BUMPY BUDDY(1) この宇宙には、ここ七年ほど世間を騒がせているとある巨大犯罪組織が存在する。指示役や仲介役に人型擬知体を間に挟むことで実行犯グループと一度も顔を合わせることのないまま組織の拡大に成功した首謀者の実体は未だ謎が多い。ボスの正体こそ複数の悪人達によって悪のエリート教育を施された擬知体なのではという声もあれば、かつて地球の一部地方を牛耳っていたマフィアの末裔を疑う声もあったが、真実を知る者はいない。その巨大犯罪組織——【グノース】を解体することは宇宙の平和を守る為に力を尽くすことを使命とする宇宙警察にとっての悲願でもあった。
「本日面会の約束をしている者だけど。支配人は?」
某五つ星ホテルのフロントに現れたその人物を見て、受付スタッフは呆気にとられたようにしぱしぱと目を瞬かせた。一流ホテルの従業員としては窘められるべき仕草ではあるが、彼女の反応は無理もないだろう。というのも、事前に聞かされていた肩書とその人物の容姿を一本線で結びつけるには、その服装は少々派手で……一般的物差しで見ればもはや奇抜の域に入るような格好をしていたからだ。それでもなんとか数秒のうちにプロとしての仮面を被り直すことに成功した受付嬢は品のある笑みを浮かべ、傍に控えていた案内役のスタッフへと対応を引き継いだ。そして、装着していたインカムをオンにすると、周囲に聞こえぬような小声で上司へ告げた。
「ジョナス様にお取り継ぎ願います——警察の方が到着されました」
捜査第二課所属・ラキオ。いい意味でも悪い意味でもその名を知らぬ者は署内で数えるほどしかいないだろう。養成学校を首席で卒業し、宇宙行政機関きっての秀才と名高いかの卒業生は……その知能の高さを帳消しにしてしまうほど、チームプレイに不向きな曲者でもあった。一度でも直接関わりをもったことがある者は口を揃えてこう評する。
「「「頭は切れるが嫌な奴だ」」」
半年前、教育係としてラキオの面倒を見ていた先輩を役立たずと切り捨て、署内でちょっとした騒ぎになったことは記憶に新しい。そういった事情もあり、能力は買われていても絶望的なほど人望のない、可愛げに欠ける勤続二年目のルーキーが今日のように単独行動をしているというのも、近頃ではそう珍しいことではないのだった。
*
「この度は情報提供に感謝するよ。それで? ホシの部屋番号と滞在期間は?」
「西棟の1127号室、六泊七日で先週の水曜日に予約が入っている。二日前の深夜にチェックインして以来部屋の外には出てきていない」
「決済方法は? 電子? 生体認証?」
「驚くことに現金だ。情報を辿られるリスクを避けたのだと思うが」
「現代システムに適応できない老人ならまだしも、推定年齢二十代そこらの若者があえて現金での支払いを選択することに違和感を覚えた、と」
「その通り。案の定要注意人物としてすぐに引っかかったから通報させてもらった。こちらとしても明日のパーティーに支障が出ては困るのでね」
ジョナスの秘書らしき緑髪の女性が自分の前にティーカップを置こうとするのをそっと辞してからラキオは足を組み直した。
「酔狂な金持ちどもの仮装交流会だろう? 懲りないね君も」
「運命の薔薇を見つけるためのマスカレードと呼びたまえ。この催しの開催目的は……」
「アーリャの話はいいよ。長くなるから」
辟易とした様子でラキオはジョナスの話を遮った。政財界のお偉方からお忍び旅行中の芸能人そして裏社会関係者まで、様々な重要人物が宿泊してきたこのホテルの支配人と宇宙警察本部との付き合いはそれなりに長かったが、まだ数度の面識しかないラキオでさえ、ジョナスの語る夢とも現実とも区別のつかない運命の人とやらの長話にはうんざりとしていた。
「それで? 隣はもちろん空室にしているンだろうね」
「フフ。平日といえども人気の宿なのでね……残念ながら満員御礼だ。宿直室の一部を貸すことくらいは可能かもしれないが」
「この僕に事情を知らないホテル従業員と夜通し同じ空間にいろって? 冗談だろう」
「あるいは……たしか別件でも滞在中の警官がいると聞いているが。そのうち一人は年も近そうな少年だ、君の同期ではないのかね」
「同期?」
