未来「ああ、ユーリ? こんな時間に一人で歩き回っているなんて呑気なものだね。君、いつ監禁されてもおかしくないんだってことくらい自覚しておきなよ」
……何やら物騒な言葉をかけられたが……。
「物騒、ねぇ。はッ、君の前でレムナンがどれだけ取り繕っているのかは知らないけど。相談と称して、散々愚痴に付き合わされた僕の身になってほしいものだよ」
ラキオは不満気に……まあ、いつも通りといえばそうなのだが、そんな言葉を漏らした。
……愚痴? 初めて聞く話だ。そう聞くとなんとなく不安がよぎってくる。
他にもなにか、レムナンに不満を抱かせてしまっているのだろうか……。
二人はどんな話をしているのか、と尋ねた。
予想外の返答だったのか、ラキオは表情を落ち着かせ、値踏みするようにこちらを眺めた。
「なんだ、本当に知らないの? ……そうだな……まあ、教えてやってもいいよ」
それは助かる、ありがとう……と感謝した。
ラキオは口こそ悪いが、自分やセツ、それにレムナンを助けてくれた恩人だ。
レムナンに深く信頼されているラキオなら、自分の知らない彼のことをたくさん知っているかもしれない。
フン、と鼻を鳴らして、ラキオの口元が弧を描く。
「ああ、そう思うのならもっと態度で示してくれる? ほら、頭を下げなよ。僕の話を聞きたいンだろう?」
……悪人ではないのだ。……口こそ悪いが。
背に腹は代えられない。頭を下げて、聞きたいです、教えてください、と頼んだ。
「あははッ、やるじゃないユーリ。その姿勢の良さは褒めてやってもいい。君、頭を下げるのは慣れたものだね」
何割かはラキオのせいだと思うが……。
「頭を下げる選択をしたのは君だろう? 責任転嫁される謂れはないね。……ほら、来なよ。そんなとこにいたんじゃ、レムナンに見つかる」
見つかって困ることなんてあるだろうか、とは思ったものの、十倍の言葉で言い返されそうなので黙っておいた。
先導されるままラキオについていく。そのまま彼の部屋に入ったところで、ラキオがくるりとこちらを振り向いた。
ラキオはこちらに目を合わせて、特に表情を動かすこともなく言葉を吐き出す。
「ユーリ、僕は君を好ましく思っているよ。君はとても魅力的な女性だ」
……アッ、嘘だ。絶対に嘘だ! 直感を働かせるまでもない。
なんのために……と戸惑っている間に、ラキオの表情がいつもの皮肉たっぷりなものに変化する。
「……と、僕が言い出す可能性を考慮しなかったのかい? レムナンが気にしていたのはこういうことだね。ああ、もちろん今のは嘘だから安心しなよ。君に執着する物好きはレムナンだけで十分さ」
ラキオは心底おかしそうに笑うと、立ち尽くす自分を残し、さっさと椅子を引いて腰掛けた。
……言いたいことは山ほどあるが……とりあえず、レムナンに謝ってほしい。
「嫌だね。事実を指摘しただけで謝罪を求められるなンて、おかしな話じゃないか」
予想していた通りの返答に思わず笑ってしまう。ラキオならそう言うと思っていた。
ラキオはこちらの反応に怪訝そうな顔をしたが、掘り下げる必要はないと判断したのか話を進める。
「要するに、だ。レムナンは君の軽率な行動と浮気症に不満を抱いている。他の男だか女だか汎だかに奪われる……とでも思ってるんじゃない? 君なんかに余計な心配だと思うけどね」
……なるほど。やはり参考になる……が、最後の一言はどう考えても不要だ。
それこそ余計なお世話だろう、と反論した。
自信ありげな表情を崩さないまま、ラキオはおかしそうに笑った。
「あははッ、ムキになるってことは自覚があるんじゃない? ま、僕に言えることはこれが全てだね。さっさと帰りなよ、ユーリ。ああ、無遠慮に他人の部屋にあがりこむ癖を反省しながらね。僕まで矛先にされたら堪らない」
追い払うように手をひらひらと振られて、更に反論したい気持ちが湧いてくる。
相手がラキオでもなければ部屋に入ったりしない、と主張した。
自分にそういった感情を向けてくるわけがないラキオだから、信頼しているのだ、と伝えた。
「ま、その言い訳があのレムナンにも通用するといいけどね。君がご執心なのも汎性だろう? 善意で忠告してあげるけど、早く帰って言葉の意味を考えた方が余程有意義な時間になるよ。ははっ!」
……悔しいが一理ある。今日はもう部屋に戻るべきだろう。
返ってこないことを承知で、おやすみ、と挨拶してラキオの部屋を出た。
自室への帰路を辿りながら、教えられたことについて考える。
『レムナンは君の軽率な行動と浮気症に不満を抱いている』
『他の男だか女だか汎だかに奪われる……とでも思ってるんじゃない?』
軽率なつもりも浮気症なつもりもないが、重要なのはレムナンを不安にさせていることだ。
嫉妬や寂しさはこれまでも直接伝えてくれていたのに、解消に至っていなかった……ということになる。
掘り下げることはできなかったが、自分の行動は『監禁されてもおかしくない』と言われるほどレムナンを追い詰めているのだろうか。
……どうすれば良いのだろう……。
「……あ。ユーリさん……?」
――急に声をかけられ、びくりと体が震えた。
声のした方を振り返ると、渦中の人物……レムナンが、不思議そうにこちらを見つめている。
