戦場と羊　休暇だからと自堕落な生活をすることにも飽きてしまった山姥切国広は、甚だ不本意なことに、近頃はもっぱら健康を志向した暮らしをしている。
　朝の八時には勝手に目が覚めて起床し、おもむろに身を起こすと二回まばたきをする。込み上げるあくびを勢いのままに口から吐き出し、軽く身を捩ってこきりと骨を鳴らす。それから布団を出ると、きちんと三つ折りにして押入れに仕舞い、着替えを済ませて階段を降りる。これらが彼の日常である。ルーティンと言っても過言ではない。
　一階に降りて床のフローリングを踏むと、晴れた日には顔を上げた先々で朝日がひどく眩しい。それもそのはず、カーテンがひとつも無いのだ。ここへ入った当初に買いそびれてそのままだった。そういう点では、未だに彼は非常にものぐさであると言える。ただ、玄関横の窓にだけは覆いがあった。なんとなくで始めたグリーンカーテンだ。外に置いたプランターから、日々、にょきりにょきりとヘチマが伸びて絡まって、今や立派なカーテンとなっている。
　そろそろ実を収穫しなければ、とどこか鷹揚に思考しながら、山姥切国広は洗面所に向かった。これまでに一度、ヘチマの実を放ってそのままにしていたら痛い目を見たのだ。ヘチマ、分類にして植物界被子植物門双子葉植物綱ウリ目ウリ科ヘチマ属ヘチマ、こいつは爆発するのである。
　歯ブラシに歯磨き粉をのせ、鏡を見ながらカシャカシャと歯を磨く。この山姥切国広はものぐさであったが、歯磨きとヘチマの生育と戦に関しては繊細さを持って臨んでいた。それが彼の矜持というやつであった。歯を磨き終え、口を漱ぎ、顔を洗ってタオルで水気を拭いとる。洗面所を出ると彼はキッチンに向かい、冷蔵庫から迷い無くあるものを取り出した。何を隠そう、まごうことなきソーセージであった。油をひいたフライパンの上にそのソーセージをばらまき、つまみを回しコンロに火をつける。ＩＨコンロで無いのに特に理由はない。借りたこの部屋がガスコンロであったと言うだけの話だ。世の中とは結構単純なのである。
　山姥切国広は菜箸など持っていないため、ごく普通の箸を使ってフライパン上のソーセージを適宜回転させ、均一な焦げ目ができるように苦心した。そのうち、ソーセージの皮がぱちぱちと音をたてて破裂する。彼は、この香ばしさやしめやかな肉と油の混ざったにおいを殊の外好んでいる。そういう意味ではきっとヘチマも同様なのだ。だが、ヘチマに関して言えば、破裂することよりもたわしにすることの方が楽しい。だからやっぱりさっさと実を収穫せねばという話に戻るのだが、本日二度目のあくびを噛み殺しつつ彼は火を止めてすん、と鼻を鳴らした。余熱か何かでいまだに弾け、同時に焼かれた表面がしゅうしゅう鳴くソーセージをひとつ、箸でつまむ。ふう、ふう、と息を吹きかけある程度冷ますと、彼はそのままソーセージをぱくりと口に運んだ。皿に移して優雅な朝食、なんて真似はしないのである。咀嚼を終えてこくんと呑み込むと、ついでに食パンを一枚取り出して次のソーセージをのせ、贅沢かつ我儘なサンドウィッチにする。これも皿など使わない。洗い物が増えると面倒だと彼は考えるのだった。こういうことこそ、人間の体を得た甲斐があるというものだ。ちなみにこれは山姥切国広の持論である。
　朝食を終えると、彼はようやく襤褸布を頭から被った。これも通常の彼には矜持であり持論の内側のひとつなのだが、ひとりでこの長屋で過ごしている現在において、身に着けるのは朝食後、というのがお決まりであった。いくらソーセージの味や香りや焼ける音が好きでも、油のにおいが染みつくのは困るのである。幾分かの繊細さを内包する山姥切国広は、ぶっちゃけて言えば胃腸がよわよわだった。過敏性腸症候群か何かだし、空腹を満たした後に油や肉の匂いを嗅ぐと胃がムカムカして途端に気分が悪くなるのだ。いつか克服したいと思いつつ、山姥切国広は玄関で靴を履いて扉を開けた。ヘチマを収穫するのだ。まばゆいばかりの朝の光から顔を背け、彼は小さな鋏を握っていた。園芸用の鋏だった。同時に、彼にとっての現段階最上の武器だった。そしてこれこそが、ここにいる間の、彼の戦であった。

了