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    DoNLH_bh

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    DoNLH_bh

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    12/18 新刊サンプル
    値段未定、新書サイズ、ページ数未定
    生徒ばぢと国語教師ちふが不思議な世界に迷い込んで、出会って、協力して脱出する話
    初めの注意書きをご覧になってからお読みください。
    絶対に誤字脱字ありますが、温かい目で見てください。

    巻末まで彩って注意書き
    ・特定の作品や作者を卑下したり、神聖化したりしようとする意図は一切ありません
    ・私的な解釈も含まれています
    ・数年前に見た情報をあるため、現在の情報と矛盾しているものがある可能性があります






    前書き


    目を開けると何もない真っ白な部屋にいました。
    あ〜、はいはい。SANチェックね。わかっているって。〇/一くらいかな? 
    SANというのはそのまま読んでサン。これに値がつくとサンチ。いわゆる自分のメンタルの強さだ。びっくりしたりショッキングな出来事があったりするとSANチェックというものをやらないといけない。SAN値が低くなりすぎると精神的な不調を起こす。
    そしてSANチェックというのはサイコロを振って自分で決めた値より高いか低いかを決める。今回だと低かったら〇、高かったら一減らすという意味だ。
    オレのメンタルの数値が八十五だとして、転がしたサイコロの出目が八十五より低かったらセーフ、高かったらオレのメンタルは一減るというわけだ。
    なんて昔によくやったTRPG、その中でも特にやっていたのは暇を持て余した神々の遊びのTRPGだ。その導入はもう見飽きていたけど、まさか自分が本当にその世界に入り込むとは思わなかった。現実ではSANチェックをしなくてもいいんだな。むしろTRPGをやっていたおかげでしなくても済んだのか?
    いや、TRPGの説明はこの際どうでもいい。なんで今オレはここにいるのかを知る方が大事だろ。
    起きて辺りを見渡す。服は着ている。良かった。たまに全裸から始めるパターンもあるからな。荷物はなし。記憶はぼんやりしているけどスーツなのを見ると多分仕事帰り。これはお決まりのパターン。
    どこからも光が入っていないのに明るい部屋。電球は見当たらない。見渡しても一面の白い壁。一つの壁には扉がある。真っ白な部屋で浮いている茶色い扉。扉には看板はなさそう。
    部屋には独り。他に誰かがいた形跡もない。同じ立場の人間は同じ部屋からスタートするのが多いが、違う部屋にいるか本当にオレ独りなのか。
    部屋にクリア条件が書いてあるようなものはない。この手のゲームは通常クリア条件がはっきりとしている。この部屋から出ろ、とか、謎を解決しろ、とか、犯人を見つけ出せ、とかだ。今回の場合だとこの空間から出ろ、辺りが妥当だな。
    指示が書かれているメモがないなら扉の向こうにアイテムなり条件がわかるきっかけなりがあるのだろう。とりあえず歩き出さないと始まらない。
    そこまで考えてから扉の前までいつもの三倍は速度を落として進む。それは少しの不安と、恐怖と、抑えきれない好奇心からだ。オレが進む度に今年新調したばかりの茶色い革靴と床が当たってコツンっと軽快な音を奏でる。オレの靴は好奇心を表現してくれているらしい。
    扉の目の前で止まり、触る。液体はついてない。そのまま耳も扉につける。
    ……うん、音は聞こえない。においも感じない。昔ヤンチャをしていたオレだが、扉の向こうにあるかもしれない人の気配までは流石にわからない。
    個人的にこのゲームで守るべき三大要素は、異世界では自分で持ち込んだもの以外の飲食はしない。顔が良い奴は疑う。そして扉には聞き耳を立てるだ。
    もちろん異論は認める。同率で扉の開け閉めの宣言は必ずする、も入ってくる。オレはこれを忘れてオレが丹精込めて作ったキャラが何人死んだか覚えてない。
    音なし、においなし、気配なし。となればもう扉を開けるしかない。
    「…はあ〜……」
    ドアノブを握る。握った手は震えている。その手を隠すためにもう片方の手を乗せる。鍵は閉まってない。扉は押すタイプ。
    「おい地獄さ行くんだで! ってか」
    有名な小説の始まりのセリフを呟いて自分を鼓舞する。さあ鬼が出るか蛇が出るか神が出るか…! ドアノブを回して慎重に扉を開けた。
    扉の向こうの部屋が落とし穴である場合を想定してオレはその場に留まる。茶色い扉は音も立てずにゆっくりと開く。
    床を見て確認。オレの部屋から続いている床は白い。どうやら床に穴はあいてないようだ。良かった。落とし穴トラップの初見殺しはよくあるからな。
    一歩進む。カツンっとまた軽快な音がなる。靴の音は何もない空間に吸収してすぐに聞こえなくなる。
    どうやらこの部屋もオレが目を覚ました部屋と変わらないみたいだ。床は白。壁も白。向かい側には茶色い扉が一つ。
    床から壁へ、壁から扉へと顔を上げていき、扉を見たタイミングで向かい側にある扉が人知れず開く。向こうの扉も開いた音が全くしなかった。
    誰がいるのか、何があるのかもわからない。逃げ出さないといけない状況のはずなのに恐怖は不思議となかった。このタイミングで会うなら同じ立場の人間かお助けキャラだという確信があるのもそうだが、もっと違う、別の何か。
    それでもオレの気持ちを素直に反映した震える手を力強く握りしめる。恐怖というのはこんなにも拭いきれない感情なんだな。良い経験をした。これから活かそうと思う。この部屋から無事に出られたらだけど。
    扉が開いた先にはこの部屋に酷く不釣り合いな真っ黒な髪の毛を持った青年がいた。
    「…松野、千冬先生?」
    青年が呟く。何もない部屋はオレにその言葉を届けてくれた。
    「えっと……。確かばじくんだよね?」


