「……これが私の夢でないとするなら、この世界は存在している」
言いながら、声と成したその言葉が胸に突き刺さるのを自覚する。見えない切っ先が肉を通り抜け、肉を割き、深く、奥深くまで沈み込む。感情の痛みは酷く、イライは一度唇を噛みしめ、痛みを堪えなければならなかった。
「……つまり、これが夢想でないとするなら、この世界にある彼というのは、彼の可能性のひとつでもあると…そう思うんだ。かつての彼が持っていた未来のひとつ。彼が選ばなかった道の果てにあるもの…」
瞼の裏に若草色が思い出される。見慣れた、小さいというのに大きな背姿。その腰にはいつもグルカナイフが下げられている。あのナイフを振るった日々は、無論あったのだろう。ナイフを整備する姿だって見たことがある。あれは慣れている者の手つきだ。日々、そうしなければ生きていけなかった者の……そういった道を選んだ者の様。
あの姿を見詰めながら、イライはいつも言い知れぬ感情で胸を満たしていた。寂しいとも苦しいとも言い難い感情。酷い感情だ。そしてもっとひどいのは、今、同じような心を抱いてしまっていること。
「だとすると、それは彼の一部だ。なら……私は…それも知りたいと思う。ハンターとして生きる彼のことも、ちゃんと知り得たいと…そう思ってしまう」
言って、イライは今一度音もなく息を吐く。緩慢と、怯えるように顔を上げ、眼前を見た。ルキノは変わらない表情でイライを見ている。その手にある葡萄酒を傾け、難なく喉に通す。イライは微笑もうとした。頬は上手く持ち上がらず、下手な笑みが口元に浮かぶのを自覚できる。対して、相も変わらず微笑みのような面持ちを浮かべるルキノは、やはり有難い存在に違いなかった。
「……可笑しいだろう」
「おかしい、というよりも生き辛いと言った方が最適だ」
ルキノはそう言って、グラスをテーブルに戻す。頬を手に宛がい、肘を机について、今度は正しくイライへと微笑み返した。
「だがまあ、君は強欲だからね。仕方ないだろう」
「はは……そう見えますか」
「君ほど熱情的な男を私は知らないよ」
言いながら微笑み続けるルキノは、自分が知る彼自身と然程の相違もないのだろうとイライは直感した。それは恐らくルキノもそうだ。親愛と言うには浅く、顔見知りというには深い間柄が、この世界でも生じているのだろう。イライは草臥れた笑みを僅かに柔らかくさせて、息を吐く。ルキノと話すのは楽だ。互いにそれとなく理解しつつ踏み込み過ぎない。その近くなく、ほんの少し遠い絶妙な距離がいつも有り難かった。
「恐縮です」
「褒めてはいないが、まあいだろう」
ルキノは徐に手を差し伸ばす。イライの方へ向かった指先は、その眼前に置かれたトレーへ。もっと言えば、トレーの中にあるサラダへと向かった。ふたつの指先が小皿の中にある花を摘み上げる。赤く色付いた薄い花弁を嫋やかに広げる花だ。名をビオラと言ったろうか。摘むだけで痕がつきそうなその花を、ルキノは齧るように口元に運んで、笑うような顔をして見せる。
「それに、恋とは可笑しくなるものだ」
"君"も、そうなんだろう?
歯に齧られた花弁が唇に挟まれ、押し潰されていく。草臥れた赤色を舌が絡め取って、器用に口内へと引き摺り込み、跡形もなく食い尽くす。花の末路を見つめながら、イライは息を吐きながら微笑んで、置き去りにしていたグラスを持った。薄くも鮮烈な赤を飲み込んだ胸裡は未だ重いまま、しかし不快感だけは漸くどこかへ消え去っていた。