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    自宅探索者、うちよそ落書き

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    ドロディス自陣1周年記念SS
    イメソンは米津のカムパネルラです

    拝啓、ポーラスター夢を見ていた。
    どんな夢だったかは、忘れた。

    散らかった部屋の中、転た寝していたソファから身を起こす。ブラインドは常時閉め切っていて薄暗く、昼だか夜だか分からないが、薄い腹が微かに訴える空腹感から恐らく夕方だろうと推測する。冷蔵庫には何があったか思い出そうとして、そもそも最近開けた覚えがないことに気付く。であれば何か入っていてもとっくに死んでいるだろうから開ける意味はない。
    まあ、いいか。煙草に手を伸ばし、咥え、ライターがない。見回して、床に落ちていた、行った覚えのない喫茶店のロゴが描かれたブックマッチを擦って解決する。ほぅ、と煙を吐いて、今度は灰皿が見つからない。手近な空き缶を引き寄せて灰を落としてから飲みかけだったかも知れないと気付き、空腹を誤魔化すにはこちらを飲めばよかったかと思い、まあどうでもいいかと思考を捨てる。
    今日は仕事があったはずで、ついでに何か食べて来ようか。買い物に行くのが面倒臭い。作るのはもっと面倒臭い。重い腰が上がらず、気付けば三本目の煙草に手を伸ばす。
    カン、カン、と遠い音がする。近付いて来るそれは耳によく馴染み、いつもより少し重たげな音は、買い物に行く必要はがなかったことを思い出させる。次にする音はチャリチャリという金属音。ポケットから鍵束を引っ張り出して、扉に差し込み回す音。ボロ屋の古いシリンダーは、金属扉に反響して過剰な音を立てる。ギイギイと軋む蝶番。
    いつもの時間に、いつも通りに。
    「なもさーん、おはようございまーす」
    踊り場に射し込む焼けるような西陽を背負って、北浦葵が訪ねてきた。

    「またこんな暗い部屋で!」
    「……寝てたんだよ」
    「あーもうまた散らかして!なもさん、今日締切だって言ってませんでした?」
    「そう、だったか?」
    「ほらカレンダーにも丸ついてますよ!あれ?昨日だ、もっとダメじゃないですか!」
    「なあ、ライターが消えた」
    「えー?コートのポケット見ましたか?」
    「あと灰皿もない」
    「この前洗いました、まだ水切りカゴに置きっぱなしじゃないですか?」
    「そうか」
    「そういえば、この前の唐揚げちゃんと食べました?残りは冷蔵庫にって僕言いましたよね?」
    「……忘れてた」
    「忘れてたのは日時感覚でしょ!もー、まだいけるかな……」
    話しながら、窓を開け、買い物を仕舞い、ゴミ袋を広げくるくると立ち回る。さっきまで自分の呼吸音しか聞こえなかった空間が忙しなく賑わい出したのを、他人事のように眺めながら、吸い込んだ最後の紫煙を吐いて、
    「空き缶に入れない!」
    差し出されたピカピカの灰皿を汚した。
    キッチンに戻っていく後ろ姿を見送って、自身の背中を伸ばすとパキリと鳴った。肩首も回して漸くのそり、と立ち上がり仕事部屋へ向かう。紙と埃の匂いに満ちた薄暗い書斎。真ん中に据えたデスクに向かい、PCを起こすと低く小さく唸り出す。目覚めを待つ間、仕事のことを考える。
    何を書けばいいんだったか。
    思い付かない。頭がぼんやり煙っているのは寝起きだからだろうか。席を立ってあてもなく部屋を彷徨いて、壁を埋め尽くす書棚を雑に物色する。伝聞、伝承、民俗学の資料。百科事典。図鑑。分厚い辞書。俗っぽい犯罪史と児童向けファンタジーが隣り合わせに並ぶ棚。写真集、ペーパーバック、文庫本、銀河鉄道。カバーの折り目が擦れて色褪せたそれを手に取って、目を通すでもなくパラパラと捲る。頭から終わりまでをただ滑らかに流す。終わる。戻す。
    一人の部屋は静かだ。
    「北浦」
    呼びかけたわけではない。閉め切った書斎から音は漏れないし、外の音も聞こえない。立ち上がったテキストツールの真白い画面を置き去りにして部屋を出る。途端、部屋を満たす調理の音と食事の匂い。覗き込めば、エプロンをした背中が手際良く動き回っている。
    「北浦」
    「はーい、あ、お腹空きました?」
    もうちょっとですからね、と返す声は機嫌が良さそうで、いや、そもそも不機嫌な声なんて知らないのだが。鼻歌交じりに鍋を覗き込んでかき回している。換気扇越しにきっと外まで聞こえていることだろう。
    カン、カン、と音がする。外からの、階段を上る足音。鍵束の音はしない。代わりに鳴るのは荒いノックの音と、返事を待たずに開かれる扉の軋み。知った声。
    「どーもー、お邪魔しまーす」
    ズカズカと上がり込んで来て、台所まで躊躇なく踏み込んで来る男に溜め息が出る。
    「お、良い匂い」
    「白石さん、こんばんは」
    「おい、勝手に入るな」
    「先生、締切昨日っすよ?北浦くんいる日は居留守されないから助かるよ」
    人の舌打ちは意に介さず、仕事の催促に余念がない。付き合いの長さが遠慮のなさに直結している分、楽でもあるし厄介でもある。
    「話を聞け」
    「あ、そうそう、これお土産ね」
    北浦くんお皿貸してと注文をつけ、人のソファに堂々と座り、土産と言いながら包みを自ら開き始める。紙箱の中から、ふわりと漂う甘い香り。
    「最近人気なんだって」
    現れたパウンドケーキ。混ぜ込まれたドライフルーツが素朴だが鮮やかで、煙で紛らわせた腹の虫が小さく鳴いた。
    「あっダメですよ原稿が先!」
    「悪いな、真っ白だ」
    一切れ手掴みで摘み上げ口に運ぶ。密度のある生地は甘く、甘ったるく、水分を欲しながら二口、三口、飲み下す。柔らかく鼻腔に満ちる香りは。
    「白石さんお皿……ラム酒の匂い?あ!なもさんそれ!」
    「え、そんなに!?」
    北浦と白石の慌てた声が、ガラス越しのようにぼやけて聞こえる。瞬きが増える。長く、目を閉じて、開いて。立っているのが怠くなり、ソファにすとんと腰が落ちる。凭れると一層眠たくなる。
    「なもさん、お水飲めますか?」
    グラスを持って駆け寄ってきた夜色の髪。微睡みに霞んでいるが、心配そうな顔をしているのは分かる。
    「もう、お酒ダメなのになんで食べちゃうんですか」
    呆れた声。これまで何度もさせた顔を、多分今もしているんだろう。
    「北浦」
    「なんですか?」
    確かめたかった。今なら食べられるんじゃないかと。人の脳は、期待するほど融通が利かないらしい。
    「あー、お前の飯、食い損ねた」
    「もう、なもさん、何言ってるんですか」
    瞼は開かない。音は水中のようにくぐもっている。
    「僕がいなくても、ちゃんとご飯は食べてください」


