お勤めマジロとスコーンとヒゲ「どうしました、おじい様……この子を、私に?」
その時のことは、いつまでも覚えている。
「は、拾った? 大丈夫なんですか条約とか法律とか……問題ない? 本当ですね、何かあったら助けて下さいよ?!」
子供の小さくて柔らかな手の温もり、まだ頬が痩けていないあどけない面立ち、声変わり前の溌剌とした少年声。
「はぁ……えっと、こんにちは」
そして、一等星のような黄金色の目と視線が合った瞬間、直感したのだ。
「……ふふ、君、テニスボールみたいだな」
「ピュー」
己はきっと、彼に出会う為にこの世界、この時代に生まれたのだと。
◇
「さぁ、そこに掛けたまえ」
「ー……」
吸血鬼対策課本部のとある一室。部屋の主に促されてフカフカの椅子に渋々座った一玉のアルマジロは低い唸り声を上げた。
彼はジョン・O・ガーディアン。神奈川県警吸血鬼対策課の看板マジロかつ、ドラルク隊長を公私共にサポートする敏腕補佐である。
温厚で心優しき性格である彼は、普段から部隊のムードメーカーを担っている。吸対と退治人、そして最近はロナルドを始めとする吸血鬼軍団との橋渡し役として活躍し、可愛がられオヤツを与えられる(そしてドラルクにダイエットを宣告される)ような愛の化身マジロなのだ。
「ヌンヌヌヌーヌヌヌ……」
そんな社交性の高い彼が、急に自分を呼び出した相手といえど〝何のご用ですか〟と実に素っ気ない口調で塩対応するのは非常に珍しい。主人の口八丁を見習っているジョンもまた、お偉いさんとのコミュニケーションでは愛嬌を振りまくことを心がけている。今のような〝一秒でも早く帰りたいヌ〟オーラを出すことなんてないのだ。
「おお、ドラルクに忠実な気高きマジロの君。そんな恐い顔をしないでおくれ、私は決して君を害するつもりはないよ」
「ェッ」
そのレアケースを引き出した男、ノースディン本部長の白々しい言葉に、いよいよジョンは露骨な態度を隠さなくなる。ドラルクへ頻繁に嫌味と無茶振りを押しつけてくるブラシ髭男とタイマンで話す羽目になったことは、ジョンにとって本日一番の災難であった。
――定期報告の為、ドラルクと共に吸対本部へ来ていたジョンは、途中から主人と行動を別にしていた。新横浜で起きた吸血鬼の大侵攻から注目度がうなぎ登りのドラルク隊が余所でどう見られているのか、隊長補佐として情報収集を行っていたからだ。
カフェテリアでケーキを奢って貰いつつ本部へ出向している人たちと雑談していた時、ジョンに声をかける一人の女性職員がいた。曰く、ドラルク隊長の用件が予定より早く終わったので本部長のところへ来て欲しい、隊長は既に入室していると。
ノースディンの名前が出た時点で機嫌が急降下したジョンであったが、ドラルクがいるのであれば話は別だ。天敵たるあの男から、どうにか主人を護らねばならない。
そんな風に決意を固めたジョンが入った本部長の執務室には、しかしドラルク隊長の影も形もなかった。部屋にいたのはノースディン本部長ただ一人で、どういうことだとジョンが訝しんでいる間に道案内役を務めた女性職員が外から出入り口を施錠してしまう。
嵌められた。遠ざかる足音にその事実を悟ったジョンは、尊大な態度で着席を促すヒゲの声を甲羅越しに聞いたのだった。
「何、今回呼び出したのは仕事というよりは、個人的に君と対話がしたかったからでね。どうか楽にしてくれたまえ」
「ヌ……ヌヌヌヌヌイヌヌ、ヌヌリヌイヌヌ」
仕事じゃないなら、帰りたいです。正直に告げて椅子から飛び降りようとした最中、いかにもたった今思いついたかのような口調で本部長が問いかけた。
「そうだ隊長補佐殿、スコーンは好きかね?」
「ヌ?」
◇
食べ物に罪はない。美味しいお菓子なら、尚のこと粗末にしてはいけない。
「いかがかな」
「……ヌイシーヌヌ」
「ふふふ、お褒めに預かり恐悦至極だ」
それが例え、いけ好かない相手の手作りであろうと。意固地になって食べないなどという無粋な真似はせず、美味しいものには美味しいと言う、それがジョンのポリシーなのだ。
半分に割ってイチゴジャムとクロテッドクリームを乗せたスコーンを、紅茶を飲みつつ食べていくアルマジロの姿を見て、気を良くしたらしい本部長が得意げに語る。
