ボーダーに入りたての頃、太刀川さんは暇さえあれば俺を個ランに誘ってきた。
いや、あれはもう個ランどうこうじゃなくて、太刀川さんにとっては出会い頭の軽い挨拶くらいの感じだったんだろう。「おっ、迅!やろーぜ!」って、無理やり首根っこ掴まれて、そのくせ10本勝負で終わったことなんか一度もなかった記憶がある。
なにせあの頃の俺は、太刀川さんより弧月の扱いに長けてたし、俺にボコボコにされる度に太刀川さんは「もう一回!」とおかわりを所望して来たから。まあそれもほんの最初の頃だけで、俺は太刀川さんとの勝負に勝つためにスコーピオンを開発せざるを得なくなるんだけど、その話は今はおいといて、とにかく、両手に持った弧月を俺に向かってぶん回す太刀川さんは滅茶苦茶で、そして破茶滅茶に楽しそうだった。
そんな日々を過ごす中で、俺は一度だけ太刀川さんに「何でそんなに強くなりたいの?」って聞いたことがある。
太刀川さんはまだ髭の生えてない顎を摩りながら、ん〜って考えて、それから真面目な顔で「強くなりたいから?」って答えた。何だそれ。
「……その、強くなりたい理由を聞いたんだけど」
「そんなの理由なんているのか?またいつアイツらが来るかも知んねーのに、強くなっといて損はねーだろ」
「いや、まあ…」
それはそうなんだけど。
そういえば、前に「なんでそんなに餅が好きなの?」って聞いたら「餅が好きだからだな!」って言われたのを思い出す。
太刀川さんにあんな(高尚な)質問をした俺が馬鹿だったのかもしれない。
それから間もなく俺は風刃の所有者になった。つまりこれからは太刀川さんの個ランに付き合えないってことだ。それを聞いた太刀川さんはそれはそれは残念そうだった。俺がいなけりゃ不動の1位が確約されるにも関わらずである。
申し訳ないので、今日は俺の奢りとおしるこの缶を差し出すと、太刀川さんは渋い顔で受け取った。ちなみに俺は飲まない。あれ飲むと逆に喉乾くんだよね。
「まあその内戻ってくるかもしんないし、それまでは太刀川さんが1位の座をしっかり守っててよ」
俺がそう言うと、太刀川さんはおしるこを啜りながらやけに素直に頷いて見せた。
「え、何、なんか大人しいね」
気持ち悪い、と口に出しては言わなかったけど、実際のところものすごく気持ち悪い。
「いや、なんか、前にお前になんで強くなりたいのかって聞かれたの思い出してた」
「あ〜、そう言えばそんなことあったね」
確か期待通りの返事じゃなかった覚えはあるけど、じゃあどんな返事ならよかったのかと聞かれると答えに詰まってしまう。俺はあの時太刀川さんになにを期待してたんだろう。
強くなりたいから強くなろうとする人なんて、これまでもたくさん見て来たのに。
「…うまく言えねえんだけど」
「うん」
「勝負なんだから勝ったらフツーに嬉しいだろ。そんで負けたら悔しくて、勝つにはどうしたらいいんだって考えながら、今度は負けねーぞ、強くなってやるぞって。そういうのが楽しいと思ったんだ。別に1位になりたいとかそういうんじゃないんだ」
「うん、分かるよ」
太刀川さんは1位になりたいわけじゃない。かといって勝つだけが目的ってわけでもない。ただ強くなりたくてやりたい放題やって、気づいたら1位になってた、そういうタイプの人ってことだ。じゃなけりゃ負けたらポイントをごっそり持って行かれるかもしれない勝負をおかわりしまくらないだろう。
「今はさ、前より人も増えて、つってもお前みたいな奴はまだあんましいねーけど、それでも俺に勝てないって分かってんのに真正面から挑んでくる奴もいて、そういう奴に不意打ちで負けたりして、あークソってなるけど、それもやっぱり楽しい。実戦にも使えるしな」
「うん、そうだね」
それがここのいいところだ。俺にも分かる。
「それに、そもそも忍田さんに勝ててねぇんだし1位だからなにってこともないだろ」
「うん」
太刀川さんはそこで一旦話を切った。そしてしばらく遠くをじっと見つめるように黙りこくってから、でも、と続けた。
「なんか、これからは1位でいたい気がしてる」
「うん、ンえ?」
それまでうんうん、と頷いていた俺の口から間抜けな声が漏れる。いやいや、さっきと言ってること違うじゃん。
「…どういうこと?」
「いや、1位こだわる訳じゃねーんだけど、でも、……譲りたくねぇなって。個人総合も、それからチーム戦も」
訳が分からない俺の前で、太刀川さんもまた訳の分からない表情でンーと唸っている。
もしかして、さっき俺が1位の座を守っててなんて言ったからだろうか。あれ冗談のつもりだったんだけど…ていうかそもそも太刀川さんがそんなこと気にするようなタマか?
