複数のグループに分かれて、夜の森で魔精の駆除作業。ただそれだけの簡単な仕事のはずだった。
「俺は一人でいい」と単独行動を取ろうとしたパヴィアにヴェルティが付き添い、指定された地点へ向かった。
事前に与えられた情報によればこの森に強力な魔精はおらず、弱い魔精の群れがいくつか存在しているだけらしい。
油断していなかったと言えば嘘になる。だから、指定地点に向かう道中に異形の足跡── 人のものでも魔精のものでもない足跡があったことに、ヴェルティは気付かなかった。
指定地点に到着し、周囲を確認しても魔精の姿は見当たらない。警戒して身を潜めているのか、と思ったその時。
茂みをかき分けて姿を現したのは魔精ではなく、黒い仮面で顔を隠した異形の者たち… マヌス・ヴェンデッタの構成員だった。
その数は、視認できる範囲で6、7人ほど。暗闇に紛れ、もっと仲間がいる可能性もある。
なぜこんなところに? 自分と鉢合わせたのは偶然? それとも…
頭に浮かんでくる疑問を一旦無視して、ヴェルティはパヴィアに指示を出す。
「みんなと合流しよう。この数を相手にするのは危険だ」
他の仲間たちとの合流地点に辿り着けば、体勢を立て直すことができる。だが、あの数をパヴィア一人だけで相手するのはリスクが大きい。
そう判断したヴェルティは仲間たちとの合流を優先し、彼と二人で夜の森の中を駆けていた。
合流地点まで、まだしばらくの距離がある。先ほどからずっと走り通しで、ヴェルティの体には少しずつ疲労が溜まりつつあった。
森の中は視界も足場も悪く、木の根に足を取られそうになる。茂みの暗闇の中から奇襲されないとも限らない。
緊張感と確実に蓄積されていく疲労で、ヴェルティの走る速度は確実に遅くなってきていた。
パヴィアは時折振り返り、追っ手に対して発砲している。体力的にはヴェルティよりも余裕があるが、表情には疲労の色が見えていた。
「……ッ!」
つま先を木の根に引っかけたヴェルティが、勢いよく転倒する。周囲の様子を伺おうと左右を見回し、足元への注意が散漫になっていた。
さらに運の悪いことに、転んだ拍子に足を切ったようだ。立ち上がろうと足に力を込めると、鈍い痛みが走る。
無理やり立ち上がったものの、先ほどまでと同じ速度では走れないだろう。
「……チッ」
その状態を見たパヴィアは舌打ちを零す。
「こうなっちゃ仕方ねぇか…」
そう呟いたパヴィアの足元から、彼の体を覆うように影が這い上がり始める。
素早く這い上がった影が全身を包み込んだかと思うと、影の輪郭がゆらりと揺らぐ。
影は蜃気楼のように揺らめきながら形を変え、人の形だったものが四足の獣── 狼の形へと変わる。
揺らいでいた輪郭がはっきりとした形を得た時、そこにいたのは一頭の黒い狼だった。夜の闇に溶け込んでしまいそうな黒い体の中で、赤い目だけがギラギラと光っている。
驚いた表情を浮かべているヴェルティに構うことなく、狼は自らの背を示す。
「背中に乗れ、と?」
狼は苛立った様子で頷き、低い声で唸る。早くしろ、と言っているようだ。
少し離れた場所から追っ手の足音が聞こえてくる。今は一刻も早くこの場を離れるべきだ。
ヴェルティが背に跨ったことを確認すると、狼は走り出した。先ほどまでとは比べものにならない速さで、夜の森を駆けていく。
風を切って駆ける狼に、のろまな異形は追いつけない。追っ手の気配はどんどん遠くなっていった。
「…パヴィア、ありがとう」
耳元でそう呟くと、狼は唸り声を返す。彼ほど狼の感情を読み取ることに長けていないヴェルティには、その声にどんな感情が込められているのか判断できなかった。
しばらくして無事に合流地点に到着すると、仲間たちは狼の背に乗って現れたヴェルティに驚いた。
足を庇いながら背中から降りた少女が、狼の背を撫でる。感謝と労わりが込められた手つきだったが、狼は不機嫌そうな声で唸った。
「タイムキーパー、何があったのですか? その足の怪我、それにこの狼、は…」
駆け寄ってきたソネットが狼の方を見ると、もうそこに狼の姿はなかった。気怠げな顔をした男が一人立っているだけである。
「ソネット、説明は後で。マヌス・ヴェンデッタの構成員と遭遇した。みんな、戦闘準備を!」
「……はい!」
ヴェルティの指示に、神秘学家たちは各々の武器を構える。少女はガラスペンを、男は拳銃を。
待ちに待った「狩り」の時間の訪れに、パヴィアは不敵な笑みを浮かべた。
後日、「パヴィアが狼の姿になれる」「ヴェルティが背中に乗せてもらった」という情報を得たスーツケース子供組は、ワクワクした目でパヴィアを見つめた。
当然のごとく無視されたのは言うまでもない。