    夢を見ていた。
    私はだらけたロクデナシの作家で、白石と仕事をしていて、それから。

    散らかった部屋の中、ソファの上で目を覚ます。開けた覚えのないブラインドから射し込む、薄汚いビルに囲まれた四角い朝陽に目を焼かれて身動ぐと、微かな頭痛とラム酒の匂い。薄目で見やるテーブルの上には、一口齧ったパウンドケーキが鎮座している。最近人気なのだと、同じビルで働く人懐っこい女から押し付けられたそれが、この胸焼けの元凶であることは明白だった。
    疼く額を抑えてのろのろと起き上がり煙草を探す。潰れた箱はポケットから抜け落ちたらしく、昨日拾った、知らない喫茶店のロゴが描かれたブックマッチと一緒に転がっていた。
    咥えて火を点けてから灰皿に手を伸ばすと隙間なく溢れかえっていて、仕方なく横にあった空き缶に灰を落とした。
    ぼんやりと味わいもなく三本。その間にも頭はズキズキと脈を打つ。堪え兼ねて重い腰を上げ、適当に掴み雑に濯いだグラスにそのまま水道水を満たして一気に干した。ふと、空腹を思う。入れるもののない冷蔵庫は、コンセントを抜いてどれだけ経っただろうか。扉にマグネットで貼られたカレンダーは去年からぶら下げっぱなしで、大きく書かれた数字に添えられた間の抜けたイラストは、丁度今の気候と一致していることに気が付いた。

    チチチ、と雀の囀りが聞こえる。早朝の繁華街は、夜間の混沌の抜け殻のように静まり返っている。
    皺の残る薄いコート。右ポケットの中でライターを弄び、左ポケットで常温の缶コーヒーを重りのように太腿で跳ねさせながら日陰の路地を歩く。年中渇くことのない水溜りには、鮮やかすぎる快晴に油膜の虹が架かっている。
    油やガス、煙草やその他汚れた諸々の漂う空気に、緑の匂いが交じり出す。移り変わる。雑然とした通りからさして離れていないはずなのに、この辺りの空気はどこか清浄で、言い知れぬ居心地の悪さを飲み込みながら歩を進める。
    壊れかけた扉を通過して、自然に侵食されかけている建物内へ踏み込めば、外より一層澄んだ気配に寒気がする。穏やかに射し込む陽光に、微細な塵がキラキラと品良く舞う。前に来たときより雑草がまた増えているのをブチブチと抜いて適当に放る。開けた隙間に腰を下ろす。
    「北浦」
    床に刻まれたお前の頭の中身は、あの日よりも薄れてしまった。
    趣味の悪い金色のライターで、ゆっくりと煙草に火を点ける。煙を吐きながら、ぬるい缶コーヒーのプルタブを起こす。
    静かに煙が昇る。穴だらけの天井から、空まで届くだろうかと下らないことを考える。だとしたら、天国の空気はさぞ悪いことだろう。
    何を思うこともない。何を籠めることもなく、時折思い出すとここに来て煙草を吸う。
    「今日も、私は人を殺すぞ」
    そしてきっと、今日も私は死に損なう。
    もしもお前が天にいるなら、私は別の場所に行くに決まっている。だから、煙が絶えたそのときは、漸く死んだかと安心してくれ。そんなことだけを考えて、また静かに煙を吐く。
    最後の灰を、空になった缶に放り込んで立ち上がる。コートの砂埃を大雑把に払って、雑草だらけの来た道を歩き出す。そろそろ人も動き出す頃だ。形ばかりの敷居を跨いで外に出かけて、思い出して立ち止まる。

    「ああ、でも」
    今日は一つだけ。
    「悪くない夢を見たよ」

    -了-
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