白き志のもとに-2義勇軍として、幾度目かの夜を迎えた。
はじめは剣を握ることすら覚束無かった胡清は、同じ志を持つ豪胆な男たちに揉まれ、打ち身や擦り傷を増やしながらもなんとか様になる程度に戦えるようになった。
鍬を持つ手が、剣を持つようになるとは思ってもいなかったが、それも運命だったのだろうと、自分たちの首領を見て思う。
導かれるようにここに集った。それは誇りはすれど後悔するようなことではなかった。
だが、未だに戦場に立てば足も手も震える。仇と思う黄巾を前にしても、剣を振るうことに僅かな躊躇いがある。
それは仕方のないことだ、と周りの男達は言う。
だがこのままでは、為すべきことを成せないまま終わってしまうのではないかと、焦燥を生んでいた。
――眠れない。
明日も働かなければならない。だが、気だけが逸って心が落ち着かない。
火の番を代わってもいいかもしれない。胡清は、男達の転がる筵から身を起こし、岩陰を出る。
煌々と闇を照らす焚火が目に入り、軽く息を吐いた。
と、誰かがその前で座り込んでいるのが見えた。
自分達のような雑兵の装備とは異なる。火の番を任されていた兵では無さそうだ。
近付いて窺い見れば、その常磐色の袍は我らの旗印そのものだった。
「……劉備様?」
「ん?……ああ、胡清か。どうした、夜明けにはまだ早いぞ」
自身の名を覚えていてくれていた。それだけで胡清は少し高揚を覚える。
連れられて義勇軍に合流して以来、まともに言葉を交わすことはなかった。それも当然だ。劉備は数百になる義勇軍を纏める男であり、その両端には関羽と張飛と言った豪傑がいる。それに、無名という黒衣の猛士が、傍にいることが多かった。そもそも、殆どの兵士が劉備に惹かれ集まった者たちだ。兎に角、周りに人が絶えないのだ。若輩である胡清が、容易に近づく事ができるはずもなかった。
それが、何故一人で。
「劉備様こそ、何故……」
護衛も付けずに、と言いかけ、その手に何か握られていることに気がつく。
良く見れば、膝元には飾り羽や尾毛、牛革のような物がある。
牛革は防具に使われているため、装備の修復でもしているのかと一瞬思ったが、尾毛や飾り羽は劉備が身につけているようなところを見た覚えがない。
義勇軍の大多数の故郷である幽州は雑胡が入り乱れており、この義勇軍にも何人かいる。そういう者たちが兜や武器につけているのを目にしたが、それだろうか。
「眠れないのであれば、こちらに来て火にあたるといい。少し温まれば、また眠気もやってくるだろう」
手招きされれば、断るわけにもいかない。
促されるまま、火の側で劉備と同じように座り込んだ。
近づくと、その手元にあるものがはっきりと分かった。革紐や毛糸、羽を編み込んだ房のようなものの、成りかけ。
旗の飾房のような、または、槍や兜の毛飾に見える。――それよりもずっと細やかな大きさではあるが。
「それは……?」
「あ、ああこれはだな……見かけたかもしれないが、仲間に派手な連中がいるだろう。それで俺が兜や鞍の飾りを褒めていたら、皆から余った革や毦を貰ってな。見様見真似だが、編んで、みようと……」
良く見れば、幾つかの羽や尾毛は雪のように白く、珍しい物だった。牛革も小さい切れ端の中に白いものが幾つか有り、それを選別してまとめているようだった。
噂で、貴族が白の毦を好んで胡商から仕入れていると聞いたことがある。
胡清がその仕事の繊細さに感心して思わず息を呑んで眺めていると、何故かおずおずと物を引っ込めようとする。
「なんだか、恥ずかしいな。落ち着かない時に手遊びでやっているだけなんだ。あまりじっくりと見ないでやってくれ」
「あ……っいえ、そんな。こんな綺麗なものは、俺、見たことなくて」
装飾品なんて、縁遠い生活をしていた。市場に売りに出るとき商店で見かけるくらいで、それを近くで眺めたことはない。
どういった意味があるのか良くは知らないが、戦場で飾りが風を切り揺れる姿は、美しいものだと胡清も思っていた。
「ふふ、そうか。そう言ってくれると嬉しいな。誰に見せるでもなくコソコソと作っていたから」
そういいながら、足元に雑に置かれた嚢をひっくり返すと、同じように尾毛から作られた組紐で纏められて房となった飾りが、数個転げ落ちた。
「白い牦牛の毛は、幸運を齎すとされているらしい。だから、皆無事に帰れるように、と」
「護符のようなものですか?」
「まあ、そこまで大それたものというわけではないが……こうして溜まってしまった」
このままでは増えていく一方だ、と困ったように笑う。
落ち着かずに身を起こし、火の側で小さく房を編む。こういう夜を、何度か過ごしているのだと、胡清は気付いた。
胸が締め付けられるような思いがした。豪傑達と共に先陣を切って道を開く首領は、その後ろで切り結ぶ兵たちの無事を祈っている。そのなんと心強いことか。
胡清は是迄、どうしても腰が引けてしまい、先頭を直ぐ見失ってしまっていた。戦場で閃く常磐色を、数えるほどしか見ていない。
光が道を切り開いているのに、何を恐れる必要があったのだ。
胡清の中で燻っていた焦りは、気付けば消えていた。
「厚かましいお願いで恐縮ですが、その房を一つ、いただけないでしょうか」
常にあった怯えのような声色は消え失せていた。
自身が若輩であるとか、剣も禄に振るったことがないだとか、そういう気の負いも些細なことに思えた。
ただ、この方を失うわけにはいかない。無事に戦場から帰還させたい。その為には、強くあらねばならない。
前に、出て行かねばならない。
この祈りが共にあれば、それも出来ると思った。
自分がそうしたいのだ、と初めて心から強く想った。
「貰ってくれるのか。まだ少し拙いと思うが……」
劉備は溜め込んだ房の行き先が決まったことを喜ばしいというかのように声を少し弾ませて、中から一つ掴み取って胡清の掌に載せてやる。
揺らめく火に照らされた白い毛と羽が、きらきらと輝いているようだった。
「ご厚意に感謝申し上げます。この御恩は武働きにて、必ずお返し致します」
胡清は深く稽首する。あれから礼儀を幾つか身に着けた。
言葉遣いも、礼の仕方も、この軍として雄飛するには、学ぶ必要がある。文字はまだ読めないが、それも今後学ばなければ。
その日その日を生きるだけだった胡清は、具体的な未来を思い描けるようになっていた。貴い祈りをいただいたのだ。これに応えなければ。
「期待している。……よし、もう眠れそうか?」
「はい、不安ももう消えました。劉備様は、まだお休みにはならないのですか」
「無理を言って火の番を代わって貰ったからな。次の見張り番が来るまで、こうしているつもりだ」
作りかけの房を見せながら、劉備は微笑んだ。
火の番を代わると申し出ようと思っていたが、ここは甘えろと言外に言っていると気付き、もう一度稽首してその場を立ち去った。
房を懐に仕舞い込み、元の筵へ寝転んだ。
目を閉じれば、温かな火が見える。
分け与えられた光が、胸にあった。