきみが見れないと思うと、ちょっと勿体なくてさ。もう少し満喫したいんだって。」
「うぅ~ん…でも…」
「なんだよ~、颯砂犬の散歩にしては距離が短すぎるって。大型犬の散歩距離は4キロが基本だぜ。」
わざと大げさに言って見せると、途端に彼女が慌てた様子で言う。
「4キロなんて、無理だよ!」
「だよな。じゃ、今日は特別に廊下をぐるっと一周でどう?」
「…もう、仕方ないなぁ。」
「はは、やった!」
本当は学校中練り歩いて、この姿の彼女と一緒に歩けるのはオレだけなんだって自慢したいくらいだけど、これくらいで我慢しておこう。「行くよ」とリボンを揺らす彼女の背中に、オレは番犬よろしく駆け寄った。
終