愛の呪い「死んでも蘇れる呪いってないですか。」
ベッドの中で不穏な言葉を聞いたセイロンは言葉をつまらせた。
聞いた言葉を反芻する。呪いとはいささか物騒な話だ。
「あるわけなかろう」
「え〜〜〜〜一個くらいなんかないんですか?」
「………寝食もできなくなるし理性も失ってもいいなら無くはないが。」
「うーーん……白米が食えないのはちょっと…」
「そらみたことか」
「そうそう都合のいいことはないんですねぇ」
「あるわけなかろう……」
「じゃあ頑張って長生きしてできる限りセイロン殿の隣におりますね」
「あと百年くらいか?」
百、と聞いてシンゲンは固まった。百歳まで生きれるかどうかも危ういのにプラスされては堪らない。
「御冗談を。人間はそんなに長生きできないって知ってるでしょうに」
「頑張るって言ったではないか」
「えぇ〜……ま、やれるだけやりますか。もし自分が死んでも絶対転生してまたセイロン殿のことを見つけますから、そこは楽しみにしててください」
「転生か。無くはないだろうが……記憶を持って生まれ変わるなど聞いたことがない」
「絶対、絶対です。指切りしましょう」
そういって、ずい、と立てた小指をセイロンの小指に絡ませた。幼子がするような戯れに二人は約束が果たされることを祈らずにはいられなかった。
――あ、死んだな
シンゲンは瞬間的に死を悟った。
暴走した召喚獣が引く馬車の進路の先に子供がいるのを見てしまった。下敷きになる事は想像に容易く、それを放っておけなかったのだ。
子供の襟首を引っ張り遠心力のまま歩道に投げて、その反射で道路の真ん中にシンゲンの身体は投げ出された。
そうして、つんざくような悲鳴の後にシンゲンの視界も意識も闇に包まれる。痛みを感じる暇はまるでなかった。
享年35歳。
百年には程遠い道半ばにて、あっけなくシンゲンの命の灯火は消えたのだった。
突然の訃報に誰もが驚く中、セイロンだけは淡々と丁重に荼毘に付す準備を整え実行に移した。
赤々と燃える炎を黙して見つめる瞳は無感情で、無表情だった。セイロンの御身を心配するのは無礼だといわんばかりの態度を貫いた為、誰も何も言わなかった。
その後まもなくして、セイロンは形見ともなる刀を携えて自分の仕事を遂行すると話しトレイユを出る。非情にも映るそれが、セイロンの心を自衛する唯一の手段だった。
ほぼ同時期に大道都市タラントのシルターン地区にて、命が誕生したことを誰も知る由がない。
――生まれたときから、なんとなく自分が人と違うのだと分かっていた。
物心がついてから自分の本当の名前はシンゲンで、事故で死んだという明確な記憶があった。そのことを人に話すとからかわれ馬鹿にされるか、気味悪がられて誰も信じてくれない。
事実なのに、ありもしないことを話す子供と評されて、両親からは気味悪がられる。だから他の兄弟とも近所の子供とも幼少から上手く馴染めなかった。
出自に反して妖術の類は何も使えなかったが、何故か刀の扱いだけは誰よりも上手かった。それだけは天賦の才能だともてはやされた。
それはそうだろう。自分の生まれはタラントではない。そもそもリィンバウムではない。本当の生まれはシルターンの東にある小国だ。優しい姉がいて、実家は剣の道場だったから当たり前に生活の中に刀はあった。
結婚する姉さんの邪魔になりたくなかったし、誰かを傷つける剣道も嫌だった。刀なぞ捨てて芸事で生きていこうとして…………その後の記憶はなぜかあやふやだった。
誰かと何かを約束した気がするが思い出せない。
いつも、何かを忘れている違和感がつきまとう。『思い出せ』と内なる自分が叫んでいるのを聞きながら18年生きてきた。
全てがなにかおかしいままで、自分の名前すらおかしく感じて、本当に気が狂ってしまいそうだった。耐えきれず、成人を迎える前に刀と三味線を持って両親からつけられた名前も捨てて家を出た。この敷居の外から自分の名前はシンゲンだと名乗って生きよう。それが当たり前のように思ったし事実馴染んだ。思い出せとしきりにせっつくもう一人の自分もその時ばかりは大人しくなったのでおそらくそれで正解なのだ。
