果てぬ命の一日千秋 ピーニャくん。今日の調子はどうですかあ?
懐かしいでしょう、ここ。最近ピーニャくん、寝ている時間が多かったから、なかなか来れなかったですもんねえ。
見えますかあ? ぼくの縄張り。ピーニャくん、いつもここのこと綺麗だって言ってくれましたもんねえ。
あぁ、懐かしいなあ…ほら、千年と少し前…ピーニャくん、あっちから歩いてきて、たまたまぼくと会ったんでしたねえ。
…ん? あぁ…そうですねえ。千年前と、地形はかなり、変えてしまいました。……何で、って? あはは、ピーニャくん、なんとなく分かってるでしょう?
今でも鮮明に思い出せてしまいます。きみが撃たれて死んだ日のこと。その時のぼくは何も、本当に何も知らなくて、きみを助けることができなかった。
自業自得です。きみの博識に甘えていたかった。
…そして、ぼくは“ジニア”になりました。きみのことを何百年でも何千年でも、何度でも待つと決めました。
…でもやっぱり、あのひと月が、きみがすぐそばにいたひと月があまりに鮮明で、きみがいなくなって色の無くなった世界に耐えられなくて。
きみが還ってくるまでにたくさん土産話を用意しようって思っているのに、どうしてもきみがいない世界を見たくなくて。
…ぼくは腐ってもこの縄張りの神ですからねえ。ぼくの感情に呼応したんでしょうか。ずっとずっと雨が続いて、山が崩れて、湖は周囲のものと繋がって、こんなに大きくなりました。
…でも、見晴らしは良くなったでしょう? きみを苦しめた村も流してしまいましたし、ぼくがずっと棲んでいるからか、自然も豊かになりました。湖底にあるきみのお墓と百日草も、綺麗なままですよ。
でも、
「……っ、」
でもまた、きみが、きみだけが、いなくなってしまう。
ピーニャくん。
ぴーにゃくん、
「…置いて、いかないで、ください……」
再会から数十年。ピーニャはそろそろ“天寿”を全うしようとしている。
自分がずっと傍にいたこともあり、大きな怪我も病気も無く、苦しそうにしていることもない。
それでも、日に日にピーニャが起きていられる時間は短くなっていっていた。
分かっている。人間としては大往生だ。このまま苦しまずに逝けたのなら、命ある生き物にとってこれほど穏やかで幸福な最期は無いだろう。
それでも、
「ぼくは、」
一緒にいけないのに。
悲痛な圧迫感を伴ったその言葉は、喉で引っかかって音を纏うことはなかった。
それを言えば、ピーニャに不要な罪悪感を背負わせることになる。
「ぼく、は……」
エゴでピーニャを縛ったのは自分だ。何度も別れが訪れるのなんて初めから分かっていた。
正しく理解出来ていなかっただけだ。その“別れ”が穏やかであればきっと辛いことなんてないだろうと、そう思い込んでいただけだ。
“前”のような悲劇的な別れでなければ耐えられるなどと、何故、自分は。
こんなもの、
こんな、身体を半分持って行かれた方がマシだと言い切れるような痛みを伴うなんて、知らなかった。
───ジニアさん。
何度も何度も聞いた、優しい声が頭の中に響いた。
声を発するのも難しくなってしまったピーニャとも会話ができるよう、最近は常に彼の頭の中を読んでいる。
以前と何一つ変わらぬ柔らかな声は、こちらの頭を撫でるように通り抜けていった。
───また、会えますよ。
「…でも…わか、っわからないんです、いつ、きみが、戻ってくるのか」
今回は、千年待った。
前例が無いため、それが早いのか遅いのかも分からない。
だからもしかしたら次は百年程度かもしれない。
また千年かも。
でも、もしかしたら、もっともっと、待つかも。
ピーニャを待っていた千年を思い返し、身体の芯が冷えて震える。
怖いものなど何一つ無かった。きみに出会うまでは。
「きみが、…っいない一日が、本当に長くて、」
でも今、ただ一つの小さな命が消えてしまうことが、こんなにも恐ろしい。
「ずっときみのことを考えていて、きみがいた記憶だけが鮮やかに色付いて残っていて、」
それでもピーニャの意思を無視してまで人の道を外させるだけの勇気も無くて。
「ぼくは何も変われないのに、きみだけが、どこにもいなくて…きみがいない時間だけが、どんどん積み重なっていって、」
悠久を生きる龍が、初めて“時間”というものに“区切り”が欲しいと願った。
「千年待てば会える」というのであれば、待ってみせる。
そういった区切りが無く、「いつなのか分からない」という靄の中でひとり待つのはきっと苦しいだろうということを、ピーニャの命が再度消えかけている今初めて実感した。