署内の組織図と自分と関わりのある人物の名前、顔、役職は一通り頭に入れてはいるが、さすがに全員は把握していない。年が近いという限られた情報だけではその人物が誰なのか、ラキオには見当がつかなかった。
「僕と同年代の署員なンて掃いて捨てるほどいるよ。もう少しマシなヒントは出せないの?」
「それなら直接話をした方が早いだろう。相手が君を受け入れるなら、同室に泊まってくれて構わんよ。スーペリアシングルの部屋だが、標準装備でソファーベッドもついている。一人増えたところでそう窮屈には感じないだろう」
「あぁそう。それならそうさせてもらおうか」
ジョナスの合図ですかさず近づいてきた有能な秘書から該当部屋番号が記されたメモを受け取ると、用は済んだとばかりにラキオはカンファレンスルームから退室した。印刷物と見紛うほどの整ったペン字でメモに書かれた部屋番号は西棟の1121号室。なんとも都合がいいことに監視対象人物の斜め前の部屋だ。
「この悪運の強さ……なんとなく宿泊者の想像がつくよ」
ラキオは上階へと向かうエレベーターの中で、これから対面することになるかもしれない、数少ない知り合いの顔を思い浮かべ、幸が薄そうなその見た目に違わぬついてなさをフンと鼻で笑った。
*
「やっぱり君だったか」
「どうしてラキオさんがここに……?」
昼休憩中だったのか、食事をとっていたところらしい部屋主は、扉の向こうに立っていた見知った顔を見て目を見開いた。
「事情を説明するからひとまず中に入れてくれない? それから口の端、ついてるよ」
「え、あ! ……どうぞ」
ラキオの指摘を受け、慌てた様子で手の甲で唇を乱雑に擦った男は、まだ戸惑った表情のままに同僚を室内へと迎え入れた。
シモンズ製のシングルベッドと壁掛けモニター。窓際に丸テーブルと二脚の椅子。モニターの反対側には壁に沿うように折りたたまれた状態のソファーベッドが設置されていた。決して広くはないが手入れの行き届いた一流ホテルらしいいい部屋だ。丸テーブルに置かれたままの皿の上には食べかけのサラダとオムライスが残されていた。口元の汚れの正体はケチャップだったらしい。
「それで、どうしてラキオさんがここに」
「目をつけていた犯罪組織のそれなりのポジションについている人物が滞在中だというタレコミがあってね。あぁ、食事の途中だったンだろう。話は食べながらで構わないよ。君の方はまた護衛任務?」
ラキオの言葉に従い、レムナンは冷めたチキンライスを一口分スプーンで取り分けて口へと運ぶ。そして、十分に咀嚼しないままにごくりと喉を鳴らしてから相手の問いに答えた。
「えぇ、はい。今朝までミ・ザビの外交官の方が滞在されていたので……。本命は明日のパーティーの警備ですけど」
「あぁ、そうか。参加者層的にパーティーの警備も君のところの管轄なのか。ご苦労様だね警備部は」
「刑事部ほど忙しくはないですよ。ラキオさんも暫くここで張り込みするんですか?」
「そう。そのことなンだけど、この部屋に泊めてくれない?」
「……えっ⁉」
思わぬ言葉にレムナンは慌ててベビーリーフとプチトマトが刺さったフォークから手を離した。これを口に入れたタイミングでなくてよかった。間違いなく動揺のあまり喉に詰まらせていただろう。
「ど、どうして」
「急なことで他に部屋が空いてないンだって。金銭で解決できればよかったけど、そういう問題でもないらしい。べつに構わないだろう? 幸い寝床も二つあることだし」
「えぇ? まぁ、二人でも泊まれなくはないですけど……でも……」
なにがそんなに気にかかっているのかなかなか首を縦に振らないレムナンを前に、ラキオはやれやれと首を振る。
「そう。そんなに僕と同室が嫌なンだ? でも捜査を投げ出すわけにはいかないからどこか別の部屋を探さないといけないし、参ったなァ。そうだ。いっそ上階のバーカウンターで物憂げな様子で黙って座っていたら、この顔に釣られたどこぞの凡愚が一晩の宿くらい提供してくれるかな」
「そ……っ、そんなことしないでください! 何考えてるんですか⁉ 危ないでしょう!」
「へぇ、僕のことを心配してくれるのかい」
「そりゃあそうですよ……。同じ職場に勤める……大事な、仲間なんですから」
「仲間……ねぇ」