    そう。
    これは国語教師であるオレ、松野千冬と生徒の場地くんが力を合わせて脱出する物語だ。




    授業は持っていないけど、話はよく聞く。昔にやんちゃをしていたせいで、他の先生に目をつけられているって。実際オレより生きている先生がオレに忠告してきたことがあった。あの生徒は素行が良くないから授業を持ったら特に注意深く見ろ、と。
    それを言われたときは適当に笑って適当に流したような気がする。授業を持っていない生徒の話を他の人から聞いても仕方ないし、第一オレも昔はそちらの分類だったから。
    結局のところ、今年は授業を持たなかったので真偽は定かではない。
    場地くんはオレを本物だと信じていないのか扉の前から動かずに、じっと見つめてくる。オレだって目の前の場地くんがオレの学校の生徒の場地くんかはわからない。それでもオレが動かないと始まらない。
    部屋の真ん中くらいまで歩いて、また立ち止まる。これで近づいて実は違いました展開だったら詰む。それでも経験上、と言ってもゲームの中の話だけど、初っ端でそんな展開をしてくるのはほとんどないので、大丈夫、だと思いたい。
    震える手を隠すために拳を作る。そして緊張も不安も、ちょっとの楽しみも全て唾と一緒に飲み込む。何もない白い部屋に飲み込んだ音が響いた気がした。
    その距離数メートル。心臓の音は当然聞こえないが、呼吸している音はなんとなく聞こえた。
    「…本物?」
    場地くんが眉間に皺を寄せてオレに尋ねる。
    「うん。本物だよ。証拠になるものは何もないから信じてって言えないけど…」
    両手を挙げて無抵抗だという意思を示す。なるべく信じて貰えるように笑顔を浮かべるが、たぶん緊張していて引きつっている。これはさすがに許して欲しい。オレだってこの変な世界に色んな感情が渦巻いているんだ。
    場地くんがオレに一歩近づく。磁石のSとNのようにオレの脚が場地くんから離れていく。結局怖がっているのを隠せていない。
    場地くんは更にオレに近づいてくる。一瞬にして酸化したオレの脚の磁石は錆びてしまい、その場から動かなくなった。
    「いや。いい、です。本物だってわかる…ので」
    場地くんは横に首を振ってオレの言葉を信じると言ってくれている。場地くんが首を振るのと一緒に場地くんの周りの緊張がなくなっていくようだった。
    「え、わかるの?」
    思わず素で反応してしまう。言った後に口を手で覆うが、音となって出たものをもう止められるわけもない。
    「……ここで本物じゃなかったらむしろ詰む、と思うので…」
    一瞬だけ言葉に詰まったが、その後また話を続ける。オレの素の反応をなかったものにしてくれたらしい。空気の読める子だ。
    その後また言葉に詰まっているのはきっと敬語に慣れていないのだろう。それでも先生という目上の存在に慣れない敬語を使っているのを見ると、やっぱり噂とは違うと感じる。
    第一印象は優しそうな子。
    「場地くん、冷静だね」
    「先生が思ったより慌ててそうだから」
    んんっ! とわざとらしく咳ばらいをする。否定できないけど直接言われると恥ずかしい。しかも年下に言われるなんて更に恥ずかしいしそれが自分の生徒となるともうこの感情と和解する術がなくなる。
    「とっ、とにかく! 場地くんはいつからここにいたとかって覚えてる?」
    「全く覚えてないです。先生は?」
    「オレも全く覚えてない。気づいたらあっちの部屋で起きていた」
    振り向いて首を後ろに動かす。場地くんが少しだけ身を乗り出してオレの後ろを確認する。すぐに何もないことがわかったのか姿勢を戻して、顔にかかった髪の毛を指で簡単に直す。
    「先生の部屋も何もなし、ですか」
    「ということは場地君の部屋も何もなかった?」
    オレの言葉に大きく首を動かす。
    場地くんの部屋にも何もなかったということはあと探すべきところはこの部屋にしかない。
    そしてこの部屋には調べてくださいと言わんばかりに部屋の隅っこに机が一つ置いてある。
    木製の机。有名な家具店にありそうなシンプルだけどオシャレなもの。使い込まれている様子は一切なし。
    明らかにこれを調べてどうかしろと言われている。絶対に間違っていない。大体机にはメモ書きが置いてあって、表には出るための条件とかが書いてある。そして裏を見るとやっちゃいけない条件とかが書いてある。これも経験則だ。
    「とりあえず、あっちの机見に行く?」
    「それしかなさそうなのでいい、と、思う、ます」
    やっぱり慣れていない敬語を使う場地くんにつられて笑みがこぼれる。
    こんなよくわからない空間で不安なのは場地くんも一緒のはずなのに、どうしてか場地くんと一緒ならどうにかなるとさえ思えた。
    部屋の中央部分で出会って、揃って部屋の壁まで歩いていく。ちょっとした結婚式、バージンロードだ。まあ一面真っ白い部屋で誰もいなくて、あるのは新品そうな机だけだから式場とはあまりにもかけ離れているからどうしようもない。
    何もない部屋は相変わらず靴が地面に当たる音を響かせる。違うのは二人分の音になっている事だ。
    こうして隣を歩いてみると場地くんはオレより少し高いことがわかる。オレより高いのか、羨ましいな。
    それに加えて随分と整った顔。場地くんが女子生徒から人気があるのはどこかで聞いたが、これは納得してしまう。鼻筋がスッと通っていて、目はぱっちりとはしていないが切れ長になっていて、クールな印象を与える。場地くんは顔が良い。
    そしてとどめにやんちゃしていたっていう噂だろう。こんなに顔の良い同級生が自分とは全く違う世界にいたという話があるんだからそりゃ女の子からしたら漫画の世界から出てきたような人に見えるかもしれない。
    壁にある机までなんて当然そんなにかからない。すぐに机の上に置いてあるものが見える範囲まで辿り着く。机の上にはこれまた読んでくださいと言われている一枚の紙が鎮座してあった。
    「読んでみてもいい?」
    「っす」
    なにかあると怖いので一回人差し指でチョンと触って本当にただの紙か確認する。何も付いてない、温度も変じゃない。よし、大丈夫。
    今度は他の指も使って紙を取る。そのまま開いて中に書いてある文字を読む。
    「んんん…」
     首を傾げて小さく声を出す。
    「何書いてあったん…ですか?」
    オレの反応があまり良くないものだったので、少し不安そうに顔を近づけて紙を覗き込んでくる。場地くんにも読みやすくするように持っている紙を横にずらす。
    紙にはよく見るフォントでこう書かれていた。

    ようこそこの世界へ。
    この世界から出る条件はたった一つ。
    君たちはある作品の世界の中に巻き込まれる。
    作品を正しい話に持って行くこと。
    題名は秘密。でもすぐわかる世界にしてある。
    他の方法では出られない。


