APPETIZER下校中に物憂げなため息が隣から聞こえ驚いて千早は藤堂の方を見た。夕暮れに照らされた横顔は何処か寂しそうで深刻そうで、なんだか放ってはおけなくて声を掛けた。
「藤堂くん、なにか悩み事でも?」
「ん?あー…」
ため息は無意識だったようでそんなに顔に出ていたかと藤堂は目を伏せる。言おうか、言わまいか数十秒ほどしっかり考えて意を決した雰囲気で口を開いた。
「妹がよ…最近妙にお手伝いしたがるんだけどよ…」
(それの何が問題なんだ…ていうかお手伝いって単語可愛いな)
神妙な顔で話すので千早は突っ込むのを控えて先を促す。『対妹さん向け語彙が可愛いですね』なんてさすがに今言うことではないとわきまえていた。
「うちお手伝い1回毎に100円システムなんだけど…最近やたらとお手伝いするって言っててよ。小遣いは別で渡してんのに小学生がそんな金必要なんかなって。」
まさかいじめ?と深刻そうな顔で悩みを吐露する。
「藤堂くんはいじめる側でしょうからともかく妹さんはそんなこと無いと思いますけど」
「なんでそんなチクチク言葉言えんの?え、話聞こえてない?」
「あはは、語彙が可愛かったのでつい。そうですねぇ、本人に聞くしか無いのでは?」
誰の誕生日でもない今の時期にある程度まとまった金銭が必要な理由は思いつかず、正攻法で行くしか無いとアドバイスにもならないアドバイスをした。藤堂も薄々それしかないと思っていたようで素直に頷いた。
「明日の昼うちに来て千早から聞いてくんね?」
千早になら家族に言えないことを言いやすいだろうと藤堂なりの気遣いでお願いだった。
「スタバで手を打ちましょう」
ラーメン1杯分に匹敵する値段とカロリーの要求に苦渋の表情で藤堂は首を縦に振って明日の午後に合う約束をしたのだった。
翌日、家を出る前に千早は鏡の前で全身をチェックした。
黒地のTシャツの上に白地で黒ストライプの開襟シャツを羽織る。ズボンはグレージュのスラックス、ストライプシャツの裾を緩く入れ、シルバーバックルの黒いベルトを締めた。派手すぎず地味すぎず、清潔感もあるので及第点だなと評価して時計を見ながら玄関を出る。
何か手土産をと考えながら駅まで歩くと新しく出来たというドーナツ屋が目に入り此処で良いかと定番と限定を混ぜて買って電車に乗った。
むかえに行くから駅で待ってろと藤堂からメッセージが入りスタンプを押して返事をする。
真夜中のディスカウントストアにたむろする輩みたいな格好で立ってたらどうしよう。それはそれで面白いかも知れないと思って脳内で勝手に想像してニヤつく頬をまっすぐ戻しながら改札を出る。藤堂は目立つのですぐに見つかった。
黒のVネックシャツに細身のジーパン、スニーカーは卸したてなのか真っ白だった。
『俺の彼氏スタイル良すぎ……脚長っ……腹立つな』
体のラインがしっかり出る格好をみるのが珍しくて思わず眩しいものを見るようにきゅっと目を細めた。素材が良すぎて適当な格好でもモデルのように様になっていてそれがどこか誇らしいが腹立たしさが先に出る。
「千早ーわざわざわりぃな」
藤堂から近寄って声を掛けられて我に返り曖昧に頷いた。ボーっとなどしていられない、今日はデートの前に大事なミッションがあるのだ。妹からお金を貯める理由をうまいこと聞き出さなければいけないのだから。
自宅のドアを開けるやいなや藤堂に向かって妹が飛び込んできた。後ろに千早が立っているのに気づくと少し恥ずかしそうに離れる。相変わらず微笑ましいと思いながら千早は目線を合わせるように屈んで土産を手渡した。
「こんにちは。これよかったら皆さんで」
「新しいドーナツ屋さんのだ!」
「俺の家の近くにできたので。」
女子は基本的に新しいものと甘いものが好きだ。それは藤堂家も例に漏れず、姉も「さすがしゅんぺー」と感嘆の声を上げていた。
「餌付けせんでいいのに」
「そんな大した個数入ってないですよ。いつも晩ご飯までご馳走になるのでお礼です」
「気にすんなよ」
むしろそこで姉妹の好感度をあまり上げないで欲しいと思いながらグイグイと自分の部屋に千早を押し込める。
どう聞き出すか作戦会議をしようとしたそれは出来ずに終わった。話し合う間もなく部屋に姉妹がお茶を持って部屋に入ってきたからだ。
テーブルに置いたらでていくと思っていたが一向にでていく気配がない。それどころか姉から「ほら、ちゃんと言いな。あたしこれから仕事だから早く言わないと行っちゃうよ」と妹の背中を押しているので二人は緊張し思わず背筋を伸ばした。
『まさか恋バナ?』
『恋バナなのか!?』
