「兄ちゃん…」
「ん?旭?何か用?」
「いや、その…」
懐かしい1年前までの兄の部屋。彼にとっては遠い5年前の自分の部屋。僕はある目的のためにそこを訪れた。時刻はとっくに11時を超えていて、本当なら僕も、肉体は15歳の兄も寝るべき時間だ。それでも兄が起きているのは、もう彼の精神は大人だからだろう。
見上げていた顔はあの時より近くにあって、それがまだ慣れない。
「また、一緒に寝て欲しくて…」
思えば、意地を張らずに接するのは本当に久しぶりだ。大人になるんだと肩肘張っている必要はなくなったけれど、またただの子供に戻るのもどうかと思って、殆ど颯への態度は変えていない。それでもこうして前みたいに兄の部屋に訪れてしまったのは、夜になって一人ベッドに横たわるとどうしても管に繋がれた青い顔の兄を思い出してしまって、眠れなかったのだ。また眠って、朝起きたらまた誰かが消えていってしまいそうで。
「こ、子供っぽいって思うなら、言ってよ。もう言わないから――」
「ううん、違う。久しぶりだったから、嬉しくて」
顔を上げれば、本当に嬉しそうな顔がそこにはあった。ひどくむず痒くて、でもそれ以上に嬉しかった。兄は何か作業をしていたらしいが、それを中断して中に通してくれた。
「あ~本当に久しぶりだなぁ」
「…そうだね」
一人用のベッドに二人。正直、快適とは言えないけど。颯の匂いと熱が近くに感じられて心地良い。穏やかな空気に身を任せていると、ゆっくりと頭を撫でられる。
「…ごめんな」
「何が?」
「旭に色々呪文をかけたこととか、ずっと嘘ついてたこととか」
「そんなことどうでも良いよ」
そう言い切れば、兄はどこか怪訝な顔になる、
「だって、それは僕の為なんでしょ?」
「そりゃあ、もちろんそうだけど」
そこに関しては責めることがどうしても出来なかった。颯が意識不明になったとき、ためらいもなくあの不思議な存在に助けを求めたのは自分自身だったから。
「でも怒ってることはあるよ」
「えっ!?え、ど、どこに?何に?」
「僕のこと一人にしないって言ったのに、嘘ついたこと」
「それは――」
「兄ちゃんが一番一人だけ残される苦しみ分かってるのに、なんで、庇ったりなんか」
声が震える。目元が熱くなる。
「それも僕の為だって分かってるけど。でも…最後の家族すら僕はなくしてしまうのかなって、考えたら、自分が事故に逢ったときよりも苦しくて…怖くて」
こんな情けない所、本当は見せたくない。けれど、日常なんてずっと続かないんだと知ってしまった。どんなに今が幸せでも、次の瞬間には脆く崩れてしまう儚いもの。
だから、どんなに情けなくても、恥ずかしくても、今伝えないといけないのだ。
「僕のこと、本当に大事なら、危ないことしないでよ…」
「旭…」
ああ、また泣いてしまう。デートの日から泣いてばかりだ。大人になろうって決めたのに。
泣き顔を見られたくなくて、兄の懐に顔を埋める。次から次へと溢れる涙は、遂に黙ってしまった彼の胸元に音もなく吸い込まれていって。
電気の消された暗い部屋で、僕の嗚咽だけが響く。
「分かった。約束は出来ないけれど…頑張るよ」
優しく抱きしめられる。あの頃よりもずっと小さな、でも温かい体。頼もしいその言葉に、僕は抱きつき返して返事するのでいっぱいいっぱいだった。
「…また、一緒に出かけて欲しい」
「…うん」
「前のはなくしちゃったから、もう一回おそろいのキーホルダーとか、自分で作ったブレスレット交換して」
「うん」
「事故に遭わないように気をつけて」
「そうだね」
「今度は、イルミネーションもちゃん見よう」
「もちろん」
そこで僕は顔を上げる。上手く笑えているだろうか。きっと、涙と鼻水でひどい顔だろう。
颯も少し目元が赤くなっていた。
「これからは悩んでも、一人で抱え込まないでよ」
「でも、僕はお兄ちゃんだし」
「一歳しか違わないくせに、強がらないでよ」
「ふふ、確かに」
二人でつかみ取った新しい未来を噛み締める。今は父さんも母さんも生きている。僕も兄ちゃんも、ちゃんと健康的な人間の体で。
いつまでこの幸せが続くか分からない。だからこれからは何度でも伝えていこう。
いつか来る、別れの時に少しでも後悔を残さないように。
「兄ちゃん、大好き」