奥歯に物が挟まったようなレムナンの返答に引っかかりを覚えないわけではなかったが、ラキオは一旦それを無視することにした。そして華やかなメイクで大部分が隠されている端正な顔をにぱりと思いきりほころばせると、入り口近くに置いていた捜査資料の詰まった鞄を見せつけるようにしてレムナンの足元へと置き、無情にも言い放った。
「宿無しの仲間を放り出すなンて非情な真似、君にはできっこないよね!」
先程のやりとりすら、レムナンの性格をよく知るラキオによる誘導だと分かったところでもう遅い。こっちの気持ちも知らず、自由気ままに振る舞う一つ年下の頭脳明晰で小生意気な同僚をそれ以上拒むこともできないレムナンは、勝手にしてくださいと項垂れるほかないのであった。
やや強引にレムナンから同室滞在の許しを得るやいなや、ラキオは意気揚々と早速ソファの上に自分の荷物を広げだした。そんな後ろ姿をやや呆れた様子で眺めていたレムナンはふとあることを思い出し、その不安を口にした。
「泊めることに関してはもう構いませんけど……でも、その、いいんですか?」
「なにが?」
「あの人も来てるんですよ、ここに」
「……あぁ。あの木偶の坊、まだ辞めてなかったンだ」
含みのある言い方のおかげで、レムナンが話題にあげた対象が例の先輩署員であることを早々に察したラキオの顔が不満げに歪む。それを見たレムナンの眉もまた彼の心情を表すかのように八の字を描いた。今や問題人物としてふたりの共通認識が築かれているその人物こそ、所属部署の違う彼らが知り合うきっかけでもあった。
*
二人の出会いは今から約半年前に遡る。その日、署内のモニタールームで事件資料の映像解析を黙々と行っていたレムナンは、突如鳴り響いたノック音に顔を上げた。廊下の方から聞こえてきた足音がヒール付きの靴がたてるものだったので、てっきり女性署員が訪ねてきたのかと思い、レムナンは少し身構えながら小声で入室を許可した。しかし、そんな彼の不安は外れ、ドアの向こうから現れた見知らぬ同僚の顔は一目では性別の判別がつかぬほど、濃い化粧で隠されており、そんなどこの誰とも分からぬ人物が発した第一声は、彼の予想よりも数段低いものだった。
「お疲れさま」
「え、あ、はぁ。お疲れ様です……」
「作業中に邪魔して悪いね」
「あ、いえ、データ解析を待っているところなので……べつに……」
「君ひとりだけ?」
「え?」
「相方がいるンじゃないの? 最近異動してきた年上の」
「あぁ……。えぇと、今は……昼休憩に行かれてます」
口のうまさと親の権力だけで昇進してきたのであろう、自分より五つほど年上の男にレムナンはあまりいい印象を持ってはいなかった。しかし、流石に出会ったばかりの相手に先輩のサボり癖を愚痴るのもためらわれ、迷った挙句に休憩という言葉で誤魔化すことにしたのだ。しかし、そんな葛藤など全てお見通しといった調子で、突然やって来た訪問客はハンと鼻で笑いながらレムナンの隣の空席へと腰掛けた。
「君もついてないね。あんなのと組まされるなンて」
「あ、はは……。あの、そんなことより、貴方は?」
「あぁ。名乗るのが遅れた。捜査二課のラキオ。君は?」
「僕の名前はレムナン、です……警備部の……あ」
レムナンは自己紹介のかたわら、目の前の人物の名前をどこかで聞いたことがあったような……と記憶の海を探っていたが、やがてその正体を思い出したのかハッとした様子で相手の顔を見つめ返した。
「フン……その様子じゃ、君の耳にも噂は届いているようだね。どうせ『生意気な新米警官の我が儘に付き合いきれなくなった人望厚い先輩署員が異動届を提出する羽目になった』……とか、そんなところだろう?」
「えぇ、と……その、貴方が……本当に?」
「本当に、何?」
「貴方が……本当に、そんな……私的感情であの人を追い出したんですか? とても、頭の良い優秀な方だと聞いていたので、僕は、なにか、事情があるんじゃないかと思って……」
眉ひとつ動かさず自分の拙い考えを聞いている相手の顔を見ているうちに、レムナンはどんどん自分の発言内容に自信を失い、最後には消え入るような声ですみません、と訳も分からず謝罪の言葉を述べた。事情もよく知らない初対面の相手に少々踏み込み過ぎたかもしれない、とレムナンの背中を冷や汗が濡らす。