    「どーいうことだよ…」
    読み終わった場地くんが小さく呟く。
    瞬間、その言葉がスイッチだったかのように突然巨大なものが動く音と、それに付随して地面が小刻みに揺れ始めた。
    「なんだ…⁉」
    多分後ろから聞こえる。場地くんを守るために素早く後ろを振り向いて音が鳴った方を見る。
    音も揺れもすぐに収まったが、目の前の壁には先ほどまでなかった扉が現れていた。
    そんなものなかったよね?
    そういう意味を込めて場地くんを見ると、場地くんも同じだったのかオレを見つめていた。オレは一つ頷く。
    「やっぱりなかったよね?」
    「なかったです」
    「ということはこのメモが正しいのかな…」
    この真っ白な空間に正しい話もクソもあるわけがない。だとしたら、あの扉の向こうが違う世界になっているとしか考えられない。そうだとしたらさっきのメモに書いてあったことは正しい。
    もちろん信じられないが、そう思うしかこの世界から出る方法がないのかもしれない。
    「全然信じられねえけど」
    出現した扉を睨みながら場地くんが声を低くして答える。
    「試しに壁とか殴る? やりますけど」
    「絶対にやめて!」
    体の前で拳を作って、もう片方の手で拳を包み込んだ場地くんを必死で止める。それで怪我なんてしたら本当に困る。いつものゲームと同じならこの世界で受けた怪我は現実に戻っても残ることが多い。絶対にやめ止めて欲しい。
    「したらどうするん?」
    「仕方ないからこのメモに従ってみるしかないと思う」
    「先生が怪我したら?」
    「オレこう見えて強い方だよ」
    さっきの場地くんと同じように拳を片手で包み込んで場地くんを見る。オレと目が合うとふっと少しだけ目尻を下げて薄く笑った。
    「なら先生に頼むわ」
    「任せて!」
    クールな子だと思っていたからあんまりさっきの笑顔に心臓辺りが変則的に動く。うーん、これがギャップ萌えか。
    「そしたらこのわけのわからない世界から頑張って抜けだそう」
    「おー」
    「あと場地くん敬語苦手なら無理して話さなくていいよ。オレはそんなに気にしないし」
    でも、他の先生がいるところではちゃんと話してね。
    「あ、わかってたん、すか⁉」
    「まああんなに喋りづらそうにしてたらね」
    指摘されて恥ずかしかったのか、ほんのりと顔を赤くしている。こういうところはまだまだ年齢相応らしい。
    「だからオレはいいよ」
    「…アリガトウゴザイマス」
    恥ずかしそうで、少し恨めしそうな視線を送られるが、痛くも痒くもないオレはただ笑って返答する。
    「そしたら向こうの扉まで行ってみよっか」
    「りょーかいです」
    また足並みを合わせて。でもさっきよりも足取りは軽い。オレについて来てくれているからきっと場地くんも一緒だと思う。確定ではないが、出る方法も明らかになったし、一緒の目的を持った場地くんとも多分仲良くなれたはずだから。
    反対側の壁までに辿り着くのもやっぱりそんなに時間はかからない。
    「オレが開けるね」
    扉はこの部屋に通じていたものと変わらない木製の扉。儀式的に扉の向こう側の音を聞いて、変な物が付いてないか確かめるが、今回もなさそうだ。
    「何があるかわからないから後ろにいてね」
    「だいじょーぶ。何かあったら自分で守れるから」
    なんとも心強い言葉。それがさらっと出てくるのがまたイケメンと言われている理由の一つなんだろうな。
    「ならオレも守ってね」
    「いーよ」
    軽い冗談で言うと場地くんはオレの手を取ってぎゅっと強く握ってくる。まさか触られると思っていなかったので手を引っ込めそうになるが、ここで引くとぐっと我慢する。
    「そっ、そしたらお願いします」
    「ん」
    特に手を離す理由も浮かばないので片手を場地くんに握られたままドアノブを掴む。
    慎重に扉を開けるとそこには全く知らない世界が広がっていた。







    第一章 あの人は、誰のものでもない。私のものだ。




    土のにおいがする部屋。いや、外か?
    暗くてほとんど光が届いていない。埃っぽい。適当に組み立てられているせいか、壁のあちらこちらから光が漏れている。それでもここからだけでは朝か夜かも判断できない。救いなのはこんなに穴だらけなのに寒くないことだろう。むしろ少し暑いくらいかもしれない。
    壁の隙間から砂が入っているのか部屋の至る所に砂が盛り塩みたいに積まれている。この大量の砂が埃っぽい原因の一つになっているんだろう。
    「――ッ! ――――‼」
    「なんか聞こえね?」
    「聞こえるね。でも随分切羽詰まっている」
    すぐ近くで何かを言っている声が聞こえる。切羽詰まっている声。普通では出ないような声色だ。
    「聞きに行ってみよう」
    こんなヒストリーな状態だからこちらの存在に気づかれたら危ないかもしれない。だとしてもメモの通りならこの人を見ないとどんな世界かもわからないままだ。
    場地くんを見ると一回だけ深く頷いてくれる。気持ちは一緒のようだ。
    子どもが遊びで作ったような隙間だらけの木の扉を開ける。音はしなかったが、扉の前に砂が溜まっているせいでうまく開けられない。
    「おっも…」
    「オレも手伝う」
    顔の横からすっと手が伸びてくる。場地くんが後ろから手を伸ばして扉に置くと力を込めてくれた。二人分の力がかかると扉は簡単に開いていく。
    外はどうやら夜だったらしい。光源は真上にある月だったらしい。良くないことが起こる前触れのように大きく見える月がオレたちを含めたあたり一帯を照らしていた。
    「場地くん力ある~。ありがと」
    「まあ先生より若いので…ってぇ!」
    「口には気をつけるように」
    「先生が敬語なくていいっていったんじゃん」
    余計なことを言う生徒の脛を蹴り上げる。もちろん怪我はしないレベルの強さだ。
    そりゃ昔に比べたら体力もなくなってきたし疲れもとれにくくなったけどまだ若い。とりあえず職場内では一か二を争うくらい若い。なめてもらっては困る。
    「静かにして行くよ」
    「せんっ、せいが蹴ったからだろ…!」
    「場地くんの自業自得」
    腰を折り曲げて蹴った部分をわざとらしく擦る。痛そうにはしているが、状況が状況なので小さな声で反抗しかできないみたいだ。やっぱり素直だなと軽く頷いて感心する。
    場地くんがしゃがみ込んだのでついでにオレも一緒になってしゃがみ込む。あまり足音を立てない方がいいだろう。地面は砂なので足音なんて一切聞こえないが、そこは雰囲気だ。
    声はすぐ近くから聞こえてくる。目の前に見えるオレたちがいた小屋と同じくらいボロボロな小屋からその声は聞こえていた。
    「…行こう」
    大きく息を吸って、ゆっくりと吐いてから場地くんに問いかける。問いかけるというよりは確認に近い。
    場地くんも緊張しているのか筋が綺麗に見えている首をゆっくりと縦に動かす。喉ぼとけが上下に動いていたからいろんな気持ちをぐっと飲みこんだんだろう。大丈夫、気持ちは同じだ。
    立ち上がって、砂を足でかき分けて歩く。変な歩き方をしているが、この歩き方が一番楽に歩ける。誰かがいる小屋まで着くと、ばれないように壁に沿ってしゃがみ込んだ。
    「申し上げます。申し上げます。旦那…。あの人は……酷い。……。我慢……。生かして置けねえ」
    ああ、有名だ。有名な始まりの台詞だ。ある人がお願いをしているシーン。

