「ふ…安室様。お呼びでしょうか」
内線電話を使用して呼び出したのはVIP客である安室透、いや降谷零である。
大切なものを引き取って欲しいとのことで呼び出された新一は降谷が宿泊している2501号室のドアの前にいる。
ガチャ、という音がしてドアが開くと
「おはよう工藤くん」
「え、と…引き取って欲しいもの、というのは…」
「立ち話もなんだから入って」
そう言われて降谷の部屋に入るとほのかにコーヒーの匂いがする。
アメニティのコーヒーを煎れていたのだろうか。
マグカップが二つダイニングテーブルに置いてあった。
「これ、工藤くんに引き取って欲しくて」
そう言って渡してきたのは高級チョコブランドの包装紙に包まれた箱だった。
「えっと、こちらを郵送するとかですか?」
「はは、そうきたか…。違うよ。」
バレンタインデーである今日は誰かへの感謝や想いを伝えるためにチョコを渡すという文化が根強い。
そんな日にチョコを買ったのに誰にも送らないのだろうか。
不思議に思っていると、ふふっと笑う声が聞こえる。
「これは工藤くん宛のチョコだよ」
「へ…?」
「今日はバレンタインデーだからね。いつもお世話してくれているお礼。」
「あ、りがとうございます…?」
本来ホテルマンがお客様からチョコをもらうことはないし、お客様から何かものをもらうことはあまり良しとされていない。
もらっていいのだろうか。
いやでも、善意でくれたものを無碍にはしたくない。
チョコの箱をじっと見つめている新一を見て降谷は微笑みながら二人分のマグカップをローテーブルに置くとソファに座り、ぽんぽんと隣を叩く。
「ほら、コーヒー煎れたから一緒に飲もう」
「え、と…俺、仕事、あるので…」
「お客さんの要望に応えるのも仕事のうちだよ」
「じゃあ、少しだけ…」
ぽすんとソファに座ってコーヒーを飲む。
「…猫って可愛いよね」
「はい…?」
「懐くまで時間がかかるけど一度心を許したら撫でさせてくれるし、許されているって感覚がこちらにもわかりやすくて可愛いよね」
なぜ今猫の話をしているのだろうか。
降谷は猫好きだっただろうか?いやどちらかというと犬好きのように見えるけれど…。
「そうですね…?降谷さんは猫飼っているんですか?」
「いいや?飼ってないよ。僕、どちらかというと犬派だし」
ますますわからない。猫好きではないのか。
「まあ、まだ気に入られてないみたいだから頑張るよ」
「ふふ、犬派なのに猫に気に入られたいなんて降谷さん変わってますね」
「そう、そうかもね」
お互いにコーヒーを飲みながらたわいもない話をするこの時間が少し居心地が良い。
「そろそろ行きますね。チョコ、ありがとうございます。休憩中にいただきますね」
「うん。お仕事頑張って」
降谷にエレベーターホールまで出迎えてもらって新一はエレベーターに乗る。
「あ、工藤くん」
エレベーターのドアが閉まるタイミングで降谷が思い出したかのように声をかけた。
「それ、本命だから」
新一はポカンとしたまま立ち尽くしている間にエレベーターはドアが閉じて下の階に降りていく。
「え……、え!?」
本命チョコ。
それは感謝を伝えるためのチョコではなく、好意的な意味を持ったチョコ。
どうしたらいいのだろうか。
お客様とそういった関係になるのはよろしくないが好意として受け取ってしまった以上は無碍に捨てるわけにもいかない。
「…どうしたらいいんだよ、これ」
新一はエレベーターの中でボソッと呟いた。