止まった時計を動かす時に。 "ロゾルトの宝穴"第十七層。現在地はこのダンジョンにおいて三人で潜れる限界点だ。
ランタンの灯りが遺跡の壁面と、その壁面が崩れ土砂が流れ込んだ石畳の床を陰影深く照らす。
男三人分の足音、三人分の呼気の音と装備の擦れる音が冷たい空気に伝う。
「そろそろ引き返し時か?腕の良いシーフが入っているとしか思えん」
「思えんというより、入っているのだよ、ゾレイクくん」
振り返りながらもランタンの淡い光と共に向けた俺の声に応えたのは老齢の冒険者だ。
その姿は狼の特徴を強く持つ。鈍い灰銀色の体毛が光を細かく反射する。
グラウ・ノーグラン。
パーティの一人、重魔斧士のベテラン冒険者である老齢の男だ。
しわがれた声を紡ぐのは狼の喉。
街においては穏やかな目もこの場においては癖のある白髪の中から鋭い蒼色の眼光として警戒を怠らない。
古く時代遅れとも言われる鎧には無数の魔術紋様が描かれ、手入れを怠るものもなく。
片手から一時も離さない堅牢な大斧は、この狭いダンジョンにおいても立ち回りを違えない。
何度も自身の古い失態の昔話を繰り返し教訓として滴らせるその老人は、このパーティにおいて重要な指導役として在る。
『多く失態を語れば、その分無様な死に様を曝しても赦される』が彼のよく言う言葉だ。
「ゴミばっかだからね~!ホントそうっぽいよこりゃあさ!これじゃ宝探しどころか愉快なハイキングだ、そろそろ帰ろうぜ?」
グラウがその声に対し声量を抑えるよう静かに咎め、それを受けて肩を竦め軽く舌を出して雑な謝罪を零すトカゲ人の男にランタンの光が向く。
だろう?とこちらに太い爬虫類の尾を跳ね上げて賛同を求めてくる軽快な様子は相変わらずだ。
ディーク・プロス・ローダル。
セルティア魔術協会のボンボン、装備は一級品、魔術は三流の回復魔術師。
真っ白な鱗を持つ爬虫類、トカゲ人の男であり、能天気な性格。好奇心旺盛。
冒険者志願した理由も面白そうだから、というそれであるが、役割に関しては責任が重い回復役だ。
何度か肝を冷やされる場面は多いが、着実に経験を積み上げている事は違いない。
「グラウには確信があるようだが、そういえばここの探索を提案したのはグラウだったな」
俺はディークから視線を外し、グラウへと向ける。
シーフが先に探索を済ませているという確信。
このダンジョンは未踏箇所が多くあったが、落盤により数年間の探索が中止されていたダンジョンであった。
その数年でダンジョンから脱出する為のスクロールも改良、発達し比較的安全な探索が可能となり、通行不可能な個所を切り開いたばかり。
それ以降において、第十層付近までの探索が繰り返されてきた辺りのところだ。
だが、十七層まで来ても宝箱があれど空振りは多い。
確かに、探索済みに思える
喉元の灰銀色の体毛を撫でながら彼は口を開く。
「少し、あってな」
多く語る様子の無い言葉に追及は向けない。
いくらか思うところはある。特別な理由はないとはこの探索をする上で言っていたが、そう無意味な事はしない筈。
そう勝手に思うのもまた、彼を評価しすぎているきらいがあるのかもしれないが。
思案する。
一応の探索指針は俺に託されてはいる。
「……決める前に、小便がしたい」
「見張りはする」
「アッ、はい、ごゆっくり~」
いつもの返答二つ。
長くダンジョンを潜っている、幾らかの水分補給を経て、自身だけがこれで四回目だ。
新陳代謝が高い種族であるのは、こういう時に不便であるとつくづく思う。
羞恥心がない訳ではないのであるが、男パーティで組んでいるのは多少の利点であるものか。
俺の種族はネズミ。
ネズミ獣人の男のシーフ冒険者という、それこそ種族体形に合わせた典型だ。
身長もパーティの二人から頭一つ、二つ分低い。
解錠技術、罠の解除等の技術は一通り修得し、低い腕力を補う為の魔物の急所の学びも進めている。
ある程度探索において有用価値を示せているのか、このパーティ以外からも探索同行の声を貰う事も。
実力を得て自惚れる頃合いが危険、とはグラウには言われたが、裏を返せば実力は得られたという事だろうと知る。
認められた事に慢心が出来ないのは、彼が何度も語る失態の記憶があるからで。
ディークにはあまり効果は見受けられないが、少なからず俺は彼の言葉を意識している。
故に、第十八層に挑むのは別の機会にしよう。
そう判断する。
とはいえ、グラウの含みのあった言葉の切り落とし方は気にかかるものであったが。
ダンジョン深部は暗闇が多いが、一部そうではない箇所が幾つか見付かっている。
現在地点である十七層にもそのような場所があり、壁面に陽の光の様な淡い光を生む魔石が所々備わっている。
調査済みであり仲間も地形を理解した上で向かった先、ランタンの明かりを向けるまでもなく照らされたその場所は。
壁面が崩れ、幾つかの光源魔石が転がり、そう遠くない天井付近にも光源の灯る地点であった。
光源は長らく灯り続けているのか、崩れた土の上には膝丈ほどの草まで茂っている。