    君たちはある作品の世界の中に巻き込まれる。
    作品を正しい話に持って行くこと。

    さっきのメモの内容が一気に浮かぶ。
    あのメモに書いてあったのは本当のことだったんだ。場地くんは理解していないのか首を左右に動かしながら考えているが、オレは急に現実となったせいで不安が波のように押し寄せていた。
    恐怖と言ってもいい。どこか現実味がなくてふわふわとしていた気分が、この台詞で目に見える物体として目の前に現れた気分だ。
    そんな状況なのに、それ以上に自分の好きな作品の世界に入れた興奮が体に出てきているのか指先が小さく震えた。
    「せんせ?」
    オレが電池の切れたロボットのようになったのを心配したのか場地くんが声をかけてくる。
    「うん。…うん。だいじょうぶ」
    返事をするよりは自分に語りかけるようになってしまった。
    「一旦離れてもいい? 作品はわかった。変に話すと中にいる人にばれるから遠くで話したい」
    「わかった」
    脚に力を込めて立ち上がろうとするが、その前に手を握られてぐっと引っ張られる。突然の力に一歩進んだが、どうにかバランスを崩さずに立てた。
    握られた本人を見るが、すぐに手を離れてしまった。しかも先に歩き始めていて背中しか見えない。場地くんに追いつくために、今度こそ脚に力を入れて歩いた。
    「場地くん?」
    「先生わかったせいで怖かったんだろ? 震えるの抑えてたから」
    「あ、ありがと」
    優しい行動にどちらかというと興奮していたから、とは言えなかった。怖いと思っていたのも事実だから間違ってはいない。
    初めに降り立った小屋の前まで歩くと立ち止まる。いつの間にか手の震えは収まっていた。
    「もう大丈夫なん?」
    「大丈夫。この世界がメモに書いてあった通りだなってちょっと怖くなっただけだから」
    「そしたらなんかの作品の世界ってこと?」
    「オレの間違いじゃなかったらだけど」
    「松野先生は国語の先生なんだから間違えることはないだろ」
    オレが国語教師だって知っていたんだ。授業を持ってないのに、知っていてくれたことが嬉しくなって口角が上がる。
    「うん、そうだね。きっと間違ってない」
    場地くんが信頼してくれているならオレはそれに応えないと。
    「一通り説明するね。まだ何を正しくするかまではわからないから、また聞きに行こう」
    脳みそにある記憶の棚からこの作品の話を引き出す。が、話しをする前に普通に説明するだけだとつまらないなと気づく。
    「折角だから授業みたいにしよっか。その方が場地くんも覚えられると思うし」
    一応教師だから教えるのは得意だ。
    「あんまり使わない知識じゃね?」
    「テストには出るよ」
    「よろしくおねがいしまーす」
    テストという言葉を聞いて一瞬で態度を変える。
    「作品は『駆け込み訴え』。作者は太宰治。かなり簡単にあらすじを話すと、同担拒否強火担が担降りする話です」
    「どーたんきょひ、つよびたん」
    呪文みたいに言葉を反芻する場地くんは初めて日本語を話した外国人みたいになっている。
    「これは前にこの作品を朗読した人が言っていたんだけど的を射ているなと思って。まあつまり、神様みたいに信仰していた人を信仰しなくなる話」
    「さっきのやばい声出してた方が信仰しなくなる方か」
    「正解。それで話しかけてるのが殺し屋」
    「え、こわっ」
    場地くんは目を見開いて二人がいる小屋に視線を送る。殺し屋に関しては全くと言っていいほど描写されていないので、どれくらいできるかもわからない。だとしても殺し屋と言われいてるくらいだか少し離れようと言ったのだ。
    「つまり信仰できなくなったから殺してくれって言ってるシーンってことか?」
    「そうだね。幻滅したから殺してください! ってお願いしてるシーン。この話はその人が信仰してる話から幻滅した話まで一通り書いてあるね」
    「それって自分勝手すぎん?」
    場地くんの言葉はもっともだ。
    そりゃ勝手に神様みたいに崇拝していたのに、勝手にやめて更には殺して欲しいなんて言うのはあまりにも身勝手がすぎる。
    「でもこの話はその過程が面白い」
    オレの言葉に場地くんは納得いかないのか、顔をしかめながら反論しようとしている。しかし言葉まで出ないのか唇を動かしているだけのようなのでオレは話を続けた。
    「崇拝の対象から殺意の対象になっていくのが細かく描写されていてとっても面白い。それに口語…話し口調で語られていて読みやすいんだよね」
    「読みやすい? そんなに?」
    「うん。この時代の作品ではかなり読みやすい部類だと思う。もちろん主観だけど」
    口語体だから単純に読みやすいというのと、時代も比較的オレたちに近いので言葉も難しくない。これが近代文学初期の方になるとそうもいかない。森鴎外とか夏目漱石とか。
    その人たちは置いておこう。今回は太宰治の作品だ。
    「そんなわけで、駆け込み訴えは殺すのをお願いしているシーンから始まるんだよね」
    オレたちが聞いたセリフは冒頭の台詞と同じだから間違いないだろう。
    申し上げます。申し上げます。と、この文章から始まる作品は、知っている人からするとかなり特徴のある台詞だ。
    「ん~…。とりあえず先生が考えている作品であってるってことでいいんだよな?」
    「そこは国語教師なので。信じてもらって大丈夫」
    「なら信じる。オレは全く分からないし」
    これが嘘だったら死ぬ可能性だってあるのに、場地くんはこうもあっさりとオレを信じてくれる。オレが教師だからっていうのもあるかもしれないが、やんちゃしていたという噂が本当ならそう簡単に人を信じはしないだろう。偏見ではなく、オレ自身がそうだったからだ。
    なのに場地くんはオレをこんなにも信じてくれる。
    もちろん嬉しい。嬉しいに決まっている。生徒に信頼されて嬉しくない教師はいないだろ。
    オレの何が場地くんの信頼させる要因になっているかはまだ検討すらつかないけど、今は詮索する必要はない。場地くんがオレを信じている事実があればこの場は乗り越えられる。
    「この世界の大まかなあらすじはこんなところ」
    「そしたら後は何を正しくするかを見つけねえとな」
    「そうだね。もう一回聞きに行ってみよう」



