ソメイユ終末病棟年中雪が降る辺境地にある大きな終末病棟
そこは毎日数百という死者を看取り弔っていた。
末期ガン、感染症、狂犬病…
完治は見込めないという患者はこぞってここに運ばれ最期をこの白く寂しい病棟で過ごす事になる。
しかしそこにも白衣の天使というものは存在していた
それがシプレを含む獣人の看護師達だ。
そして不思議な事に看護師達は全て獣人で、名はみな植物の名前で統一されており、全て花言葉が少しばかり不穏な意味合いを持っていた。
「シプレ」
「なんでしょうドクター」
「この薬をエミリアに投与してやってくれ、きっと少しは楽になる」
承知しました
頭を下げるシプレの頭に結ばれたリボンが揺れる。
シルバーの長髪を揺らしながら広い病棟を迷う事なく歩きドクターの言う通りエミリアという患者の部屋へとやってきた。
「……ぁ、シプレさん…」
人工呼吸器を口に付けた顔色の悪いエミリアは猫の獣人だ。
彼女は末期ガンによる全身の激痛に悩んでいた。
遠くの街にはモルヒネという薬があるらしいが、この辺境地にある病棟には存在しない為病棟にいる調合師達が日夜研究を重ね出来上がっている薬達が欠かせない。
「これを今から投与します、きっと痛みは鎮まるかと」
「…ぅん」
まだ彼女は20歳だった。
結婚を間近に控えた幸せいっぱいの娘だった。
しかしそれが狂ったのはエミリアの体にひとつの腫瘍が見つかった時からだ。
「彼がね、指輪をくれたの」
まだ入院してすぐの元気だった頃のエミリアがシプレに話してくれた事を思い出す。
しかしあの日輝いていた指輪は細くなったエミリアの指を抜けサイドテーブルの上に乗せられていた。
それが酷く寂しいものだとシプレは思うのだ。
「ありがとう…少しだけ、楽になったわ…」
しかしエミリアの体調は回復しない
この薬は痛みを取るだけだから、シプレはただ辛いのは変わらないのにありがとうと笑うエミリアの顔を見て頷く事しか出来ないでいる。
「…良かったです、また何かあったらお呼びください」
抗がん剤は毎週補給が来る
しかし終末病棟は患者が多くそれでも足りない。
だから看護師達がいる。
薬で癒せない痛みや苦しみをただ手を握り癒す事しか出来ない彼女達が。
2日後、エミリアは永遠の眠りについた。
その日は珍しく雪が止み雲間から太陽の白い光が覗いていた朝だった。
異常に気付いたシプレがエミリアの手を握りひたすら「大丈夫です」という言葉をかけながらドクターが調合していた薬を投与していく。
しかしそれも治す薬ではないのだ。
「ドクター」
エミリアの震えた声がする
「ドクター…もう、いいです……私に、使わないで……」
自分の最期を悟ったエミリアがシプレに握られていた手を緩く握り返して笑った。
「あ、りがとう…シプレさん…わた、し……しあわせ、だった…」
「エミリア」
切羽詰まったシプレの声
息をたえだえに話すエミリアの人工呼吸器は曇り顔色はもう土気色で見ていられない。
ドクターの手は止まっていた。
「エミリア、だめです
エミリア!」
瞼が閉じられようとしている
シプレの手を握っていた手からは力が抜け、全身の力が抜けていく。
「エミリア…!だめ、死んじゃだめ、えみりあ…」
「…シプレ」
ドクターに肩を掴まれシプレの悲痛な声は止んだ。
「…もう休ませてあげなさい」
シプレは涙が出ない
元々泣けないのだ。
しかし下唇を強く噛み俯く彼女は間違いなく泣いていた。
エミリアは微笑みながら最期を迎え、故郷の村からやって来た婚約者である男性と家族に見送られ煙となって天へと昇っていった。
「シプレさんですか、エミリアの婚約者のリンベルです」
病棟内の葬儀が終わり会釈をし声をかけてきた同じ猫の獣人であるリンベルの左薬指にはエミリアが大切にしていた指輪と同じものが嵌っている。
「話はよくエミリアからの手紙で、とっても優しい看護師さんがいると聞いてました」
「…」
「…ありがとうございます、エミリアはきっと幸せな最期だったでしょう」
頭を下げるリンベル
彼の目元は赤くきっとエミリアの死を聞いてからずっと泣いていたのだとわかる。
「…いえ」
私は彼女を助けてあげる事が出来なかった。
それは私が看護師だから、それとも無力だから。
頭は重くなる。
「………エミリアはシプレさんに凄く感謝をしていました、辛くてもずっと手を握ってくれるから頑張れる…いつも手紙にはそう」
「……」
「エミリアの担当看護師が貴方で良かった」
また、シプレは下唇を噛んだ。
エミリア、貴方はずっと私にありがとうと感謝を言っていたけれど
それは、───。
病棟受け付けで手続き等を終わらせたエミリアの家族達と共にリンベルは遺骨を大切そうに抱き病棟を後にした
シプレはその寂しそうな後ろ姿をただじっと病棟の窓から眺めて見送る。
外は相変わらずの雪景色
エミリアが死んだ日が嘘だったようにいつも通りの風景が続いている。
シプレはひとつ「ありがとう」と呟くとまた仕事へと戻っていくのだった。
終