「……推理というにはお粗末過ぎる内容だけど、噂を鵜吞みにせず疑ってかかる姿勢は悪くないね。……うん、ちょうどいい。本当は機材だけ借りて自分で行うつもりだったけど、君に任せよう」
「はい?」
「機械には強い方だろう? これがオリジナルデータかどうかと、複製された形跡がないかを確かめてほしい」
てっきり怒られるかと思いきや逆に態度を軟化させた様子の相手に戸惑いながら首を傾げたレムナンの手のひらに一枚のマイクロカードが乗せられる。中身が何なのか、それに確認の目的も知らされていないが、ひとまず言われるがままにレムナンはそれを機械に読み込み、情報を検めた。
「うん……そうですね、オリジナルデータに間違いありません。コピーの形跡も残されていないので……記録はこの一つきりです」
「そう。ありがとう」
「えぇと、これは一体何の……? 開いても問題のないファイルですか?」
「あぁ、別に極秘資料の類ではないから気になるなら再生して構わないよ。見て面白いものでもないと思うけど」
意味深な最後の一言が気にかかりつつも、レムナンは再生ボタンを押した。モニターに映し出されたのはやけに画質が荒い映像だった。まるで部屋の隅に忍ばせた小型カメラで隠し撮りをしたような……。それに画面全体を白い靄のようなものが覆っているのも、見づらさの一因に違いない。よく見れば靄の中には一枚の布がかかっており、その向こう側で人影が動いている。影の正体を確かめようとレムナンが目を凝らしたその瞬間、その布……もといカーテンが開き、中から現れたのは……
「えっ、ちょ、わっ、わあぁーっ⁉」
「うるさいな。何だい大声出して」
「は、裸の人が映ってるんですけど……っ! え、何ですかこれ……盗撮犯の押収品か何かですか⁉」
一瞬しか見えなかったが、目にした身体が女性のそれでなかったことだけがレムナンにとっては唯一の救いだった。同性だとしても、本人のあずかり知らぬところで裸を勝手に見てしまったことには変わりないので未だ気まずさは残っているが。
「盗撮犯という呼び名は正しいね。ちなみに映像に映っていた人物は一般人じゃなくて僕だよ」
「えっ……⁉ あ、えっと、ラキオさんって……男性、なんですね」
「僕は汎だよ。汎化処置をまだ受けていないだけ。大した問題じゃないだろう?」
そんなものだろうかと、レムナンは内心首を傾げた。しかし、彼にとってそんなことは大した問題ではなかった。それよりも、出会って間もない知り合いの裸を見てしまったという罪悪感と羞恥心。そしてたった数秒間の映像でさえ強く脳裏に焼き付いた美しい素顔と、今この場にいるお喋り好きな鳥によく似た格好のその人とがイコールで結ばれているという事実を突きつけられた混乱から、彼はすっかり動揺しきっていた。
「う、あの……中身を知らなかったとはいえ、すみません。その、僕なんかが、軽率に見てしまって……」
「べつに。人に裸を見られることに関しては何とも思わないからいいよ。でも、さすがに無断撮影となると話は別だろう? 幸いコピーをバラ撒かれる危険性がないことの確認は取れたからよかったけどさ」
「あ、そ、そうですよね。この映像、一体誰のしわざで……」
「君もよく知ってるだろう、あのろくでなしだよ」
「え……」
共通の知り合いで、ラキオに蔑まれるような相手。その情報で真っ先にレムナンの頭に浮かんだのは、今朝買い出しに出かけたきり未だ戻る気配のない例の男性署員だった。
「うまいこと事実をもみ消されて、印象操作でいつの間にか僕の方が悪いって話になってるみたいだけど。まったく警視長の息子がそんなに偉いかな。コネ入社の能無しじゃないか。おまけに顔さえよければ見境無しの恋愛脳と来た。最低最悪だね」
「あの、今日貴方がここに来たのはもしかして……その人の、あ、暗殺計画の相談だったりしますか……?」
レムナンの口から出た思いもよらない台詞にラキオは意表を突かれたようにぽかんと口を開けた。そして数秒の沈黙ののち、弾けるような笑い声をあげた。突然腹を抱えて笑い出した相手に今度はレムナンの方がきょとりと目を丸くする。
