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    さめしば

    @saba6shime

    倉庫兼閲覧用。だいたい冬駿

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    さめしば

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    付き合ってない冬駿のSS リクエストお題「なんでもない日にちょっとサプライズする冬駿」で書きました。⚠️未来捏造要素あり ※加筆修正済(2024/3/20)

    スイートピーの花言葉は「別離」「門出」「優しい思い出」etc.
    紫のスイートピーの花言葉は「永遠の喜び」

    ##冬駿

    ワンルームに咲む「おはようございます。山田さん」
     来客を迎えに出た、アパートの玄関先にて。そのドアの向こうで俺を待っていたのは、見慣れた表情の幼馴染みと、そいつが抱きかかえる予想外の色彩だった。柔らかそうに揺れる紫色が、俺の視線を釘付けにする。
     ——花束、だよな? 俺の目がおかしくなったわけでなければ、だが。紫色の花を主役とした小ぶりな花束が、冬居の腕の中にある。いや待て待て、なんで花? まさか「これ」を俺に、ってことか? あの冬居が?
     挨拶のひとことさえ発せないまま、フリーズしてしまった俺の意識を叩き起こすように——生ぬるい風が部屋の中へ、ぴゅうと吹き込んだ。瞬間、生花独特の甘くて青い香りが運ばれてきて、はっと我に返る。視線を上げればそこには、眉を寄せた少し不機嫌そうな顔があった。
    「……あのー。中に入れてくれないんですか」
    「あ、えーっと……いらっしゃい?」
     実家にいた頃は使ったこともない言葉が思わずこぼれ出る。「よく来たな」とでも言って出迎えてやる予定だったのに、どうにも出鼻を挫かれてしまった気分だ。しかしそんなことは差し置いて、いま最も俺の中で引っ掛かっている事柄といえば当然——冬居が持参したその花について、である。狭苦しい玄関でスニーカーを脱ぐ後頭部を見下ろしながらも、疑問は膨らむ一方だった。

     今日は、俺が一人暮らしを始める部屋に冬居を招待する日だ。最寄駅から徒歩十五分、大学へは十分程度——住人のほとんどを学生が占めるこのアパートに、俺はつい昨日越してきたばかりである。荷解きや家具の組み立てを手伝わせるという口実と、我が城を存分に見せびらかしてやろうという魂胆と。約束通り、隣県から電車を乗り継いではるばるやってきたその男は——まったく予想だにしない贈り物を携えていたのだった。とは言っても、冬居なら引越し祝いのひとつやふたつ用意してくるかもという予感くらいはあった。なのに、よりによって花束だと? この俺相手に? いったいどういうつもりだよ、こいつ。頭の中で疑問が渦巻く最中も、玄関が花の香りで満たされてゆくのをたしかに感じた。

    「それじゃ、お邪魔します」
    「……どーぞ」
     靴を揃え終えた冬居が顔を上げ、部屋の内部へと体を向ける。キッチン横のせせこましいスペースを共に通り抜け、初めての客を生活空間に招き入れた。ダンボールが無造作に積まれたままの、まだひどく殺風景な部屋だ。見慣れた長身の男が今、そのワンルームのど真ん中に佇んでいる。花束を片手に、辺りをぐるりと見渡しながら。たったそれだけの、なんでもない光景なはずなのに——あれ、なんだこれ。どうしちまったんだ俺。自分でもまったくわけがわからないけれど、妙に深く大きな安心感が、今まさにこの俺を襲い始めていた。

     知らない街の新しい部屋で、昨日はひとりぼっちの夜を過ごした。実家では味わえない開放感を楽しみながらも、寂しい空間で心細さを一切感じなかったかと言えば、おそらく嘘になる。住み始めたばかりじゃ当然と言えば当然だが、このワンルームの空気が肌に馴染むようになるまで、まだ当分かかりそうだなと、そう思った。そのはずだったんだ、ついさっきまでは。——冬居がここに足を踏み入れる、その瞬間までは。ずいぶんおかしな話だ、「よく知った相手と一緒に居る」というたったそれだけのことで、ここがたちまち自分の居場所へと変化していくように感じるなんて。初めて味わう感覚だった。だけど、不思議と悪い心地はしない。むしろこの変化を素直に受け入れたいとさえ思える。冬居という存在が、この空間を「俺の城」へと塗り替えてゆく。昨日実家を離れる直前にも合わせたばかりの顔が、やけに懐かしく俺の目に映った。

