雨夜の奇跡 外はすぐ目の前も見えないような雨が降り続き、時折激しく雷が鳴っていた。たまたま仕事で立ち寄った商業地区で、戴天は所在なさげに視線を左右に揺らしていた。迎えの車は豪雨で到着が大幅に遅れると連絡があり、ひとまず商談をおこなっていたビルの近くにある商業施設で、空模様が落ち着くのを待つしかなかった。
ものすごく見られている。スマホを見つめながら戴天はそれとなく気配を探る。敵意は無いが不躾な視線にいい加減嫌になった戴天がそちらを振り向いた時、視線の主もこちらへ歩を進めていた。
「お前がこんなところにいるのは珍しいな」
「……仕事で。迎えの車を待っているのですが、この雨でかなり時間がかかるみたいなんです」
「まぁそうだろうな。…あとどれくらいかかるんだ?」
「……あと2時間、この雨が続くようならもう少しかかるかも知れないと連絡がありました」
あまりに自然に会話をしている事実に、戴天は戸惑いを隠せない。普段から会わないように気をつけている相手で、その相手もこちらが避けていることをきっと知っている。
2時間か……とこめかみに手を当てながら宗雲が呟く。
「長いな。この後の予定は?」
「今日はもう帰るだけです。……それが何か?」
「店に来るか?」
「ウィズダムに……?いえ、遠慮しておきます。私は会員証も持っていないですしね」
「今日店は定休日だ。ちょうど買った荷物を店に置きに行こうとしていた。ついでに休んで行け」
「いえ、あの、いつ迎えがくるかも分からない状態ですので。あなたをお待たせしてしまいます」
「別に構わない。ここで無数の人目に晒されて待つよりかはマシだろう?」
常に大企業の社長として完璧な姿を求められている戴天は、人目に晒され続けることを好まない。特に最近はテレビにも出演していることで、その顔は人々に知られてしまっている。現に今も通り過ぎる人がチラリとこちらを見ている。
「確かにここに居れば人目につきますね。ですが、せっかくのあなたの休日を無駄にはしたくありません。申し出は有難いのですが遠慮いたします」
「ではこれからどうするんだ?辺りはこの雨でお前と同じように立ち往生している人間も多いはずだ」
「……」
宗雲はなおも断る理由を見つけようとしている戴天にピシャリと言い放つ。
「どうせ俺は店に寄るんだ。一緒に来い」
「……。でも、あなたの時間を」
「そんなこと気にしなくていい。ここで他に用がないなら行くぞ」
「はい……分かりました」
観念したように頷きながら答えた戴天の返事に、わずかに口角を上げて頷いた宗雲が先に歩き出し、その後ろを戴天が大人しく着いていく。その背中を見ながら、戴天は昔を思い出す。
(よくこうして背中を追っていた…。いつもあなたは私を庇うように前に立つ。私はあなたに守られなければいけない程弱くもないし、弟でもないのに)
宗雲が歩みを止めて、初めて戴天は周りの景色を見る。ここは駐車場だ。宗雲が鍵を取り出し、開錠して後部座席に持っていた荷物を入れるのを眺めていると、宗雲が乗るよう促す。
「お前は後ろの方が乗り慣れているか?どちらでも構わない。好きな場所に乗れ」
「はい」
一瞬迷いはしたものの、大人しく戴天は助手席を選んだ。さすがに後ろに座ることはしなかった。
「出発するぞ」
降り続く雨の中走り出した車の中で、心地よいジャズが流れている。元々戴天も宗雲も自ら話し出すタイプではないため、沈黙が続く。気まずい空間になると思っていたが、意外にも嫌な沈黙ではなかった。心地よい音楽に、ちょうど良い温度、そしてどこか落ち着く匂いにやがて戴天のまぶたが重くなる。一度がくりと首が傾いた時に、宗雲から声がかかる。
「本来なら10分ほどで着くんだが…30分はかかる。どうせ寝不足だろう?寝てていい」
耳馴染みの良い声に、ウトウトとしていた戴天の意識は完全に落ちた。
「着いたぞ、起きろ」
ゆっくりと肩を叩かれる感覚に、ふと意識が浮上する。
「すみません、ほんとうにねてしまいました…」