視線だけでそうやり取りする。もしそうならどうしようと二人でハラハラしていると妹が意を決してポケットから可愛い財布を取り出して中身を全部テーブルにぶちまけた。
百円玉が24枚と五百円玉が2枚。おそらく全財産なのが分かった。
もじもじする妹と、テーブルの硬貨を交互に見て話をするのをじっと待つとようやく口を開いた。
「あのね…これでね…しゅんくんの時間買いたいの」
「えっ?」
「はぁっ?」
とんでもない言葉が聞こえた気がして動揺を露わにする二人をよそに妹は言葉の先を続けた。
「じきゅうって1200円くらいって先生言ってた。3時間にはやっぱり足りない?」
完全にフリーズして役に立たない藤堂を置いて千早は考える。学校の社会の授業が何かで金銭に関するなにかを学んだのだろう。時間を買うとは随分刺激的だが情報社会で生きる子供は思っているよりもずっと大人なのかも知れない。手伝いを自ら積極的にしていたのも千早の時間を現金と交換しようとしていたからだった。藤堂の数倍以上賢い大人びた手段に、そのいじらしさに歯がゆい気持ちになる。
千早は困ったように眉を下げて柔らかく微笑んでからテーブルの上の硬貨を丁寧に集めて財布に戻して妹の掌へ優しく手渡した。驚く妹の目を見つめて努めて優しく声を掛ける。
「お金は受け取れません。」
「だめ?」
「お金なんて無くても君の頼みならいつでも聞きますよってことです。俺と藤堂くんとなにかしたいんですよね?」
お願いですからこれは大事に取っておいて、と財布を握らせるように手を包んだ。
「……来週学校で発表会があるから……しゅんくんにお洋服えらんでもらいたいの」
「俺で良ければ喜んで。じゃあ早速行きましょうか、ほら藤堂くんも。って、なにぼーっとしてんですか。」
「お、おお…」
トーベ・ヤンソンがデザインした北欧が舞台のトロールによく似た顔をしていた藤堂はそこでようやく我に返る。
「今日いいの?」
「もちろん。荷物持ちはいますからね」
「…ッス…。」
駅前のモールで良いかと話しながら玄関に向かったタイミングでいつの間にか席を外していた姉が現金の入った封筒を千早にこっそりと手渡した。これで購入してきてほしいと目配せされて、千早は軽く頷く。実の弟に渡さず千早に渡した理由は藤堂はいまだ油断をすればすぐにトロール顔になるので役に立たないと思ったのだろう。姉の選択は正解だった。
どうして姉妹はこんなに賢いのに真ん中の弟兼兄はアホなのだろうかと心底疑問に思った。
ショッピングモールについてから過ごす時間は千早にとっては短く、藤堂にとっては長く感じた。女児の服はよくわからないが元々レディースコーナーに入ることに何の抵抗もない千早は妹と手を繋いで店内に消えた。藤堂は少し遅れてなんとかついていく。
「何木の役Aみたいに突っ立てるんです?これ持っててください」
「あ、はい」
「これどうですか。」
藤堂に自分のボディバックを渡して千早は上から下まで一式を数点選んでセットアップしていく。
赤と紺のチェックのキャミソールワンピース、リブの入ったインナー、バーガンディーのカラータイツ。
淡いピンクのフーディーと同系色のピンクのプリーツスカート、白のレース靴下、躊躇無く手にとった。
「お姫様みたいで可愛いですよ」
「発表会は何をするんですか?」
そんなふうに優しく声を掛けて試着を進めていく中で一人藤堂の思考回路はショート寸前だった。自分にそんな優しくしてくれたことあったっけ?という疑問と、妹と実の兄妹のように仲良くしてくれて嬉しい気持ちと、君は俺の彼氏でしたよね?というちっぽけな嫉妬、それでも眼の前で世界一好きな恋人と世界一可愛い妹がきゃっきゃしている光景は絶景で、いよいよ顔が虚無から戻らなくなった。
「あー…どうせなら発表会以外でも着てもらいたいから靴も合わせたいですね…足のサイズどれくらいですか?」
「えと…20センチ…」
靴分まで入れると姉から貰った資金からでは到底はみ出る。ショート手前だった思考がようやく晴れてここで兄の出番かと思ったところで鋭利な言葉の矢が真正面から刺さった。
「靴は俺からプレゼントさせてくださいね」
「しゅんくんいいの?」
「楽しませてくれたお礼です」
あまりに完璧なエスコートで全女性が羨むショッピングデートに藤堂はついに膝から崩れた。突然がくりと膝をついた兄をみて妹が心配の声を上げたが千早はそんな藤堂の様子を気にする風でもなくさっさと会計を済ませる。
「はい、藤堂くんは荷物持ちお願いしますね。」
にっこり笑いながら紙袋を2つ押し付けられて恭しく受け取るしか出来ない。もとよりその係があるからこそ、ここに立っていられるので大人しく仕事を全うするしかなかった。
「藤堂くん膝になんか来てるみたいですしちょっと休憩しましょうか」
