魔法使いの一生は長い。でも、終わりは誰にも等しくやってくる。突然の別れになってしまったのが不幸だっただけ。西の国の丘に建てられた墓標を前に、二人の男が佇む。太陽は薄く伸びた雲の陰に隠れ、はらはらと雪が舞っていた。
　曇天の寒空の下、透き通った空気は身も心も切り裂くように冷たかった。墓標の前に立ち尽くすムルは、象徴的な帽子を深々と被ったまま、何かを口にすることは無く、マントだけが風に揺れてわずかに音を立てている。
　その隣で墓標を見つめるフィガロの表情は、なんとも言えないものだった。厄災戦の折、賢者を身を賭して護ったシャイロックは、同じ場所で戦っていた魔法使いたちの目の前で石になった。長く生きる中で、幾度となく魔法使いの死を見てきたが、今まで見たどんな魔法使いの死に際より、なぜだか美しく見えた。
　ふと、隣に立つムルに目をやると、深々と被った帽子の隙間からわずかにのぞく口元は、悲しみをこらえるように強く引き結ばれていた。常に余裕の表情しか見せないこの男にもこんな顔が出来たのかと、そう思うほどに、今まで見たことのない表情だった。
　視界の端にうつるムルが一歩、墓標に近づくように前に出る。目線が交わることはなく、ムルは墓標の先に広がる海を見ていた。すると、ようやくムルが口を開いた。

「彼は、幸せだっただろうか。」

　ムルのその言葉に、フィガロは返す言葉が見つからなかった。再び、雪のちらつく丘の上に沈黙が訪れる。フィガロは頭の中で、彼の面影に思いを馳せた。知っている。彼が胸の内に抱えた、たくさんの葛藤と涙を。だから、この男の前で、手放しに「彼は幸せだった」とは言えなかった。
「知らない。」
「知らない…か。」
　ぽつりとこぼしたムルの言葉は、どこか悲しそうだった。贖罪の気持ちでもあるのだろうか、誰かの言葉に救われたいような、そんな雰囲気を纏っているように感じた。
　
　もうひとつ、知っていること。それは、この男といた時の彼の感情が一番、生々しくて、らしかったこと。いつもより小さく見えたムルの背中に、フィガロの感情が複雑なものになる。正直、嫌いなこの男のために優しい言葉をかけるのは癪だ。でも、この天才にも人間らしいところがあるんだなと思ったら、このまま放っておくのは少し気が引ける。立ち去り際、フィガロはぼそっとこぼして、その場をあとにした。

「でも、お前に出会えて良かったんじゃない。」

　フィガロの足音が遠ざかる中、彼の思いがけない言葉に、溢れだしそうな感情を抑えようと、すぅっと冷たい空気を吸い込む。丘の上にひとり残されたムルは、じわじわと溢れてくる涙が瞳から零れないように、天を仰ぐ。
　あぁ、どうして。どうして君がいなくなってから、伝えたい言葉が溢れてくるのだろう。彼への後悔が、ムルの心を埋め尽くす。
「……こんなにも、君のことが大切だったなんて。」
　空から舞う雪の粒が大きくなり、彼の帽子やマントに降り積もる。静かな寒空の下、ムルの口から小さくこぼれたのは嘆きだった。君とすごした時間がどれだけ尊いものだったか。わかっていたはずなのに。尽きない後悔が、呪いのようにムルの心にのしかかる。ただ一言、「愛してる」の一言を伝えることすら出来ず、一番近くにあった幸せを、もっと大切にできなかったことが、どうしようもなく苦しい。
　
　耐えきれずに溢れた涙が頬をつたう。雪混じりの冷たい風は、涙に濡れた頬にはピリッと痛かった。
「ねぇ、シャイロック。」
　墓標の前にしゃがみこんだムルが彼の名前を呼ぶ。その呼び掛けに、幾度となく聞いた彼の声が返ってくることはもうない。その事実を噛み締め、両目を手のひらで一度ぐっと押したあと、静かに呪文を唱えた。
　
　《エアニュー・ランブル》
　
　彼の手には、先程までなかった一輪の赤い花があった。その花を彼の墓標に添え、積もった雪を払い落とした帽子を左胸に当てる。

「ありがとう。」

　再び帽子を被ったムルは、うっすらと雪化粧をまとった景色の中、ひとり歩みを進めた。