師弟大きく息を吐き出す、大きな欠伸をした斎宮 響(いつき ひびき)は目の前の剣道の試合を欠伸により出た涙を拭いつつ、退屈そうに眺める。
何故こんなところにいるのか、他の人の太刀筋などを見るのは勉強だと言うが……。
「中学生の剣道の試合じゃない……」
そう呟けば、隣にいる父母がキッと目付きを鋭くして見る。
「なんですか、大人の女性が人の多い場で大あくびなんてして」
「たるんでいるのではないか、響」
「失礼致しました、父上、母上」
(大人ってもまだ19じゃないのよ……)
今までは、強い相手との試合は魂が震えそうなくらいに身体が震えて胸が高鳴っていた、でもその胸の高鳴りはすっかりなくなってしまっていた。
(本当、退屈だわ。子弟も小さな子どもたちしか来ないし)
そう思う彼女は、ふと1人の少年の姿に目がいく。
(あの子、凄く綺麗な姿勢をしているわね)
そう思っていると、彼は出てきた相手と一礼をしてからすかさず敵陣を凪いだ。
判定は胴──物凄い太刀筋に斎宮は久しぶりにあの感覚を思い出した。
魂が震える、胸が高鳴り、血が沸き立つような感覚。
武士としての血が、彼を求めろと言っているようだ。
……試合終了後、彼女はその少年を探していた。
先程、確かに建物の裏側に行ったのを見たが……。
「あ、いたいた……」
と、言っている間にも。
「お前、一年生のクセに生意気なんだよ!」
「普通は先輩が目立つようにするのが基本だろうが!!」
「今日は有名な剣道の師範が来てたんだぞ! お前のせいで……」
先程の少年と、何人か彼の先輩であろう少年たちがギャーギャーと騒ぎ立てながら膝をついている彼を竹刀で殴っている。
それに、彼はグッと我慢していた。
(な、なに? 喧嘩? みっともないわね……剣道の師範って誰が来てたのかしら)
自分のことである。
「お前のちゃちぃ理想や正義なんかで俺らを振り回すんじゃねぇよ!」
「規律やルールってのは破るためにあんだろが! それをいちいちくどくど言いやがって!」
「おめぇの親父、悪いことしてたんだって? じゃあおめぇもその親父みたいにズルして試合に勝ったんだろ!!」
それがトリガーだったのか、少年はカッと目を見開いて傍らにあった竹刀を持つと後ろへ引き薙ぐ姿勢に入る。
その間に斎宮は静かに少年の背後へと向かい、その竹刀の先をガッと持った。
まったくビクともしない竹刀に、少年は驚いた顔で振り向く。
自分よりも遥かに背の小さい女性が、自身の竹刀をいとも簡単に止めていた。
「なっ、なんだババア! しかも小せぇ!」
「ばっ……!? 失礼ね! 私はまだ19よ!!」
コホン、と1つ咳払いをして斎宮は少年に耳打ちする。
「やり返してはダメよ、あなたも同類になってしまうわ」
「……」
少年には分かっていた。ただ、それでも感情には勝てなかったと目が言いたげだ。
「感情はね、剣や刀に伝わるわ。乱暴に使えば剣は折れてしまう……あなたが正義を貫くと言うのなら、剣にそれを証明してみせなさい」
冷静な言葉、そして簡単に腕力で少年の手から竹刀を抜き取ると彼らの間にたち、右手に持つと斎宮は剣先を地に刺した。
「最近の中学生はなっていないわね……教えてあげるわ」
先程までの雰囲気はどこへやら──彼女から溢れる覇気はさながら武士を感じさせる。
「お前たちは血を流してでも戦うという心があるか」
大声ではないのに、響く声。
赤い瞳が、少年たちを捉えて離さない。
「お前たちは何を目指して剣を振る」
「な、なんだよこのおばさん……」
「お前たちの剣は人を叩くだけのものか」
「う、うるせえな!」
「答えろ!!」
喝を入れんばかりの声が空間に轟くと、少年たちは腰を抜かし竹刀を投げ捨てて逃げていった。
「まったく……これにも答えられないなら武士失格ね」
「……武士ではないと思いますけど」
そこで、ようやく後ろにいた少年が声を出す。
先程の気迫に圧倒されたのか、彼の声も少し震えている。
「まったく、ああ言う時は素直に逃げなさいよ」
「武士は逃げないものじゃないんですか」
「馬鹿言いなさい、命が一番大事よ。借りたわね」
そう言って、竹刀を返す斎宮は黒く背中まで伸びた髪を風に靡かせて少年を真っ直ぐに見据えた。
赤い瞳の中に捉えられた彼は、目線を外せずにいる。
「あなた、試合見てたわ」
「……え?」
「いい太刀筋ね、ただ踏み込みがまだ甘いわね。才能はあるけど、才能をしっかりと認めてくれるところで修行を積まないとダメよ」
「……あの」
「そこで提案があるんだけど」
一方的に話す人だなとため息をつく少年だが、次に出てくる彼女の言葉に目を見開いた。
「──あなた、私の弟子にならない?」
それが、全ての始まり。
「弟子──?」
「そう、あなたの師範になってあげるわ」
自信満々に言う彼女の背を、夕日が明るく照らす。
その中でも、煌々と輝く彼女の赤い瞳は変わらず異彩を放っていた。
……………………。
「ちょっと〜奏斗、早く取ってよね」
「分かってますよ、師範」
「今はなんでもないんだから、普通に呼びなさいよね」
「でも道場の中じゃないですか」
「相変わらずお堅いわね……別にルールや規律じゃないんだから。修行中は礼儀としてそう呼びなさいってだけよ」
「分かりましたよ、響さん」
彼女の一番弟子となった笹雪 奏斗(ささゆき かなと)は、彼女と初めて出会った時のことを思い出して小さく笑う。
「何よ」
「いえ、最初に響さんと出会った頃を思い出して」
「ああ、あの時の……そういえば決断早かったわよね、次の日にはうちに来てたし」
「人間関係が上手くいってなかったのは見ての通りでしたので」
ふーん、と言う斎宮はとってもらった箱からお菓子を取り出すとモグモグと食べつつ、笹雪にも中身を渡した。
「これ、子どもたちのお菓子じゃ」
「あら、あなたもまだ子どもでしょ?」
「もう高2なんですけど……」
「あらあら、子ども扱いされて拗ねてるの? 珍しいわね」
クスクスと笑う彼女は、箱を持って道場で待つちびっ子たちの元へと行く。
その後ろを、ジュースと紙コップとなぜか今渡されたお菓子を持って笹雪は後ろをついて行った。
『この人の後ろを行くのは楽しい』
つい、彼はそう思うことがある。
子どもたちに群がられ、一人一人にお菓子をあげる彼女の優しい微笑みを眺めているだけで面白かった。
もちろん、稽古中の真剣な表情も面白い。
そして、彼女の正義を貫く姿勢に酷く惚れていた。
この人なら、もしかしたら──。
そう思いながらも、彼は紙コップにジュースをついで一人一人に渡し始める。
そして、いつもこのタイミングで斎宮に頭を撫でられるのであった。
「……師範」
「一番弟子を可愛がるのは当たり前じゃないの、あなた背が高いからこのタイミングでしか撫でられないのよ」
「お兄ちゃん顔真っ赤ー!」
ちびっ子たちにドヤされ、道場は賑わいを見せる。
師弟より、姉弟の方がよく似合う2人組であった。
終