作品のリアリティについてまずは情報収集について。
基本的に、世界観を構築する知識は本から得ています。文字で読んだ事柄に関しては記憶力がいいので、このあたりは学生時代に色々読み漁った経験が生きているのかなと思います。エッセイ本は重宝します。あとはテレビや海外ドラマで見たものとか。曖昧だったり不足している知識はネットで調べて、それでも足りないものは想像で補います。なんとなくです。
情報収集の仕方はいつもこんな感じですが、リアリティに関しては、ちょっと事情が違います。
どういうことか具体的に話しますと。
「その瞼に捧ぐもの」に関して、一番リアリティが必要だったのはキャスターの立場です。目が見えないということはどういうことか。想像では限界がありますし、キャスターが言っていた通り、障害の話はデリケートな問題なので、雑に書くことはできませんし、したくありませんでした。
幸いにも視覚障害者を扱った作品がいくつか手元にあったので、それらを読み返すことにしました。
その中の一つに、印象深いシーンがありました。
健常者である主人公が視覚障害の男性と出会い、友人となり、一緒に食事にいきます。主人公は男性に対し「スプーンはここ、フォークはこれ」「コップはここだから気をつけて」と教えますが、男性は笑って「子供じゃないんだから、できることは自分でするよ」と言いました。
これを見て私は、まさしく作中のオルタのようにハッとなりました。差別してはいけないと思いながら、「目が見えないのだから助けが必要だ」と思い込むことこそ、その人を「視覚障害者」だと差別していることに他ならないのです。
加えてその人物がキャスターとなれば、必要以上に助けを求めることは嫌うでしょう。何しろクーフーリンですので。できることは自分でやる、と人一倍努力していると思います。
実はあのシーンについて、マロ主さんのような感想を他にもいくつか頂きました。そう思われるのも当然といいますか、狙い通りといいますか。何しろ私自身がそう思ったわけですから、むしろそう思ってくれなくては困るというもの。
ちょっと具体例が長くなりましたが、これが私の書くリアリティの正体です。
なんてことはないです。私が本やネットで知って「そうなのか!」と思ったことを、手を替え品を替え、私の物語を読んだ人にも「そうなのか!」と思ってもらおうとしているだけなのです。
私は本が好きです。それがフィクションだとしても、私の知らないことがたくさん詰まってます。もちろん二次創作で萌えるシチュエーションを作ったり、キャラクターの内面を掘り下げていくのも楽しいですが、何より「知らないことを知る」ことが一番楽しいです。
鳥人の話も、鳥に関する記述は調べましたし、影法師のシリーズも、イタリアとアイルランド、お酒や美術品について細かく調べました。中国については、描写の細かい小説を読んだりエッセイ本を読みました。SFは想像するしかありませんが、いくつものSF作品を参考にしています。
それでも完璧には程遠いですし、知識も描写もまだまだ不足している部分はあると思います。精進あるのみです。
そしてもうひとつ。
私はなるべく、登場人物の「時間」「場所」「位置」の描写を入れるようにしています。こいつらどこにいるんだ、今は何時なんだ、立ってるのか座ってるのか等々。意識しながら書いています。
それを意識するようになったきっかけとして、ある作家さんの言葉があります。
「作者には、登場人物に対する責任がある」
登場人物をどれだけ詳しく描写するか、ハッピーエンドにするのか、バッドエンドにするのか。どんな過去を負わせ、どんな未来に向かわせるのか。それを決めるのは作者で、作者が負うべき責任なのです。
二次創作で何言ってんだという話ですが、「舞台俳優オルタ」と「盲目作家キャスター」に関して、その人生を描くことの責任は、私が負うべきものです。だからリアルを求めます。どんな世界で生き、どんな背景を背負い、そして何を感じて生活しているのか。そこにある人生を、私が放棄するわけにはいかないのです。
ええと。
長くなりました。本当に思い入れが強くて、熱く語りすぎましたね。申し訳ない。
質問に対する答えになっているかわかりませんが、正気に戻る前に締めておきたいと思います。
改めて、拙作を読んで頂き、マシュマロまでありがとうございます。
拙作で知らないことを知ってもらえたこと。驚きと感動を与えることができたこと。リアリティを感じてもらえたこと。大変嬉しく思います。
まだまだ書きたいネタは山盛りですので、これからもお付き合い頂けると幸いです。
ありがとうございました。