    またあの重い砂の上をかき分けるようにして二人が話している小屋まで戻る。近づくと相変わらずペラペラと話している。気づかれないようにまたしゃがみ込んで聞き耳を立てる。
    「どうとも勝手に……。もう、もう我慢…い」
    「どうして! どうして何も言わないのですか‼」
    小屋の外にいるオレたちにも聞こえるくらいの声量。自分が怒られているのではないかと錯覚するくらい目の前で言われたような勢い。怒りを含んでいるのが見なくてもわかる。
    「うーん、おかしい」
    それでもこのシーンでこんなに怒るのはおかしかった。
    「何が?」
    「主人公が殺し屋に怒るのは最後のシーンだけなんだけど、ここでは怒らないんだ」
    「でも怒ってるってことは殺し屋が渋ってるってことか?」
    「だと思う」
    この話に殺し屋が渋るシーンは存在しない。物語通りなら最後に殺し屋がお金をあげて、そのお金を受け取って交渉成立となる。そして最後に主人公が自分の名前を言って終わる。
    それなのに殺し屋が渋ると話が終わらない。
    これがあのメモに書いてあった正しい話に持って行くこと、ということになるのだろうか。
    「このままだとこの話は終わらない」
    「でもオレたちにできることなんてねえよ」
    「そうなんだよね…」
    キイィ…とゆっくりではあるが突然小屋の扉が開く。こそこそ隠れているオレたちからしたら光の速さで開けられた感覚だ。
    当然開けた人間とも目が合う。目が合うと言われたら同じ高さでと思われるかもしれないが、片や立っている状態、片やしゃがんでいる状態。オレたちが完全に見下されている。
    立っている相手とこの物語はどちらの人間も描写されていないが、この状況で扉を開けるのは殺し屋で間違いないだろう。
    死んだと悟るのはあまりにも容易だった。盗み聞きしていたなんてばれたら殺されるに決まっている。
    それでも。オレも場地くんも死ぬかもしれなくても、少しでも場地くんを守らなくてはいけないと本能が働く。殺し屋から場地くんを守るために場地くんの前に立ちふさがる。
    「っ、なんですか」
    自分で言っといてそれはないだろと鼻で笑いそうなる。なんで盗み聞きをしているオレの方が喧嘩腰になっているんだ。
    殺し屋はオレを見下ろしたまま、動かない。負けじとオレも殺し屋を見続ける。
    数秒。謎の拮抗が続いた後に殺し屋は懐から何かを出すと、オレの目の前の地面に落とす。それは皮でできた袋だった。
    「な、なにが」
    オレの言葉なんて聞こえていないのか、それを落として役目を終えたらしい殺し屋は小屋へと戻っていった。
    緊張の糸が切れたオレの体は一気に力をなくして、その場で座り込む。
    「し、死んだかと思った~…」
    相変わらず小声でしか話せないが、この世界に来て一番安心する声を出した。だって絶対に死んだと思った。
    オレを労わるように後ろにいた場地くんがオレの背中を擦る。
    「だいじょうぶ?」
    「生きてる…」
    「生きてないと困るわ」
    口では冷たいが、ゆっくりと背中を擦ってくれる手はあまりにも優しい。普段なら絶対に泣かないのにこんな状況だからか、無意識にかなり気を張っていたらしい。場地くんの優しさが身に沁みた。
    「と、とりあえずこの中身見てみよう」
    「ん。オレ開けるわ」
    オレの手から袋を取ると、何も確認せずに勢いよく開ける。ちょっ…! 何か危ないものが入っていたらどうするの⁉ こういうときは開ける前に確認するのが定石でしょ⁉
    という言葉は全部言えずに、場地くんに手を伸ばすのでいっぱいいっぱいだった。
    「場地くん…⁉」
    「なにコレ」
    オレの制止の手も全く効かず、場地くんが袋の中を不思議そうに覗き込む。
    「場地くん、何ともない…⁉」
    「別に大丈夫だけど。それよかなんか紙入ってた」
    袋の中には危ないものは入っていなかったらしい。良かった。本当に良かった。まじで良かった。
    でもいい、場地くん。こういう世界はね、何でもない袋でも開けたら毒でしたとか、何かの一部でしたってパターンが多いからすぐに開けたらダメ。まずはにおい確認。その後に重さ確認。いいですか?
    と、ここまでのオレの説教を場地くんは「はいはい」と完全に受け流している。場地くんのために言っているのだが、本人からしたらうるさいだけなのだろう。気持ちはわかる。だとしてもここで怒らないと次もやるかもしれない。大人は怒らないといけないときもあるのだ。
    オレの話を綺麗に受け流した場地くんは袋の中にあると言っていたペラペラな紙を取り出す。
    「なんて書いてあるの? というか読める?」
    「読める。なんでかわからんけど読める」
    これが不思議な世界の特権というべきなのだろうか。時代だって国だって絶対に違うのに、書いている文字が読めるのはもうそうとして考えるしかない。これが考えるな感じろってことか…。
    場地くんが袋の中に入っていたメモを取り出す。瞬間、苦虫を嚙み潰したような表情をする。なんというか、典型的な不愉快な顔だ。
    「変なこと書いてあった?」
    真っ白な世界のときとは立場が逆転する。オレは場地くんが持っているメモを覗き込むように場地くんに顔を近づけた。
    「なになに…。歩いた先にいる奴にこれを渡せ…と」
    シンプルな文章。その下に現在地である小屋と歩く方向を示しているである矢印がある。ものすごくシンプルな地図。
    「これどこまで歩くんだよ」
    「さあ…」
    百メートルかもしれないし三キロかもしれない。なんならもっともっと長いかもしれない。
    「歩くのだるいんだけど」
    「若者~。頑張って」
    「先生の気持ちの代弁してやったんだよ」
    オレの適当な励ましに冷めた反応を見せた場地くんはオレの気持ちを代弁してくれたらしい。
    場地くんの言葉は全くその通りだった。図星で何も言えない。
    終わりの見えないゴールほどしんどいものはない。昔やんちゃをしていたおかげで今でもそこら辺の人よりは体力はあるが、体力とやる気はイコールではない。つまり行きたくない。
    それでも、行かないとこの世界は進み始めないのだろう。
    場地くんに限っては読者でもないが、オレたちみたいな一読者が物語の命運を握っているのはおとぎ話みたいだ。
    「先生。行くんだろ?」
    それは質問というよりは確認だった。
    オレの表情を伺うために少しだけ腰を曲げて、オレと目線を合わせてくる。オレを見てくる茶色の目はやる気に満ちていた。
    「もちろん。だって元の世界に戻らないと」
    買っている愛猫にも餌をあげないといけないし、家に帰ってお酒を飲まないといけない。今日のこの体験を親友にも伝えないといけない。
    場地くんは姿勢を戻すと矢印が書いてあった方へ歩き始めた。一歩遅れたが、その分早歩きをして場地くんと肩を並べて歩き始めた。




