犬の国の王子と猫の国の王女パロのオー晶♀︎の話 ───この世界には、かつて多くの国があった。それぞれの種族がそれぞれに国をつくっており、国としての大きさはばらばらではあったが、立場としてはみな平等であった。そのため、国際会議といった国同士の話し合いの場でも常に和やかな雰囲気が保たれ、世界的に平和だったのだ。
しかし。突如、とある国が他の国々に攻撃を仕掛けて打ち負かし、次々に支配して自国に統合し始めた。なぜ、どうして急に、と臨時の国際会議が幾度も開かれたが解決策は見つからず、そうこうしているうちにその国はほぼすべての国を支配下に置いた。たったひとつの国を残して。
***
テーブルの上に肘をつき、こめかみを押さえて、はあぁぁあ〜⋯と長い長いため息をつく。
私は晶。猫の国の、一応、王女だ。
私がこんなにも長いため息をついているのには理由がある。それは、これからしなくてはならないだろうすべてのことに鬱々としているからだ。例えば、これから約十五分後に起こる、犬の国との対談とか。
「はあぁ⋯⋯⋯」
「まあ! そんなに眉間にしわを寄せて」
可愛いお顔が台無しですよ、と私専属のメイドであるカナリアさんが、つん、と私の眉間を人差し指でつつく。
「うう⋯。だって、あの犬の国が対談したいだなんて⋯」
犬の国とは、次々に猫の国以外の国々を武力行使で自らの支配下に置いている国だ。初めて攻撃を仕掛けた時も突然のことだったし、次に標的にされそうな国の中には和平交渉をしようとしていた国もあったが、その申し出をガン無視して見せしめかのようにその国の王族の首を王城のバルコニーから投げ落とした。
話をする気がないのだ、とどの国も理解していた。だからどうしようもなくて、半ば諦めるように犬の国に従っていった。
なのに、犬の国がこの世界を統一するのにはあと猫の国を支配すればいいだけ、という時に、急に犬の国の方から対談を申し出されたのだ。
何が何だか分からなかった。なぜこの期に及んで話をする気になったのか、何が目的なのか、猫の国では会議になった。けれど結局、これだ! というものは出てこなくて、とりあえず対談は気を引き締めて臨もう、という話で終わってしまった。
「私、対談中に何か粗相をおかしてしまったらどうしようって気が気でなくて⋯」
私は王女だから、当然対談に参加する。いや、王女じゃなくても、私は犬の国直々に指名されているので参加しなくてはならなかっただろう。それについても疑問は絶えないが、私がこの対談の重要な役割を担うことになることは明らかだ。
「きっと大丈夫ですよ。もし晶様が何かしでかしてしまっても、ファウスト様やレノックス様がどうにかしてくださいますから」
にこにこと言われ、たしかに、と納得した。
ファウストは私の兄で、この国の王だ。ファウスト兄様が十八歳、私が十六歳の時に両親と私よりも下の妹が他界してから、ファウストがこの国の王として君臨している。本人としては目立つのが好きではないし、王の器には相応しくないとよく言うのだが、実際のところは王としてこの国を導く姿に国民は魅了され、非常に支持を得ているので、王になるべくしてなったひとだと思っている。ちなみに、私がファウストと呼び捨てで呼ぶと不機嫌になるので、ファウスト兄様と呼ぶようにしている。
レノックスはファウスト兄様お付きの護衛だ。若くして王族の、さらにはファウスト兄様の護衛を任されることになった、すっごく強いひと。無口で少し近づきがたく思われてしまうことが多いけれど、実際のところはお茶目なところもあって優しいひとなのだ。
「そうですね。私は私にできることを精一杯やり遂げます」
「ええ! その意気ですよ晶様!」
ぐっ、と拳を握った両手を胸の高さまで持ち上げて励ましてくれるカナリアさんの姿は、本当に可愛かった。
「それではそろそろ行きましょう。お客様方をお待たせしてしまってはいけませんから」
「⋯はい」
できることならこのままソファに座ってお茶でも飲んでいたかった。けれど、現実からは逃げられない。
重い重い腰を上げて、私はカナリアさんに促されるままに部屋をあとにした。
***
「僕がこの猫の国の王であるファウストだ。こちらは王女であり僕の妹である晶」
「は、初めまして、王女の晶と申します。本日はよろしくお願いいたします」
僕に続いて晶は挨拶をし、ぺこりと頭を下げた。
本当はこんな対談に参加したくはないし、可愛い妹をこんなところに連れてきたくはない。けれど、この国の──ひいては世界の命運がかかっている重要な対談であるし、相手国直々に必ず晶を参加させるよう言われてしまってはどうしようもなかった。誰かに晶の変装をさせるか、という話も出たが、犬の国は察しのいいひとやにおいに敏感なひとが多く、バレてしまう可能性が高すぎる、という結論に至ったために、参加させざるを得なかった。
「ご丁寧にありがたいのう。うちの子らとは大違いじゃ」
「そうじゃのう。見習って欲しいのう」
ほほほ、と容姿のそっくりな双子が笑った。それに対して、一人は眠たそうにあくびをし、一人は面白くなさそうにそっぽを向き、一人は真顔でただまっすぐにこちらを見ている。
彼らは犬の国の王族だ。二人の王と、三人の王子たち。血は繋がっておらず、武力の強いもので構成されているらしい。二人の王以外は全く容姿も性格も異なっている。
「それでは、始めようかの」
「そうじゃな。ほれ、オーエン」
オーエン、と呼ばれた王子は、双子の言葉に反応するわけでもなく、静かに眼光を鋭くした。
「⋯おまえさ」
椅子の肘掛けに肘をついて、上から目線の態度でじっとこちらを──晶を見つめて、口を開いた。
「ええと、私、でしょうか?」
「そう」
困ったように眉を下げ、晶は自身を指して控えめに問いかけた。オーエンは小さく首肯すると、また口を閉ざして、そしてまた晶を見つめる。
一体何が狙いだ。この様子だと晶絡みのことであることは間違いなさそうだが、それにしたってなぜ晶なのか。
「選んで。大人しく僕の国に支配されるか、抵抗して戦争するか」
「え⋯」
「それか」
不自然に言葉を切ると、オーエンは目を閉じた。縁取る睫毛がみな等しく長く、改めて見ると綺麗な顔だなとしみじみ感じてしまう。そのままオーエンは薄い唇をゆっくりと開いた。
「⋯⋯僕に嫁ぐか」
「⋯⋯え?」
「は?」
予想外の言葉に、僕も晶もぽかんと口を開けて呆然とした。嫁ぐ? 誰が、誰に? なんだって?