「こんばんは。……珍しい、ですね。ユーリさんが、こんな時間に、外にいるの……」
レムナンは自分の横に並ぶと、辺りを警戒するように見回した。
少しの間が空いて、レムナンの表情が緩む。
「うん……誰も、いないみたいです。でも、夜は危ないので、あまり一人で出歩かないようにしてください」
わかった、心配してくれてありがとう、とレムナンの心遣いに感謝する。
「いえ、そんな……あの。ユーリさんさえよければ、部屋まで送らせてください」
ありがとう、と返答する前に、ふと思い付く。
今からレムナンの部屋で、二人で話せないだろうか。自分の部屋でもいいのだが、レムナンがより安心できる空間で話がしたい。
今からレムナンの部屋に行ってもいい? と、思い切って尋ねた。
「あ……。は、はいっ。もちろん、です……!」
レムナンが恥ずかしそうに頬を赤らめて承諾してくれる。こちらの手を取って歩き出す横顔はとても嬉しそうだ。
……その反応を見て、わざわざこんな時間に恋人の部屋を訪ねる……というのが、どんな意味を持つ行為なのか思い出す。
「……実は僕、ちょうど、ユーリさんに会いたいって思っていたんです。だから……ユーリさんも同じ気持ちだったなんて……ふふ、嬉しいです」
レムナンの笑顔を見ることができて、自分も嬉しい、と返事をした。
「ふふ……。はい……」
その笑顔を見ていると、先ほどまでのことも忘れてしまいそうになるが――自分に喝を入れる。
レムナンにこうして笑っていてほしいなら、ちゃんと話し合いをしなければ……!
「あ……あの。ユーリさんが悪いわけじゃ、ないんです。本当に、僕が……」
レムナンは俯きながら、ちらちらとこちらに視線を送ってくる。
「……嫉妬深い、だけで……」
知ってる、と胸を張って答えた。
「……えへ……あっ、す、すいません。笑うところじゃ、ありません、よね」
「ラキオさんに話していたのは……ユーリさんに対する不満じゃ、ないんです。……ユーリさんは何も悪くないのに、そんな、愚痴だなんて……」
本当に? と、レムナンの目を正面から見据える。
自分に思うところがあるのなら、受け止めるから教えてほしい。レムナンを不安な気持ちにさせたくはないのだ、と説得する。
「う……でも、自分勝手なこと、ですから……」
それでいいよ、とレムナンに伝える。こちらも善処はするつもりだが、全てを叶えるとは約束できない。
……それでも、レムナンの思っていることを教えてほしい。自分たちは、これからも一緒に生きていくのだから。
「……これからも、一緒に……」
レムナンの瞳が揺れる。その様子をただ黙って見つめていた。
見つめ合ったまま、レムナンの腕に包まれる。
「……すいません。貴方の顔を見て伝える勇気がないので、このまま……こうして話しても、いいですか」
もちろんだ、と快諾して彼の背中を撫でた。
彼の抱きしめる力が強まって、苦しいくらいになる。
……その遠慮のなさを、とても嬉しく思った。
しばらくはただ抱きしめ合っていたが……不意にレムナンの声がした。
「……ユーリさんはいつも、セツ、セツって。僕がいるのに、ここにいない人のことばかり……」
「特別で大切だ、なんて言われて、あんな笑顔をされて……気にならないわけ、ないじゃないですか。僕は、貴方の恋人なのに」
「それでも、僕なりに、我慢……していました。……汚い欲望で、ユーリさんを縛りたくなかったから……僕を選んでくれたんだから、それで十分って、そう思って……」
「それに、助けたい、なんて言われたら、止められるわけがないんです。僕は、僕を助けてくれた貴方が、大好きなんですから……」
「……でも。それが終わったと思ったら、今度は『また話したい』って……これからの人生すら、あの人に捧げるつもりじゃないですか。そんなの……納得できません。……僕はこんなに、ユーリさんのことが好きなのに……ユーリさんも、そうですよね。僕を好きだって、言ってくれましたよね……? それなら、もっと……」
「……僕を、貴方の一番にしてください……」
「これが自分勝手で、無理を言ってるのは、わかってるんです。一生懸命なユーリさんを好きになったのに、もうやめてほしいだなんて。でも……これが僕の、正直な気持ち、です」
「……嫌いにならないでください。貴方に見捨てられたら、僕は……」
嫌いになるわけがない、と返事をした。
ほとんど反射的に口から出た言葉だったが、後悔はない。自分自身、心底そう思っている。
レムナンの身体を力いっぱい抱きしめる。正直に話してくれてありがとう、と感謝を添えた。
「……僕のこと、好きでいてくれますか?」
もちろん大好きだ、と淀みなく答えた。
「……僕のこと、一番に、してくれますか」
既に一番だけれど、これからはもっと、何よりも最優先する、と答えた。
「恋人として、人として……僕を、愛してくれますか」
――世界の誰よりも愛している、と告白した。
「……そう、ですか。わかりました」
震えていたレムナンの声が芯を持った声色に変わる。
腕の力は弱まったが、動いて良いのだろうか。
もう顔を見てもいい? とレムナンに尋ねる。
「はい。僕も……ユーリさんの顔、見たいです」
「……愛しています」