流れ星の正体 前編<ミッションまであとXX日>
あれはいつだったか。そう、指導者が誰か分かって、そのマーヴェリックにみんな揃ってボコボコにされたすぐ後のことだ。
トップオブトップの揃いと言えどガス抜きは必要で、となれば酒を飲むに限り、行ける場所は必然偏って、顔見知りが集えば杯を打ち鳴らすのは自然な成り行きだった。
ハングマンが例のごとく嫌味を落としてトイレに立って、場にはふと沈黙が落ちた。なんとはなしにコヨーテに視線が集まる。
「コヨーテって…よくあいつと連めるよな」
ビールの進みが悪いルースター。
「うん、よく言われる」
「何か弱み握られてんの?」
既に4杯目を空けるフェニックス。
「それもよく言われるけど、ちがう」
「目が悪いとか」
空の瓶を振りながらファンボーイ。
「おい。アヴィエイターがそんなわけないだろ」
「じゃあ見る目がないんだ」
ファンボーイの瓶を取り上げながらペイバック。
「普通に俺の悪口じゃねえか」
散々な言われようだが言われているのは相棒とも親友とも言える相手である。が、特に庇い立てしたりしないところがコヨーテもなかなかいい性格をしていると、フェニックスなどはそこを気に入っている。
何で、何でと騒ぐファンボーイとペイバックに苦笑して、コヨーテ曰く。
「まぁ、あいつも懐いてくると可愛いところあるんだよ」
全員沈黙。
「悪いのは目じゃなくて趣味だったね」というボブの総括に流石のコヨーテも切れ、飲み会が混沌のまま崩壊したのは言うまでもない。
<ミッションまでX日>
そんな飲み会の記憶を思い出したのは、ハングマンが「大佐!」と声を上げてニコニコ笑いながら通り過ぎていったからである。大気を裂くジェットエンジンの音が響く基地の中で、ルースターの耳にはその呼び声がエンジンより耳につく。
2分15秒の飛行はよほどハングマンのお気に召したらしい。
つい先日行われたマーヴェリックの実演飛行。それぞれが胸に興奮と希望を灯され、冷めやらぬ熱を抱えて一晩を超えた。後日のブリーフィングで、苦虫を口いっぱい頬張ってかみつぶしてもまだマシだろうという顔でサイクロンがマーヴェリックの復帰を告げた直後から、ハングマンはすっかり様子を変えていた。
「マーヴェリック!」ああ、また声がする。目の端に嫌でも入る、振り向いて嬉しそうに笑うマーヴェリック。追いついて何か話し込む二人。ハングマンは背中しか見えないが、ブンブンと振られる尻尾の幻覚が見えそうなほど分かりやすく親愛を表現している。
「……」
「ルースター、顔、顔。すごいわよ」
フェニックスが呆れた顔で突っついてくるがそれどころではない。
指を振り払う気力もないルースターの視線を追って、マーヴェリックに嬉しそうに何か話しかけてるハングマンの姿を認める。
「懐いたわねー」
納得と呆れを滲ませてフェニックスは笑った。
「なんだよアレ……」
ルースターがほぼうめきのような声を上げる。
「ハングマンでしょ」
「あいつあんなキャラだった?」
「さあ。でも実際あんなになってるんだからそういうもんなんでしょ」
「……」
「顔こっわ」
どういう感情?と言われるが、そんなのルースターの方が知りたい。
自分は何にこんなに苛立っているのか。
手のひらを返したようにマーヴェリックと距離を詰めるハングマンに?
若く才能のあるアヴィエイターに嬉しそうな様子を見せるマーヴェリックに?