用を足すにはうってつけの場所ではある。
十分に切迫しているが為にさっさと茂みに入り、冒険者用の道具が連なるベルトをずらして、股座の拘束金具を外していく。
その最中、右足に硬質なものが当たった。視線を向けてみれば、草の中に埋もれるようにボウガンがあった。
灰色塗りのそれは、奇妙なものであった。
全てが灰色をしている。木目の見えるストック部位、金属部位でさえ。
小柄であり筋力が無い為に引き金を引くだけで強い一撃を放つボウガンは扱ったことがある。
その時の色合いとの違い、そして足に当たった際の、石の様な硬質さ。
石のような。
丁度、ズボンより引き抜いたところで気付いた。
一気に疑問が氷解していく。
足だ。
ヒトの足、小柄な足、そして腰から、胴体、全て繋がって仰向けの姿。
灰色の、ヒトの形。
「っ……!」
コカトリス、カトブレパス。
即座に頭に浮かんだ魔物の姿。咄嗟に両目を閉じ、耳を済ませる。
自身のそれをズボンより出したままであるのは滑稽ではあるのだが、なりふりは構っていられない。
風はなく、それ故に聴こえる音はない。何も聞こえない。
ゆっくり目を開き、その石化した冒険者らしき姿の先、草の隙間を見る。
その先には、コカトリスらしき死骸があった。風化しきらず、しかし足と胴体が砕け頭も転げ落ちた魔物の様子。
一先ずの安堵の息を吐き出したのと同時、準備が整っていた先端から琥珀色が溢れた。
「っ、と、と……!」
流石に、その石化し転がっている姿に掛かりかねない位置に放出するのは憚れた。
身を捻り、自身の左側に放っていく。草に当たる不規則な音が続き、溜まっていた分を空にしていく。
落ち着いて息をゆっくり吐き出し、その呼気の終わりと共に終える。
武者震いをし、水滴を散らしてから仕舞う。
改めて万全となった状態にて、その石化した冒険者の様子を確認する。
尻尾で判断出来た。同じ種族だ。体毛の無い長い尻尾。
ネズミの獣人。全身一様に灰色で石化しており長い年月が経っており随分汚れているが、シルエットから女と分かる。
その装備は冒険者のものであり、軽装な様子や腰の道具から見るにシーフ。
先程のボウガンに関しても彼女の持ち物だろう。
ネズミ特有の楕円耳、見開いた目には恐怖に怯える表情が張り付いており、液体も石化したのか大粒の斑点として見て取れる。
胸元に抱えたものは肩掛けのバッグで、左手が何かを掴み引き抜こうとしている様子があった。
試験管のようなもの。透過性が失われた石化しているが為にそれが何であるか分からないが、これを取り出す最中で固まってしまったのだろう。
この状況で、と思うのは石化の解除薬か何かだろう。
そして、足元。異様な変質が見て取れた。
何かが股座に真下から垂直に這う様な異様な様相がそこにはあった。
まだ見ぬ寄生生物か何か、だろうか。
気色の悪さを感じつつ、ともあれ、そのままにして尾を翻し歩みを進める。
「ちょっとこっちに来てくれ!石化した冒険者がいる!」
そう、丁度角から顔を出すように言った途端に、グラウが大斧を背負い直しながらこちらに駆け寄ってきた。
駆け寄ってきたというより半ば疾走に近い、すぐに俺を追い越す。
「どこだ?」
「ああ、そっちの」
「ま、待ってくだせぇよ~!?」
指差した方向へと駆けていくグラウ。そこにいつもの慎重さは無い。
後から出遅れたディークが追いすがるように走ってくる。俺もそれに続く。
そうして、追い付く頃にはグラウはその石化した女冒険者の前で立ち止まっていた。
「ひぇっ!おいおい!?こりゃ石化の!魔物は!?」
「もう居ないだろうと見る」
横で悲鳴を上げ掛けたディークへと淡々と状況を認識し言うグラウ。
最初に確信を持っていたグラウを見て、そうして再度、その冒険者に視線を向ける。
「シーフが先に来ていた、その確信があったのはこの冒険者を知ってたから、ですか?」
俺の問いに、直ぐに答える様なことはなかった。
グラウは、口を開いて、そして閉じた。癖のある白髪に隠れた目は見えなかった。
改めて、口を開く。
「そうだな」
短い言葉だった。そうして、その石化した冒険者の前に屈む。
触れず、確認するようにも。
石化しきったシーフのネズミ獣人の女。
恐怖に固まっており、股座からの異様な様子、無数のナメクジが垂直に這い上がったような痕跡も視界に入る。
「うわ、なんかこれ、なんなんだ……!?」
「失禁したのだろう」
「っ、て、そりゃあ、ああ~、……」
ディークが率直に疑問をぶつけ、グラウが答える事で疑問符は氷解した。
涙も石化し、ガラスも石化し透過性を失っているのだ。考えればわかる事であったが。
固定化された透過しない液体、というものを初めて見たものだ。
石化被害者をそう多く見てきたわけでもない。グラウは、良く知っていたのだろう。
ディークが回り込む様にして屈み、観察する。
「こんなんになるのかよ……って、こいつ尻の方も膨ら、……うぇえ……」
とりあえずディークの後頭部をどついて黙らせてから。