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    skhktnk_nzm

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    skhktnk_nzm

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    いつか出るフィ晶逆トリ本です

    やったぞ、という声にはっとして空を見上げた。先ほどまでの魔法使いたちへの苛烈な攻撃が、ぴたりとやんでいる。
    美しき世界の敵、私たちの宿命である"大いなる厄災"がゆっくりと空へ還ってゆく。先程まで暴虐の限りを尽くしていたというのに、大いなる厄災の光は、まるで淑女の礼のような憎らしいほどの気品と美しさをたたえている。
    誰ひとりとして無傷な者はいないけれど、誰ひとり石にならないまま。彼らは、役目を果たした。魔法の使えない私を庇いながらも、懸命に、勇敢に、世界を守り抜いたのだ。あまりの緊張と愛しい魔法使いたちが傷つく痛ましさや、何も出来ない歯がゆさにいつの間にか呼吸を忘れていたらしい。息をゆっくりと吐いて、周囲を見渡した。寄り添って無事を喜ぶ者、未だ厄災を睨み据える者、離れていく意中の相手に愛を謳う者。それぞれに勝利を噛み締めている。10歩ほど離れたところで立ち尽くすリケに、声をかけて労おうと足を踏み出した、そのとき。


    「賢者様!」
    誰かが引き裂けるくらいに叫んで、それから、ぱきん、とガラスみたいに視界が割れた。こちらを振り向いたリケの目がまんまるになって、なにか言葉を発する前に目の前が真っ暗になった。ふっと足元の地面がばらばら崩れて、どこかに落ちていくらしい。行きはよいよい、帰りは怖い。うんと小さな頃に歌っていた童謡が突然思い出されて、全くそんなことないじゃないか、と心の中で毒づいた。どれほど怖かったとしても、突然の離別よりはずっとずっとましだ。勝利を喜ぶことも、彼らの怪我を確かめることも出来ず、言葉ひとつすら交わせず。厄災で混乱した世界にはきっと魔法使いの力が必要で、賢者の魔法使いをまとめ導くことこそが晶の役目であったのに。ほんの小さな抵抗すらも叶わないまま、ただただ落ちていく。かくして、賢者、もとい真木晶は、あっさりと異世界に別れを告げた。

    はずだった。
    (「さよなら」って、言えたら良かったな)




    気づけば、足元に床があった。いや、人間の真木晶にとって足元に床のないことの方が少ないのだが。多少覚悟していた着地の衝撃や音は一切訪れず、いつの間にか地面がある。
    チン、という音に目を開くと、エレベーターのドアが開いて、かつて住み慣れたマンションの廊下があった。驚いた拍子に右手に持っていたものを取り落としそうになる。目をやると、スマートフォンに月の写真が表示されていた。煌々と光る画面上部の日付は、あの日、エレベーターを通じて異世界へと召喚された日だ。異界で目まぐるしく過ぎていったはずの時間は、なぜかこちらには適用されていなかったらしい。ただの真木晶が、猫ばあさんの家から帰ってきたばかりの現実が、ぽつんとそこにあるだけだった。
    (……嘘だ。あんまりだ、こんなの)
    手のひらをぎゅっと握りしめた。いつ帰っても良いように、賢者の書には彼らの事をたくさん記した。好きなこと、嫌いなこと、年齢、好きな食べ物、日々の出来事を、少しだって取り零さないように。でも、だからといって、何もかもあっさりおしまいだなんて聞いてはいなかった。まだまだたくさん話したいことがあった。知りたいこと、みたいもの、教えてほしいこと、やってみたいこと。彼らと、一緒に。
    ルチルに、リケと共に文字を教わるはずだった。早起きして、シノとカインの鍛錬をはらはらしながら見学するはずだった。明日の朝ごはんを楽しみに眠りにつくのが好きだった。オズの部屋で暖炉を眺める静けさが心地よかった。レノックスの羊を触らせて貰ったときの手触り。スノウとホワイトに誘われたお茶会に降り注ぐ日差しのぬくもり。ブラッドリーが丹念に手入れした銃の鈍い輝き。シャイロックのバーで長命な魔法使いたちと柔らかに更ける夜を楽しむこと。ぞっとするほど、強大で圧倒的な魔法に畏れ見とれること。ムルの指先からパッと弾けて消えた火花。ヒースクリフが機械を組み立てるときの真剣な横顔。中庭でファウストと抱き上げた子猫の小さな鼓動。スイーツを口いっぱいに頬張るオーエンの、まつげや髪に付いたクリーム。公務とはうってかわって子どもらしく笑うアーサーに安堵したこと。瞳を輝かせるクロエを見守るラスティカの微笑み。フィガロを叱るミチルの丸く膨れた頬。ミスラが眠りに落ちる前の、手の温度。それから、
    何もかもぜんぶ、小さな子どもが集めた宝の箱みたいに大切だったのに、ここには、その思い出の欠片ひとつない。すっと切れ味のいい包丁を引いたように、容易く、断絶だけがそこにある。
    ふらふらと力の入らぬ足取りでなんとか自室の扉の前にたどり着き、上着のポケットを探った。もう、立っているのもおぼつかない。じわりと熱くなる目頭に気づいてしまう前に、ベッドに倒れ込みたかった。ひんやりとした金属の感触ともうひとつ、なにか大きくてでこぼこしたものが入っている。召喚された日も、先程までも、こんなものは持っていなかったはずだと不思議に思って取り出してみると、貝殻の笛だった。いつかの、ボルダ島で売られていたお土産。