会えない時間も、待つこともすべて“運命”だと割り切って諦めるには、自分はそれを捻じ曲げる力を持ちすぎていたのだ。
ただ、ピーニャの意思を尊重して、それを捻じ曲げられずにいる。ただ、それだけ。
───…泣かないで、ジニアさん。
「…無茶、いわないでください。だってきみ、もう、………、」
その先は言えなかった。
言ってしまえばもう今まさに、それが現実になってしまう気さえした。
「ピーニャくん」
かわりに、名前を呼んだ。
瞳から感情がこぼれ落ちて視界が滲んだ。
「ピーニャくん、」
以前よりも細い身体を、綿で包むように抱きしめた。
ピーニャの肩口がじわりと濡れる。
ゆっくりゆっくりと持ち上げられた腕が、そっと背中に回ってきた。
「っ、ぴ ぃにゃ、く、」
背中をゆるりと撫でる手に促されるように漏れた声は、随分幼いものになってしまった。
「さみ、し、い……」
初めて口に出したそれは、喉を焼くような温度を持って音になった。
「ピーニャくん…ピーニャ、くん、嫌です、いやだ、まだ、まだ早いでしょう、まだ、いいでしょう、ぼく…ぼくはまだ…もっと、………っ……」
弱くなったものだと、頭の片隅で呆れる自分がいる。
でもこの弱さが、無駄なものだとは思えなかった。
ぽん、とピーニャの肩口に擦り付けていた頭に手が載せられる。
顔を上げれば、穏やかな笑顔と目が合った。
───泣き虫ですね、ボクのかみさまは。
「…そう…ですよ、きみの、きみだけの龍神です。なのに、きみは、どこかへ連れて行かれてしまう」
───どこにも行きませんよ。
「会えなく、なるじゃないですか。どこにいるか分かったら、どこにだってぼくは行けるのに、どこにも、いないじゃないですか」
責めたいわけではもちろんない。責めていいはずがない。
ただ、穏やかなはずのこの最期に耐えられないことを想定していなくて、濁流のように押し寄せる感情を止めるための堰を用意していなかったのだ。
───ごめんなさい、ジニアさん。
「っ…違、きみが、謝ることでは───」
───臆病で、ごめんなさい。
「………?」
何に対する言葉か分からず、ピーニャの顔を見返す。
ふ、と眉を下げたいつもの笑顔で、ピーニャは続けた。
───ジニアさん。次のボクのことも、迎えに来てくれますか?
「そんなの、当たり前です」
───また永い永い間、待つことになっても?
「ぼくはもう、そのためだけに存在してるんです」
───……じゃあ、ジニアさん。あのね、わがままでごめんなさい。
「何でも」
───次のボクは、永遠にあなたのものにしてください。
湖面の光が薄く開いたピーニャの瞳に反射してきらきらと輝いた。
「………いいん、ですか。きみを……人間では、いさせられなく…」
───もう、2回も、人間としてたくさん愛してもらいました。それに、優しいあなたが、ボクの“おくびょう”を変えてくれたから…次はボクがあなたのために生きる番です。
その瞳は強く、まっすぐジニアを見つめていた。
ぐ、と歯を食いしばる。
臆病なのはこちらの方だ。
ピーニャの命を永遠にする方法を持っていながら、ピーニャから拒絶されることを恐れて何もできなかった。
ピーニャからの拒絶こそが、龍神の唯一の“死”だったからだ。
助けられてばかりだ、と苦笑する。持ち上げた口角はそのままに、再びピーニャの目を見つめ返した。
「…約束ですよ」
───はい、今度こそ。
頬に触れる。
光そのもののような美しい何かが目の前で弾けるのが、神の目には見えた。
「……、…おやすみなさい、ピーニャくん」
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あぁ、やっぱりここにいた。
変わらぬ姿で、溌剌とした声で、周りの人にも愛されて。
「おはようございまーーーす!!!!!」
「おいピーニャ、恥ずかしいって!」
「ピーちゃん、またやっとるん?」
「毎日でござる」
「飽きねえよな、ほんと」
「でも結局みんな、付き合っちゃうんだよね!」
…周りの人との縁も強かったのか、同じ魂がちらほら見えるのは妬けてしまうけど。
でもきみは絶対に、約束を違えないから、もう大丈夫。
泣き虫のかみさまは卒業して、笑顔で迎えに行こう。
「おはようございま………、」
くるりと大きな瞳がこちらを捉えて見開かれた。
ありがとう。また、思い出してくれて。
今度こそ。
「おはようございまあす、ピーニャくん」
終