    「先生なんか面白い話ないん?」
    歩き始めておそらく数分。景色なんて全く変わらないし、お互いのプライベートもほとんど知らないせいで話題はすぐに消えていった。
    まだまだ元気に歩いている場地くんがオレに話題の提供を求めてきた。
    面白い話。あるに決まっている。
    「折角ならこの話ができた経緯を話そっか」
    この世界を作った作者の話は何度聞いてもとんでもないエピソードばかりだ。それが面白いか、そうじゃないかは人による。
    勉強の話かと思ったのか少しだけ眉間にしわが寄ったが、すぐに「お願いします」と反応が返ってきた。一応勉強の話ではないとだけ笑いながら断りを入れた。
    「本人が言ってないから嘘の可能性もあるんだけど、この話は太宰が師匠の佐藤春夫へ向けて書いたとも言われているんだ」
    「どーたんきょひつよびたんが担降りする話を、か?」
    「お、よく覚えてる」
    場地くんの口から同担拒否強火担が担降りするという言葉が出てくるのがびっくりするくらい似合わない。
    バカにしたつもりはないが、オレが笑ったのをバカにされたのかと思ったらしい。場地くんは少しだけ顔を下げてから片方でオレの腕を叩いてきた。もちろん手加減をしているので痛くはない。
    その態度も年齢相応で可愛いと感じてしまう。
    「さすがに数分前に聞いたんで」
    「偉い。それでこそオレの生徒」
    「どーも」
    「そしたら次に行こう。太宰は佐藤春夫に手紙を送ってるんだけど、送る理由になったのがある文学賞なんだ」
    「へえ」
    場地くんが明らかに興味なさそうな反応になってきている。興味がないというよりはパンクしそう? 飽きてはいないけどインプットできていないみたいだ。
    「じゃあここで問題」
    問題と言うと一気に覚醒したのか場地くんの姿勢が良くなる。
    「この国でおそらく一番有名な文学賞はなんでしょうか」
    「いや知らねえ」
    「回答が早いなぁ…」
    知らないものは知らんから。
    と、開き直る場地くんに頭を抱えそうになる。これに関しては常識として覚えて欲しかったのがあるが、知らないからもう仕方ない。
    「答えを言うと芥川賞と直木賞ね。これについてもいつか機会があればできた経緯とかも話すから。今回は芥川賞についてだ」
    「芥川はどっかで聞いたことある気がする」
    「たぶん最近やったよ。芥川龍之介」
    「そいつがだざいと関係あるん?」
    「太宰は芥川のことを本当に、本当に尊敬していたんだ。学生時代にはノートの隅っこにひたすら芥川の文字を書いていたし」
    「先生なんで知ってるん?」
    「公開されたのを見に行ったから」
    「うわぁ…」
    心の底からドン引いている場地くんの言いたいことはわかる。そりゃ自分のノートを公開されるなんて何があっても嫌だ。しかも普通のノートじゃなくて尊敬している人の名前をひたすら書いたノートときた。
    ちなみに更にいうとそのノートで太宰は芥川の名前にもじってペンネームを考えていた形跡もある。絶対に見られたくない。
    オレがそんなのを公開されたらその場で腹切る。本人に公開してもいいか聞けたなら即答でノーだっただろうな。
    「そんなわけで、そんなに尊敬していた人の名前がついている賞だから太宰からしたら絶対に欲しいよね」
    「うん」
    「でも落ちた」
    「落ちたん?」
    そう、太宰は賞をとれなかった。賞の候補になっていたときからそこそこ名前を知られていた太宰は他の候補者の中でもかなり有力だった。でも落ちてしまった。
    「そこの理由も後で話すね。それでも諦めきれない太宰はもちろん次も応募した。で、また落ちた」
    「落ちすぎじゃね?」
    「これに関しては情勢としか言えないね。で、その時に芥川賞の選考委員だった佐藤春夫に手紙を出した」
    その手紙が凄かった。悪い意味で。
    「先生に命をお任せします、からよい作家になれますという自信、からなので賞をくださいという内容の手紙」
    「やばすぎだろ」
    「を四メートル」
    「は?」
    「四メートルの手紙を師匠に送ったんだよね。しかも間違いが一切なかったことからしっかりと考えてから書いたと言われている」
    「こえーんだけど」
    そう言うと場地くんは寒がるように両腕を擦る。けど、太宰はこれだけでは終わらない。
    「更に怖い話、聞く?」
    「まだあるん?」
    「あるよ」
    オレの言葉に場地くんがごくりと飲み込む。それを肯定と捉えたオレはゆっくりと口を開けた。ホラー番組のアナウンサーにでもなった気分だ。
    「この手紙を送って怒っていると風の噂で聞いた太宰は更に手紙を書いた。その長さ十メートル」
    両手をパーにして場地くんに見せる。ハイタッチを求めているように見えるがもちろん違う。
    オレの言葉に場地くんがピタッと立ち止まる。止まったことに気づいてすぐに歩き始めるが、また止まりそうになる。なのでオレが場地くんの腕を引いて歩くのを促していく。
    そりゃそうなる。十メートルの手紙なんて怖すぎる。こっちの手紙はかなり乱雑していて内容もめちゃくちゃだったと聞くが、見た事がないのではっきりとしたことは言えない。
    「十メートルってなんだ…?」
    「十メートルだよ」
    手紙でそんなのが可能なんか…? と宇宙を背負いながら独り言のようにつぶやく場地くんに同意するという意味を込めて肩を叩く。
    十メートルの手紙が届くの怖いよね。内容も佐藤が怒っていると話を聞いてから書いたものだから基本的には謝っているのが多い。
    「話は戻るけど、その太宰が佐藤春夫に向けて書いたといわれている作品にオレたちがいるってわけです」
    この後の話を更にすると、三回目では一度候補に挙がった人は候補になれないという決まりができたせいで太宰は候補者にすらなれなかった。ここでまた一悶着あるが、今回は割愛する。
    「オレたち生きて帰れるん?」
    「生きて帰りたいね」
    それはオレも聞きたいくらいだ。この袋とその中に入っていたメモだけが今のオレたちの道しるべになっている。
    作品としては特に危険な世界ではないから、死ぬことはないと思う。ない、と信じている。
    メモに書いてあった人影は一切見えない。それどころか、建物すら見えない。まだまだ歩く必要があるみたいだ。
    「じゃあ、また少し話を戻そう。太宰はよくも悪くも本当に目立つ人だったんだ。さっき一回目の芥川賞に落ちたって話をしたよね」
    「ん」
    「そのときの選考委員の一人に本人の私生活ややばいから賞をあげるのは辞めた方がいいって言われたんだ」
    「本人の私生活を否定されるなんてあるんか」
    「普通はないと思う。実際に他の人たちは特に言ってなかったし。そのせいで太宰は落ちたと思い込んで、その後の雑誌に『刺す』って書いたんだ」
    「刺す?」
    「刺す」
    やっぱりこええよ、ともはや慣れたように場地くんは反応する。
    場地くんに伝えたらキャパオーバーで忘れられるかもしれないので今回は言わないが、太宰が刺すと言ったのはあの川端康成である。
    なので実際はしていない。やったらもっと大事になっているはずだ。日本人がノーベル文学賞を取るのがもっと遅くなっていたかもしれない。
    「でも本当にすごいのは太宰の周りの人だと思うよ」
    「周りもどーたんきょひだったり?」
    「同担拒否まではなかったと思うけど」
    簡潔に伝えるなら太宰の強火担が友だちにいた。しかも複数人。
    でも今回話すのは凄かった筆頭の人ではない。
    「太宰、というかこの時代はそうだけど、作風によってチームなになにみたいな名前がついててね」
    「仲良かったんだ」
    「大体はそうだね。太宰はその中で無頼派って呼ばれていたんだ」
    大体と言ったのは、このまとまりはある意味世論で勝手にまとめられていることがあるからだ。だから同じ派閥にいるが出会ったこともありませんというのがそこそこあった。
    特に無頼派は太宰を中心をしていたので、太宰は知っているけど他の人は知らないというのが結構ある。
    「ぶらい」
    「どんな作風の人とかは今は覚えなくていいよ。無頼派は多分仲が良かった方だと思う」
    中心メンバーは二回しか会えなかったけどね。
    その言葉を口に出すと登場人物が増えてかなりややこしくなるのでぐっと堪える。これも場地くんの勉強のためだ。このメンバーのエピソードは凄く好きなのでどうにか言いたいけど。本当に好きな話だけど!
    「なんかこの時代の作家って有名人みたいだな」
    「有名人だよ。今の感覚でいうとアイドル追っかけてる気持ち」
    「アイドル追っかけたことねえからわからん」
    「オレもだな~…」
    オレも知らないが、人を追いかけるのはあまり変わらないと思う。違うのは基本情報が更新されないことか常に情報が更新されるか、だ。情報が更新されるときはものによっては歴史的発見になるレベルだ。

