①赤月:第三者視点
「貴方の目に、彼はどう映っていますか?」
そう聞かれたとたん、男は硬直した。睫毛を揺らす瞬きひとつすら出来ない程の緊張と困惑に襲われたのだ。彼、と、そう示した対象が誰なのか。彼は身体の半分では理解していたし、もう半分では理解を拒絶していた。彼、なんて親しみのある呼称を使って良い相手ではないのだ。あの方は。この街の支配者は。我々の教祖様は。それでも男は、その呼称が使われたことに怒りを覚えなかった。あの方を彼、なんて呼べるのは、きっとこの方だけに違いない。それは男だけでなく、その他大勢の信者たちにとっても共通の認識であった。教祖たるあの方の番。比翼の鳥の片割れ。赤服の傍で月のように寄り添うこの方だからこそだ。
「素晴らしい、御方かと」
男は口の渇きを覚えながらどうにかそう告げた。月相と呼ばれるこの人物に声を掛けられた時点で、男はあんまりな幸福者だった。その幸福は過ぎたるもので、身に余るものだった。だから男は、今が現実なのか、それとも夢なのか、どちらか判別がつかない程だった。
そんな男の吃驚など知らぬ顔で、白い月のような男は優美に微笑む。
「わたしには、我儘で可愛い人にしか見えないんだけれどね」
②受けに銃を持たせて優しく唆し撃たせる攻め:猟ホリ
「ホーリー、ホーリー」
子守歌のように聞こえる男の声が耳朶を撫でる。声は、耳のすぐ傍で紡がれた囁きだった。だからホーリーの感覚は正しい。声を紡ぐ時、その唇は耳の皮に触れるかのようだった。いつもなら嬉しい口付けめいた囁きも、今ばかりは碌に脳に入ってこない。鼓動の脈打つ音がうるさくって、怖いくらいで、仕方がない。
「コォラ。お利口にしな」
動悸めいたその音の要因をホーリーはよくわかっていた。だから手放そうとした。手に握った拳銃を。眼前に転がされた人間に差し向けられた凶器を。そうして手の力が緩んだのを、猟犬は見逃さなかったようだった。震えるホーリーの手に、猟犬の手が添えられる。拳銃を握り直させる。ホーリーの手を包んだその掌は、確かに猟犬の手だとホーリーにはよくわかった。いつも自分の肌に触れるときと同じように優しい手つきだったから。
「だぁいじょうぶ。怖がるな。すぐに終わる」
可愛いと、そう囁くのと同じ甘ったるい声で囁かれる。
「このまま両手で握れ。銃口は離すなよ……そう、頭に押し付けて…そのまま指を押し込むだけでいい」
押し付けた銃口から震えが伝わってくる。手足と口を口を塞がれて転がされた眼前の者は、怯えた目でホーリーを…その後ろにいる黒い男を見上げている。
「っ、ぁ」
いやだ。そう言おうとした。でも声は出てこなかった。あまりの恐怖と緊迫で狭まった喉はか細い呼吸しか吐き出さなかった。何より、耳の後ろに柔らかな口付けが落とされたから。子供を慰めるような、寝かしつけるときのような口付けだ。キスを落とした唇は、そのまま薄く開いていく。拳銃を握るホーリーの手を包んだまま、悪魔のような恋人が甘く囁く。
「いい子にできるな?」
③ひと目惚れ:猟犬×一般人
運命。という言葉を、ナワーブは今の今まで自分に当て嵌めたことがなかった。人生とは自分の手で掴み取るもので、奪い取るものだった。恋や愛なんてものはシアターのスポットライトの舌にだけあるもので、スポットライトどころか真昼の太陽すらまともに浴びることのない自分には無縁なものだった。今の、今までは。
初めて見たとき、見つけたんだと気づいた。
真昼の太陽がよく似合う栗色の髪を見つけた。仕草の隅々にある朗らかさを見つけた。眼鏡の奥にある瞳の美しさを見つけた。
名前も知らないその人は青年だった。よくよくと観れば奇妙な模様の入った目元を眼鏡で隠している、ちょっと可笑しな人だった。凛々しく、ただ黙っていれば朴念仁とすら思える顔立ちを、笑みを浮かべることで柔らかく見せている人だった。本来なら往々の人間と同じように見逃しただろう人だった。つまりは、普通の人だった。道の往来、人々の織り成す人ごみに紛れようとするその姿を、ナワーブはありありと見つけていた。
名前も知らない人間に惹かれるなど、ナワーブの人生では有り得ないことだった。彼の目に留まるのはナイフの切っ先を向けるべき人(ターゲット)だけで、それ以外は仕事仲間とボスくらいなものだった。それらは殆ど夜の中に生きる人々で、太陽の下にいる人間などは眩しくってならなかった。その、名前も知らない青年だって眩しかった。輝かしいとすら言ってよかった。燦燦たる中にあるその人は猟犬の手が触れられない人だ。否。正しくは、手を触れてはならない人だった。猟犬は、自分の手が汚れ切っていることをこれほどまでに自覚したことがなかった。血にまみれた手だ、という認識は、触れるべきではないという警鐘に他ならなかった。触れるべきではない。見つめるべきではない。見つけるべきではなかった。
でも見つけてしまったから。
「なあ、アンタ」
佇む青年に声を掛ける。振り返った、不可思議そうな眼差しすらもう愛おしくてならない。何を言うべきか。誰かを前に、こんなにも苦悩したことなんてなかった。表情をぴくりとも動かさないまま、猟犬は思考を回す。
ターゲットに対し、聞くべきことなど決まっている。
「アンタ、名前は?」