単なる構ってちゃんということだ「おい!」
聞き慣れた声だ。不機嫌を隠そうともしない声色に、私への怨嗟も滲み出ている、かわいい弟の声。
「……術、か。どうした?」
「どうしたもこうしたもない……!何故庶子のお前の元にばかり名士が集う?私の方が……私こそ袁家の正統なる血筋を受け継ぐ名族であるのに……!」
「ふむ……」
怒りでバタバタと振られている尻尾が愛らしいことこの上ないが、それを言えばまた怒り出すのだろう。幼い頃は仲が良かったと思っていたのだが、歳を重ねる毎に嫌われてしまったようだった。
「お前は少しばかり、……名族としての自尊心が強すぎる。それでは皆が萎縮してしまうのではないかな」
少しどころではない。自身が四世三公の出で有る事を存在理由としているかのようにも見える。
それだけ名族の地位に拘っているが故に、母の身分が低い私に度々突っかかってくるのだろう。
「フン!名族が名族として振る舞うのは当然の事だ。お前のように誰彼構わず受け入れていたら、名家としての格が疑われる」
「そうか。ならばこの話は終わりだ」
彼が考え方を改めることが無いのなら、これ以上何を言っても無駄だ。そして、術には名族としての矜持を捨てる事は決して出来ない。自分より下の者を受け入れろなど、無理な話なのだ。
「お、おい!」
踵を返して歩き始めた私を引き留めるように、慌てて術が声を上げる。
振り返ると、眉根を寄せて何かを言い淀んでいるような表情を浮かべている。その様子から察するに、言いたい事はあるが言葉にならないというところだろうか。
彼は昔からそうだ。感情表現が下手くそだから、いつも不機嫌そうな顔をしているように見えるのだ。だが、実際はそうでもない事は知っている。私が気付いていないと思っているのか、それとも素直になれないだけなのか。まぁどちらにせよ、彼のそういうところがかわいくて仕方がない。
「どうした?」
敢えて気付かぬ振りをして首を傾げてみると、術の顔が更に険しくなる。まるで苦虫でも噛み潰してしまったかのような顔だ。
しかしそれも一瞬のこと。すぐに諦めたように溜め息をつくと、視線を落としながらボソッと呟いた。
やはり私の見立て通りだ。
これは、言うべきか言わざるべきか迷っている時の仕草だ。普段であればここで助け舟を出してやる所ではあるが、今日は敢えて黙って様子を見ることにした。
案の定、しばらくすると意を決したらしく、ゆっくりと口を開いた。
「……お前は、どうしてそこまで寛容になれるんだ?名門の名を継ぐ者の義務とはいえ、出自の低い者を傍に置くというのは耐え難い屈辱ではないか?」
成る程、そういう質問か。確かに私は今まで自分の意思で名士を受け入れたことは殆ど無いと言って良い。それは全て周りからの勧めによるものだ。だが、それは決して自らの意志に反するものではない。
「別に苦痛と感じたことはないな」
「嘘をつけ!貴様はそんな男ではないはずだ!」
何故そこで怒られるのかが解らない。そもそも名族である事に固執するのは、他ならぬ術自身だというのに。
名族の誇りとは一体何だろう?例えば袁家の嫡子であったとしても、私自身は凡庸な人間に過ぎないと思うのだが……。それに名族であるという事は、必ずしも幸福を約束するものでは無い。
「嘘ではないぞ。私にとってはお前こそが理解不能な存在だよ」
「どういう意味だ!?」
今にも掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ってくる。
本当に、こういう所だけは昔のまま変わらない。幼い頃はこんな風にじゃれ合う事も珍しくなかったのにな。いつの間にか私に対する対抗意識が強くなり過ぎてしまったようだ。
「そのままの意味だ。何故お前はそこまで名族であることを気に病む?名族であろうと無かろうと、私達はただの人だろうに」
「……それが当たり前の感覚だとでもいうつもりか?」
「少なくとも、名族である事が全てにおいて優先されるわけではないさ」
名族はあらゆる特権を持つ。それ故に様々な場面で優遇されやすいのは事実だ。だが、それはあくまで一側面にすぎない。名族であるが故に背負わねばならない責任もある。名族としての責務を果たすために、己を殺して生きる事もある。
名族である事で得られる恩恵と、それに伴う不自由さを天秤にかければ、果たしてどちらが重いと言えるだろうか。