ふわふわとした意識の中、戴天が返事をする。その顔も声も何もかも寝起きで、思わず宗雲の頬が緩む。お前は変わってないな、と言おうとして辞めた。せっかく普段なら断られる誘いに乗ってくれた戴天の機嫌は損ねたく無かった。
「俺が良いと言ったんだ。気にするな。降りるぞ」
車から降り、裏口からウィズダムに入る。誰もいない店の中はとても広く見えた。
「ジャケットを預かる。奥のソファーに座っていろ」
手を出してきた宗雲に素直にジャケットを預け、ゆっくりと戴天は店の奥に歩き出す。いつもはたくさんの人がこの店に来て、ひとときの夢を見ているのだと思うと少し不思議な感覚だった。
奥から戻ってきた宗雲は、両手にワインとグラスを持っていた。それを静かにテーブルに置くと、また奥へ引っ込み、次はつまみになるようなものを運び込んできた。
「今日はもう仕事は終わりなんだろう?なら少し付き合え」
「店のものをいただくわけには、」
「ワインは颯がこの前店の紅茶を勝手に飲んだからお詫びとして置いていったものだ。つまみは次に店で出すための試作品の余りだ」
「そうですか…では、いただきます。でもあなたは帰りも車なのでは?」
「いや、俺の自宅もすぐそこだ。いつも車はここに置いている。…俺の家の方が良いか?」
揶揄うように宗雲が目を細める。戴天はようやく無意識のうちに張り詰めていた緊張の糸が緩み、微笑みを浮かべて「あなたの家に行くと何をされるか分からないですからね」と冗談で返す。
「俺はそれでも構わないんだが。……とりあえず乾杯」
ワインを入れたグラスをカチリと合わせ、ワインを飲む。少し甘みがあってスッキリとした飲みやすいワインだった。
ワインを飲みながらたわいもない話をする。情報のやり取りも昔の話も探るような言葉もない。最近の虹顔市のニュースやウィズダムシンクスのメンバーや他のライダーの話、雨竜の様子やお勧めの店の話。まるで久しぶりに会った友人とするような会話ばかりだった。宗雲とこのような時間を過ごすことになるとは、数時間前まで思いもしなかった。いつものようにまるで探るような言葉を投げられてうんざりすると思っていた。宗雲の調子に乗せられているのか、予定外の足止めに思っている以上に疲れていたのか。あるいはその両方かも知れない。
その表情こそ変わらないが、店に置いている花の解説をしている宗雲は言葉数が多くなる。戴天も知らないことを知るのが好きだ。相槌を打ちながらグラスのワインを飲み干すと、慣れた仕草で宗雲がボトルを手にする。その時、戴天のスマホがメッセージの着信を告げた。メッセージを見ると、近くに到着したとの運転手からの連絡だった。
「迎えが到着したのか?」
「ええ。そうみたいです」
「分かった。ジャケットをとってくる」
店の奥に消える宗雲を見送りながら、テーブルに広げられたものを軽く片付ける。戻ってきた宗雲の手にはジャケットと何かの包みが握られていた。
「待たせたな。ジャケット……と、店で使おうと思っていたが余らせている。良かったら持って帰ってくれないか」
「おや、何でしょうか」
「ラナンキュラスだ」
包みからは紫色の綺麗な花びらが覗いている。ジャケットを受け取り、少し悩んだあと、花を受け取った。
「……ありがとうございます」
2人連れ立って店の外へ出る。見送りは断ったものの、宗雲が車に忘れ物をしたらしくついでだと言って、結果見送られる形になった。
「それでは。あなたといるというのに存外楽しい時間を過ごせました」
「俺もだ。たまには一緒に飲むのもいいんじゃないか?」
「ご冗談を。今日は特別ですよ」
「ふっ……じゃあ気をつけて」
「はい、あなたも。今日はありがとうございました」
迎えの車に乗り込む。扉を閉めるとゆっくりと車は動き出した。今も雨は降り続いているが、数時間前に比べると格段に雨足は弱まっていた。この調子であれば1時間程で自宅に帰り着くだろう。持っていた花を胸に抱く。2人しかいないウィズダムの店の中で過ごした時間を思い返して、そっと戴天は微笑んだ。