55 アル空「滑らかな味わいのフルーツジュースが欲しいな。名前が思い出せないんだけど……スモールサイズでお願い」
「かしこまりました、スイートシードル湖、スモールサイズですね」
「コーヒーと紅茶と……あと、ミルク! それら全てを一気に味わえるようなドリンクはあるかしら? ラージサイズで飲みたいわ」
「晩鐘ですね、かしこまりました」
「濃厚な味わいのコーヒーを飲みたいんだ。サイズはスモールでいいから、とにかく濃くしてほしい。頼んだよ」
「アテネウムでコーヒーを濃いめですね、お待ちください」
ドリンクの正式名称を口にしない客たちから次々にオーダーを受けていた空は、にこやかな表情で接客しつつも、途切れる気配のない列に疲れを感じ始めていた。
エンジェルズシェアでバーテンダー体験イベントに参加して三日目。
開発したレシピはすべて頭に入っているし、ドリンクを作る上で必要な材料もその置き場も把握している。手元に迷いは生じないものの、とにかく一人当たりにかける時間を削いでいかなければ、待機している客のすべてにドリンクを提供するのは難しい状況になっていた。
こんな時に限ってチャールズは店を出ていて、宣伝隊長のルカも店先ではなく他のところでチラシを配ったりしているらしい。
空の疲労に気づいていたパイモンは「オイラ、助っ人を探してくる!」と言って慌ただしく店から出て行ってしまった。そろそろ十分は経っているが、まだ戻る兆候はない。
助っ人、とは言うがそう簡単に見つかるだろうか。そもそも空と同程度か、空以上にバーテンダーの経験を積んでいる人物はこのモンドの中ではかなり限られる。
チャールズを引っ張ってきてくれるなら問題ないが、そもそも捕まるのかすらわからない。わからないことに期待をすると余計に疲労感が募るばかりだったため、増援に関して考えることをやめ、ひたすらシェイカーの中でドリンクを生み出していった。
「インパクトのあるコーヒーを頼めるかい? サイズはミディアムでな」
「はい、フローティングリーフですね。お待ち下さい」
「爽やかで、甘酸っぱい味わいの紅茶はあるかな? ミディアムサイズで飲んでみたいのだけど……」
「ダートブリリアンスがありますよ。お作りしますね」
ああ、目が回るというのはこんな時に使うのだろうな。
休憩も挟まずひっきりなしにやってくる客を相手にしていたら、体力も精神力も人並み以上にあると自負する空でも消耗は著しかった。貼り付けた笑顔が消えていないことを祈りつつ、ダートブリリアンスを作るために、紅茶とレモンを適量混ぜる。
あとは注いでテーブルに置くだけ、というタイミングで、手からカップが滑り落ちる。まずい、と思っても後の祭り。カウンター内の床上に、がしゃん!、と音を立てて、カップは粉々に割れてしまった。注がれていたドリンクは水たまりを作り、棚の方にまで液体が飛んでしまっている。
大きな音に店内がざわつく。オーダーをした客が「大丈夫?」と声をかけてくれるが、初めてわかりやすい失敗をした空は気が動転していて、「すみません!」と返すことしかできなかった。
疲れてるのかな。でもここで客を帰す訳にもいかないし、とにかくなんとかしなくちゃ――!
凹みそうになるのをぐっとこらえて「すぐに作り直します」と言い置くと、カウンター内で屈んでから、割れてしまった陶器を集めようと手を伸ばす。
その時だった。
「それはボクが片付けておく。キミはオーダーの通りにドリンクを作っていて」
涼しげなのに、どこかやわらかさを滲ませた声が響く。
「アルベド……!?」
手を伸ばした先に現れたのは、騎士団に所属する錬金術師兼空の恋人であるアルベドだった。
驚く空にアルベドはにこりと微笑むと、「助っ人に呼ばれてね」と浮遊するパイモンに目配せをした。
「パイモンが呼んできてくれたの?」
「おう! 本当はチャールズかディルックが適任なんだろうけど、二人ともどこにいるか分からなくてな〜。そしたらちょうどアルベドがモンドの研究室にいるって話を聞いたんだ。それで、こいつならなんとかしてくれるかもって思って!」
「そういう訳だから、ボクにできることはやらせてもらうよ。ひとまず、作り直しの分を先に用意してくれるかな。片付けが済んだらボクもドリンクを作るから」
「え、作るって……」
そんなことできるの? という空の疑問は、床面が綺麗になったあと、早々に解決した。
「アフタヌーンティーに欠かせない、滑らかで口当たりと香りが漂うようなドリンクを、ミディアムサイズでお願い」
「学士の午後だね。ミルクの量に希望はあるかい?」
「そうね、多めにしてくれるかしら?」
「わかった。……お待たせ、ミルク多めの学士の午後だよ」
「スターリーナイトをミディアムサイズで!」
「ミルクの量は多くするかい?」
「んー……いまダイエット中だからな……特に増やさなくても大丈夫」
「わかった。それなら……」
「……わあ! これ、ラテアート? 星の近くに花まである、可愛い〜!」
「気に入ってくれたようで良かった。キミの努力の結果が咲くように祈っているよ」
「食欲をそそられるフルーツジュースはあるかな? ラージサイズで飲みたいんだけど……」
「樺木があるよ。酸っぱいのが好みならレモンを多く絞っておくけれど」
「ああ、お願いしようかな」
「もしかして最近食欲不振だったりするかな? 心当たりがあるなら、鹿狩りに行くといい。最近、新しいメニューができたらしくてね。季節柄、あまりたくさん食べられない人に向いている料理と聞くよ」
「へえ、そうだったのか。近々行ってみるよ、ありがとう」
