願わくば、同じ夢を「はあー……、なんでこう人ってのは偉くなると事務仕事が増えるんだろうな。おかげで夜中までかかったじゃねーか……。団長も人遣いが荒いもんだ」
聖火騎士団の次期団長と名高い青年——ヒューゴは、団長からの騎士団の配備に関する伝令を司祭に伝えるため、フレイムグレースにある教会関係者向けの宿舎を歩いていた。夜の深まりに時刻は日付をとうに過ぎ、あたりは人の気配も無く、静寂に包まれている。廊下を照らすのは月明かりだけだった。明日も朝早くから部下の訓練をしなきゃいけない、そんな事を考えながら歩いていると、廊下の奥にゆらゆらとした人影が見えた。こんな時刻に人が出歩くのは珍しく、侵入者かもしれないと相手を注視する。その特徴は——長い銀髪、薄手の白いローブ、白い肌……そして、澄んだ青色の瞳。
「……サザントス、か?」
ヒューゴはその人物に心当たりがあったが、その様相は彼が知っているものとは少し異なっていた。彼は大人びていて堂々としており、真面目ゆえにこんな軽装で外を出歩くことなどない。今のサザントスは生気の抜けたような雰囲気で、まるで神界から現世に降り立った子供のようだ。月明かりに照らされたローブから身体のラインが艶かしく透けている。ヒューゴはいつもと異なる様子の後輩が心配になり声をかけた。
「おーい、どうした?」
「…………」
潔いほどの無視。こちらをチラリと向くこともない。
「サザントスー?」
ヒューゴはそんな態度を気にもせず再度話しかける。すると、聖火のような瞳が一瞬ヒューゴを捉えたものの、すぐに何事もなかったかのように目を逸らした。相変わらず気に食わない態度だが、こちらに注意を向けた今がチャンスだ。ヒューゴは早足でサザントスに近づき、自身より少し小柄な肩を逃げられないように強く掴む。
「ヒュー……けほっ」
サザントスはヒューゴを睨みつけ、文句の一つでも言おうとした瞬間、小さく咳き込んだ。その表情よく見ると目元が赤く腫れている。
「お、おい。大丈夫か? 声も乾いてるぞ?」
「貴様と話す時間はない」
サザントスは会話をするつもりがないのか、ヒューゴの質問に答えることなく両手で押し退けた。しかし足元がおぼつかず、大きくよろけそうになる。それにいち早く気づいたヒューゴは、サザントスの腰を引き、自身の方に抱き寄せた。湯浴びの直後なのか、サザントスの体は冷たく湿っている。髪の毛からは強い花の香りがした。
「香なんてお前らしくないな。どうした? こんな夜中に」
「…………任務帰りで湯を浴びてきた。それだけだ。他に用が無いなら、私なぞに構わらぬことだな」
「まあまあ、真っ直ぐ歩けもしないのにそんな強がるなよ」
ヒューゴはそう言うと、サザントスの脚を腕に絡ませ、軽く抱き抱えるように持ち上げた。10代でまだ成長の余地が残されたサザントスの身体は、20をとうに越えたヒューゴよりも少しばかり軽い。『これ』が聖火を自在に操り、熟練な騎士でも対処しきれないような化物まで撃つのだ。強い人間が好きなヒューゴにとって、サザントスはとても興味深く、そして面白い。
「……貴様!? 何を考えている!?」
「お前の部屋に運んでやる。体力には自信があるから安心してくれ」
何もできず子猫のように喚くサザントスは、いつもの生意気な様子と一転して可愛らしかった。平時のヒューゴならば絶対にこんな真似はしないが、サザントスの気掛かりな様子と態度に、不思議とこういった扱いをしてみたくなったのだ。
「そのような真似はいら……ごほっごほっ」
「喋ると咳き込むからやめておけって。後で水を持って行ってやるから。それにほら、あんまり騒ぐとみんな起きちまうぞ? こんな所見られたく無いだろ?」
「…………」
よほど恥ずかしいのか、それ以降は黙りこくってしまった。声の出せないサザントスは反抗するかのように胸元を掴み、上目遣いでヒューゴを睨みつける。だがそれはヒューゴからすると——
(可愛いだけ、なんだよなあ……)
指摘したら怒って二度とやらなくなるだろう。ヒューゴはその言葉を心に仕舞い、満足げにサザントスの部屋に向かった。
*
「ほら、これでも飲んで休め」
ベッドに寝かされていたサザントスはゆったりと腰を起こし、コップに注がれた水を飲んだ。その目は廊下を歩いていた時と異なり生気を帯びている。やけに素直に言うことを聞くサザントスを見ていると、なぜだか不思議と笑みが溢れてきた。
「ふふっ……」
「何をニヤけている? …………はあ、これで貴様も満足しただろう。私はもう休むから、貴様も然るべき家に帰れ」
