②
ブリーフィングを終えて新一は諸伏とともにフロントスタッフの取り掛かった。
フロントスタッフは宿泊客の予約確認やインフォメーション対応、チェックイン、チェックアウトの業務が主であり、朝の時間帯はチェックアウト業務が中心になる。
「こちらで手続きは以上となります。ご利用ありがとうございました。」
チェックアウトが終わった宿泊客を見送りながらVIP客のチェックイン時間を確認していると諸伏に、緊張しすぎだよと言われてしまった。
十一時になりチェックアウト対応が終わった隙間時間に改めてVIP対応用の資料に目を通す。
資料には、
『当ホテルの品位が試されていることを常に意識して接客すること』
『お客様へのホスピタリティを優先すること』
と記載があり、緊張は増す一方だった。
時刻は十四時。宿泊客のチェックイン対応が始まるとフロントは慌ただしくなる。
近年はフロントスタッフを介さずチェックインができる機械が導入されているが、米花セントラルホテルは一人一人接客対応をしているため列ができるほどだ。
「他にご不明な点はありますでしょうか。」
「大丈夫です。」
「ではこちらでチェックインの手続きは以上になります。ごゆっくりお寛ぎくださいませ。」
宿泊客を案内しているとVIP対応のお客様が来たと諸伏から無線が入る。
『工藤、VIP客の対応頼む』
「了解しました」
フロントに現れた男はクリーム色の髪に褐色の肌、グレースーツを着ていて、明らかに他の宿泊客とは雰囲気が異なっていた。
チェックインを終えた女性客が皆、彼を目で追うほどの美丈夫である。
諸伏が一目でVIP客だとわかると言っていたが確かにわかる気がする。
「こちらで承ります」
フロントカウンターから声をかけるとその美丈夫がカツカツと歩いてくる。
「十四時半にチェックイン予定の安室です。」
爽やかで聞き取りやすい声だった。
「少々お待ちください。」
カウンター内のパソコンで宿泊客名簿を確認する。
(安室…安室、と……あれ?)
VIP客の名簿には『安室』という名前はなく、それどころかVIP対応の宿泊客の名前は『降谷零(フルヤレイ)』と表示されていた。
誤表記…?それとも入力ミス?
「えっと、安室様…」
目を凝らして探しても宿泊客名簿には『安室』という文字は見つからず諸伏に連絡を入れようした時、『安室』と名乗った男はこちらに顔を近づけるように手招きをした。
新一が顔を近づけると男は囁いた。
「…ああ、そうか。ごめんね。いつもは偽名を使っているんだけど今日は違かったみたいだ。」
「は、はぁ…」
偽名を使うお客様なんて研修の時もいなかったけどVIP客だとこういうこともあり得るのだろうか。
「降谷零。確認してみて。」
「は、はい。少々お待ちください。」
新一は『降谷零(フルヤレイ)』と表示されている文字を再度確認した。
「お待たせいたしました、えっと…」
「安室でいいよ」
「では…安室様。本日から七泊でお間違い無いでしょうか?」
「はい。」
「ご確認ありがとうございます。お部屋のご用意はできております。25階の1号室になりますのでご案内致します。」
「ありがとう」
ルームキーの設定とチェックインの手続きを済ませるとカウンターから出て降谷と共に上層階用のエレベーターホールに向かう。
「お手荷物、お持ちしましょうか?」
「大丈夫だよ。今回はそんなに重くないから」
エレベーターホールに着き上矢印のボタンを押して待っている間に新一は考えていた。
偽名を使わざるを得ない事情があるのか、そもそもなぜ偽名を使うほどの人がこのホテルに?
いつもはって言ってたけど、この人の宿泊者情報載ってなかったような…。
新一が考えこんでいると降谷が顔を覗き込んできた。
「あ、えっと、何かございましたか?」
エレベーターの待ち時間に無言で考え込んでいたからか呆れられてしまったのだろうか。
『ホテルの品位に関わる』という言葉を思い出しながら焦った顔をした新一に降谷が微笑んだ。
「綺麗だね」
綺麗。美しいという言葉の意味はわかるが、なぜ自分に言われたのかわからない。
綺麗なのはむしろ降谷の方ではないか。
「貴方も綺麗な顔立ちをしていますよ」
微笑みながら返すと降谷は目を丸くしていた。
何かおかしなことを言っただろうか。
すると、降谷はまた微笑みながら返した。
「ありがとう。君みたいな子に言われると嬉しいよ。」
俺に言われると嬉しいとはどういうことだろうか。
でもよかった。悪い印象ではないらしい。
「君、名前は?」
「工藤新一です。」
「工藤くん、ね。教えてくれてありがとう。よろしく。」
よろしく、というのはおそらくこれからのVIP対応のことだろう。
「こちらこそ七日間よろしくお願いします。」
降谷と会話をしているとポンとエレベーターが到着した音が鳴り、ドアが開く。
「どうぞ。足元お気をつけください。」
ドアを抑えて先に降谷を乗せ、後から新一もエレベーターに入った。
25階のボタンを押して待っている間、降谷からの視線を感じる。
すごく見られている気がする。
「あの、何か…?」
もしかしてこの狭い空間の中でも品位を問われているのだろうか、それとも対応中に失礼なことを言ってしまっただろうか、と思考を巡らせていると降谷と目が合った。
「やっぱり綺麗だな、と思って」
降谷の手がするりと新一の頬を這わせる。
「え…あ、の…」
ポンッと音が鳴りドアが開いた。
降谷は微笑みながら新一の頬から手を離しエレベーターを降りた。
なんだったんだ今の。
急に触れられて硬直してしまった。
「あ…えっと、客室までご案内しますね」
エレベーターホールに到着して客室まで案内しようと足を進めると降谷から「工藤くん」と声がかかった。
「ここまででいいよ。ありがとう。」
「いえ、しかし…」
「何回かここのホテル泊まってるから大丈夫だよ。それに…」
降谷は何か言おうとしていたが、なんでもないよと言葉を濁した。
「わかりました。ではこちらでご案内させていただきます。安室様のお部屋は通路を右に曲がって奥の2501号室になります。こちらのルームキーをお部屋に置いたまま外に出られますと入ることができなくなってしまうのでお気をつけください。またアメニティはお部屋にご用意がありますが足りなくなった場合やお部屋でのお困りごとなどがございましたらフロントスタッフにお伝えください。」
「ありがとう。」
降谷は新一からルームキーを受け取った。
「ご案内は以上になりますが他にご不明な点はありますか?」
「特にないよ。丁寧な説明ありがとうね。」
「では、ごゆっくりお寛ぎください。」
エレベーターホールでお辞儀をすると、降谷はまたね、と言って通路を右に曲がった。
「またね…?」
降谷の最後の台詞を疑問に思いつつ、新一はエレベーターの下矢印のボタンを押した。