    「意外と広く見えますね。家具がないからかな」
    「えっ。あー……かもな。ベッド届いたら、だいぶ違うんじゃねーか」
     部屋の中を観察していた冬居が、ふとこちらに視線を向ける。焦ってつい、勢いよく目を逸らしてしまった。こっ恥ずかしいことを考えていたせいだろう、冬居の目をマトモに見るのが難しい。そんな俺を気にする様子もなく、奴はまた物珍しそうにあちこち眺め回し始める。俺はほっとひとつ息を吐いて、当たり障りのない会話が続くよう努めた。日当たりとか立地とか、駅から迷わずに来れたかとか、そういった類いの話を。座ってくつろぐ場所さえないこの状況では、自然と立ち話が続く。
     ——よし、そろそろいくか。例のモノについて冬居から切り出されるよりは、自分で会話を主導したほうが少しはマシなはず。一瞬静かになったタイミングで、話を本題に移すことにした。
    「……で? 冬居。『それ』がお前からの引っ越し祝い、ってことかよ」
     冬居は軽く目を瞠ってから、思案するように視線を宙に彷徨わせた。
    「んー……引越し祝いとは、ちょっと違うかも。お祝いには違いないと思いますけど……」
    「んだよ、はっきりしねーな」
    「……卒業式の日、先輩方ひとりひとりにお花渡したでしょ。後輩一同からの」
     いきなり数週間前の出来事に話題が飛んで、内心面食らった。卒業する三年生に花束を贈る行為は、ほぼすべての部で毎年受け継がれている伝統のようなものだ。今ここにあるそれより大ぶりな花束を貰った日のことは、まだ俺の記憶にも新しい。そういえばあの花、どうなったんだっけ。帰宅してすぐ母さんに託したから、家のどこかに飾られてはいたはずだが。
    「僕も仕切り役として、お花の手配とか、準備に携わっていく中で……山田さんには、駿君には、僕個人からも贈りたいなって。なんとなくそう感じたときがあって」
    「……うん?」
    「だから、機会があれば渡そうかなとは前から思ってたんですけど。ちょうど良さそうだったから、今日に決めました」
    「おう……なるほど?」
     冬居の説明を鵜呑みにするなら、この花は単なる引越し祝いではないということらしい。いまいち腑に落ちないものを感じるけれど、こいつが俺のために花を贈ろうと思ったという事実が、どうにも心を落ち着かなくさせる。
    「……んじゃーつまり卒業祝いってことでいいんだよな? ずいぶん遅刻気味だけどよ」
    「もちろんそれがきっかけではありますけど……。でも、それ『だけ』じゃない、かも」
     その瞬間、ぱっと視線が交わり、冬居の目尻が柔らかく笑みの形を描いて——妙に大人びたその表情に目を奪われているあいだに、花束は俺の両手へと移されていた。反射的に受け取ってしまった、腕の中のものに視線を落とす。繊細な花びらが、ふわふわと揺れていた。
    「……おめでとうございます」
     祝いの言葉を降らせる男を、俺は下からじろりと睨め付けた。
    「……なんに対してだよ」
    「さあ。なんでしょうね」
     あ、誤魔化しやがったなこいつ。余裕ありげに笑う顔が、なんとも小生意気に見える。しかし今のやり取りによって俺は、冬居が花束に込めた意味をじわじわと、そしておそらくは正確に理解し始めていた。もしかしたら、どれかひとつの節目に絞って祝うなんてこと、贈り主にもできなかったのかもしれない——そんなことを思った。引越しに卒業、あるいは合格祝い。更に遡るなら、部活の引退や部長の役目を終えた労いも。加えてあとひとつ、けして無視できないであろう節目といえば——競技から退くことを選ばなかった、あの選択それ自体への祝福も。数々の瞬間をまるごと包み込んで、大きな意味を今の俺にもたらしてくれる花束。冬居の体温を帯びた軽い重みが、この両手に温かさを移す。——あ、やべ。なんか泣きそーだ、俺。こいつの意図なんか深く考えるんじゃなかった。目の奥がつんとする感覚にひとり慌てる。冗談じゃねえ、冬居の前で涙を見せるなんて絶対にゴメンだ。込み上げる熱さを振り切るように、大袈裟な咳払いをゴホンとひとつ放った。次いで大きな溜め息もひとつ。よしよし、大丈夫、これで自分のペースを取り戻せるはず。
    「……つうか冬居お前! 駅まで迎えに行ってやるって言ったのに、やけにきっぱり断られたよな。コレ持ってきて驚かせるためだったんだろ」
    「そんな! 僕は別に……驚かせるのが目的だったわけじゃないですよ。こっちの駅前にお花屋さんがあることはリサーチ済みだったし、家にいてくれたほうが都合いいかなーって……。お花持ったまま待ち合わせするのは、さすがにちょっと抵抗ありますし」
     なるほど、想像してみるとたしかに。花束を抱えた男に声を掛けるのは、こちらとしても勇気が要りそうな状況だろう。「ああそうだ。でも」と何やら思いついたような顔をして、冬居が言った。
    「びっくりしてる駿君を見られたのは、悪くない誤算だったかも。さっきはずいぶんいい顔してましたよね」
     ——げしっ。ごく軽い蹴りを一撃。小憎たらしい幼馴染みに、無言でお見舞いしてやった。
    「痛い! ちょっと、ひどいじゃないですか」
    「ったく、一丁前にサプライズなんか仕掛けやがって……」
     だから偶然だって言ってるのに……。冬居はそう溢しながら、わざとらしい動作で左の脛をさすっている。きちんと加減したから大して痛くはないはずだが。低い姿勢になった流れのまま、冬居は重たそうなリュックサックをフローリングへと下ろした。その中を探り、新聞紙に包まれた物体を取り出して見せる。
    「そうそう、これ。花瓶買ってきました。百均のですけど」
    「ほんっと準備いいよなお前は……」
    「まあ、このくらいは義務のうちでしょ。駿君へのプレゼントにお花なんか選んだ側にとっては」
    「……含みがあるように聞こえんだけど?」
     でもそっか、そうだよな。これを受け取るってことは、当分はこの花とともに生活を送ることを意味しているのだった。安物でも花瓶があるに越したことはないし、どうせならなるべく長く、元気なまま持たせてやりたい。そんな風に考えていた矢先、俺の思考を読んだようなことを冬居が話し始める。
    「切り花を長持ちさせる方法もちゃんと調べてきましたから。あとでラインしておきますね」
    「それも義務ってヤツ?」
    「面倒見られるとこまでは見てあげないと、自分が気持ち悪いですし。……とりあえず、最初の作業はこれを生けるところから、ってことで。いいですよね?」
    「ん。りょーかい」
     軽い相槌を返したものの、この綺麗なラッピングを解いてしまうのは少しもったいないような気がした。ならせめて記憶に留めておこうと、改めてじっくりと花束を眺めてみる。ひらひらとした形の花びらをつける、紫色の花を主役とした構成らしい。間近で観察すると、甘い匂いが更に強く鼻をくすぐった。
    「なあ冬居。この花なんてーの」
     新聞紙をがさがさと剥きながら、冬居が答えを寄越す。
    「スイートピーですって。なんのお花を選ぶかは、実際に店頭で見てから決めたんですけどね。『新生活をスタートされる方にはぴったりですよ』って、店員さんもオススメしてくれましたし」
    「ふうん、これがスイートピーっていうのか。名前だけは知ってっけど」
     冬居のことだから、その場で花言葉まで調べ上げたうえでこれを選んだに違いない。きっと、マイナスな意味を持つ花ではなかったのだろう。
    「あ、でもこのちっちゃいやつの名前はわかるぜ。カスミソウだろ。な、冬居?」
     スイートピーの鮮やかさをより引き立てるよう散りばめられた、小さな白い花々たち。子どもの頃、冬居と一緒に植物図鑑をめくっていたときに覚えた名だ。これカスミソウっていうんだってさ、冬居とおんなじ名前じゃん! そんな風にはしゃいでいた記憶が脳裏に蘇る。話を振られた男は照れ臭そうに唇を尖らせ、「そっちは別に、僕が選んだわけじゃないですから。よくある飾りの一部でしょ」とかなんとか言って、丸めた新聞紙をぎゅうぎゅうに圧縮している。
     昔と変わらず隣にいて、けれど昨日からは物理的な距離ができてしまった、互いにとって無二の存在。——どうせ頻繁には会えなくなるのなら、多少気恥ずかしく思うような台詞だって、今こそ言ってしまえばいいのかもしれない。
    「冬居。ありがとな、これ。大事にする」
    「……うん。ありがとう」
    「毎日欠かさず世話して、長生きさせてやるからさ。この俺が」
    「……駿君。もう死んじゃってるんですよ、切り花って」
    「情緒のねーこと言うなよなあ」
     どちらからともなくクスクスと笑い合えば、殺風景な部屋の空気がぱっと華やぐような心地がした。かすかに花の香り漂う空間、まだなんの飾り気もない部屋を背景に、見慣れた存在が佇んでいる。その横顔を、春の陽射しがレースカーテン越しに照らし出す。初めて目にする光景のはずなのに、不思議と俺のうちにすうっと溶け込んで、たぶんこれはそう容易く忘れられるものではないだろうな、と思った。
     ——もし、かつての俺が夢に描いたみたいに、プロの舞台へと駆け上がる未来が実現するとして。そうなれば当然、華やかな場で、大勢の人々の前で、花束を受け取るような機会だって幾度となく訪れるはずだ。それは日本代表の壮行会だったり、クラブの契約会見だったり、あるいは引退試合のフィナーレだったりするかもしれない。いずれにしても、そういった輝かしい場で贈られる花束はおそらく、うんと豪華なものに違いないだろう。それでもきっと、今この手にある花束を上回るような代物には、到底出会えない気がするのだった——俺にとっての価値の大きさ、という意味では。何の記念日でもない今日このとき、ふたりきりの六畳一間で贈られた、控えめな花束。こいつ以上に深く心に刻まれるものがあるなんて、今はちっとも考えられない。仮定だらけの妄想にすぎないのに、妙に確信めいた予感が俺の中に芽吹くのがわかった。しかし、この予感はやっぱり正しかったと証明するまでにどれほど困難な道が待っていることか。考えるだけで気が遠くなりそうだ。俺がこんな想像を繰り広げているなんて、そこにいる冬居はきっと思いもしないだろうけど。

