蜂蜜色の君ガシャン、と音がした方を振り向くと、コーヒーカップが床に落ちて割れていた。
落とした張本人である長嶋はこちらに背を向けて硬直している。
何をやってやがる、とため息をつきながら腰を上げる。割れたカップを片付けなければ。
チラリとこちらを見た長嶋の顔が、やたら青いことが気になった。
怒られることに怯えている、というわけでもなさそうだ。もしかして怪我でもしたのか?
しかし、それだけで青くなるような男でもないはずだが。
「おい、何を突っ立ってやがる。片付けを手伝え」
そう言いながら肩に手を置くと、ビクリと体が震えた。そして、何かを隠すような動きで右手を隠す。
「…あ、ああ。わりぃ、ボーっとしてて落としちまった」
「…貴様、今何を隠した?」
「え、あっ、いや、軽く指を切っただけだ…」
…やはり様子がおかしい。
こちらと目を合わそうとしないし、頑なに右手を隠している。
「救急箱くらいならある。見せてみろ」
こんなことでガキに気を遣われるのも情けない。強引に腕を掴み、右手を引き摺り出すと───
「…頼む、見ないでくれ…」
思った通り、右手には切り傷があった。それ自体はそんなに大きな傷でもなく、絆創膏を貼れば済みそうな怪我だ。
しかし、明らかに異常なものがあった。
傷口から流れ出ているのは、赤い血液ではなく───
………この色と匂い、は……
………蜂蜜?
「…貴様、それは、一体…」
長嶋の指にできた小さな切り傷から溢れているのは、黄色い液体。微かに甘い匂いが漂い、その匂いは…… あの夜を思い出させた。
「気が付いたら、こうなってたんだよ… 多分、あの日以来…」
「…何故、俺や八敷に伝えなかった?」
そう問い詰めれば、長嶋の目にじんわりと涙が滲んだ。
「だっ、て、こんな体… おかしいだろ、お、俺も、アイツみたいに、化け物になっちまったのかって、怖くて…」
誰にも言えなかったのだろう。堰を切ったように涙と言葉を溢れさせている。
ポロポロとこぼれる涙からも、甘い蜂蜜の匂いがした。
「おれ、アンタ達の側に、いたくて…」
珍しく素直に感情を吐露する少年に「可愛い」などと場違いな感情を抱きながら、そっと頭に手を伸ばした。
できるだけ優しく、柔らかい髪を撫でる。
こうしてやれば、この少年が落ち着くと知っているから。
「…俺と八敷で、なんとかしてやるさ。だから、もう泣くな」
「…おう」
乱暴に涙を拭うと、少し赤くなった目元のまま笑顔を浮かべた。
「へへ… アンタに甘やかしてもらえるなんてラッキーだな」
「馬鹿が。何がラッキーだ、こんな体になっておいて」
「いでッ!ちょっ、まだ痛いんだから掴むなって!」
「やかましい。ほら、支度しろ。九条館に向かうぞ」
「へいへい」
さっさと元の体に戻してやらなければならない。
傷口から流れ出る蜂蜜を見た時に抱いた、薄暗い感情…… 食欲にも似たそれに抗えなくなる前に。
薄汚い欲望を心の奥底に仕舞い込み、事務所を後にした。