そういってモール内のカフェに入る。先席取っててくださいと兄妹にお願いしてさっさとレジに並ぶ。四人がけの席に座って全てをスマートにこなしてる千早をみて益々妹の目が輝いていく。
「しゅんくん王子様みたい」
それには確かに、と藤堂も素直に頷いた。さらりと嫌味無くエスコートができて女性物しか無いコーナーにも抵抗もなく堂々入るのも、一緒に率先して服を選ぶセンスの良さも、男が女児といるのに何の疑問も抱かせないようなスマートな自分の見せ方も、相手は女児なのに一人の女性に接するような話し方もおおよそ藤堂には真似できそうにない。
「しゅんくんだけは駄目だぞ。…………にーにのだからな」
ライバルが実の妹になるのは流石に地獄すぎると小声で釘をさす。喧騒でよく聞こえなかったのと内容がよく理解できなかった妹は小首をかしげた。その姿に手のひらを返して『はい、俺の妹可愛い、優勝』などブラコンが内心で炸裂する。
「?」
「なんでもない。何言ってんだろうな俺」
「本当ですよ」
ちょうど良すぎるタイミングで千早が3人分の飲み物が乗ったトレーを持って戻ってきた。
「聞いて!!?」
「無いですけど、なんとなくわかりました。」
だって俺、君の彼氏なんで。と言外に含んだ物言いで席についた。千早の隣に妹、正面に藤堂となる。
千早にはおおよそこの男の考えていることなんて手に取るようにわかった。妹と自分が仲良くしているのが心配なのだろう。なびくことなんてあるわけ無いのに全く可愛いところがある。
大人びていても身体は子供ではしゃぎ疲れて眠そうな妹の頭がこくこくと前後に揺れるまでそう時間はかからなかった。
「寝ても帰りは藤堂くんがおんぶしてくれるから大丈夫ですよ」
と千早が安心させるように言うとゆるゆる瞼が落ちて千早と反対側の方へ体が倒れそうになる。
「おっと、」
言いながら小さな肩を抱いて自分の方へ引き寄せる。少し藤堂の表情が曇るのを千早は見逃さなかった。
「自分の妹に嫉妬はさすがにやめてもらっていいですか?」
「なっ…」
わかりやすいなとクスクスと笑いながらちょいちょいと手招きをして藤堂の顔を自分の方へ寄せる。無防備に近づいてくる藤堂に大きなショッパーをテーブルにわざと置いて見えないようにしてから頬にちゅっと音を立てて触れるだけの一瞬のキスをする。
「俺がこういう事するの君にだけですよ。」
犬歯を見せて心底面白そうに笑う千早に藤堂は空いた口が塞がらない。小悪魔という三文字が脳裏をちらついた。
「あはは、今日ほんとおもしろい顔ばっかですね。そろそろ帰りましょう。妹さんお願いしますね」
言いながらトレーに空いたグラスを片付けてショッパーを肩に下げる。藤堂はぎこちなく頷いて妹を軽々おんぶしてカフェを出て帰路につく。
「嫉妬しちゃう可愛い藤堂くんにも今度コーディネートしてあげますね。頭から爪先まで。なんならパンツまで」
「パンツだけはどぎついの持ってきそうだから遠慮しとくわ。なぁ、今日姉貴遅いからうち泊まってかねぇ?」
「まぁまぁ遠慮なさらず。君の家が良いならそうします」
「一人増えても変わんねぇよ。こいつも喜ぶし」
「ファッションショーしてもらわないといけないですしね」
そんな事を言い合いながらいつもよりゆっくり歩いて藤堂家に戻った。目覚めない妹はそのまま器用にソファに寝せて、手を洗って台所に立って夕飯の支度を始める藤堂の後ろ姿を千早はダイニングの椅子から眺めた。
温かく明るい部屋に、家族がいて、リビングから夕方のニュースが流れてきて、台所から夕飯の支度がする音と匂いがする。両親が多忙を極める千早家の夕方にはおよそ見れない光景は眩しかった。
「ん、どした?なんか飲むか?」
じっと見ている事に気付いた藤堂がふっと振り返って声を掛けた。千早は首を横に振る。
「あ、いえ、なんか良いなって思って」
「何が?」
「家族とこうやって外出したり一緒に過ごすのってあんまり無いんでこういうの、なんか良いなって。」
「うちの家族になるか?」
「あは、プロポーズとしては5点ですね」
スッと椅子から立ち上がって藤堂の横に並ぶ。リビングを一瞥したが妹はよほどはしゃぎ疲れたのか起きる気配がない。
「ひっく。え、何点満点中?」
「5点満点です」
「っんだよ、満点じゃん」
「君は誰の彼氏だとお思いで?」
そう言って首に腕を絡めて挑発するように好戦的に見つめる。顔を近づけると先んじて目を閉じた藤堂の顔を満面の笑みでじっくり見つめてから鼻先にちょんと口づけてすぐに離れた。
思っていた場所とは違うキスに面食らう藤堂に千早は耳元で囁いた。
「これはほんのアペタイザーですよ。デザートは最後でしょう?」