2月14日、放課後。
家に来ないかと千早に誘われて一つ返事で了承したものの、いざ部屋に入ってから落ち着かない心持ちだった。まるで告白する直前の緊張感。バッターボックスに立つ前とは違った種類の緊張に心臓が口から飛び出そうだった。
今日はバレンタインと言うことで例に漏れず藤堂のバッグの中には既製品のバレンタインのチョコレートがひっそりと存在を主張している。
手ずから作ろうと思ったもののバレンタインはまだまだ日本においては女性から男性へと気持ちを送る行事としての認識が根強い。前日に台所を姉妹に占領されては流石にどうにも出来ず、結局レビューの良さそうな市販品をネットで購入したのだった。
どのタイミングで渡そうかとバッグとスマホを交互に見る運動を繰り返しているとおもむろにドアが開いて千早が戻ってきた。
「おまたせしました」
「おー」
「どうぞ」
千早も何処か硬い表情でぎくしゃくと紅茶とガトーショコラを震える手で藤堂の前に置いて、そのまま藤堂の斜向かいに腰を下ろす。
いつもは紅茶しかでてこないのに珍しいこともあるもんだと藤堂は躊躇無く差し出されたそれをフォークに刺して口に入れた。
しっとりとした生地を噛むとチョコの甘味がじわりと口内に広がる。甘いのにくどさはなく咀嚼する間もなく溶けて消えた。
「ん、めっちゃうめぇ。何処のやつ?」
どうせ長いカタカナの覚えられそうにない店名だろうと思いつつも聞く。千早は口ごもり言いづらそうに目を伏せる。長い睫毛が影を落として、シン…と謎の沈黙が流れる。いつもはペラペラと聞いても頼んでもない事を嫌味と皮肉一つ交えて喋るのに今日は珍しく言い淀んだ。
藤堂的には何処の店かはさして興味はない。ただ世間話のつもりで話の展開として聞いただけだ。話したくないのならそれはそれで構わない。さっさと自分の鞄の中身を渡してしまおうと口を開いた。
「あー、それよりさ」
その言葉にハッとした表情を浮かべて千早が遮る。
「……俺が作りました」
「あ?これ?てづくりってコト?え、千早が!?これを!?」
「声でかい……だから言いたくなかったんです。」
藤堂のオーバーな反応に千早は苦虫を噛み潰したような表情で弁明する。俺がしたのは材料を測るとか湯煎するとか混ぜる程度で…母が職場に持っていくから一緒に作らせてもらった程度で……と歯切れ悪く言葉を続けた。
既婚の妙齢の女性がわざわざバレンタインだからといって職場に手作りを持っていくだろうかという疑問は藤堂には思いつかず素直に感心の声を上げた。
千早のことだ、ハイブランドの藤堂には味がよくわからないような物を用意してくるかと思っていた。用意してきたのがまさかの手作りとは。全くどこまでも性根は可愛い男である。
「すげえじゃん。まじでうめぇ。千早の分はねぇの?」
「俺はいいです。藤堂くんに食べてほしかっただけですから」
「俺は共有してーんだけど」
ハイテンションのままフォークに乗せたガトーショコラをずい、と千早の口元に差し出した。
自分の使ったフォークだったがどうせ食べるという確証があった。藤堂の思惑通り反射で千早の口が開いてフォークを迎え入れる。
餌付けされた愛玩動物のようなその姿を満足気に見つめる藤堂と視線が交錯して、ついいつもの癖でそうしてしまったことに千早の耳がじわじわと朱に染まる。
「ど?」
「甘いです」
「それはそう」
あまりにありきたりな会話の応酬の後に千早の瞳孔が獲物を狙う猫のように目にきゅっと鋭くなった。なにか余計なことを思いついたときと同じ顔だった。そのまま黙っていてくれないかと藤堂は祈ったが無駄に終わる。
「口直しさせてください。」
そういってずい、と藤堂の方へ身を寄せて口付けた。舌先が藤堂の口内へ無遠慮に潜り込む。ぬるつく甘い舌を藤堂の舌が舐め取るように絡まる。
「ふ…」
角度を変えて何度も唇を重ね合わせて甘さをすっかり感じなくなった頃ようやくどちらからともなく離れた。すっかり期待の色を孕んだの溶けた瞳の藤堂と目があって千早の目が半月状に細められて口角が上がった。
「お返し……今もらってもいいですか?」
「三倍にして返してやんよ」
好戦的に笑って藤堂は千早の首に腕を絡めて引き寄せた。
***
「そういえば藤堂くんからはないんですか」
事後にあっけらかんと千早は藤堂からのチョコは無いのか要求した。実に図々しい男である。
「今返したばっかじゃん?いや…あるにはあるけど……」
そう言いながらバッグの中から出番はまだかと待っていたそれを取り出して手渡した。
一瞬晴れやかな顔をしたがすぐに不満げに眉間にしわを寄せた。あからさまに手作りを期待していた表情。
「市販……」
「姉貴と妹に台所占領されてんだから無理だわ。ていうかお前手作り嫌だの重てぇだのって言いそうじゃん」
「時と場合があるじゃないですか」
「なんだかんだいってどうせ食うもんな。ま、ホワイトデーはなんかやるわ」
それが当然とでも言うような近い未来の約束に千早はしたり顔で頷いた。