起きてる時に言いやがれそれは、ある実習の帰り道だった。
その日の実習は「近くの城の密書の内容を調べてこい」という、六年生が六人でかかれば三日もかからぬような、簡単な任務だった。事前にい組が仕入れた情報を元に計画を立て、陽動はろ組、密書の複写はい組、脱出経路の確保と殿はは組の担当だった。それぞれが決められた職務を全うし、頃合いを見て戻ってくる手筈としていたが、六人が再び集合場所に戻るまではたった一晩しか必要無かった。
「よし、全員揃ったな」
仙蔵の言葉に、残りの五人が静かに頷く。
「い組は予定通り密書の内容を盗んできた。途中怪しまれる事も無ければ、戦闘にもなっていない。他の組はどうだ?何か問題があったり、怪我をした者は?」
仙蔵の問いかけに小平太がニッと笑う。
「私と長次は陽動だったが、どこも怪我していないぞ!」
「もそ、問題も無い」
続いて伊作が口を開く。
「僕と留三郎も特に戦闘は無かったから、怪我してないよ」
「今回は伊作の不運もほぼほぼ周りを巻き込まないタイプだったからな」
現状報告に、仙蔵は満足そうに頷いた。
「ふむ、完璧だ」
「ねえ仙蔵、そういえば、密書の内容って何だったの?」
「あっ!私も知りたいと思っていた!」
伊作の問いに、小平太が乗っかる。仙蔵がチラリと文次郎を見た。見られた文次郎が服の上から密書が入っている懐を押さえる。
「あー、どうやら新薬の内容について、だったな。新しい毒薬が完成しそうだとかなんとか」
「え!?」
文次郎のかいつまんだ説明に、伊作が顔をこわばらせた。
「それ、ちょっと見せてくれないか?報告した後だと見せてもらえるかわからないし」
「おう」
文次郎の手から密書の写しを受け取って、伊作は素早く目を通していく。
「これは……。こんな毒薬が戦場に出れば、大変なことになる。今すぐ解毒薬の開発を始めないと。報告の後、学園長先生に進言してみなくちゃ」
目に強い光を宿した伊作に、ならばそうしようと応えながら、仙蔵が写しを受け取って自分の懐にしまう。
「では急ぎ戻ろうか。忍術学園に!」
応!という返事を合図に、仙蔵が先頭切って駆け出し、その後を五人が続いた。
このように、任務自体は恙無く進んだ。何なら戦いがほぼ無かったために小平太や留三郎が不満を言うほどだった。しかし内容の関係で、帰路をできるだけ急ぐことになった。
の、だが。忍術学園へ戻る途中、曲者の存在に気付いた城から追手がかかった。
「誰だよ後をつけられるような痕跡残した奴は!」
口では文句を言いつつも、元来武闘派で今回は殿を任されている留三郎が不敵に笑った。
「殿は留三郎と伊作の役割だが、もはや陽動も必要無かろう!私も残るぞ!」
これまた楽しげに笑った小平太に、文次郎が首を振る。
「いや、むしろ小平太は長次と一緒に仙蔵の援護をしながら駆け抜けてくれ。報告の場には伊作もいた方がいいだろう。俺が殿を代わる」
駆けながらチラリと文次郎を見て、仙蔵が頷いた。
「そうだな、私はこのまま学園を目指す。近接戦の小平太と遠距離型の長次がいれば、他の追手がいても問題なかろう」
異論無いな、伊作、と続いた言葉に、伊作は大きく頷いた。
「ごめんね文次郎、頼んだ!」
「む、それなら仕方ないな」
「もそ」
小平太、長次がそれぞれ納得したのを聞いてから、仙蔵が街道から脇道に逸れていく。四人を見送って、留三郎と文次郎は足を止めた。
「へっ!せいぜい足引っ張んなよ文次郎」
「こっちのセリフだバカタレ」
駆けていたので体は充分温まっている。留三郎は得意武器の鉄双節棍をクルクルと手の中で回して馴染む感覚を確かめた。その横で文次郎はせっせと袋槍の準備を進めていく。
「……文次郎」
「ああ、お出ましだな」
ぐっと口布を引き上げて、二人して道の向こうを睨みつける。一拍の後、留三郎と文次郎はそれぞれに大きく飛び退った。一瞬前まで立っていた場所に、複数の手裏剣が刺さる。敵の数、少なく見積もって五人。
「そこかぁ!」