    「賢者様がこれを吹くなら、どこへだって駆けつけるよ。」
    潮のさざめきを背にして笑いかけた、フィガロの声が脳裏に蘇る。優しくて、その優しさを自分では信じられない不器用で愛おしい人の声が、こだまする。
    「あ、」
    ぽろっと涙がこぼれ落ちて、頬を伝って、足元に染みを作った。
    藁にもすがる気持ちで、たった一目会いたくて、笛を吹いてみた。けれど、涙まじりの吐息がかすかに笛を震わせるばかりで、まともな音にもならなかった。辺りはしんと静まり返って、共用廊下に備え付けられた誘蛾灯の低く唸るような音だけがある。笛を両手で握りこんだまま、ずるずるとしゃがみこむ。当然だ、フィガロは来られるはずもない。ふたつの世界を行き来する方法はわからないのじゃとスノウとホワイトに告げられたのを覚えているし、彼には彼の生活がある。もし来られたとしても、きっとルチルとミチルを置いてくるはずもない。だから過ぎた望みだ。あちらの思い出を持って帰ってこられただけでも、ずっと、きっと、恵まれているのだろう。笛を持つ手に力を込めた。
    また、チン、とエレベーターが到着した音がした。
    大変だ。廊下で泣き崩れているところなんて見られたら、気まずい思いをさせたり、変なやつだと思われたりしそうだ。立ち上がって、鍵穴に鍵を差し込む。回して、抜いて、左手に笛を握りこんだままドアノブに手をかけた。だから、そう、だからなのだろうか。エレベーターの方からかけられた声に聞き覚えがあるなんて、そんなのありえないと思った。
    「良かった、賢者様!」
    幻聴が聞こえてしまうなんて我ながら情けないな、と苦笑した拍子にまた涙が頬を滑り落ちた。
    「えっちょっと、ねえ、聞こえてるでしょ?」
    かつかつかつと革靴が床を叩いて、それから肩に手が置かれた。触れられた感触があって、温度がある。反射的にぱっと顔を上げた。廊下の電灯を遮る長身に、動きに合わせて揺れる白衣。光の反射に応じて紫にも深い青にも転じる灰色の髪に、目を引く鮮やかな瞳のエメラルド。
    「ね?君のフィガロ先生は、ちゃんと駆けつけただろ、賢者様。」
    「フィガロ!?」
    相変わらずの器用なウインクをして微笑む、フィガロがそこにいた。