「スコーンは私が得意とする料理の一つでね。家庭教師時代にドラルクにも手解きしたが……ふ、終ぞ私を越えることはなかったな」
「ヌ……ヌヌヌヌヌヌヌ、ヌヌーンヌヌッヌヌ、ヌッーヌヌ、ヌーヌヌヌ」
「ほう、ドラルクもスコーンを作るのが上手と……では、今食べているものと不肖の弟子が君に食べさせたもの、どちらが上か聞かせて貰えるかね?」
「……ヌヌヌヌヌヌヌヌヌーンヌ、ヌヌヌンヌヌ」
「はっはっは、あの子のスコーンが一番好きか! 素晴らしい回答だマジロ君、それなら味の評価をさて置きドラルクを持ち上げることができるね」
「ヌ……」
何だかドラルクごと馬鹿にされた気分になってヒゲ男を静かに睨みつけると、相手は宥めるように大袈裟に両手を挙げる。
「おっと、誤解しないでくれ。決して君と君のご主人を貶した訳ではない。寧ろ私はその誠意に感心しているのだよ。……脅威を覚える程にね」
ゴホン、とわざとらしく咳払いをしたノースディンは、急に神妙な表情を浮かべてジョンを見据えた。いよいよ話が本題に入る気配を察して、スコーンを手放さないまま頭を上げる。
「時にジョン・O・ガーディアン隊長補佐。ミツオビアルマジロの寿命が何年かご存知かな」
「ヌ?」
「野生と飼育下、ほか様々な要因で個体差が出るが、おおよそ十五年から二十七年程度だそうだ」
執務机に両肘を突いて手を組み、罅割れ一つない唇の端を吊り上げて本部長は言葉を続けた。
「はて。甘味も酒精もニンニクも健啖な若人の如く平らげる君が、ドラルクの元へ来てから何年が経っただろうか」
「……ヌヌヌッ」
何を、と言いかけたジョンの声をノースディンの冴えた視線が遮る。反射的に四つ足で威嚇の体勢を取るアルマジロへ、席を立った人間がわざとらしく靴音を立てながら一歩、一歩と近づく。
「あの方は君を拾い、ドラルクへ託すこととした理由を決して口にはしなかった。無論、その選択を咎めることなどおこがましいが……」
数十センチの距離で相対し、ばち、と火花が鳴るような睨み合い。お互い思い浮かべる人物は、きっと同じ。
「忠義のマジロよ、私は恐ろしいのだ。君の献身はいずれ、あの子を狭間から常夜へ引きずり落とすではと――」
瞬間。
この空気をぶち壊すような派手な破壊音が、執務室の出入り口から響いた。
「たのもー! 吸血鬼ロナルド様のおでましだぜ!」
「失礼いたしますクソッタレ本部長ヒゲこの野郎ォー! 私のジョンを監禁して何企んでやがんだアルマジロ監禁現行犯で逮捕して差し上げましょうかねぇ?!」
「なっ……?!」
「ヌー!」
予期せぬ闖入者に本部長は絶句し、ジョンは歓声を上げた。
施錠ごと蹴破られたドアの向こうから現れ、満面の笑みで元気に名乗りを上げる銀髪の吸血鬼。そして、吸血鬼の左腕で米俵のように抱えられたまま中指を立てる痩せぎすのダンピール。
「ヌヌヌヌヌヌー!」
「ジョン!」
ロナルドから降ろされるや否や、もたつく足取りでこちらへ駆け寄るドラルク。その胸に飛び込んだジョンは、数時間ぶりの主人と再会の喜びを分かち合った。
「大丈夫かい、あんのスカした陰険男に虐められていなかったか?」
「ヌンヌ、ヌイヌーヌ」
「すまない、遅くなって……ん、この食べカスは」
「――入室マナーもさることながら、上司への礼節も見上げたものだな、不肖の弟子よ」
「?」
ノースディンは心情が図りにくい冷めた表情でドラルクとジョンを一瞥した後、彼らの傍に立つ吸血鬼へ視線を向ける。
「ところで……〝死を知らぬ男〟よ、なぜ貴君が本部に」
「え、俺?」
話しかけられるとは思っていなかったのか、テーブルの上にあるティーセットを興味津々で眺めていた吸血鬼ロナルドがぱちぱちと瞬きした。
「えーっと、俺さっきまでオータムで缶詰めしてて、それがちょっと前に終わったからフクマさんにドラ公のとこまで送ってもらうことになったんだ。そしたら……オジョウサン? たちに囲まれてるドラ公がいて」
「あんたのシンパが呆けている間に、彼へここまでの運搬を頼んだというわけです。吸血鬼特有の典型的畏怖欲を簡易的に満たす方法を言い添えた上でね」
