兄達よ和解せよ〜お出掛け編〜「兄さん、日曜日の予定なんですが……」
スケジュールの擦り合わせが完了し、今日も暑そうですね、なんて雑談をしている折に雨竜が切り出した。戴天は朝食を食べる手を止めて雨竜を見る。今週の日曜日は戴天と雨竜、揃っての休日だ。雨竜が珍しく習い事が夕方からだということで前々から出掛けようという話をしていた。
「どうしました?」
なかなか続きを話し出さない雨竜を見つめ、戴天が静かに問いかける。
「あの、その日なんですが……宗雲さんと出掛けたいんです」
突如出てきた宗雲の名前に、戴天は危うくカトラリーを落としそうになってぎゅっと手に力を入れる。
(宗雲とは、あの宗雲?……それ以外に無いでしょう。突然なぜあの人の名前が?)
「3人で行きたいところがありまして。朝はそこまで早くはならないので、いつも通り内線で……兄さん?」
戴天の様子を伺うように雨竜がちらりと視線を向けた。固まったまま動かずどうやらこちらの話も耳に入っていない様子の戴天を見て、このタイミングでは辞めておけば良かった……と後悔し始めた時、時計の時刻が目に入った。
「あっ……兄さん、急がないと」
その声にはっとしたように戴天が腕時計に目をやる。そして、まだ残っている朝食に手を付け始めた。
家を出る頃には動揺も収まったのか、いつも通りの戴天がそこに居た。近頃動いているプロジェクトの話や、社内のちょっとした出来事などを話しているうちに、車は駐車場へと入っていく。
「……雨竜くん。朝食の時に話していた件ですが、分かりました」
「本当ですか! ありがとうございます」
車を降りる寸前で返した返事に、雨竜は素直に喜んだ。その顔を見て、わずかに戴天は目を細めた。
(雨竜くんが私よりも宗雲さんとの予定を取るなんて……。いつかはこうかなると思っていました。仕方のないことです)
言い聞かせるように戴天はネクタイを正すフリをして、そっと胸に手を当てる。今からは高塔エンタープライズの社長としての顔をしなくては、と心を切り替えた。
日曜日の朝。雨竜は内線で何度も戴天の部屋に電話を掛けるが応答は無かった。普段よりも遅い時間の起床だから、もしかしたら自ら起き出しているのかも知れない。しかし応答も無いことが少し心配になり、雨竜は戴天の部屋へと向かう。
戴天の部屋の扉をノックし、声を掛ける。しかし扉の向こうからは一切物音もしていない。再度ノックをして、扉をそっと開く。中に入るとキングサイズのベッドの中心で、戴天はすやすやと眠りについていた。
「兄さん、起きてください。そろそろ起きないと間に合いません」
布団の上からゆさゆさと戴天の体を揺さぶる。
「ぅ……ん?雨竜くん……?」
ようやく薄く目を開いた戴天が雨竜を捉えた。状況が分かっていなさそうな戴天に再び声を掛ける。
「兄さん、そろそろ起きないと待ち合わせに間に合いませんよ」
「待ち合わせ……?誰とですか……?」
「え?言ってたじゃないですか。今日は宗雲さんと」
「宗雲さん?……あぁ、そうでしたね。いってらっしゃい。気をつけて」
何かに納得したように雨竜に声を掛けるとほぼ同時に目を閉じてしまった戴天に慌てて声を掛けた。
「兄さん!このままでは遅れてしまいますよ!早く準備をしてください」
「…………?何故私が準備を……?」
ようやく話が噛み合っていないことに気がついたのか、戴天がゆっくりと半身を起こす。
「今日は3人で出掛ける約束をしたじゃないですか!」
「……私も行くんですか?」
ゆっくりと瞬きをしながら、戴天は首を傾げた。
雨竜の言うことがいまいち分からず、促されるままに戴天も身支度を整える。何度か雨竜から起きてますか?と確認されるのに苦笑いしながら起きてますよと答えた。
準備が整い、2人で家を出ると、見慣れた送迎車が目に入る。定位置に乗り込み、ようやく戴天が雨竜に問いかける。
「あの、私も一緒に行くのですか?宗雲さんもそれを了承しているんですか?」
「もちろんです。あの朝、3人で出掛けたいところがあるとお伝えしていたのですが……。タイミングが悪かったですね。すみません」
「いえ、きっと私が聞き漏らしていたんでしょう。雨竜くんには手間を取らせてしまいましたね」
戴天は雨竜から今日の予定を取り付けられた朝のことを思い出す。急に出てきた宗雲の名前に気を取られて雨竜の話をよく聞いていなかったように思う。3人で行きたいところなんて一体どこなのだろう、とぼんやりと考えながら窓の外を見つめた。
着いた場所は中央地区で、雨竜が運転手に止めるように告げるとすぐに車は道の端へ止まった。2人で降り、車を見送る。
「こちらです」