    「《ポッシデオ》」
    「あの、」
    「あぁごめんね、周りから認識されにくくなる魔法をかけさせて貰ったよ。」
    くるっと周囲を見渡してから、フィガロはそう言った。
    「ここがどういう場所かはわからないけど、あんまり騒ぎになるのは良くないし、君も人に見られたくなさそうな状態だしね」
    数回瞬きを繰り返した後に、こくりと頷いて同意を示す。
    「それから君、やっぱり驚いたときの声大きいよね」
    廊下の薄暗い灯りに照らされたフィガロが、口元に手を当ててくすくすと笑っている。
    だいたい皆びっくりしたときは大声が出ると思いますよ、とか、どうしてここに、とか。言いたいことがたくさんあるのに、声が喉に張り付いてひとつとして言葉にならなかった。
    身を屈めてこちらの顔を覗き込んだフィガロは、
    とめどなく流れる私の涙をそっと指で拭った。
    思わず、そこそこの力を込めて自分の頬をつねる。驚いたことにちゃんと痛い。痛かったので、今しがた拭われたばかりの目の縁にまた涙が溜まった。
    「ちょっと君、なんでまたわざわざ自分から泣こうとしてるの」
    「……フィガロ、フィガロ。本物ですか?私、また夢の森で死にかけたとか、そんなことじゃないですよね?」
    「うん?……あぁ。本物のフィガロ先生さ。今ここは間違いなく現実で、君は君の世界に戻ってきたんだ。」
    フィガロはぱちりと瞬きをひとつして、それから胸に手を当ててにっこりと笑う。少しだけ芝居がかった、しかし尚優雅な仕草にあぁ本物だ、という実感が滲む。
    「ただね、こちらへ渡ってくるのにそこそこの量の魔力を持っていかれたから、さすがにいつもの頼れるフィガロ先生!とは言えないかもね。こちらは魔法の気配が薄くて、回復に時間がかかりそうだ。」
    え、と声が漏れた。
    私、なんてことを。