    「……うっし! まずはその花瓶洗うとすっか、冬居」
    「はいはい。なにか拭くものお願いしますね」
     仕事に取り掛かる前にと、最後にもう一度だけ、花束をそっと抱きしめた。片手に収まる程度の小さな贈り物を両手で抱え直し、じっと覗き込む。——今日からお前らもこの部屋の一員になるんだってよ、よろしくな。伝わるはずもないけれど、スイートピーとカスミソウは俺の腕の中で楽しげに揺れていたのだった。
     さて、これを花瓶に生け直すところは俺より器用な奴に任せるとして。そこから先の段取りに関して言えば、まず時間指定で届く家具を受け取ること、お次にそれらを組み立てること。これが一番の大仕事になるだろう。昼時になったら、近所のファミレスにでも連れて行ってやるつもりで計画していたけれど——。もしかしたら、デリバリーのほうがこの日には相応しいんじゃないだろうか? そんな思いつきがふと頭を過る。この部屋でふたり、この花を眺めて食事をする機会は、たぶん今日が最後だろうから。ピザでも取ろうぜって、あとで提案してみることにしよう。
     あれこれ思案していたそのとき、半開きの窓から生ぬるい風がふわりと入り込んできた。レースカーテンが大きく膨らむ。花瓶の表面を丁寧に拭き上げていた冬居が、手を止めて顔を上げた。視線の先、外の陽気に目を細める。
    「いい天気……今日、すごくあったかいですよね」
    「な。まさに春! って感じ。こんなポカポカした部屋でさ、思いっきり昼寝したらぜってー気持ちいいよなあ」
    「ちょっと駿君。のんきなこと言ってないできびきび働いてくださいね」
    「ハイハイ、わーかってるって。こき使ってやるから覚悟しとけよ、冬居」
     いつもの調子で軽口を交わしていると、春の風がふたたび室内へと吹き込んだ。それはまるで、スイートピーの香りを部屋の隅々まで行き渡らせているかのようだった。予期せぬ同居人を迎え、俺の新しい生活が今まさに始まろうとしている。まだ嗅ぎ慣れない香りと、少し懐かしく思う色彩と——それらに寄り添われてスタートを切る日々は、きっとこの上なく順調に違いない。
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    さめしば

