生贄の朝は早いタイトル:生贄の朝は早い
お題:異教/キリン/枝
エッタの夢はよく現実になる。
隣家の息子が事故にあう夢を見ると、実際に彼は翌日、横断歩道を飛び出して車にはねられた。幸い、死亡はしなかったけれど、もう、二度とかけっこはできなくなった。
クラスのみんなと病室にお見舞いに行ったエッタに、彼はほほえんだ。
「エッタも来てくれたんだ。ありがとう」
エッタは、彼が自分の名前を知っているとは思わなかったので、びっくりして、それから、照れくさそうにはにかんだ。花瓶の水を取り替えてくるよと言って、病室を出ていって、鏡で前髪を耳にかけて戻る。
すると、中から彼の声が聞こえてきた。
「エッタのせいだよ」
エッタは彼が何を言ったのか理解できなかったけれど、とっさに花瓶を落として、逃げ去ってしまった。
家に帰ったエッタを待っていたのは、短くてもろいささやかな幸せを踏みつけるような、ママの怒鳴り声だ。
「どこに行っていたの」
「お見舞いに」
たずねられたから返事をしたのに、ママはエッタをぶった。でも、エッタはそれがおかしなことだとは知らなかったので、おとなしく殴られる。ママはエッタの襟首を掴むと、ゴミとホコリだらけの廊下を引きずって、ぴかぴかの部屋につれていった。
部屋の中央には、充血してまっかな目をしたキリンの生首が、机の上に置いてある。エッタのパパがその机の前で静かに眠っている。昨日の朝声をかけたときよりも呼吸が浅い。
「お祈りして」
ママはエッタの後頭部をてのひらで叩く。エッタは視界が揺らめくような衝撃を小さな頭で受け止めた。はたして、エッタは一度でも彼女に撫でられたことがあっただろうか?
エッタは両手をあわせて高くあげながら、頭を垂れてお祈りする。ふりをする。だって、エッタはなんでお祈りするのかわからないのだ。
一度、ママにそれを尋ねたとき、エッタは命が失われそうになるほど危険な目にあった。それからエッタはママに尋ねるのをやめた。
お祈りのポーズをとるエッタの前で、ママは頭に近所の空き地から摘んできたオレンジ色のポピーで編んだ花飾りをのせる。そして新婚旅行で行った島で見つけてきたという白樺の枝を振って、踊った。
「ゆるしてください」
「ゆるしてください」
「ゆるしてください」
エッタのママはそう言いながら、浅い呼吸を繰り返すパパのまわりと踊り、恍惚とした表情で踊り続ける。エッタは、ママが踊っている姿が好きだったので、見たいなと思ったが、それはそれで危険なので、諦めた。
エッタが物心ついたときには、ママはすでにこうだった。怒り、祈り、踊り、消える人。彼女がなにに許しを求めているのか、エッタにはわからない。わかろうとすることも許されていない。
踊り続けて興奮したママに「邪魔」と蹴られるまで、エッタは祈る。ふりをする。
エッタの夢はよく現実になる。
ということは、もちろん、現実にならない夢もある。それは、隣家の息子が、エッタに「この間はごめん」と謝り、エッタが「気にしていないよ」と答える夢だ。人間はよく夢を見るけれど、その大半は後悔と罪悪感と叶わなかった未来のシミュレートでしかない。エッタが見る夢も、そうなんだ。
入院していた隣家の息子が、また教室に通いだし、クラスメイトたちに囲まれている姿をエッタは教室の片隅でじっと見ている。時々、エッタは彼と目があいそうになって、そのたびにうつむいてしまう。
「エッタのせいだよ」
病室の前で聞いた声が頭のなかで静かに繁茂する。息をするのも、瞬きするのも、貧乏ゆすりも、すべて、すべてが、エッタのせいになっていく気がする。エッタは耐えきれなくて、とうとう授業中に立ち上がった。隣の席の子が悲鳴をあげ、先生は立ち止まるように言ったが、エッタはすべて無視して教室を出ていった。
学校の中庭に忍び込み、生け垣の下に潜り込んで目を閉じると、エッタは自分がもぐらになれたような気がした。もぐらは目が弱いから、きっと見えるものも限られる。だから、エッタはもぐらになりたかった。
見られるものが少なければ、きっと現実になる夢も、大したものにはならない。ママが踊る姿を見たいとも思わないし、パパが苦しむ姿も見なくてすむだろう。隣家の息子のことも気にならなくなる。
すう、と息を吸えば、土と緑の匂いがエッタのなかに吸い込まれていく。自然と指を絡ませ、エッタは息を吐いた。エッタを探しにくる人はだれもいなかった。
家に帰ると、ママはいなかった。週に一度、ママはどこかに出かけていく。おそらくキリンを仕留めに行ったんだとエッタは思った。
思っていた通り、お祈りの部屋に、キリンの生首はなかった。
「おかえり、エッタ」
その代わりパパがベッドに腰掛けて、やさしく出迎えてくれた。
エッタはパパの腕の中に飛び込んで、今日あったことを話しながら、頭をやさしく撫でてもらう。すると、なにもかもどうでもよくなっていく。うっかり、隣家の息子のことまで話してしまうと、パパはくすっと妖精のように笑った。
「どうして笑うの」
「かわいいから」
「どうして、ママが家にいる時は苦しそうなの」
「彼女がそれを望むから」
「どうして、私の夢は時々ほんとになるの」
「パパがキリンにおねがいして、叶えてもらってるんだ」
エッタのママは、エッタがなにを聞いても答えてくれないけど、パパはなんでも答えてくれる。エッタはそれがうれしくて、同時にすこし、さみしかった。パパもママのように私を殴ってくれればいいのに、とエッタは思った。
「エッタはママが好き?」
「さあ」
ママが帰って来る、とパパが言ってベッドに横になる。
まもなく、ママは帰ってきて、手に持っていたバケツの中からキリンの生首を取り出して机に置いた。エッタの鼻先に、つんと新鮮な血の匂いが香る。
キリンはさっきまでサバンナを歩いていたかのように生命力に満ちていたが、生首だった。
「祈って」
エッタのママはエッタの後頭部を叩いた。エッタは祈りのポーズをしながら、もぐらのことを考えた。
エッタの夢はよく現実になる。
隣家の息子が事故にあう夢を見た翌日、エッタは彼と登校していた。
朝、彼はエッタの家に来て「一緒に学校に行こう」と誘ってきた。エッタは断らずに頷いた。
「この間、お見舞いに来てくれてありがとう」
「ううん」
彼はそれから、何かを言おうとしたが、やめた。横断歩道の向こうで彼の友だちが駆けていくのを見つけたからだ。
エッタは、彼の体が自然と動き、車道に車がやってくるのを、なぞるように見つめる。エッタは夢を裏切って腕を伸ばすと、踊るように、彼の代わりに車にはねられた。
おわり