「ええと⋯、それはつまり、私があなたと」
「オーエン」
「お⋯オーエン様?」
「オーエンでいい」
「う⋯、お、オーエンと私が、結婚するってことですか?」
「そう」
晶もオーエンが何を言っているのかよく分からなかったらしい。聞き返したくなる気持ちはよく分かる。だが、気分を害してしまってはどうなのかと少し様子見をしようとした。けれど、晶が相手だったからなのか、オーエンが機嫌を悪くした様子はなく、しかもしれっと呼び捨てで名前を呼ばせている。晶が断らないと分かっていてのことだろう。そのやや強引なやり方には納得できなかった。
「あ、あの、オーエン。質問をしてもよろしいでしょうか?」
「なあに?」
晶は胸の高さまで手を挙げると、オーエンは甘ったるい声で返した。大量のマタタビを纏わせたような。
「どうして結婚なんですか? しかも、私とオーエンなのは、なぜですか?」
「⋯おまえが僕に嫁ぐことになったら、おまえの国には何もしない。戦争も何もかも」
「は、はい」
「でもおまえは僕の国に住むことになる。もしかしたら嫌になって逃げるかもしれない。そんな時、ただの捕虜として僕の国に連れていくよりも、結婚の方が効果が大きい」
「⋯?」
たしかに結婚の方が逃げ出す確率は低いだろうが、なら武力行使すればいいだけの話じゃないのか? と不思議に思ってしまう。戦争をしたいわけではないし、穏便に済むならその方が確実にいいのだが、残虐行為を好んでする犬の国のことだから、それでいいと思っていそうなものなのだが。
「⋯おまえたちの国、弱いから。弱いやつらをいたぶってもつまんないし」
「「⋯」」
僕も晶も何も言えなかった。弱いだなんて、そんなことはないと言いたかったが、そんなことを言ってはそれこそ戦争になりかねない。いろいろと考えたが、そうか⋯としか言えなかった。
だが、オーエンが提示した選択肢はどれも最悪なもので、どうしてわざわざ対談しようだなんて言い出したのか、どうして晶に選択させるのか、意味が分からないことだらけで、なんて残酷なことをする男なんだと僕は憤りを感じた。けれど、ここで僕が何か言おうものならきっとすぐにでも戦争が始まり交渉決裂しそうな緊張感があって、ぐ、と唇を噛み締めた。
「⋯分かりました」
す、と透き通る声にハッとして、晶の顔を見た。さっきとはうって変わって、凛とした表情でオーエンを見つめている。晶のその姿は、いつもなら誇らしく眺めていられるが、今回ばかりは憂鬱な気分にさせられてしまう。
「私晶は、オーエンに嫁ぎます」
なんてひどい決断を、可愛い妹にさせてしまったのだろう、と僕は自己嫌悪に苛まれ、目をそらした。
「ですが、一つだけお願いがあります」
「なに? 聞くだけ聞いてあげる」
「一週間だけ時間をください。突然のことで国民も驚くでしょうし、いろいろとやりたいこともあります。ですが、一週間後には必ずあなたに嫁ぎます。絶対に逃げません。約束します」
晶はまっすぐオーエンを見つめてそう言った。その言葉のすべてを信じたくなかった。
オーエンは静かに晶を見ていたが、そのうちゆっくり口角を上げて緩やかに笑った。
「⋯いいよ。約束ね」
はい、と晶の前に小指を突き出してきた。晶は戸惑いながらもたどたどしく自分の小指を出して、それに絡めた。
交渉が成立してしまった。最悪なかたちで。
***
「オーエンちゃんさあ、もう少し違う言い方なかったの〜?」
「そうだよそうだよ、なんであんなこと言うの? あんな条件出さずにさあ、僕のおよめさんになって! って素直に言えばよかったのに。晶ちゃん、可哀想だったよ〜」
帰りの馬車の中。ね〜? と双子が顔を見合せながらオーエンを問い詰める。
「⋯別にいいでしょ」
「「よくない!!」」
そんな双子を一瞥して、ため息をついてからオーエンはぽつりと呟いた。そんなオーエンに双子──スノウとホワイトはぶつぶつと文句を言うが、それには目もくれず、オーエンは自分の小指を見つめた。
──やっと、やっと僕のものになる。
なんせ何百年もの想いなのだ。そのためにここまでしてきたのだ。
ふふ、と笑みを浮かべて、オーエンは小指の付け根にそっと口付けた。
to be continued⋯?