どちらも違う。
どちらの態度も立場を逸脱したものではなく、それまでのハングマンの態度の方が目に余るものがあったくらいだ。二人はおかしくない。おかしいのは自分の方だという自覚がルースターにはある。それにまた苛立ちを感じる。
どうして。
「まあハングマンみたいにはならないけど、気持ちは分かるわよね」
立ち話する二人の様子を見たまま、フェニックスがそう呟く。
「あれはなんていうか…それだけの衝撃をくれるものだったから」
あれとは、マーヴェリックの飛行だろう。
あれは奇跡を見せつけられたようなもので、つまりマーヴェリックには現実であることを奇跡だと感じる自分との彼我の差を思い知らされた出来事でもある。
トップクラスのアヴィエイターであるという自負と誇りが自分たちにはあった。それに見合う努力もしてきたつもりだ。しかしそれでもまだ届かない場所にあの人はいる。
最初のドッグファイトから、何度も何度も、誇りを踏みつぶされ、自信などぺしゃんこにされた。求められる技量、不足する実力、迫る任務、どこか漂う薄暗い雰囲気。
ここまでなんじゃないか、という思い。
トップアヴィエイターたる自分たちですらここまでなんだから、このミッションは、もう───
───飛び込んできたその機体は空を切り裂いた。
マーヴェリックの飛ぶ姿は叫ぶようだった。きっと実際に、アヴィエイターにだけ聞こえる声で叫んでいた。
可能性を。
このミッションは不可能な要求ではないと。
渓谷を泳ぎ、空を駆け上り、舞い降りて落とされた爆弾は過たず命中して───漂うすべての諦観を吹き飛ばした。その爆弾は見守るアヴィエイターたちの胸にも投げ込まれていた。
アヴィエイターを目指した始まりの場所がそれぞれの胸にはある。そこに投げ込まれた炎が末端まで燃え盛り、体が生まれ変わるようだった。
飛びたいと思った始まり、空への純粋な憧れで胸が震えた───…
「あのマーヴェリックと飛べるのよね」
いつも冷静なフェニックスですら頬を紅潮させてマーヴェリックを見つめている。それにすら嫌な感情を掻き立てられてルースターは自己嫌悪でさらに落ち込んだ。
「…選ばれればね」
「自信ないの?」
「……さあね」
分かりやすい挑発に、返すことなどできなかった。だって選ぶのはマーヴェリックだ。
破り捨てられる願書の幻影が過ぎる。ちぎれたのは紙切れではなく絆だったと思う。捨てられたのはルースターの幼い憧れだ。信頼は裏切られ、家族と思っていた男は締め出した扉の向こう、背を向けて帰ってこなかった。
サビついたような首を回して、立ち話をする二人の姿を見る。
ハングマンが何か話して、マーヴェリックが少し笑って説明をしている。ハングマンは頷いて、また問いを重ねていた。
認めたくないだけで、どうして苛立っているのか、ルースターは本当は分かっていた。
あれはかつての自分が憧れたものだ。
マーヴェリックに憧れ、追いつきたいと願った。好意を寄せて、後を追った。振り向いて笑って抱き留めてもらえると思っていた。でも、全部間違いだった。ルースターは答えてもらえなかった。
ハングマンは違う。同じアヴィエイターの目線で会話し、対等に答えてもらえる。
羨ましい。おれもああなりたかった。
幼い自分が胸の内で叫ぶ声がうるさくて、ルースターは今日もまたひっそりとそいつの首を絞めた。
<XX年前、夜>
事の次第を知り、困惑、理解、絶望を経てすべての感情は怒りという形で爆発した。
「あんたはいつも自分勝手で、わがままで、自己中心的だ!こっちを振り回して、やめろっていっても聞かないし、相手を怒らせても反省もしない。俺のことガキ扱いしていい気になるなよ、もう自分で人生を選べるんだ、俺の人生だ! あんたなんか───」
混乱していた。とにかく荒れ狂う内心が自分を傷つける前に、吐き出さずにはいられなかった。自分の代わりにマーヴェリックを傷つけた。だって俺にはその権利がある。
自分が裏切られたのと同じくらい、それ以上に。いつも溌溂と笑顔で迎え入れてくれるこの人の心の奥底に、ナイフを突き立ててやりたかった。かつてないくらいに傷ついて、泣いてすがって許しを請えばいいと思った。
大きく育ちつつある体は暴力的な感情をそのまま発露するには力を蓄えすぎていて、それをマーヴェリックにぶつけることも、家具にぶつけることもできなかった。お行儀のいい子どもだった。マーヴェリックが俺の人生を大切にしてくれないと知ったのに、それでもその体が簡単に傷つけていいものじゃないと沁みついていることがまた苛立たしかった。
育ててくれた男はいつも些細なことで「ブラッドは優しいいい子だね。グースにそっくりだよ」とはにかんだものだ。振り下ろす先のない拳が痛んで、大切にしている思い出すら粉々になって胸を刺した。