「き、君……っなかなか面白いことを言うねぇ! そんな根暗で気弱そうな顔をしておいて、思考回路はなかなかに過激じゃないか。さすがコネ入社の誰かさんとは違って、自力でここの採用試験に受かっただけのことはあるよ」
馬鹿にされているのか怪しいラインだが、一応本人的にはこれでも褒めているつもりのようだ。レムナンは普段は涼しい表情で冷たい印象を感じさせるその人の笑顔が思いのほか幼くあどけないことにうろたえながらも、たどたどしく言葉を続けた。
「あ、すみません。ちょっと、聞いていてあまりにもひどい話だったのでつい……私怨が……。えっと、本気じゃないので……安心してください」
「アハハッ! 冗談だとしても暗殺を提案するほど強い怒りを感じるだなンて、君は人一倍正義感が強いのかな? だとすれば、余計に悲劇だね。仕事仲間がアレじゃあこの先苦労すると思うよ」
正義感が強い、という評価に、レムナンは恐れ多いと小さく首を振った。ただ、力や権力にまかせて自分より立場の弱い者を虐げるような人間を前にすると、どうしても自分が過去に受けた仕打ちを思い出してしまい、強い怒りが抑えられなくなるだけなのだ。しかし、出会ったばかりのラキオが自分の生い立ちに興味を示すはずもない。レムナンは自分の心情を内に秘め、後半の指摘にのみ返答した。
「いえ、まぁ……僕は基本的に業務も個人でこなすタイプなので、あの人とも最低限しか口を利いてませんし。今のところ、大丈夫です。それより、貴方は……」
「僕? べつに一人でも問題ないよ。アイツが消えてくれてむしろせいせいしている。……とはいえ、だ。組まされていた期間の数々の迷惑行為に加え、被害者面で堂々と偽情報を垂れ流されている現状については腹に据えかねている」
腕を組み深々とため息を吐くラキオの姿を見て、レムナンは同情心を隠せなかった。たしかに、性格や物言いはキツいところがあるかもしれないが、少なくとも所属部署を越えて悪評が立つほどの酷い人物とは思えない。むしろこうして直接話を聞いてみれば、この人は被害者なのだ。気丈に振る舞っているが、まだ勤め出して数年の身で一人放り出され、味方もろくにいない署内ではさぞや肩身が狭いことだろう。レムナンは自分と年の近いその人の力になれる術はないだろうかと頭をひねり、考えた末に話を切り出した。
「……あの、あくまでこれは仮説なんですけど、被害者はラキオさんだけなんでしょうか? 僕もまだあの人のことをよく知っているわけではありませんけど、なんというかその……」
「交配本能に支配された猿?」
「そ、そこまでは言ってませんけど……。ただ、未だにいろんな方と連絡先を交換しているみたいですし、手が早そうな感じがあるので、叩けば埃が出るんじゃあ……」
「ふぅん……。つまり君は、親の力でもみ消せないレベルのより大きな余罪を暴いて、奴を社会的に抹殺する——その協力をしてくれるっていうの?」
片眉を上げ不敵に微笑むその人の顔は、レムナンが慌てて否定する未来を予想していることを物語っていた。しかし、そんな期待を裏切り、彼は首を縦に振る。
「……えぇ。僕にできることがあれば、力になります」
「……本気で言ってる? 君には何もメリットがないけど」
「メリットとか、そういうのじゃなく……ただ、今日話を聞いてしまった以上、そのままにしておけないというか……。あ、あとその……」
「なに?」
「僕、この感じなので、職場で仲の良い人とかいなくて……。えぇと、またこうして貴方とたまに話ができたら、嬉しいなと……思ったんです、けど。……こんな理由じゃ、駄目でしょうか」
レムナンがそう言って元々歪んだ背中を更に猫背に丸め、相手の方をチラリと見上げると、本日二度目となるキョトン顔を作った彼より一つ下の後輩は、ややして口元に弧を描き、片手を差し出した。
「この僕に恩を売って、友好関係を築きたいンだ? いいよ、君の案に乗ってやろうじゃないか。これから仲良くしようね、レムナン」
「う、うん……? まぁ、はい。よろしくお願いします。……ラキオさん」
尊大な態度を崩さない相手との間に若干の認識のずれが発生している気もしたが、それには一旦目を瞑り、レムナンは目の前に差し出された自分より少し小さな手を取った。初めて触れる手の平の感触は、つるりと滑らかだった。