手裏剣の飛んできた方向からおおよその位置を掴んで、留三郎が苦無を投げ返す。茂みの中から、敵の忍者が姿を現した。
「いいか留三郎、あくまで時間稼ぎだ。いい頃合いになったら鳥の子を使って退散するぞ」
小声で言う文次郎に、留三郎が口角を上げる。
「もちろんだ。でもそれはそれとして、何人倒せるか勝負だ!」
「ハッ!やってやらあ」
文次郎が槍を構え直す。
「行くぞ!」
「勝負だー!!」
「ギンギーン!!」
今度はこちらの番、とばかりに、二人は地面を蹴って攻撃を開始した。
四半刻もせずに、戦闘は終了した。敵は曲がりなりにもプロ忍者で、数も多かったが、二人は十分に時間稼ぎをしただろう。これだけ時間があれば、仙蔵たちはかなり遠くまで進んでいるはずだ。煙玉で敵を撒いて、文次郎と留三郎は山の中を抜けて退散した。
「おい留三郎。怪我はないか」
「あるわけないだろう!と、言いたいところだが」
やはりか、と文次郎は眉を寄せた。先ほどから留三郎の走力が落ち続けている。いつものごとく競り合うように追い越してきたり、無駄に煽ってきたりもしない。むしろ必死に着いてこようとしているような、幾分荒い呼吸が文次郎は気になっていたのだ。
「どこだ」
短く問えば、
「足」
と、これまた短く返事が返る。敵に一人、薙刀使いがいた。長い薙刀を振り回し、執拗に足払いをしていたが、どうやら一度掠ったようだ。留三郎の足を見下ろすと、ふくらはぎの辺りの袴が切り裂かれ、赤い血の色が見えている。割と街道から外れたし、この辺りで良いだろう。文次郎は速度を落として、ゆっくりと止まった。
「血痕は?」
「そこまで深くねえよ。残してくるなんてヘマもしねえ」
伊作の不運対策だったのだろうか。留三郎の言う通り、袴の下には一枚布が巻かれていて、流れた血はこの布が吸っていた。
「とりあえず止血する」
しゃがみ込んだ留三郎が、服の上から傷を圧迫する。僅かに歪む表情に、文次郎は目を逸らした。
「毒消しも飲んでおけ。毒薬を開発できるような城だ、武器に小細工をしていてもおかしくない」
「そうだな」
文次郎の言葉に素直に頷いて、留三郎は竹筒の水と共に伊作の薬を飲み下した。
「立てるか?」
「だから、そこまで深くねえって」
確認してくる文次郎に苦笑して、先に留三郎が歩き出して見せる。
「四人に合流できるとは思わんが、できるだけ早く学園に帰るべきだろう?さっさと行くぞ心配性」
「確認しとるんだバカタレ」
小走りで横に並んでから、文次郎は留三郎の歩調に合わせて足を進めた。
まあ、そんな調子では当然だが、予定通りには忍術学園に辿り着けなかった二人は、どこかで夜を明かさなければならなくなった。留三郎の足が万全で、かつ急いでいるのなら夜通し駆けてもいいが、今はどちらも満たしていない。一度体を休めた方がかえって早く帰還できるだろう。夕方に差し掛かる頃、狩猟の時期に使う物らしき小屋を見つけたところで、文次郎と留三郎は何も言わずに足を止めた。
「使わせてもらうか」
「そうだな。代わりに礼として、この戸板は直してやろう」
あまりにガタガタで滑りの悪い戸板を見ながら、留三郎が苦笑した。
中に入って様子を確かめる。埃をかぶってはいるが、土間には鍋と釜が一つずつ、押し入れには布団が一組入っていた。
「おい留三郎。怪我の具合はどうだ」
足袋を脱いで袴をたくし上げる留三郎に、文次郎が声をかける。
「血は止まっている。毒も、今のところ無さそうだな。数日で塞がるだろう」
「念の為に伊作に見てもらえよ」
「当たり前だ。というか、同室の俺が逃げられるわけがないだろう?」
話しながら留三郎は、血に染まった布を取り外し、濡らした手拭いで患部を拭いている。留三郎の言葉通り、深くはないのだろうが、幅の長い傷に見えた。
「念の為、火は起こさんぞ」
言いながら文次郎も板間に腰を下ろした。煙が立てば、バレないものもバレてしまう。留三郎も異論は無いので、ただ頷いた。その後二人は月の光の差し込む暗い部屋の中で、常備している携帯食を口に含み、適当に水で喉を潤した。夜目が効くので不都合は無いが、こう暗くてはやることもない。結局、早々に眠ることになった。