だから傷つけばいいと思ったのだ。叩きつけた言葉たちは、時々抱く不満を誇張すれば本心ではあったが、言うつもりなど毛頭ないことでもあった。笑いながら、しょうがないなまったく、ですむことばかりだったのに。
こんな風に投げつけるはずのものではなかったのに。
「二度と顔見せるなよ」
落ち着かせようとするマーヴェリックの腕を振り払い、到底納得できない説明ばかりを紡ごうとするのを怒声で遮り、今まで使ったことないような罵倒を連ねて言葉をなくしたマーヴを家から追い出して扉を閉めた。
鼻先で閉じてやった扉の向こう、マーヴがどんな顔をしていたのか俺は知らない。
ブラッドリー、と小さく呼ぶ声が聞こえた気がするが、それが本当にマーヴェリックが発した声なのか、そうであってほしいと望んだ俺の脳が生んだ幻聴なのかは定かではない。聞いたことないような震える声だったから、きっと後者だ。
どっちだったにしろ、返事はしなかったし、当然扉も開けてやらなかった。
俺はとにかく激情を抑えるのに必死で、この行動がこの後どんな結果を生むのかなんて全然知らなかった。俺たちは家族で、家族ってのは許し合えるもので、謝罪と許容の連続で続いていくんだって俺は教わって育った。
だからまさか会いにこなくなるなんて思いもしなかったのだ。あの男にとって自分は家族じゃなかったんだろうか。
拳を振り下ろさなかっただけでなく、許しを与える機会すら奪われて、煮凝った苦しみを糧に俺は空を飛ぶ資格を手に入れた。
<ハングマンの話>
───完璧な武器でなくては。
存在を認められるために自分に課した義務だった。
セレシン家は官僚家系で、軍務というよりは事務畑の家柄だった。何人もいる兄弟姉妹が筋肉よりは脳みそを鍛えることに重きを置き、図面の中に踊る数字で国を守ることに誇りを抱く思考を親から継承する中、ジェイクも末席ながら同じように勉学に励んでいた。
しかし幼いジェイクは、晴れていても薄暗い部屋の中から見つけてしまった。窓の外、真っ青な空を飛び往く戦闘機。
ぐんぐん高度をあげ、雲を突き抜けて青に溶けていった機影たち。
あんな風に空を飛びたい。
ジェイクが抱いた純粋な憧れは家族に賛同されるものではなかったが、たった一人、理解してくれる遠縁の男がいた。ジェイクより二十歳近く年上であった男もまた、空に魅了された者の一人だった。親族からは変わり者扱いされていたが、自信家な者が多い中、控えめで朴訥としながら確かに夢を叶えつつあるこの男のことがジェイクは好きだった。彼は視力の問題で操縦桿を握ることは叶わず、WSOとしての道を歩み進めていた。
空を飛ぶことへの止め得ぬ憧れや、戦闘機乗りになる道程など、家族の集いがあるたび親族に隠れて語り合った。「ジェイクはきっといいアヴィエイターになるよ。いつか一緒に飛べるといいな」
実の兄よりも兄のように慕い、きっとすぐに追いつくから、そうしたら空を一緒に飛ぼう。そう約束して笑いあった数年後、男は空から帰ってこなかった。
空の恐ろしさも、親族からの風当たりも知ってなお、ジェイクは諦めなかった。
そして他の親族の誰に応援されることもなく、ただ放任されるように夢を叶えてジェイクはハングマンになった。
同じ憧れを宿した者たちとなら、同じ考えを持って、同じ空を飛べる。幼いジェイクはずっとそう信じていた。
トップガンに選ばれても、卒業しても、ハングマンの胸に蟠ったものがほどけることはなかった。
求められる制限の中、自分はいつでも本気で完璧な結果を叩き出した。それなのに仲間たちはどこか歪なものを見るような目で見、教官連中は粗を探しては文句を言った。
あんな無茶な飛び方。速すぎる。ついていけない。勝手なことをするな。こちらに合わせろ。
何言ってんだこいつら?
本番には守ってくれるルールなんかない。一瞬が命取りの空で、どうしてグズグズしていられるんだ。
訓練でこそ限界を越えなければいけない。自分の、機体の、できる限界を知り、そしてそれを超えていく。限界の幅を広げるのだ。お行儀良くして褒められるのなんてプライマリまでだ。
訴えても、みんなはそうじゃないと言う。
同じ速度で飛べるだろう実力のある奴らですらずっと後ろに置いてきた。
そうなんだろうか。こんなに速く飛べるのに、待たなきゃいけないんだろうか。
そう聞けば、コヨーテは「すぐ追いつくからそのまま行けよ」と苦笑した。でも無茶はするなよ、と肩を叩く手が温かかったのを覚えている。
出来ると思ったから飛んだし、出来ないなら出来るようになるために飛んだ。どこへ行っても行き過ぎて、みんな後ろにいる。
空を飛ぶ夢は叶ったが、こんなに広い空、隣に肩を並べる僚機はいない。後席に乗せると約束した人ももういない。