名家に生まれた者は、その重みに耐えなければならない。名族であることの代償はあまりにも大きく、そしてそれを享受する事は容易ではない。
だからこそ、名族として生きてきた者達は、いつしか名族としての生き方に染まっていく。それは一種の呪いのようなものだ。名家として生まれた者ならば誰もが一度は経験する通過儀礼とも言える。
私もかつてはそうだった。袁家の名に恥じぬよう、常に正しくあらねばと思っていた。むしろ庶子だからこそ、より名族足らんと振る舞っていたように思える。だが、そう思えば思うほど、私の中にある矛盾が浮き彫りになる。
名族としての振る舞いが、私を苦しめる。名家に生まれなければ良かったとさえ思ったこともある。
だが今は違う。今の私は、自分が名族である事を誇らしく思えるようになった。名族として生きた年月は決して無駄ではなかったと胸を張って言える。
名門袁家として、そして袁本初個人として、その折り合いがようやくついてきた気がした。
「庶子とはいえ、私も名族の端くれ。我が血統に対する誇りは少なからずある。だがそれは必ずしもお前と同じではないということだ」
「わ、私は……お前のためを思って言ってやっているのだ……!」
「その気持ちだけで十分だ。私はお前に感謝しているよ」
術は昔から私に対して何かにつけて突っかかってくる。そして、私が術の言葉に耳を傾ける事を良しとしないだろう。
だが、それでいいのだ。彼は私と同調する事を酷く嫌がる。一応彼なりに私の事を心配してくれてはいるらしいのだが。決して素直になれない性格なのだから、こちらから歩み寄るしかない。
「だが、お前だって本当は……」
「もう話は終わりだと言っただろう?」
これ以上話すことは何もない。術には悪いが、この話はこれで終わりだ。
「それとも、まだ他になにか言いがかりをつけたいのか?」
私のやる事なす事全てにイチャモンを付けてくる従弟は、ぐっ、と言葉に詰まったようだった。
「そろそろ諦めたらどうなんだ?私が誰を傍に置くかなど、お前には関係ないだろう?」
私がいくら突き放そうとも、こいつは諦めようとしない。まったく、諦めが悪い奴だ。
そんなに私に構ってほしいなら、もっとわかりやすく好意を示してほしいものだ。まぁ、そういうところがかわいいんだが。
術は私を睨みつけながら歯軋りをしている。まるで親の仇でも見るかのような目つきだ。
「お前はいつもそうだ!私を馬鹿にして!」
「馬鹿にしているつもりはないが、お前は少し頭が固いところがあるな」
「何だと!?」
「もう少し柔軟な考え方をしてみてもいいんじゃないか?」
「貴様に言われたくない!」
相変わらず噛みついてくるな。
術は名門の名を継ぐ者として、常に周囲の期待に応え続けねばならない重圧があった。名族としての誇りを胸に、弱音を吐くことなど許されない。
そんな彼が唯一甘えられる相手、それが私なのだ。
「ふん!お前はいつまで経っても子供のままだ!嫡流である私を敬う気がないのか!?」
「はは、まさか。敬っているとも」
「嘘ばかり言いおって!」
ひどい言われようだ。これでも最低限の敬意は払っているつもりだったのだが。
肩を竦めて困り顔で笑うと、術は更に怒りを募らせたようだ。
「大体、お前はいつになったら私に頭を下げるのだ!!」
「お前はいつになっても態度を改めんな」
「当たり前だ!!従兄とはいえお前のような男に誰が頭を垂れるか!」
感情的に喚く従弟の姿は私にとっては見慣れた風景だ。しかし、他の者はどう思うだろうか。
「それが驕りだと、私は思うぞ。お前の元に名士が集わない理由。そして、私がお前に頭を垂れない理由だ」
「!!」
最早怒りで言葉すら出ないようだった。髪が逆立ち、尻尾も膨らんでいる。今日は随分と怒っているなぁ、などと私は考えていた。
「なに、お前に理解など求めてはいないさ。お前も大概頑固だからな」
ポンと桃色の頭に手を置けば、即座に振り払われる。
「無礼者め……!軽々しく触るでない!」
「これはこれは失礼」
わざとらしく謝れば、術の機嫌はさらに悪くなったようだ。眉間に深いシワを寄せ、こちらを威嚇してくる。
これ以上ないくらいに術の機嫌が落ち込んだところで、私は誘いをかけた。
「では、これから一緒に茶会と洒落込まないか?」