    ◇◇◇◇
    「……海に、海に行きましょう。」
    急にどうしたの、と戸惑うフィガロの手を取って、駅へと向かう。夜の気配が漂いだした街を抜けて、終点までの切符を2枚買い、急行に飛び乗ってがたごとと2人で電車に揺られる。魔法使いにはそれぞれマナエリアと呼ばれる、気揚の場所がある。暖かな日差しの元、日常会話や魔法の授業で何度も聞いた話だ。故郷であったり、大切な思い出を想起させる場所であったり。心で魔法を使う彼らの、魔力を養い、気力を回復するための原風景だ。フィガロの場合は少し波が荒れた、灰色の海。特別思い入れなんてないけどね、と笑っていたのを覚えている。生憎今日は天気が良く、きっと波も穏やかだろうけど、海であることに変わりはないから、もしかしたら。
    訳もわからずに着いてきてくれたであろうフィガロは物珍しそうに車内を見回している。まだ終電には早いが、それなりに遅い時間だからか乗客の数はまばらで、暗がりを透かした窓に明かりが反射して、晶とフィガロの姿を映す。背の高い白衣を纏った彼と頬に涙の跡を残す私。少し変わっているけれど、まさか異世界からやってきたなんてきっと、誰も思わないだろう。窓ガラスから漏れる冷気が首筋を通り過ぎていく。
    終点です、との車内アナウンスに従って、駅に降り立った。街灯以外の明かりがなく真っ暗な辺りには、ざあざあと波音が行き交っている。駅を出てすぐに砂浜が広がっていて、きっと昼間に来たらぱっと駆け出したくなるような素敵な場所なんだろうという冷静な分析が晶の思考の端っこを過ぎった。
    フィガロの手を引いて波打ち際、つま先が濡れるギリギリまで海に迫る。砂に足を取られるのも焦れったくて、よろめきつまづくのも構わずに進む。
    「フィガロ、どうですか。少しでも魔力が取り戻せたりしませんか。きっとあなたのマナエリアには程遠くても、どうにか……。」
    「賢者様。」
    「帰ってください、フィガロ。早く、あなたが帰れなくなる前に……」
    「ねぇ、どうしたの。君が呼んだんじゃないか」
    「……確かに、寂しくて笛は吹きました。まさか本当に来るなんて思ってなくて…」
    「寂しかったんでしょう? だったら」
    「いいえだめです。私は、ミチルから先生を奪いたいわけじゃない……! フィガロだって、南の村で調査したときのミチルの言葉を覚えていますよね?生まれたときからずっと一緒で、家族みたいな南の皆さんを引き離したくありません。帰ってください! 早く……! 南の国の開拓は、人と魔法使いが共存する世界を作る夢は?ファウストとの仲直りは? スノウとホワイトに何か伝えましたか? あなたは、私のためだけに、ここにくるべきじゃないはずです……!!!」
    俯いたまま、両手でフィガロの胸を押した。涙でぐちゃぐちゃの顔を見せたら、優しいこの人はきっと、寄り添ってしまえるから。どうか、どうか。同情なんかで彼の人生を投げ打ってほしくなかった。無言の2人のあいだを波の音が行き交う中で、そっと顔を近づけられたような気配がする。
    「しぃー。一応魔法はかけたけど、こちらは魔力が薄いから、少し効きが悪いんだ。あんまり大きな声出すと、人に気づかれちゃうよ。」
    ね、と念押しをして、耳元で微かに笑ったらしい。
    晶の必死の訴えが伝わらなかったはずはないだろうに、内緒話の声量で、子どもに諭すような話し方をされているのが、酷く悔しかった。それから、遠ざけるために伸ばしていた腕にそっと手が添えられる。
    「……自惚れないで、賢者様。君なんて力もなくて弱いくせに。」
    先程と変わらない囁き声だったはずなのに、背筋がぞわりと粟だった。
    添えられていたフィガロの手に手首を掴まれ、顎を反対側の手で持ち上げられた。バランスを崩して片足が踏み込んだ拍子に灰色の砂浜にスニーカーが沈み込む。有無を言わさぬ迫力に、はく、と息を飲む。ぶつかった視線のその奥で、フィガロの瞳の翠色がひときわ強く、妖しく、輝く。
    「俺はそのくらいの思慮すら出来ないほど愚かに見えるかい?南の人々は、開拓を進めるうちに充分に逞しくなってきているよ。きっと、上手くやれる。魔法舎ともしっかり縁を繋いできたから、大抵のトラブルには対処する力があるはずだ。
    ミチルにはルチルやリケがいる。そうだね、ファウストとはまだ話は出来てはいないけど。」
    「だったら…!」
    「ミチル自身が俺に勧めたんだよ。賢者様が呼んでいるなら行くべきだって。賢者様を1人にしないであげてって。ミチルは、きちんとお別れの出来る立派な子だ。君だって知っているはずだろ。」
    それに、と1度言葉を切ってから、掴んでいた手首と顎をそっと離す。今度はゆっくり私の手を包んで、フィガロは柔らかく笑みを形作った。
    「何より、君は、君の心を大事にしたっていいんだよ。俺は、賢者様が1人で孤独を抱えないで、俺を頼ってくれたことが心から嬉しい。」
    「っそれでも、……それでも私は、あなたに来て欲しくなかったです、フィガロ。あなたとファウストが向き合う機会を無くしてしまうなんて……。」
    「そっか。ごめんね。」
    少しだけ眉根を下げて、笑って謝罪を口にする姿に胸が痛む。冗談めいているけれど本心からの言葉だということは、とっくに知っていた。フィガロの来訪に晶が罪悪感を抱くことに謝っているのだ。だからこそ、晶はその言葉を否定しなければいけなかった。しゃんと背筋を伸ばして、しっかりとフィガロに向き合った。
    「違います。謝るのはフィガロの方じゃないです。ごめんなさい、あなたのすべてを奪ってしまって。……来てくれて、ありがとうございます。」
    「うん、どういたしまして。」
    月明かりが囲う夜と海辺の冷たい風の中で、フィガロと繋いでいる手だけがあたたかい。
    「ほらほら、もう遅いよ。君は家に帰った方がいい。」
    「フィガロはどうするんですか?」
    「うーん、どうしようかな。どこに何があるかも、社会の仕組みも知らないまま来ちゃったしね。」
    「だったら当然、フィガロも一緒に帰りましょう。あなた1人放り出すわけにはいかないですし」
    「そうだね、実はそれをちょっと期待してたんだ。」
    悪戯っぽく笑うフィガロと繋いだままの手を引いて、並んで歩き出す。彼が未だここにいることも、握った手から伝わる熱を嬉しく思ってしまったことも、まるで夢のようだった。それも、とびっきりの悪夢。
    また2人分の切符を購入し、終電にはまだ早いことにほっと胸を撫で下ろす。何も言葉を交わさないまま最寄り駅で降り、暗闇を2人歩いて、晶の部屋へと帰ってきた。震えるほどとまではいかないにしろ、秋の終わりの夜は張り詰めるような冷たさを含んでいて、玄関で靴を脱ぐと疲れが押し寄せてきた。
    幸いにも明日は休日だ、風呂は明日の朝に回してしまおうとジャケットをハンガーにかけていたとき、晶は大変な事を思い出した。
     真木晶は東京都内駅徒歩8分のマンションにひとり暮らしをしている。時折高校時代の同級生や同僚を自宅に招くことはあれど、互いに社会人として忙しい日々を送っている身。お泊まり会などに興じることは滅多にない。お酒が飲めないため、深夜まで宅飲みを開催することもない。要するに、部屋に自分以外の人が泊まることがあまり想定されていない。そう、今夜の寝床が足りないのである!
    晶に習って革靴を脱ぎ、ローテーブルの前に慣れない様子で座るフィガロを振り返る。ぎぎぎ、と音がしそうなほどぎこちなく振り返った晶の様子に、フィガロは首をかしげた。
    「どうしましょうフィガロ。……ベッドが、足りません。」