    「……なんか見える」
    「え?」
    今回の話も大体終わって、まだ話すなら無頼派の話でもしようと考えていたときに場地くんがスッと目を細めて遠くを見る。
    場地くんを見ていたオレはその言葉にオレとは全く違う暗い瞳が見据えている方角を見る。
    遠くには何かがある。違うな。何かがいる。
    こんな砂だらけの世界だから昼は熱いかもしれないが、生憎太陽は眠っている。なので遠くにいる何かをしっかりと確認できる。
    オレたち以外の存在を確認したせいで、急に歩幅が狭くなる。
    だって普通に怖いだろ。こんな話にない行動をするのを何も思わないわけがない。
    「先生、行こう」
    オレの気持ちを知ってか知らずか。場地くんはオレの歩幅に合わせはしない。さっきと変わらないスピードで歩いていく。
    年下に置いていかれるのはあまりにも情けない。その気持ちだけがオレの脚に血液を流して熱を生み出す。
    遠くにいる何かは動いていないらしい。オレたちの歩みでじんわりと近くなっていく。
    そうして歩いていくと、得体の知れない何かは人間であると脳が処理した。
    「あいつ?」
    「あいつって言い方」
    人間はただ突っ立ているだけではなかった。たくさんの荷物を持って、近くにいる生き物にも荷物を持たせているみたいだ。昔のおとぎ話でよく見た商人のような見た目をしている。
    その商人のような人間はゆっくりとオレたちと距離を詰めてきた。
    顔は見えない。
    この距離ならもう見えていてもおかしくないのに何故か知覚できない。
    場地くんも同じなのか、その切れ長の目でキッと睨みつける。その見た目で睨まれたら蛙みたいに震えるだろうに、人間のようなそれは全く物怖じしていない。
    「場地くん。オレがそれ渡すからオレに渡して」
    オレたちに時間を与えるようにゆっくりと歩いてくるそれを視界に入れながら、オレは場地くんに声をかける。
    得体も知れないそれと場地くんがやり取りするのは危険すぎる。
    「いや、いい。オレが渡す」
    それなのに場地くんはオレの話をあっさりと断って、自分からそれに近づいていく。
    「場地くん!」
    場地くんを止めるために肩を掴んでこちらへ引き寄せるが、場地くんはオレの力なんてものともしない。歩く勢いと一緒に肩に力を込めてオレの手を払いのける。
    「っ、ばじくん!」
    「これ渡すだけだろ? それくらいいけるから。先生は後ろで見てて」
    それだけを言い残して場地くんは歩いて行ってしまう。オレも負けじと場地くんについて行くが、それに渡す袋を渡してくれる気はさらさらないらしい。
    それも近づいていて来ているため、距離はすぐに縮まる。近づけば近づくほどそれの顔が見えないのは明確になっていく。人間じゃないもの。恐怖が本格的に襲ってくる。
    「ばじくん」
    それなのに場地くんは全く恐れていない。それを見てしっかりと足を動かしている。
    やんちゃをしていたという話があったが、そのときも上の立場だったのだろうか? それか自分より格上の相手と戦ったとか? だとしても何かもわからない存在と対峙するのは怖いだろう。
    場地くんに負けるわけにはいかない。
    謎の対抗心からオレも場地くんよりも大股に歩いて追い付こうとする。袋を渡す役は取られたが、隣にいるのはできる。
    それとオレたちが話せる距離までになるのはきっとカップラーメンだってまだできない時間くらいだった。
    「これ、言われたやつ。持ってきたから」
    相手の顔を見ずに、殺し屋がオレたちに袋を渡したように地面に袋を落とす。
    それは落ちた袋を失敗したペラペラ漫画のようにゆっくりと拾い上げると、後ろにいる生き物が持っている荷物から何かを取り出し、その袋の中に入れた。
    「何入れたんだろ?」
    「オレも見えんかった」
    気になって上下左右に動いたが、多少動いただけは見えるはずもなく。何かを入れたそれは、袋を閉めると大事そうに両手で皿のように手を作る。そしてその袋をオレたちに差し出した。
    「持って行けってこと?」
    袋をチョンチョンと指さしながらオレに聞いてくる。
    「たぶん…?」
    意思の疎通ができそうにないそれの意図を知ることはできないが、こうやって差し出して実は渡しません、だったら殴りかかっている。
    「だったらもらうわ」
    オレの言葉にまた何も疑わないで場地くんは袋を取る。
    それの手から袋を持ったときに、金属と金属が当たる音が微かに聞こえてきた。袋の中からだ。
    「結構重いかも」
    場地くんが手のひらで袋を底を軽く叩く。やっぱり袋の中から金属の音がしている。
    それは受け取ってもらって満足したのか、オレたちが来た方向とは逆に歩き始めてしまった。
    この話では本来なら出てこないはずの登場人物。もう一生会えないだろうな。場地くんは中身に夢中になっていてそれが離れていくのに興味がなかったらしく、目もくれない。
    「先生。こん中にあるの金かもしんね」
    袋の上から触りながら形を確認している場地くんからの声。場地くんは目を閉じて、振り子時計のように首を動かしながら考えている。
    金。この世界で出てくる金はかなり重要なアイテムになる。というか、金がないとこの話は終わらない。殺し屋が渋っていたときに金を渡さないのを不思議に思っていたが、そもそも渡す金がなかったからなのか。すっきりした。
    「それ、持って帰ろう」
    「殺し屋に?」
    「うん。殺し屋に渡したらこの話は終わる」
    場地くんはオレの言葉に頷くと、大事そうに袋を抱える。
    オレたちはうっすらと残っている足跡を踏み潰すようにまた歩き始めた。


