思い内にあれば色外に現る「さて、そろそろログアウトした方がいいな。君は今日ログインしてから随分経つのだろう」
デュエルディスクの中に収まった相棒が、こちらを見上げてそう言った。
鼻の奥がツンと痛くなる。また泣いてしまっては、きっとさらに揶揄われることになるだろう。ソウルバーナーは涙腺が弛まぬように、ぎゅっと眉間に力を入れて耐えた。
不霊夢は良い意味でも悪い意味でも相変わらずで、再会の瞬間に思わず声を上げて涙をこぼした相棒を茶化したかと思えば、先ほどからずっとそれをネタに弄ってくるのだ。「君がそんなに私を恋しく思っていたとは」「寂しい思いをさせて悪かった、よしよし、今夜は一緒に寝てやろう」云々。
当然ながら不霊夢は消えていた間の記憶はないようだった。再会を喜んではくれているものの、ソウルバーナーのその態度を少し面白可笑しく感じている節がある。
確かに、目覚めてみれば相棒が突然大袈裟かつ落ち着きない態度になっているようで、妙な感覚かもしれない。しかし、ソウルバーナーにとって、それはさして不思議なことではない。
何せ、イグニス復活の可能性を示唆されてからずっと、本当にずっと、相棒を取り戻す方法について考え続けていたのだ。ここ数日は考えすぎて夜も寝付けず、寝不足の日が続いているくらいだった。
誰だってそうだろう。相棒に誇れるよう、前を向いて歩いていこうと決めたのは事実だったが、ほんの数パーセントだとしても可能性が示されたのなら、縋りもする。だって、だって、会いたかったのだ。ソウルバーナーはーー尊は、会いたかった。唯一の相棒にもう一度会いたかった。伝えたいこともたくさんあった。情けないと叱られても良かった。揶揄われたって構わなかった。ただもう一度会いたい、それだけの気持ちだった。
それが、今日叶った。突然の再会に混乱して、身体がおかしくなったようにアバターの心臓が大きく跳ねた。勝手に次から次へと涙が溢れてきて、空間と身体の境界が曖昧に揺らいだ。不霊夢は相変わらず、格好つけた様子で名乗りを上げ、押し寄せる嗚咽堪えきれない相棒を軽い調子で揶揄ってみせた。
不霊夢にとっては、寝て起きたくらいの時間経過なのだろうが、ソウルバーナーにとっては違う。大きな後悔を経て、気持ちの整理をつけられる程度の時間を、相棒を想いながら1人で過ごした。もう一度会うことができたら、絶対に守る。改めてそう決心することもなんらおかしくはないだろう。
「ソウルバーナー?」
返事がないことを怪訝に思ったのか、不霊夢が首を傾げてこちらを見上げた。この視界も懐かしいような、途切れることなく続いていた日常の風景のような、不思議な感覚だった。デュエルディスクを水平に保つために上げた腕の角度も、違和感なく体に馴染んでいる。
ほんの数時間前、不霊夢がここに戻る前の自分はどうしていただろう。どのように息をして、心臓を動かし、決闘をしていたのだろう。そんなことすら分からなくなってしまうくらいに、今が“本当”なのだと思える。
安心した。欠けたピースがやっとパチリと嵌ったような安堵感だった。きっとこれまでがおかしかったのだ。これが正しい形で、やはりこの相棒がいない間が間違っていたのだと、根拠のない自信で胸が膨らんだ。
「あ、ああ。ごめん、聞いてるって。ログアウトな」
慌てて返事をすると、「そうだ」と不霊夢が頷く。
「そろそろログアウトしないと、さすがにご家族も心配するだろう。今日はまだ食事も取っていないのではないか」
たしかに。ソウルバーナーは現実世界の時刻を確認した。いつのまにか、ログインしてから数時間が経過している。最近は時間さえあればリンクヴレインズにやって来ていたが、今日は休日だったから、これ幸いとばかりに朝から入り浸っていた。いつまでも自室に篭っていては、さすがに祖父母も心配するだろう。夕飯はいつも一緒に取っているから、それまでにはログアウトするつもりだった。
「もうこんな時間か。なんか色々ありすぎてあんまり気にしてなかったな。じゃあ一旦ログアウトして……」
言いかけて、しかしふと思う。
不霊夢は戻ってきた。ここにいる。間違いない。しかし、それは現実世界でも同じだろうか。