「布団はお前が使え。こんな時だ、埃っぽくても文句は言うなよ」
そう言った文次郎の言葉に、留三郎が眉を吊り上げた。
「はあ!?お前が使え!」
まるで当然と言わんばかりの留三郎に、文次郎はムッと眉を寄せる。
「怪我人だろう。ちゃんと布団で寝て早く傷を塞げ。でないと迷惑するのはこっちなんだ」
「そうさ怪我人だ。だからもし次に戦闘があったらお前が倍働かなきゃならん。だのに睡眠不足で実力が発揮できませんでしたなんてことがあったら目も当てれねえだろうが」
「なんだと!?そんな鍛え方はしとらん、一日寝なくとも俺はギンギンに戦える」
双方全く譲らず、視線がぶつかってバチバチと音を立てる。
「〜〜〜っじゃあ折半案だ。俺が敷布団をもらう。お前はせめて掛布を使え!」
「…………仕方ない」
そうして留三郎は敷布団の上で足が痛まぬ角度を探して横になり、文次郎は壁にもたれて掛け布団に包まった。
「……横になんねえのかよ」
気遣わしげな留三郎の声に、
「外の様子は誰が気にするんだよ」
と返す。自分が足を引っ張っていることは承知している留三郎はそれ以上食い下がることができず、
「おやすみっ!」
ぶっきらぼうに言って文次郎に背を向けた。
それがやがて穏やかな呼吸音と共に緩やかに上下するようになるのを待って、文次郎は音も立てずに留三郎に近寄った。眠ってからなんて卑怯かもしれないが、やはり布団は、全部留三郎が使うべきだ。文次郎は、留三郎の足に当たらないように気を付けながら体に掛け布団を乗せてやると、満足げに笑って壁際に戻った。言い訳のように頭巾の布を腹の上に置いて、それからようやく文次郎も目を閉じ、浅い睡眠に身を委ねた。
――数刻後。
戸板に空いた隙間から差し込んだ光が顔に当たり、文次郎は目が覚めた。
「ん゙……おぃ、とめさぶろぉ」
傷は、と言おうとして口を噤む。留三郎はまだ目を閉じていて、ゆっくりと深い呼吸を続けていた。文次郎はぐっと背中を伸ばす。硬い板に預けていた背中が僅かに音を立てた。それから伸ばしていた足を引き、のろりと立ち上がる。その拍子に頭巾の布が床に落ちた。それを緩慢な動きで拾って、文次郎は留三郎の顔を覗きに行く。
「留、おはよ」
緩やかな寝息。顔色も悪くない。暖かくして寝たおかげで体力が低下せず、傷が化膿して熱を出す、なんて最悪の事態は避けられたようだ。ひとまず、安心して文次郎は息を吐く。
「……静かにしてるお前なんて気味が悪いな」
そのまま枕元に座り込んでみるが、留三郎は起きる気配が無い。忍者を志す者としてそれはどうなんだという思いと、信頼されているのだという実感で、文次郎は何とも言えない心地になった。だから眠り続けている件については不問として、代わりに昨日からずっとモヤモヤしていた事を口にする。
「なに、俺以外に傷付けられてんだよ」
言いながらそっと左手で頬を撫でると、留三郎の眉間に皺が寄った。むずがる子どものような顔だ。思わず笑ってしまう。
「ははっ……早く良くなれ。でないと、勝負できんだろう」
頬から手を離し、見た目より柔らかい髪を一度だけ撫でる。
「お前と勝負するの、嫌いじゃないんだ」
さて、周りの様子を見に行かねば。と文次郎は立ち上がると、先ほどよりずっとしっかりした足取りで土間へ向かっていった。ガタガタと音を立てて戸を開き、青空を見上げてから小屋の外へ踏み出していく。ギンギンに忍者を開始した文次郎は辺りを警戒し、その結果、守るべき後方――味方である留三郎の方をふりかえることは決して無かった。だから、留三郎の顔がじわじわと赤くなったことも、僅かに拳を震わせていたことも、文次郎は終ぞ気付かなかったのである。
「…………起きてる時に言えよ。返事できねえじゃねえか」
知らぬうちにかけられていた温かな掛け布団に潜り込み、手で真っ赤な顔を隠した留三郎を知っているのは、優しい朝日に暖められた寂れた小屋の空気のみである。
「俺だって好きだよ、バカもんじ」