    行きはあんなにも遠く感じたのに帰りは近いと感じるのはオレだけだろうか。
    行よりも疲れていたせいで会話という会話はほとんどなかったが、気にならないくらいすぐに小屋まで戻ってきた。
    小屋から聞こえるヒステリーな声に懐かしさすら覚える。
    「これって扉開けて渡さないといけないのか?」
    「そうしないと気づいてもらえないよね…」
    開けないで渡せるのが一番いいが、それだと気づいてもらえない。だからといって扉を叩いて隙間から渡すくらいなら開けて渡すのと変わらない。
    それなら堂々と扉を開けてこのお金を渡した方がいいだろう。
    二人の意見も一致した。一回深呼吸をしてから扉を開ける。
    小屋の中はオレたちがこの世界に来たときの小屋と広さは変わらないくらいだった。そこにあの声を出していた人間と殺し屋がいる。
    「必要な物持ってきた」
    オレの言葉を合図に場地くんは殺し屋に袋を渡す。主人公は何も言わない。そもそもオレたちが見えているかも怪しい。魂が抜けているとはよく言ったものだ。
    殺し屋は場地くんから袋を貰うと、そのまま目の前にいる主人公に渡す。
    主人公は金を見た瞬間いらないと吠えるがすぐに大人しくなって金を受け入れた。
    「これでよかったん?」
    「うん。これで大丈夫」
    これで間違っていない。
    殺し屋は主人公にお金を渡して、主人公はそれを受け取る。そうしてこの話は終わりへと向かうのだ。
    オレと場地くんは未だに話し続けている主人公へと目をやる。オレたちの存在など一切視界に入れていないのか、はたまた決められた台詞を言うプログラミングでもされているのか、主人公は狂ったように言葉を紡ぐ。

    「私は、ちっとも泣いてやしない。私は、あの人を愛していない。はじめからみじんも愛していなかった」
    小説では主人公がこのときどんな表情をしているかは書かれていない。読者の解釈に委ねられる。
    委ねられているはずだが、こうして目の前でその台詞を聞くと手に取るようにわかってしまった。
    その表情はきっと――。




    気づくと、さっきまでいた部屋にいた。国語科準備室。オレがいつもいる部屋だ。
    いつもと同じ風景。机があって、本棚があって、お気に入りのマグカップもあって…。
    でも見える範囲に場地くんがいない。部屋にはオレが独りでポツンと立っていた。
    夢、だったのだろうか。
    訳のわからない部屋で出会って、わからないまま砂の世界にたどり着いて、話を正しくするというメモだけを信じて、お金を集めた。全部夢?
    「そんなわけあるか」
    それだけを囁いた後に部屋の扉を勢いよく開けて走り出した。
    少しだけ空の色が変化し始めた放課後。廊下にはもうほとんど生徒がいない。同僚や先輩も部活の指導をしているからいないはずだ。
    場地くんが心配だ。無事だろうか。その気持ちが今オレを走らせる燃料になっていた。
    さっきまでの夢のような幻覚のようなことを覚えていないなら、少し寂しいけどそれでいい。でもオレが覚えている。だったら安全を確認するのは教師以前に、大人としての役割だ。
    場地くんの教室は知っている。そこにいなかったらおしまいだが、彼は帰宅部だと聞いているから教室にいる可能性が一番高い。
    少しだけ息切れをして、お目当ての教室まで辿り着く。ドアを開ける前に教室の中に人影が見えた。
    「ばじくん」
    場地くん。いた。
    机に向かって何かを書いていたらしいが、オレの足音に反応し、勢いよく立ち上がる。椅子をしまわずにオレの方までやって来た。
    「松野せんせい」
    「場地くん」
    「先生、さっきの」
    そこまで言われて、心臓辺りがキュッと締め付けられる。今喜んでしまった。
    もしかすると危険だったかもしれない世界を場地くんが覚えていたのを嬉しいと思ってしまった。
    表情には出さないようにと、喜びを唾とともに飲み込んでから返答する。
    「うん、覚えてる」
    「オレも。あれなんだったんだ」
    「わからない。わからないけど。覚えてるなら現実?」
    オレも実際のところ何もわかっていない。気づいたらあの白い部屋で気づいたら元の部屋なんて誰に言っても信じてもらえない。
    それでもこうしてオレも場地くんも覚えているなら二人の中では現実という事実になる。
    さっきまでの世界の推理に頭を悩ましていると、場地くんが話をかけてくる。
    「かもな。…先生」
    その声が優しい声で、思考が一気に止まる。いや、場地くんの声の基準なんてまだ知らないからオレの偏見にすぎないけど。
    「ん?」
    「先生の話。楽しかった。また教えて」
    おそらくチャームポイントになっている八重歯が見えるくらい口を開けて笑う場地くん。年齢相応の笑顔にオレもつられて笑う。
    「…! いいよ。国語科準備室にいるから。場地くんが暇なときにいつでも来て」


    少し、訂正しよう。
    これは国語教師であるオレ、松野千冬と生徒の場地くんが力を合わせて脱出して、お互いを知っていく物語だ。



    引用
    太宰治「駆け込み訴え」
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