自分にはAIの在り方がよく分からないが、前と同じように、リアルでも尊のそばにいてくれるのだろうか。ログアウトして、もし現実世界のデュエルディスクの中に不霊夢がいなかったとしたらーー。
「お……お前、大丈夫だよな?ログアウトしたら消える……とか、さすがにないよな?」
例えば、リンクヴレインズでしかその姿を保てないとか。まさか、いや、いくらなんでもさすがにそんなことは。
背筋を冷や汗が伝って、鳩尾が痛くなってくる。
不霊夢は腕を組み、うーんと考え込んだ様子だったが、結局あっけらかんと答えた。
「さあ……試していないからなんとも」
ひぃ!と思わず悲鳴が漏れる。
「こ、怖!い、いやだ。じゃあ絶対大丈夫って分かるまでログアウトしねえ!」
「何を言っているんだ。そろそろ食事を取らなければ体調にも影響が出る」
「でも!だって、だって!」
「でもでもだって、と駄々を捏ねる歳でもないだろうに」
「だってー!!」
わあん、と泣き出しそうな心地で叫んだが、不霊夢には何も響いていないようだった。
「心配するな。恐らく大丈夫だ」
「こ、根拠は!?」
「なんとなく」
ふざけんな!と叫ぶ前に、視界がぶれる。不霊夢が強制的にログアウト操作をしたようだ。
もし自室に戻って自分の隣にいなかったら、絶対に絶対に許さない。そんなことは許さない、絶対に!理不尽にそんなことを思いながら、ソウルバーナーは一度目を閉じた。
*****
目を開けばそこは自室のベッドの上だった。部屋着にしているジャージのままの姿だ。何故だか落ち着かず、朝起きてすぐにリンクヴレインズにログインしたのだった。今は夕方で、かれこれ10時間以上は向こうにいたことになる。夜の睡眠時間よりもよっぽど長い。
尊は咄嗟に身を起こし、腕に装着しているデュエルディスクに大きな声で呼びかけた。
「ふ、不霊夢……っ!」
心臓が苦しい。喉の奥がきゅうっと締まって、呼吸が出来なくなったようだった。だがそれは思い込みで、尊はしっかり息をしている。心臓は動いて、身体中に血液を運ぶ。尊は生きている。
いつかの日、もう死んでしまいたいと思ったことがあった。生きていても仕方がないと思って、いっそのこと終わらせてしまった方が楽なのかもしれないと、一瞬頭をよぎったことがあった。だが尊は生きている。あの頃の尊はもういない。生まれ変わったからだ。生きていきたいと思った。隣には、一緒に歩いてくれる唯一が欲しい。
「ーー大丈夫だと言ったろう」
たったの数秒間が、まるで永遠のように感じられた。
「……だって、お前、すぐ適当なこと言うから……」
デュエルディスクが光り、瞳がぱちりと瞬いた。すぐに見慣れた姿が現れる。
暴れていた心臓がまた一度大きく跳ね、全身から安堵が溢れ出すようだった。
「ほら、泣くんじゃない」
「泣でない……」
唾を飲み込み、震える指先でデュエルディスクを叩く。
不霊夢はゆっくり肩をすくめた。また揶揄われるかと思ったが、決してそうではなかった。幾ばくか声のトーンを落として言う。
「私は、君に随分と辛い思いをさせたのだな。すまなかった」
尊は慌てて首を振った。不霊夢が負い目に感じることではないと、分かっていたからだ。
「お前のせいじゃないよ。むしろ、僕が……いや、なんだろう……えっと……」
会ったら言いたいことがたくさんあったはずだった。それなのに、いざそのときになると上手い言葉が見つからないのが情けない。ただ謝りたいわけでもない。責めたいわけでもない。もっと単純な気持ちだ。
「えっと……だから……」
不霊夢は、尊をじっと見つめている。目を逸らさない。この相棒はいつもそうなのだ。尊を一番によく分かっている。もしかしたら、何を言いたいのかすら、とっくに伝わっているのかもしれないと思うほどだ。不霊夢の目を見ていると、不思議と、ゆっくり鼓動が凪いでくる。言いたいことは単純だ。気持ちはずっと変わらない。あのときから。
「不霊夢のこと、今度は絶対守る……だから、一緒にいたい、ずっと……」
なんだかこれ、プロポーズみたいだな。いや、そういうつもりじゃないんだけど。気づいたら変な気持ちになってきて、よれたジャージを両手で掴んだ。
不霊夢はゆっくり瞬いて、可笑しそうに笑った。
「今までにないくらい熱烈だ」
END