「お前を運ぶのは一苦労だったんだぞ? ちょっとくらいゆっくりさせてくれよ。その様子じゃ任務帰りで疲れているんだろ。いつも通り明日すぐ別の任務に経つつもりだろうが、そんなことせずに休め。それに、ここは聖火教会の管轄下とはいえ、夜中に軽装で出歩くなよ。いつ賊が忍び込むかもわかないからな」
「賊、か…………。……炎の才を持つ私に、そのような心配りは無用だ」
「どんな能力があったって、大人から見りゃ子供は子供だ」
「…………」
サザントスは訝しげな表情でこちらを見つめる。
「ヒューゴ、貴様は……いや、なんでもない」
「…………」
何かを言い淀んだサザントスから、無理やり言葉を聞き出すべきなのだろうか。ヒューゴは少しの間悩み、聞き出さない選択をした。サザントスのことは生い立ちこそ知らないが、その立場や年齢を考えると秘密にしたい悩みもあるのだろう。ヒューゴなりの気遣いだった。
「お前にも色々あるんだろう。心の整理が付いたら、いつでも相談にのるぞ。いつだって聖火騎士団は守指長の味方だ」
「……手が足りぬ時は、容赦はせぬぞ」
「よく言うよ。でもそれで本当にキツい現場に呼ぶからな、お前は」
ヒューゴが笑うと、それを見たサザントスはわずかに微笑んだ。サザントスは人当たりが悪いせいで騎士団内の評判は良くないが、ヒューゴはその心の奥底にある優しさを知っている。だから、信頼しているのだ。
「ヒューゴ」
談笑していた先ほどまでの空気を変えるかのように、サザントスは鋭い声でヒューゴの名前を呼んだ。驚いたヒューゴがサザントスの目を見ると、サザントスはヒューゴの手に少し触れ、ゆっくりと骨のラインに沿うようになぞりながら手を重ねる。そして、まるで何かを懇願するかのように上目遣いをして、ヒューゴを真っ直ぐと見つめた。
「……貴様には、私がどう見える?」
一瞬、時が止まったかのような静寂が訪れた。
「どうって……、…………ガキだよ。ただの生意気な後輩さ」
そう言ってヒューゴはサザントスの手を振り払い、小さな頭を優しく撫でた。サザントスは一瞬こちらに目を向けた後、どこか戸惑うような様子で目を伏せる。だが、ヒューゴがサザントスの困惑に応えることはない。今のサザントスの行動に応えてはいけない。直感でそう思った。
「……よし! 疲れたし俺もここで寝るか!」
「……………………は?」
サザントスが返事をする間に、ヒューゴは外套も法衣も脱ぎ捨てて、薄手のインナーのみになっていた。そして、サザントスの隣に忍び込む。
「貴様のような大男が来たら、ベッドが壊れるだろう!?」
そう言いながらもヒューゴが入れるよう場所を開けるサザントスは、なかなかに律儀な人間である。
「大丈夫だ。成人男性2人くらいまでなら行けるらしいぞ?」
「そういう問題では……こほっ。……もうよい。私は先に寝る…………」
ヒューゴが横を向くと、サザントスは宣言通り寝入っていた。ヒューゴを説得するのが無駄だと気付いたのだろう。そうなれば後は寝るだけだ。サザントスは出会った頃から頭の回転が早く、そして行動に移すのも早い男だった。規則正しい寝息を立てる整った顔を見る。その表情はただの子供に過ぎず、世界を守るような特別な才があるようにはとても見えない。
——貴様には、私がどう見える?
ヒューゴは不意に先ほどの光景を思い出す。あの瞬間、サザントスの瞳はヒューゴの本能を確実に射抜いていた。ヒューゴは同性には興味ないし、もちろんサザントスを"そういった"目で見たことは無い。ただその一瞬、その一瞬だけ、この銀髪の綺麗な顔をした男の肌の下はいかに白く整っているのか、その身体に触れたら聖火のような瞳はどのように揺れるのか、気になってしまったのだ。だが同時に、その姿が過去の任務で見かけた光景と重なり、応えるのを強く躊躇った。サザントスの動きはまるで、貧民街で金持ちに買われ、自身を遣って金銭を稼ぐことを強要された女が、ヒューゴに営業を仕掛けてきた時のようだった。
なぜその回想がサザントスと重なったのか。ヒューゴにはまるで心当たりがなかった。サザントスは日々使命に実直で、聖火守指長の役割に違わない清き心と強さがある。ましてやサザントスが所属しているのは聖火教会だ。何かがあれば組織がサザントスを守るだろう。だが、重なってしまった。重なってしまったのだ。
聖火守指長の選択には、世界を大きく変えてしまうものもあるという。一人の人間には重すぎる役割だ。この小さな身体が壊れてしまわぬように、支えていかなければならない。ヒューゴは寝ているサザントスを起こさぬよう隣にそっと寄り添い、互いの体温を感じながら眠りについた。
翌日、司祭への伝令を忘れていて団長に怒られたのは、また別の話だ。