ロナルドの言葉を継いで、ドラルクが不遜な笑みを見せながら言う。その肩に乗ってご機嫌になったジョンは、ロナルドを手招きしてテーブルの上にあるものをこっそり指差した。ちょっとした思いつきがあったのだ。
「それで……何をお考えの上で、私に一言もなくジョン隊長補佐を尋問していたのかお聞かせ願えますか、本部長」
「尋問とは人聞きが悪いな、ドラルク隊長。私はただ、上司にスコーンの一つも振る舞われない隊員を哀れに思ってティータイムに誘っただけさ」
「ハァ? 何とまぁ、余計なお世話も甚だしい! ジョンには三食おやつ付き、福利厚生万全な生活を保障して、」
「すこーんってこれ? いい匂いするけど、何か固くてパサパサする」
「ファー?! なぁに拾い食いしてんだこのおポンチ備品!」
「ヌヌヌヌヌン。ヌヌヌ、ヌリーヌヌヌヌヌ、ヌン茶ヌヌヌシヌヌンヌヌ」
「へぇー、ジョンは物知りだなぁ」
「そうそう半分に割ったスコーンにジャムとクリームを乗せて齧りつき、すかさず紅茶を流し込むのが美味しく食べるコツ、って違う! ジョン、五歳児を甘やかすのは止めなさい、おかわりも食べようとしない!」
「あ、本当だ美味い! ジュワッとしてブワーっとして、すごい小麦の味がする!」
「ヌショー」
「ヴァーーー吸血鬼が吸対の出したもん美味しく食ってんじゃねぇ!」
「お前が言う? どこ目線だよそれ」
「黙らっしゃい! ジョンもロナルド君もスコーンなら後でいくらでも焼いてやるから、これ以上皿のもんを取らない!」
「うーん? 分かったけど、ちゃんと作れよ」
「ヌッホッホッ」
不思議そうに首を傾げるロナルドの隣、ドラルクの頭によじ登ったジョンが勝利を確信した声を上げる。とっても上手なのに滅多にスコーンを作ることがない(原因は言わずもがな)主人を焚き付ける機会を逃さない、アルマジロのジョンなのであった。
「……はぁ」
部屋の主を置いて盛り上がる二人と一匹から離れたところで、大きな溜め息が響く。ジョンたちが振り返れば、冷笑を貼りつけたノースディン本部長が肩を竦めて自席へ戻ろうとしているところだった。
「名残惜しいがここまでだな。ドラルク隊長、彼らを連れて早々に新横浜へ戻るように」
「あーはいはい承知いたしました。頼まれなくとも一刻も早く現場へ帰還させて頂きますよ。行くぞジョン、ロナルド君」
「ヌー!」
「おう。えっと、おじゃましました?」
大きな凹みができたドアをドラルクが慎重に開けて退出する最中、「ジョン隊長補佐」と背後から声がかかる。嫌そうな顔をしながらも足を止めたドラルクに従ってジョンが振り返ると、先程より表情を和らげた――まるでドラルクの幼少期に遊びに来ていた時のような――ノースディンが、穏やかな調子で続けた。
「無粋なことを聞いてすまなかった。今後ともドラルク隊長を支え、職務に励むように」
「……ヌンッ」
言われるまでもない。ジョンは一つ頷きだけを返し、ドラルクとロナルドと共に執務室を後にするのだった。
◇
――アルマジロのジョンが何年もの時間、何を食べて生きるのか、そういうものは大した問題ではない。
ただドラルクが生きている限り、ジョンはいくつでも心拍を重ね続ける。主人がダンピールとしての生を貫くとしても、ロナルドらと同じ夜の住人へ転ずるとしても、それはきっと変わらない。
ドラルクが生きたいように生きるように、ジョンだって生きたいように生きるのである。
「ヌヌヌヌヌヌ、ヌヌヌヌヌン」
「おや、何だいジョン」
「どしたジョン、お腹空いた?」
駅へ向かう道中、ドラルクの肩の上から二人を呼ぶ。ジョンに優しい眼差しを注ぐ、明星のような黄金色の瞳と、イチゴのような真っ赤な瞳。
「ヌヌリヌ、ヌンヌヌーヌヌヌ?」
ふたりは、ヌンがどう見える?
安心と信頼から、ジョンは彼らに問いかけた。
「ジョン、謎かけか? ……違う? ふむ、なら簡単なことだな」
「えっと、そりゃあもちろん」
少し不思議そうな表情を浮かべながらも、それぞれ迷いなく二人は答える。
「「ジョンはアルマジロのジョン」」
ほら、難しいことなんて何もない。
「私の掛け替えのないパートナーさ!」
「可愛い俺の弟分!」
「ヌー!」
大切な人たちとの賑やかで楽しい日々が続くよう、ジョンはジョンらしくあればいいのだ。