隣に並んだアルベドは、実はこの店のバーテンダーを務めていたのではないかと思わせる接客ぶりで、空とパイモンを圧倒していった。
空の方も気を取り直してオーダーをこなしていくが、アルベドのように先回りをして客に希望を聞き出すまではできていなかった。
そもそも、ミルクやコーヒーの量をどうするかまでは聞けても、凝ったラテアートを描いたり、オーダーされたドリンクの特徴から判断して、客に利となる情報を出したりという応用はそう簡単にできるものではない。
話を膨らませながらもアルベドの手元に狂いはなく、速度も申し分なかった。空自身もそれなりに様になってきたと自己評価をしていたが、いったいどこで覚えてきたのか、スマートすぎるアルベドの対応ぶりを見ていると、悔しさのようなものがこみあげてくる。
しかし唇を尖らせるような感情は、そつなく器用に接客をこなす横顔を「かっこいい」と思うだけであっさり消えていくものだから、これは惚れている方が負けても仕方ないと諦めることにした。
途切れることのなかった客足は、対応するバーテンダーが増えたことでようやく波が引いていき、店内はゆるやかに閑散とし始めた。
やっと一息つけるねとアルベドと共に食器を洗って棚に戻していると、ようやくチャールズが店に戻ってきてくれる。
「今日もお疲れ様。困ったことはなかったか?」
いつものように報告を聞く為に訪ねたチャールズに、パイモンがその日の混雑状況をやや盛って説明すると、「それは申し訳なかった!」と言って、お詫びの印にと、ディナーをご馳走してもらうことになった。
料理が出来るまで待っていてくれと、チャールズにテーブル席へと案内される。
パイモンは給仕を買って出てくれたが、おそらくつまみ食いをする隙を狙っての立候補だろう。最終的に何かが載った皿が運ばれればいいか、と空はパイモンをチャールズに任せ、アルベドと向かい合って座った。
立ちっぱなしだった空は気が抜けて、だらしないと知りながらも木製のテーブルへ突っ伏し、「つかれた〜」とぼやく。頬に触れる木の板はほんのりと冷たい。それがまた心地よくて体の力が抜けていく。
「お疲れ様。いつもあんなに大変なことをしているの?」
「ん〜、あんなに忙しいのは初めてだったよ。たぶんだけど、このイベントのことが少しずつ周知されてきたんじゃないかなあ」
ルカやこのお店にとってはいいことだろうけど、と息をつくと、頭の上にぬくい何かがのって、やがてゆるゆると動きはじめた。
――アルベドが、優しい瞳で頭を撫でている。
「よく頑張ったね。このあとはゆっくりするといい。もし不満があって吐き出したいなら、ここで全部聞いているよ」
「……不満かあ」
「特にはないかな?」
「あったと思うけど、ぜんぶどうでもよくなっちゃった。……アルベドのおかげ」
「ボクの? これといって何もしていないと思うけど」
「してくれてるでしょ、今も。俺のこと甘やかしてくれる」
「それは当然のことだと思うけどな。キミは頑張っていたんだから、労うことはさせて欲しいし」
「それだけじゃなくて、助っ人なんて言って俺よりたくさんオーダー捌いてくれたでしょ。すっごく助けられたよ。ありがとう」
「どういたしまして。キミの助けになるかもしれないと思って、勉強しておいて良かったよ」
「そんなことしてたの?」
知らなかったよと言いながら、空は静かに顔を上げる。まだ撫でていてほしくて、テーブルからほんのわずかに離れただけだ。意図を読みとったのか、アルベドは手のひらを空の髪から遠ざけず、ふわりと微笑む。
「キミがバーテンダーになったら、きっとキミの人柄や栄誉騎士としての珍しさからたくさんの人が店を訪れると思ったんだ。そうなったら必然、店は混雑する。チャールズやルカ、もしかしたらディルックがフォローするとは思ったけど、万が一誰も助けられない状況になってしまったら、キミのそばに駆けつけるのは、ボクでいたかったんだ」
「……、…………そっ か」
「ああ。ひとまず、相応に役立てたようで良かったよ」
あれだけの接客を見せつけておいて謙虚なことを言うなと、空は苦笑する。もっと自慢したって誰も怒らないし咎めもしないのに。
けれどそんなところも含めて、彼のことが好きで好きで仕方がないのだ。
「ねえアルベド」
「なんだい、空」
「今度俺に、スターリーナイト作ってよ。ラテアートはアルベドのオリジナルがいいな」
「もちろんいいよ。絵柄のリクエストはあるかい?」
「んー……アルベドの好きなものがいいな」
「簡単だけど難しい内容だね。でも……うん、キミに満足してもらえるように作ってみるよ」
約束を交わし、空はようやく体を起こす。アルベドの手のひらがすぐ恋しくなったが、お願いすればまたしてくれるだろうと踏んで椅子に座り直した。
すると、ちょうどパイモンが大皿を運んで持ってきてくれた。最初は軽めにとサラダが盛られた陶器を置くと、パイモンはまたチャールズのところに戻っていく。どうやら次の料理がすでにあるようで、彼は慌ただしくフライパンを振って、パイモンの持つ皿に盛り付けをしていた。
遠くのカウンターを眺めながら、空はアルベドがどんなラテアートをしてくれるか想像し、胸を弾ませていた。絵を描くことを得意とする彼が、ふわふわのミルクの上にどんな「好きなもの」を彩るのかが楽しみで仕方ない。はやく飲んでみたいなと口にする空に、アルベドは静かに微笑んでいた。
後日。
約束の品だよ、とアルベドが差し出したスターリーナイトには、繊細で緻密な線で、空の似顔絵が描かれているのだった。