貴方のためのアリア「ええっ!?僕がこの曲のソロを!?しかもこの楽譜、難曲で有名な曲じゃないですか!」
夕暮れ時の斜陽が射し込んだ貴方の部屋。意外な提案に大きな声を上げてしまい、僕の声に驚いた貴方は手にしていた紙を撒き散らしてしまった。
はらはらと僕のてのひらで躍る楽譜の束を捕まえて。昔取った杵柄……なんてガラじゃないけど、かつての癖でつい譜読みをしてしまう。目を滑らせて、それが教養の域をはるかに上回る技巧の粋を極めたものだとすぐに気づく。
「ええ、ですから君にお鉢が回ってきたんです。君、フレイムチャーチで子供相手に童謡を歌ったでしょう?それがどこからか楽団の耳に入ったようで、私から何とか頼めないかと請われたんです。」
「確かに教養がないとは言いませんが、特別に持ち上げられるほど上手というわけでは……」
なんて、思ってもいない謙遜をしてみる。数ある習い事の中で、剣と歌はさして苦もなく上達したことは、あの子供時代ながらに密かな自慢だった。
声変わりが来て天使の歌声と呼ばれることは無くなってしまったけど。未だに歌うことは好きで、最近はテメノスさんの弾くピアノに合わせて子供たちと一緒になって歌っていたのだ。
「……私はクリック君の歌、上手だと思いますよ。」
斜め上からの素直な賛辞。それは貴方にとって天地がひっくり返るほど珍しいもの。いえ、僕以外の人に対してはもっと甘やかな対応をしていることは知っている。ただ、それを僕に対しては言わないのだ。だからただただ驚きに目を丸くすることしかできなかった。
「えっ?め…珍しいこともあるんですね、貴方が素直に人を褒めるだなんて…」
あまりの衝撃にひっくり返った声を咳払いで調える。せっかく褒めてもらったのにすぐに期待を裏切るような真似はするまいと、居住まいまで正して。
そこまでは良かったが、ぽろりと口から飛び出してしまった失言にまでは流石に気が回らなかった。そうしてやっと貴方もいつもの調子が戻ってきたようだった。
「失礼な。ピアノなら教会で弾いていますし、日によっては神官のみなで歌いもします。その中でも君は、こう……」
「こう……?」
「あたたかくて心の奥深くまで響くような…夕暮れの秋空のような。なんでしょうね、言語化は難しいのですが、とにかく聞いているとどこかに帰りたくなるんです。ここが私の故郷だというのにね。」
いつもの調子かと思ったら、ふ、と笑ってまた褒めた。それだけ彼にとって僕の歌が心地よかったのかもしれないけど、真正直すぎる褒め言葉に今度はこちらがどう反応したものかわからなくなる。
「……あ、貴方がそこまで言うなら引き受けてもいいですよ。」
「フフ、照れてるの?」
「照れますよ。貴方にそんなに熱烈なアプローチをされるだなんて、思ってもいませんでしたから。」
……やられっぱなしだなんて癪だ。せめて何か、貴方の心を揺らせたらと思って闇雲に放った言葉は、どうやら貴方の核心を突いたようで。今度は貴方の方が秋の果実のように真っ赤になって俯いてしまった。
「……んん、」
「もしかして、今頃気づいたので?」
「ええ……まあ。」
口許を押さえながらそっぽを向いて、せめてもの悪足掻きをする姿さえも愛おしいのだから、僕は貴方を好きでいることをずっとやめられないでいる。
「無自覚ですか……ほんと、たちが悪いな。」
「っ…クリック君…?」
迫って抱きしめて、髪に触れたら頬に口付け。有無を言わさずそのからだを抱き上げて、ベッドの上に放り出す。投げ出されたその人も、何かを覚悟したみたいに大人しくなって。着込んだ服の合わせを解いて、貴方の素肌を滑らせながら囁いた。
「引き受ける代わりに、今夜は貴方の声を聴かせてください……僕だけに。」
コンサート前夜の話。
終