    TRAINING付き合ってる冬駿のSS
    お題「黙れバカップルが」で書いた、井浦と山田の話。冬居はこの場に不在です。
    お題をお借りした診断メーカー→ https://shindanmaker.com/392860
    「そういえば俺、小耳に挟んじゃったんだけどさ。付き合ってるらしいじゃん、霞君とお前」
     都内のとあるビル、日本カバディ協会が間借りする一室にて。井浦慶は、ソファに並んで座る隣の男——山田駿に向け、ひとつの質問を投げ掛けた。
    「……ああ? そうだけど。それがどーしたよ、慶」
     山田はいかにも面倒臭そうに顔を歪め、しかし井浦の予想に反して、素直に事実を認めてみせた。
    「へえ。否定しないんだ」
    「してもしゃーねえだろ。こないだお前と会った時に話しちゃったって、冬居に聞いたからな」
     なるほど、とっくに情報共有済みだったか。からかって楽しんでやろうという魂胆でいた井浦は、やや残念に思った。
     二週間ほど前のことだ、選抜時代の元後輩——霞冬居に、外出先でばったり出くわしたのは。霞の様子にどことなく変化を感じ取った井浦は、「霞君、なんか雰囲気変わったね。もしかして彼女でもできた?」と尋ねてみたのだった。井浦にとっては会話の糸口に過ぎず、なにか新しいネタが手に入るなら一石二鳥。その程度の考えで振った一言に返ってきたのは、まさしく号外級のビッグニュースだった。——聞かされた瞬間の俺、たぶん二秒くらい硬直してたよな。あの時は思わず素が出るとこだった、危ない危ない。井浦は当時を思い返し、改めてひやりとした。素直でかわいい後輩の前では良き先輩の顔を貫けるよう、日頃から心掛けているというのに。
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    さめしば