「あ、」
その時、突然、俺の脳裏に未来の景色が浮かんだ。見慣れた人の未だ見ぬ姿を視つめる俺に気付いた太刀川さんが、ゲッとでも言うように自分の顔の前に両手をかざす。いやそれ全然意味ないから。俺のサイドエフェクト舐めんなよ。
「お前、またなんか視てるな?視んな!」」
「……視えちゃったねぇ」
わざとじゃないけど、この時の俺はずいぶんと意地の悪い顔で笑ってたと思う。
「なに…、いや、いい。言うな!言わなくていい。何が視えたか知らねーけど、とにかく!…えーと、なんだっけ」
俺の未来視を断固拒否した太刀川さんが飲みかけのおしるこを手にすくっと立ち上がり、そこで言葉を見失う。肝心なところで締まらないのが太刀川さんらしい。
「1位でいなきゃならないんでしょ。誰かさんに追っかけてきて欲しいから」
実はこの時俺に視えてたのは、顎髭を生やした太刀川さんと同じくらいの背格好の男の人が並んでる景色だった。
太刀川さんはロングコート姿じゃなくて、両手は手ぶらで、でも滅茶苦茶幸せそうな顔をしてた。
「あれって最近ボーダーに入った期待の新人くんじゃなかったっけ?確かトリオン量がすごいとかなんとか。将来有望だけど取り扱いに困ってるって忍田さんが言ってたなぁ…。そういえば太刀川さんと同い年なんだっけ?」
だからこれは完全に誘導尋問、カマをかけたってやつだ。それなのに、太刀川さんの顔は分かりやすく真っ赤になってた。
「やれやれ、こんなんで1位守れる?大丈夫?」
にやにやと笑う俺を耳まで赤くした太刀川さんがギロリと睨む。
そんな顔しても全然怖くない太刀川さんを見上げながら、俺はなんだか嬉しかった。
強くなりたいから強くなろうとする。そんな人はたくさん見てきたけど、多分、きっとそれだけじゃない方がいい。太刀川さんの強くあり続けたい理由に不純な動機が増えてよかった。
俺はゆっくりと立ち上がり、太刀川さんの肩をポンと叩いた。
「せいぜい頑張って」
「…………おう」
なーんてことが、あったんだよなぁ。
間一髪、太刀川さんの振り下ろした弧月を避けながら、俺の頭の中は懐かしい記憶でいっぱいになっていた。
きっと3年ちょっと振りに太刀川さんとこうしてランク戦なんかに勤しんでるせいだ。俺、暗躍その他諸々で忙しいことになってんだけど、そろそろ解放してくれないかな。
「なんだよ迅、考えごとか?」
太刀川さんは相変わらず滅茶苦茶楽しそうで、でも前みたいに破茶滅茶ってことはなかった。
「太刀川さんのこと考えてたんだよ」
「なんだそれ」
太刀川さんが気持ち悪っ!て笑う。それ言っちゃうんだ。俺はあの時言わないであげたのに。
「気持ちは大して強くない太刀川さんが1位で居続ける理由を思い出してた」
ちょっとムカついた俺は、太刀川さんでも分かるように丁寧に説明してあげた。
太刀川さんは利き手じゃない方の弧月を鞘に収めながら、ほんの少し目を丸くして、それからはっはっはと大きく笑い声を上げた。
「そういや、そんな話したなぁ」
「まだ譲れないの?下に若い子達がいっぱい入ってきてるよ」
「そりゃ譲れねぇだろ。アイツがまだ諦めてないんだもん」
臆面もなくそう言い切った太刀川さんが今度は利き手の弧月を鞘に収める。
あーあ、やっぱ一回はやるよね旋空弧月。うまく避けられるかなぁ。ちょっと自信ない。
たった3年の間に、太刀川さんの弧月はますます研ぎ澄まされて、やっぱり風刃を手放すんじゃなかったな、なんて一瞬でも思ったことは太刀川さんにだけは知られたくない。
「まだまだ追っかけてきて欲しいって?もう付き合ってるんでしょ」
「それはそうなんだが、普段は俺ばっかが追っかける方だからな。お前だって好きな子には追っかけてきて欲しいだろ」
いや、俺はどっちかって言うと愛されるより愛したいタイプなんだけどと軽口を叩きながら、太刀川さんとの間合いを測る。
うーん、どう見ても俺に不利な状況だ。まさに絶体絶命の大ピンチ。それならせめて何か一言言ってやりたくて、俺はいつかみたいな意地の悪い笑みを作る。
「太刀川さん、必死だなぁ」
太刀川さんは俺を見つめたまま、スウっと目を細めた。不思議な虹彩の向こうに見える勝利への確信。前言撤回、やっぱりこの人、破茶滅茶だよ。
「そこは健気って言えよ、迅」
『6ー4、勝者、太刀川』