ほぼ人間の狼男の杉元と吸血鬼の尾形の話 どんよりとした雲が広がっていた黒い空が、黄色く明るくなり始めていた。
「ヤバい……早く帰らなきゃ……」
ケイバンの荷台から段ボールを抱えた杉元はアパートの階段を駆け上がった。
杉元は、見た目は人間だけれど、狼男と人間との間に生まれた、いわゆるハーフと呼ばれる存在だった。個体差はあるけれど杉元は人間の要素が多いため、人間の世界で暮らしていた。人間要素は多いけれど、満月の日だけは狼男としての本能が出てしまうのでなるべく外に出ないよう、人と接触しないようにしてきた。今日も休みだったけれど、他の配達員が体調を崩してしまい、代わりに配達を行うことになったのだ。
しかし、今日は不在の家が多く、荷物が捌ききれず、こんな時間になってしまった。
「ヨシッ最後の一個!」
杉元は配達先に向かった。
到着したのは雲を突き破りそうな高層マンションで、宛先の階数を確認すると最上階だった。
一刻も早く帰りたいけれど、最上階だと、到着するだけで時間がかかってしまう。着日指定されているので、不在ではない限り届けなければならない。杉元は呼び出しモニターで部屋番号を入力した。数秒かかって
「はい……」
不機嫌そうな男の声が返ってきた。ここで出なければ不在票を入れて帰れるけれど相手が出てしまったので、届けるしかない。
「こんばんは。〇〇急便です」
「あぁ……」
気だるい返事と共に呼び出しモニターの横の自動ドアが開いた。
「何あれ……感じ悪っ‼︎」
杉元はモヤモヤしながら目的の階までエレベーターで向かった。
新築の高層マンションというだけあって、すりガラスの自動ドアの中は黒でシックにまとまっていて、ゴミ一つ落ちていない。あちこちに防犯カメラが設置してあり、エレベーターの中も広く、モニターでは今日あったニュースが流れていた。
最上階に到着してから、一番奥の角部屋に向かう。
どんな奴なんだろうか?碌でもない、高圧的な態度しか取れない人間なんだろう。配達業をしていると、稀にこういう人間がいる。一瞬で終わる時もあるけれど、その場で「時間が遅い」だの「歩いてくる音がうるさい」だの小言を言ってくる時がある。そういう人間ばかりではないけれど、やはりそういう人間を対応した時は落ち込むし、その後の業務に影響が出たりする。また杉元は狼人間の血が入っているので、頭に血が昇ると狼人間化することも考えられる。極力避けたいとは思うけれど、そんな贅沢は言えない。
「こんばんは。〇〇急便です」
ドア横のインターフォンを押すけれど、反応がない。もう一度、インターフォンを鳴らした。やはり反応がない。
「もしかして、なにかあったのかな……そういう場合ってどうすればいいのかな……」
杉元がドキドキしていると、玄関のドアが開いた。
その瞬間、杉元の心臓の鼓動が早く、まるで警報を鳴らしているかのように、激しく脈打ち、髪の毛から産毛にいたるまでの毛が逆立った。
まずい……
と杉元が思った時には、ドアを開けた部屋の先の大きな窓からまん丸の月が見えて、短く切り揃えられていた爪も、横一列に揃っていた歯も、鋭く尖り、長く伸び始めた。
「ふーっ、ふーっ」
「……おい、早く荷物を……」
声からこの部屋の主人とわかった。「早く逃げろ」と言いたかったけれど、口からは荒い呼吸と涎がダラダラ流れるだけだった。そして目の前の男を部屋の中に押し込み、杉元のアパートの風呂場よりも広い玄関で押し倒した。
「っぐ‼︎」
男の呻き声と荷物が床に落ちる音が響いたけれど、今の杉元には聞こえていない。
男の両手首を床に縫い付けて、身体で押さえつけ、身動きが取れないようにした。
すでに男の身につけているダボダボのスウェットから見える、白い首筋や引き締まった腹部が美味しそうに見えてきた。杉元はダラダラ涎を垂らしながら、本能のままにその白い首筋に鋭い牙を立てようとした。
その瞬間、バチィッと電流が走るような音がして、杉元の身体は、自身の意図しない方向、玄関の床にうつ伏せになっていた。
身体の異変のおかげで正常に戻った杉元は急いで身体を動かそうとするけれど、身体は指一本動かすことができなかった。
「なんだ……おまえ、狼男か?」
上から聞き覚えのある声が降ってきて、杉元はなんとか顔をズラして、声の主の方を見上げた。
「狼男の分際で、吸血鬼の俺を襲おうなんて二千年早いな」
長いボサボサの前髪は風が吹いたように後頭部に向かって撫でつけられ、ダルダルのスウェットは仕立てのいい黒いマントと襟元に綺麗なレースがふんだんに使われたシャツとタキシードに変わっていった。
「なっ!吸血鬼?」
杉元がなんとかして逃げようと暴れているのを見下ろしていた吸血鬼がしゃがみ込み、
「狼男は強くて忠実だ。俺の眷属にしてやる」
と言った。
「は?なんでだよ!」と杉元が抗議をしている間に、吸血鬼は呪文を唱え始め、杉元の胸元にある名札を確認し、
「杉元佐一……お前はこれより俺の眷属とする」
と唱えると、白い煙が上がって、杉元の首元に赤い首輪が付けられていた。
「なんだ、コレ‼︎……っはずれない……!」
「ははぁ、今日からよろしくな、杉元佐一ぃ」
「ふざけんな‼︎クソ野郎‼︎」
「口の利き方がなってねぇな……お前の飼い主の尾形百之助様だ。ちゃんと覚えろよ?」
吸血鬼はジタバタと暴れる杉元を見ながら笑った。
この日から、狼男の杉元と吸血鬼の尾形との不思議な生活が始まった。