幸い兄弟は他にもいる。不出来な息子が一人いなくなっても誰も困らない。
「いやぁ……本当に困らなさそうだ」
タラントを出ても誰一人追ってくることもない事実に青年、シンゲンはメガネを押し上げながら苦笑をこぼした。
草木染の着流しに、細々とした物が入るポーチ、下駄というあまりにラフな出で立ち。到底これから当てのない旅をするようには見えない。けれど、この格好が何故か一番しっくり来た。
家から盗んできた地図を見ながらとりあえず記憶にあるトレイユの町に向かうことを目標とする。タラントからはそう離れてもないし、唯一山越えもせずに済む。徒歩で数日かかるがなんとかいけそうな最寄り町。
剣で食い扶持を稼ぐのは正直嫌で気が進まなかったが歌の才能には恵まれなかったので致し方ない。幸いまだ金に困るようなタイミングでもなく野宿もしやすい気候だ。これ幸いとシンゲンは野宿を繰り返し道程を歩んでいく。
近づくにつれてざわざわと心臓が拍動し皮膚がピリつく。柄にもなくどうやら緊張をしていることにシンゲンは自分のことながら驚いた。
刀の柄に手をそっと掛けて何かに警戒しながらトレイユへ続く大石橋を渡り水車小屋を横目に歩く。
ここを誰かと一緒に歩いたはずだと、視界いっぱいに映る黄色の路端に咲く花が記憶を思い出させる。
『菜の花が咲いているな。』
『本当だ美味そうですね』
『食うのか?』
『うちではご馳走でしたよ。食すのは花が咲く前の物ですけど』
『ははっ花をみて美味そうとは』
『あっ、食わず嫌いはよくないですよ』
『すまぬ、そういうつもりでは…くくっ、本当に色気がないなシンゲン。まさに花より団子だ』
そうだ、そういう会話を確かにした。足元ではイヌマルがちょろちょろと歩き回っていて、穏やかな春の日差しを浴びながら確かに誰かと笑いながら歩いた道。
今生では存在しないはずの鮮明な記憶。隣を歩いていた誰かだけが思い出せない。忘れてはいけなかったはずだ。思い出せない事がこんなに苦しいと思わなかった。自然と眉間にしわがより、表情が険しくなる。
ため息をこぼして、少し休憩をしようと街道を外れて見晴らしの良い丘に登った。地図を開いて、ここが星見の丘と呼ばれていることを知る。
木にもたれるように座り木漏れ日の隙間から空を仰いだ。確かに名前通り夜には満天の星が何も邪魔されること無く見えるだろうなと想像する。フラッシュバックする記憶。
『月見酒もたまにはよかろう』
『あ〜〜〜最高ですねぇ、上を見たら綺麗な満月で、眼の前には美味しいお酒と負けないくらい綺麗な貴方がいる』
『なんだ、やけに饒舌だな。褒めてもこれ以上は何も出せぬよ』
『幸せってこういうことをいうんですね』
『お主は白米を頬張ってる時が何より幸せそうに見えるがな?』
『それもまた、別の幸せってやつですよ』
トレイユ周辺に近づくにつれて幸せそうに笑う自分と誰かの記憶が波のように寄せては引いていく。隣にいる人の顔も名前も思い出せない。肝心な事が何一つ思い出せない自分が情けない。もう何も思い出したくないと赤朽葉色の瞳を閉じて頭を両手で抱えてうずくまる。泣きたい訳ではないのに涙が溢れて止まらない。
「う…ぐっ……うぅ〜〜〜」
悔しい。悲しい。寂しい。恋しい。
それら全てがぐちゃぐちゃに混じり嗚咽を漏らす。こんなにも乞い願っているのに、何もわからない事が悲しかった。
獣のように、迷子になった子供のようにシンゲンは滂沱と泣いた。
「もし、お主……大丈夫か?」
穏やかな声が頭上から突如流れ星のように降ってきて、シンゲンは息を止めた。
泣いているのを見られたことによる羞恥で顔に熱が集まっていく。顔をあげることができない。