俺が完璧すぎるからさ、なんてうそぶいてみたところで、視界は広く、どこまでも広がる空には誰もいない。
空漠とした世界。
そこへ横から突き抜けていった機影。
すごい速度で飛んできて、まるでこここそが生きる場所というように重力と戯れる鉄の鳥。
その喜びがわかる。
その寂しさがわかる。
空はこんなにも自由で、寂しい。
追い抜かされたのも、追いかけて追いつけなかったのもなかなかない経験で、楽しくてしょうがない。それなのに当のマーヴェリックはノロマな雄鶏にばかりかまけていて面白くなかった。自分がいくらつっついてもぼんやりしている鶏野郎が、マーヴェリックが関わると想像したよりもずっと苛烈な感情を発露するところも面白くなかった。
「かといってあの発言は無礼でした。謝罪させてください」
2分15秒で完全に腹を見せた犬のような心境になったハングマンは、マーヴェリックへ素直に師事を仰ぐことに決めた。マーヴェリックから学べるのは特殊任務が始まるまでの短い期間しかなく、相変わらず何か躊躇しているらしい雄鶏のようにもたもたしている時間はなかった。
姿を見れば呼び止めて、あれやこれやと意見を仰いだ。その中で、避けては通れないのがあの時の、ルースターから激情を引き出した時の発言だ。あれはルースターだけでなく、マーヴェリックの心も抉っただろうことは間違いない。
受け入れてもらえるかは別として、けじめとして誠意をもってそう告げれば、マーヴェリックは驚いたようにこちらを見上げた。
「きみは…思ったよりも素直だな」
「ええ?」
その発言に思わず笑ってしまう。あまりに素直すぎるのはどちらの方だか。
空ではあんなに猛々しいのに、地上でのマーヴェリックはどこかぼんやりしていた。戦闘機に関わっていない話題の時は、特に。
「謝罪を受け入れるよ、ハングマン。でも僕よりルースターに頼む」
何とも返さずニッコリと笑えば、マーヴェリックはまるで頑是ない子どもを窘めるみたいに眉を下げた。
訓練でこそ無理するべき、機体の性能は限界まで引き出せてこそ、無理と無茶は別。ハングマンの展開する持論に苦笑しながら、本当なら叱らなきゃいけないかもしれないけど、否定できないなあと楽しそうに笑った。
おおらかに笑うこの人は、ハングマンと同じ言葉を話してくれる。優しいから理解を示してくれるのではなく、見つけた同じ種族の存在。
「でもハングマン。きみは独りで飛ぶんじゃない。きみも分かっているだろう、空は一人で飛ぶにはあまりに広い。でも僕らには僚機がいる」
「あいつらじゃ追いつけない」
「真横を飛ぶだけが僚機じゃないさ。きみが誰よりも速く飛ぶなら、僚機は誰よりも注意深く飛ぶかもしれない。僕の僚機も全然飛び方は違った。誰よりも正確に飛ぶ奴だった」
訓練飛行中の機影が通り過ぎる。見送るマーヴェリックの目には、きっと別の姿が見えているのだろう。遠い目だった。あまりに透き通った顔に言葉を失う。
「きみにはコヨーテがいる」
「え?」
「もしくはフェニックス。…ルースター。ほかにもみんな…」
まっすぐ見上げてくる。伝説のアヴィエイター、マーヴェリック。こんな顔だっただろうか、と突然思った。
「誰も死なせはしない。地上に必ず帰す。それが僕がここにいる意味だ」
頼もしい言葉なのに、背筋が凍った。すっかり覚悟を決めた顔には恐れなどなくて、彼が何度もこの覚悟を決めて任務に向かってきたのだろうと貫禄さえ感じる。何がこんなに恐ろしいのだろう。
息をのむ間に廊下の向こうから呼ばれ、マーヴェリックは去ってしまった。
訓練室へ戻るとコヨーテが「ようハングマン!」と陽気に声をかけてきた。
「ついに俺もミッション成功率が基準値を超えたぜ! お前にはまだ負けるけどルースターには勝ってる。お前もうかうかしてらんねえぞ」
「次あたしが飛んで抜かすわよ」
勝気に笑ったフェニックスがボブに声をかけて部屋を出ていく。軽口も返せないで立つ俺に「どうした?」とコヨーテが近づいてくる。
”きみにはコヨーテがいる”
大佐の言葉がリフレインしてくる。違和感の正体に気づく。
マーヴェリックにはいないみたいな言い方だ。
”地上に必ず帰す。それが僕がここにいる意味だ”
こことは教官の立場のことですよね、と当たり前の確認をしたくなった。もはやただの教官ではない。彼もまた僚機であるはずだ。彼がトップガンの教官であったならきっと正しい発言だった。でも彼はともに任務へ向かうのだから、「帰す」ではなく「帰る」と言うべきだ。
あなたの存在理由がそれしかないみたいな言い方、そんな風に思ってるなんてそんな訳は。
怖気を振り払うように顔をあげる。
今できることは不安を振り払うだけの訓練を積むことだ。そしてすべてを圧倒する完璧な結果を叩き出す。
全員で生きて帰ろうと彼が翼で誘ったのだから、誰よりもそれに答えたかった。