「ふざけるなッ!!!お前と違って私は忙しいのだ!戯れ言を言う暇があれば政務を片付けろ!!」
「それは残念」
やはり断られてしまった。まぁ、予想通りではあるが。先に声を掛けてきたのはそっちであるのに、全くもって理不尽だ。しかし、そんな理不尽さえも面白い。
私はこの男が嫌いではないのだ。むしろ好ましく思っていると言っていいだろう。
私の周りは敵だらけだ。その点、こいつだけは例外と言える。少なくとも私に対しては素直だし、こうしてイチャモンばかりだが話しかけてくるし、なにより本当に嫌いならば相手にすらしないだろう。
私にこうして吹っ掛けてくるのも、構ってほしいからだと言うのは明白だった。
それだけに、どれだけ理不尽な言いがかりをつけられても微笑ましく思えてしまうのだ。
「いい加減素直になれば良いものを……」
「何か言ったか?」
私の呟きに反応して術は目を細める。
「いや、なんでも無いよ」
そう言って笑えば、「また馬鹿にして!」などと言いながら怒ってくる。まったく、可愛い奴だ。ついつい本音が口から溢れてしまっていたようだ。
「お前は可愛いな」
「……!何を言っているんだ!お前は!突然気持ちの悪いことを言うんじゃない!」
顔を真っ赤にして反論する姿もまた愛らしい。
「何と言われようと、私はお前を可愛く思うぞ」
「〜っ!!!もう知らん!勝手にしろ!」
怒って去って行く従弟の姿を見送りながら、自然と口元には笑みが浮かぶ。口ではああ言っていても、尻尾がピンと立ってゆっくり揺れている様子からみて、満足しているようだ。
毎回毎回こうやってイチャモンをつけては見かけだけは怒って去っていく。かわいい奴だと思う。
少しからかい過ぎたような気もするが、そうだとしても存外寂しがり屋で甘えん坊な奴の事だ。またすぐにでも絡んでくることだろう。
私が声をかけると必ず反応して噛み付かんばかりの勢いで文句を並べ立てるものだ。あれはなかなか愉快だ。
クスクスと笑っていれば、術の代わりに曹操が私の元へとやってきた。
「本初殿。機嫌がよろしいようで」
「曹操。ふふ、まあな」
「袁術殿ですか?相変わらずですね」
苦笑いをする曹操に、私は呵呵と笑う。
「あれでもかわいい従弟だからな。なに、どうということは無いさ。それ以上でもそれ以下でもない」
「そういうものでしょうか」
「私にとってはな」
私にとってあの男はある種特別な存在なのだ。特別という言葉で括るのは少々違う気もしたが、他に当てはまる言葉がない以上仕方あるまい。
「貴方は変わった人ですよね」
しみじみと言われると、それはそれで傷つくものがある。別に普通だと思っているのだが……。
「よく言われるが……そんなに変わっているかな」
うーんと首を傾げれば、彼はくすりと笑う。
「袁術殿も仰っているように、貴方は名族だけれど、名族らしくない」
自分ではよく分からない。変わっているというのは周りから見た場合であって、自分にとってはこれが普通の事であった。
「それが悪い事とは思いませんよ。物事は常に変化していますから。今は異端でも、そのうち本初殿の振る舞いが本流になることだってある」
「……孟徳……。そうなれば良いと、私は思う。世が乱れている今こそ、才ある者等と交わり、天下を治めねばならん」
今の世の中の流れは激流の如く移り変わっていた。漢王朝の権威が衰え始めている今、皇帝が誰になろうとも不思議ではないのだ。
しかし、私は漢の臣。帝の元で四世に渡り三公を務めてきた。私が帝をお支えせず、誰がその役目を担えると言うのだろうか。
「全く以てその通りです。流石は本初、わかっていますね」
「何を偉そうに!」
「ははは!」
私達は顔を合わせて笑い合った。
「そういえば、お前の用件を聞いていなかったな」
「いえ、特に用は無いのです。宮中に参りましたのでご挨拶を、と」
「そうか。ならばこれから息抜きに茶でもどうだ?弟に断られて寂しい私の相手をしてくれないか」
視界の端に黒い尻尾がチラついていたので敢えて聞こえるように言ってやった。
「それはよいですね!早速行きましょう!」
曹操も私の意図を瞬時に察して、わざと大きな声で返事をする。その時の悪い顔と言ったら……。
「そうだな!すぐに行くとしよう!」
これでまた奴が怒鳴り込んで来ることだろう。その未来を想像して、私は愉快な気分になったのだった。
おわれ