「具合でも悪いのか?顔をあげられるか………?もしや、耳が聞こえぬのか?」
心配そうな声をあげる主になんと返事したものか考えあぐねいていたが、よくよく聞くと記憶の中の声と似ている。まさか、とシンゲンは弾かれたように顔を上げて声の主を見た。
真紅の三白眼と艶やかな髪、竜人族特有の角、小綺麗なシルターンの民族衣装に包まれた体躯。
記憶が雷に撃たれたかのように駆け巡ってパズルのピースのようにはまっていく。
「あ……」
「お主―」
「…ィ……ン……の?」
「ん?なんと?」
龍姫探しと体よく言ったものの半ば傷心を癒やすための旅にでていたセイロンはこの度シャオメイに進展を聞くべく数年ぶりにトレイユに戻ることに決めた。定期的に戻ってはいたがトレイユでじっとしているとどうにも辛くなって、龍姫探しと言い訳をつけてぶらりと年単位で外に出ては戻ることを繰り返す生活だった。
今回もその道中だったが、前回と違うのは二人の思い出の地でもある星見の丘で何かがうずくまっているのを見つけたことだった。犬かなにかだろうかと思って好奇心で近づいたら人間だったという訳だ。その人間の顔が亡くした恋人に似ていたのでセイロンは少々驚いた。
男の方はというと、顔を涙でぐちゃぐちゃにするほど泣いていたのに顔を上げてセイロンの顔を見るなり動かなくなった。震える唇が何かを言ったが聞き取れない。聞き取ろうとセイロンが半歩近づいて腰を下ろした瞬間、男が突然動いた。
「セイロン殿!!」
「っ!!?」
名乗ってもいない自分の名前を呼ばれた。そのまま両腕を突き出して、抱きつくように胸元めがけて高速で突進されてはたまらず、セイロンは胸に青年を抱えたまま後ろに倒れ込んだ。まともな受け身も取れず鈍い衝撃が背中と後頭部に走る。
「っ……なん」
「自分です!シンゲンです!セイロン殿、ずっと、ずっと会いたかった……!」
したたかに打った後頭部の痛さに顔をしかめ、文句を言おうと口を開いたセイロンに構わずシンゲンは興奮した声を上げた。
ようやく思い出して約束を果たせる高揚感に興奮状態のシンゲンにセイロンは理解が遅れる。
ゆっくりと上体を起こして膝の上の無礼な青年をまじまじと見た。
記憶の中のシンゲンよりも幾分幼いが姿形は亡くした恋人そのものだった。おまけにまだ名乗ってもいないのに名前を呼んだ。あり得ない、あり得るはずがないと思うのに、セイロンは震える唇を開いて問う。
「本当に…シンゲンなのか?」
「指切りしたじゃないですか。絶対に見つけるって」
二人しか知り得ぬ約束を言われてセイロンは息を呑む。まさか、そんな事がと猜疑的だった気持ちが真実へ確信めいてきてじわじわと気分が高揚するのが分かった。
「本当にシンゲンなのだな」
記憶の中より一回り小さい体を抱きしめて肩に顔を埋める。懐かしい匂いがした気がした。
「向こうでゆっくりしなかったのか。せっかく我が丁重に送ってやったのに」
「貴方をひとりにさせたくなかった。多分人類史上最速で転生してやりましたよ」
「それは重畳」
ぎゅうぎゅうと抱き合って互いの温度を確かめあう。なぜ、だとか、まさか、だとかはもう考えなかった。
「おかえりシンゲン」
「ただいま戻りました、セイロン殿。」
ようやく顔を見つめる。セイロンの何も変わらない姿にシンゲンは嬉しくなって、セイロンの額に自分の額を押し当てた。鼻先を寄せて、そのまま唇を重ねる。触れるだけのそれは数秒で離れた。
「これ、外だ…」
「だからやめたじゃないですか」
おもむろに手を引いて立ち上がり二人はトレイユへ向けてゆっくりと歩き出す。シンゲンの指先がセイロンの指に絡まったがセイロンはそれを振り払うことはしなかった。ゆるく握り返すとシンゲンは破顔した。
「死んでも蘇れる都合のいい呪いって愛なのかもしれないですね」
「次死んだらもう許さんからな」
「次こそ目指せ120歳ですね」
「無論」
トレイユの町がもう眼前に見えていた。