    MOURNING※供養※ 灼カバワンドロワンライのお題「食欲の秋」で書き始めた作品ですが、タイムアップのため不参加とさせていただきました。ヴィハーンと山田が休日にお出掛けする話。⚠️大会後の動向など捏造要素あり
     しゃくっ。くし切りの梨を頬張って、きらきらと目を輝かせる男がひとり。
    「……うん、おいしー! すごくジューシーで甘くって……おれの知ってる梨とはずいぶんちがう!」
     開口一番、ヴィハーンの口から出た言葉はまっすぐな賞賛だった。「そりゃよかった」と一言返してから俺は、皮を剥き終えた丸ごとの梨にかぶりついた。せっかくの機会だ、普段はできない食べ方で楽しませてもらおう。あふれんばかりの果汁が、指の間から滴り落ちる。なるほどこれは、今まで食べたどの梨より美味い。もちろん、「屋外で味わう」という醍醐味も大いに影響しているのだろう。
     ——俺とヴィハーンはふたり、梨狩りに訪れていた。

     長かった夏の大会が幕を閉じ、三年生はみな引退し、そしてヴィハーンは帰国の準備を着々と進めていた十月下旬のある日——「帰る前になにか、日本のおいしいものを食べたい!」ヴィハーンから俺に、突然のリクエストが降って湧いたのだった。
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