南陽将軍は人間界をぶらぶらしていて、仙京にはたまにしか戻らない南陽将軍は人間界をぶらぶらしていて、仙京にはたまにしか戻らない……そんなことが何百年も続いていたのだから、数日彼の姿を見なくても誰も気にはかけていなかった。
ただ約束の夜に風信は慕情の元に訪れなかった。
南東に夥しく厄介な妖魔が蔓延っていることに気づいたのもちょうどその頃だ。

ひとり捜索に出かけた慕情がみつけたのは、おぞましい色の花を咲かせる大木だった。花は咲いたそばから儚く散り、その下から膨らんだ歪な球体は弾けるように四方八方飛んていく。
慕情をみつけると、狙いを定めて襲いかかってくる。彼の日の鄙奴を思い起こさせるような、しかしいまの慕情の前では結界で防げるようなものだ。
その木の根本に人影があり、慕情は目を凝らさずとも誰だかわかる。
風信。
安堵より動揺が慕情を支配する。
風信はその大木の根本に背を預け座り込んでいるのではない。その身体は半分ほどその木にめり込んでいる。取り込まれている、というべきか。


謝憐は慕情のそんな声を聞いたことがなかった。少年時代も、銅炉山でも、記憶に残る限り、そうだ。
「謝憐、力を貸してください」


風信はこの妖木に襲われ取り込まれた。「どれだけ間抜けなんだ。世話が焼ける」
慕情の皮肉にこの時謝憐も注意する気にはなれなかった。慕情はわずかも笑っていない。
この妖木はいま、風信の法力を吸って花を咲かせ妖魔を実らせている。つまりは人々が南陽将軍に信仰を捧げる限り、妖魔は生まれ蔓延り続けるということだ。
謝憐は花城に助けを求めたが、花城は淡々と返すだけだ。
「これはもう鬼です」と言った。
風信は時折わずかに正気を取り戻す。
そして状況を的確に理解した。
「悪評を流し、南陽廟をひとつ残らず焼き尽くしてください」
「しかし……」
謝憐が躊躇すると、風信は隣の慕情に目を向けた。
「お前ならできるだろう、それが最善だとわかっているはずだ、慕情」
「……そうだな。…私たちはそうすべきでしょう。この妖木と一緒に焼ききるか、そのどちらかだ。やらない理由はない」
それでも青褪めた顔で、あと3日、と絞り出した。
そうする間にも妖魔は実り、彼らを襲ったり、遠くへ散ったりしていく。
「待っても1日だ」
と花城は制止した。

風信の意識のない間、妖木からか彼からなのか、それは暴風が吹き荒ぶような唸り声をあげている。
謝憐と慕情はそれに寄り添い、昔話をした。風信が謝憐の護衛になったばかりの頃、覗きに来た妃たちに囲まれて固まっていたこと、怒って叩いた棚から貴重な壺が落ちて割れ、大目玉をくらったこと、…話せばきりがなかった。時に笑いながら、ふたりは向かってくる妖魔を退治し続けた。謝憐は最後の数時間を慕情に譲った。彼らがただの友人ではないことを、謝憐はもうわかっていた。
「やっぱりお前のことが嫌いだ」
そう言って、慕情は南陽廟を焼き払うためにそこを去った。
最後に、慕情が風信の動かない掌からすっかり萎れた花を抜き取った時、風信はきっと笑っていた。嬉しそうに。


すべてを終えて慕情が再び戻った時、風信から法力を吸えなくなった妖木はすっかり痩せて小さくなり、風信から引き剥がせるくらいになっていた。
慕情は細心の注意を払い、その木を焼ききる。
信仰を失い神性を失えば、あとは寿命を全うするのみ。
風信は南陽殿への信仰は玄真殿と明光殿に向かわせるよう仕向けたのだから、慕情に今まで以上に漲る法力はその証だ。
「風信」
「……慕情？」
目を覚ました風信はなにかがおかしいという。
「なんだか……まだ……」

「なら、返してやる」
慕情は風信の前に跪いて、それから、長い、長い……




鬼界にひとつ残った小さな小さな南陽殿が……とかだといいな。