雨竜に案内されるまま入り組んだ路地を進んで辿り着いたのはカフェだった。雨竜が扉を開き中へ入ると、そこにはカウンターが4席とテーブル席が2つ並んでいた。店内の照明は明るすぎず、どちらかというと若者が愛用するようなキラキラとした内装よりかは落ち着いた内装だった。
2つしかないテーブルの1つに宗雲が座っている。そちらへ歩みを進めると雨竜がソファーの奥の席へと勧めるのに従い、腰を下ろす。
「お待たせしました。宗雲さん早いですね」
「いや、俺も先程着いたばかりだ」
店員からすでに手渡されていたメニューを雨竜と戴天の方に差し出しながら、宗雲がチラリと戴天を見る。
「……お前も、忙しいのにありがとう」
「……いえ」
どことなくぎこちない会話に、雨竜が苦笑いする。この2人に起こったことについて詳細はよく知らない。だが、本当は2人にも仲良く居てほしいとは思っている。今日の予定を相談した時の宗雲の返事を考えると、戴天と会うことに抵抗は無いようだった。むしろ戴天が良いと言うのであれば嬉しささえ滲んでいるようだった。一方、戴天はできる限り会いたくないという気持ちがひしひしと伝わってくる。過去について聞いたときに感じたのは憎しみよりもっと複雑な感情で、それをどうにか紐解きたいと思っている。それが戴天にとって良いことなのかは今はまだ分からない。しかし雨竜も本気で戴天が嫌がるようなら、今日のように3人で会うことは避けたいと思っていた。
「雨竜、戴天。注文は決まったか?」
宗雲からの問いかけに慌ててメニューに目をやると、上から順番に確認していく。雨竜の目当ては抹茶パフェだ。そして宗雲はフルーツパフェ。横から同じように覗き込んでいる戴天の顔を見てみると、悩んでいるようだった。
「兄さん。ここを選んだ理由をお話してなかったですね。このお店は宗雲さんが知り合いから教えていただいたようで、パフェが凄く美味しいそうです」
「パフェ、ですか」
困ったように戴天の眉が下がる。
「コーヒーゼリーを使ったパフェもお勧めだと聞いている」
戴天が迷っていることに気づいたのか、宗雲からの助け舟が入る。
「……では、私はそちらで」
「僕は抹茶パフェにします」
3人の注文が決まったところで、宗雲が店員を呼び、注文を済ませた。
「雨竜、少し食べるか?」
噂通りにパフェの味は絶品だった。きっとどのパフェも美味しいのだろうと雨竜が考えているときに宗雲から声が掛かる。雨竜は抹茶も好きだが、フルーツも好きだった。
「いいんですか!」
宗雲が雨竜の目の前にパフェを差し出す。雨竜がどことなくウキウキとスプーンで掬いながら一口食べる。
「美味しい……」
思わず雨竜から漏れた言葉に、宗雲が愛おしいものでも見るような表情をしたのに対面にいる戴天だけが気づいた。雨竜はパフェに目を輝かせていて気づいていないだろう。その表情には見覚えがあった。雨竜がまだ幼い時、つまり叢雲と雨竜がまだ一緒に居た頃によく見せていた表情だった。
途端に戴天は今の状況にとてつもない違和感を感じてしまった。
(本当は2人で来たかったのかも知れない)
そう考え始めてしまうと後は駄目だった。
(私という先約があるせいで、雨竜くんは気を使って私を巻き込んだんでしょうね)
先程まで美味しいと思っていたパフェの味もよく分からなくてなってしまった。要らないのなら、初めから要らないと言ってくれた方が良かった。雨竜の兄は戴天で宗雲ではないのに、まるで兄弟のような仲睦まじさを、かつての2人を思い出させるようなことを見せつけないで欲しかった。
「兄さん?どうしました?」
心配そうな雨竜の声に戴天ははっとする。
「いえ、なんでもありませんよ」
無理やり笑顔を作って答える。心配そうな雨竜と宗雲の目。2人の視線を振り切るように、戴天は目の前のパフェを平らげることにだけ集中する。
雨竜にはこのあと習い事があったはずだ。あと1時間ほど我慢すればこの空間から解放される、そんなことを戴天は考えてしまった。
パフェを食べ終わりそれぞれが注文した飲み物を飲みながら、中央地区にあるレストランが美味しい、今巷では虹色に輝くかき氷が若者を中心に人気らしいなど、3人が別の場所から仕入れた雑話をしていると、ピピピと雨竜のスマホが鳴る。
「もうこんな時間……僕は習い事がありますのでそろそろ」
そう言って雨竜が立ち上がり、自分の財布からお金を取り出そうとするのをやんわりと止め、戴天も同じく立ち上がる。
「そうでしたね。それでは私も帰ります」
「待て」
「?」
雨竜の習い事の時間に合わせて当然解散になると思っていた戴天を宗雲が呼び止める。
「お前はもう少し俺に付き合え」
「は?」
「では、兄さん。行ってきます。宗雲さんもありがとうございました」
「え?雨竜くん、待って」
そそくさと逃げるように雨竜が去っていく。あまりに突然の出来事に戴天は呆然と雨竜を見送るしかできなかった。
お出掛け編 完