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    ni村

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    ni村

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    鳥メン2023チャレンジ 1/50
    2023/1/14

    今夜はどうしても君に会いたいな 都会の夜が、滂沱の雨に叩きつけられている。
     翼連アジア支部局が使用している事務局は、現状は日本政府の管理のもとにある。といえば予想がつく通りきらびやかな派手さや無駄な広さは皆無である。あたりにある凡百の建物の、それら一室から突出をしないレベルの事務局だ。
     ただ、さすがに、立地は良かった。セラフが集う際の空の動線、重たい権力を持った飛ばない賓客が乗りつけ車体の置き場所、それから、タクシーを使うにしても、一般の公共交通機関を使うにしても。その翼連の玄関エントランスで、びしゃびしゃと路面に落ちた雨粒が一〇cmほどは跳ね上がっているさまを烏丸はありありと嫌そうな表情で眺めていた。
     そして、うかつに晒してしまった表情が、現状の結果を呼んでいる。
    「すごい雨だねぇ」
     のんびりと近づいてきたのはまったく見知らぬ他人ではなく、どちらかというとお世話になっている人物であった。
     歳は五〇半ばといつか聞いた。元々は小学校の校長なんかを経た発達心理学の教授という立場であるので、それなりの清潔感はあり、周囲に気を遣えるタイプの大人である。悪い人間ではない。悪い大人でもないのだが。
    「傘がないなら送っていこうか?」も「よかったら夕飯でも食べていかない、何が好き?」も、善意であれども、ありがたい提案ではなかった。「いやいや、何話すの?」「いくら世間話上手くてもきつくない?」と口に素直に出せたら良かったけれど、「烏丸君いつも頑張っているからねぇ」と、ねぎらわれてしまうとどうしても誘いを断つまっすぐな刃を振るうことがむずかしくなる。
     正直、慣れない環境に堆積してゆく疲労はあった。誰かに、ねぎらわれたい心情もあった。あいわらずガラスを隔てた外の世界では、乱暴な水の落下が続いており、このところ集中力に欠ける烏丸は、先ほどから頭の片側で玄関を出た先五〇mほどの場所にある白と緑と青のコンビニエンスストアのことがちらつきはじめていた。あそこで、傘とチキンでも買ってすみやかに自宅に帰りたい。などとぼんやりと思い浮かべているとき。正面の自動ドアが音を立てて開いた。冷たい空気と雨の音がわっと押し入ってくる。
     退出者ではなく進入者だ。
     ていねいな断りの言葉を選びながらゆっくりと視線を向けた烏丸は、発語途中の唇の隙間を開けたままそこから目が離せなくなった。
    「なんで?」
     教授との会話を置き去りにして、あまりも飾らぬ、普段使いの疑問が口をつく。
    「おう、英司」
    「は?」
    「すごい雨だな、結構濡れた」
     ばさばさと、おそらくは、間に合わせで購入した傘を振った男の挙動はあまりにも配慮がなく、よくそれで数多の人命を扱う職業に従事できてるいるよなと思う。自分とは違った形の顎の形も、硬くて、少し癖のある髪も。似てはいない。成長した今でも。
     まだ身長も追いついていない。
    「これは、烏丸君の」
    「父さん」
     隣であがる何も知らない友好的な声を、烏丸の愛想のない声がねじ伏せた。
    「いつも英司がお世話になってます。嫁がまずい飯作って待ってるんで、帰ります」
     な? じゃねえよ。
     大きな掌が烏丸のつるりと滑る黒髪の、後頭部を掴むようにして頭を強制的に下げさせた。その掌は半分ほど水にまみれていて、烏丸は尚のこと苛々とした気分に襲われる。そもそも、頭を掴まれることは――まあ、烏丸ならずとも大抵の人間にとっては――ひどく不愉快な行為だった。それから、大人たちは二、三の言葉を交わして終えた。
    「別れ際に、じゃ、ってあんた友達みたいに言うなよ……いくらなんでも適当過ぎるだろ」
     寒い。
     暗い。濡れる。
     冷える。といった理由で烏丸が潜り抜けるのを躊躇していた境界は、烏丸父の体重により大きく左右に分かたれた。湿った外気が、目線をあげる烏丸の頬から耳をひりつかせた。
     降り続く雨の勢いはピークを過ぎたらしく、幾分落ち着いていた。息子の小言を聞き流し、上空の雲を眺めた父親のスーツは所々水を吸って、色を濃くしていた。片手に傘。片手には大きめの荷物。どこからどう見ても仕事帰りだ。
    「近くを通りかかったからさ、見てみようと思ったんだよな。翼連、機会を逃し続けてたからさ」
    「よりによってこんな雨の日に」
    「本当に遠くから見るだけ、場所を確認するくらいのつもりだったんだけどなー」
     烏丸航史ははるか上空の鉛色を眺めたまま、ひとつ、軽く、息を吐いた。烏丸は黙って続きを待った。
    「そしたら、ホラ、目がいいからさ。英司が口説かれてるところを見つけてしまい」
    「口説かれてねーわ」
     すぐ側で曲げられた肘を払った直後、ぽんと間抜けに傘が開いた。やや傾けられた傘の下を歩く間に肩先はさほど小雨に当たらず、ほら、やっぱりあんたがいなくても何とかなりそうだったんだと、憎まれ口を飛ばしそうになる。肩はさほど濡れなかったが、水たまりを避けることができずに靴は濡れた。
     たまに睫毛にあたった雨が辺りの景色を滲ませる。
     車道はタクシーが多く、のろのろとしか流れない。方々で雨宿りをしていた人が歩道にあふれて混雑している、最寄りの駅までの道のりはあと半分ほどか、無言だった、が、急に烏丸父は進路を曲げて、そのまま、あかるい店舗に吸い込まれた。
     烏丸が数分前に思い描いていた白と緑と青の店舗だ。
    「なんか買うの?」
     烏丸が雛のようにその後を追えば、なぜだかカップラーメン陳列棚の前で足を止め、烏丸父はやたらと大きなサイズを選んでカゴに放り込んでゆく。
     中身の軽いプラスチック容器が弾んでかさかさと鳴った。
     その音には紛れない。
    「連絡せずに帰るから俺の分の夕飯は無い」
    「まぁ、あるわけないだろうな」
    「英司分けてくれる?」
    「分けてもいいんだけどさ、母さん絶対逆上する」
    「他に、欲しいものあったらカゴに入れていいよ。なんでも」
     なんでも。
    「いい、いらない」
     烏丸はポケットに手を入れたまま端的に答えた。
     昔から、なんでも買ってくれる父親で、ずっと、烏丸家の財布である。
     たとえば、息子が、店の入り口にある各種プリペイとカード類を無造作にひとつかみカゴに放ろうとも、せいぜいが軽く戯ける程度で、簡単に許してしまう。何でも、と口にした時点で、何でもの覚悟はとっくに終えているのだ。

     やっぱり、烏丸には父の、責任の取り方というやつがわからない。
    「傘は、もう一本買うか」
    「いい」
    「そう」
     レジに向かう背中が呟いたその一言の前には、浅く吸われた呼吸があった。だから烏丸はわずかに耳を傾けたのだが。
     そうか、と。
    もういちど、同じ言葉は繰り返されて、妙に響いて、そのまま消えた。
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