    ◇◇◇◇
    かくして、晶は正座で、フィガロは胡座をかいて、ローテーブルを挟んで向かい合っている。晶の主張はこうだ。「家主は晶で、フィガロは客の立場である。そもそもフィガロがこの部屋にいるのも自分のせいであり、それなのにフィガロを差し置いて自分だけベッドを使うことなどできない。」 と。
    対するフィガロは、「魔法使いは1日2日眠らない程度で健康を害することはない。それこそ家主にベッドを使う権利がある。」と南の教師役らしい態度で主張した。両者は平行線を辿り、決着はいつまで経ってもつかないかの様に見えた。
     フィガロが冗談めかして「じゃあ、一緒に寝ちゃう?」などと言うまでは。

    どうしてこんなことに。
    真木晶は数分前の自分を恥じていた。「望むところです!」などと勢い込んだ己を。そう、きっとお互いに譲る気はなかったのだ。正面衝突した思いやりはあらぬところへ不時着した。思いやりストライクとよんでも差し支えないだろう。
    「やっぱりベッドは君が使いなよ。」
    苦笑混じりに諭すフィガロに晶はいえ、と首を振る。
    「少し狭いですけど、2人並んで寝るくらいならおそらく大丈夫だと思います」
    きっぱりはっきり答えた。正直、疲労で少し眠い。もう一度譲り合いの議論をするのはごめんだった。
    晶のオーバーサイズのトレーナーとスウェットの予備、ついでにベッドもフィガロの魔法でポンと大きくして、交代で脱衣所を使って着替えてから2人横に並んで寝転がった。ベッドサイドのコンセントからコードを伸ばして、枕元のスマホに繋ぐ。
    布団の中、ふたりぶんの体温がじんわりとあたたかい。フィガロと2人きりで同じベッドにいる状況を客観視してしまって恥がこみ上げてくる前に、晶は口を開いた。
    「戦いのあと、誰か大きな怪我をしてはいませんでしたか。」
    目を見開いて、手を伸ばそうとしてくれたリケの顔が思い浮かんだ。戦いの中で石になった魔法使いはいなかったはずだった。無力な人間の晶にも、見守ることだけはできたけれど、でも、どうしたって不安だった。晶の言葉を聞いたフィガロは、僅かに目を細めて緩らかに微笑んだ。
    「みんな少しは傷は負っていたけど、フィガロ先生に治せないほどじゃなかったよ。安心して。21人ともちゃんと元気だ。」
    「……良かった。それがずっと気がかりだったんです。」
    「それは俺たちも同じだよ。これで、22人が全員無事だ。なにせ突然いなくなってしまった君を案じて俺はここへやってきたんだから。」
    「でも賢者はきっと新しく召喚されるでしょう? こんな危険を犯さなくったって……」
    君だからだよ、とフィガロは笑った。
    「俺たちよりもずっと弱くて、魔法も使えない、小細工も使わない、まっすぐ相対してくれたきみだから必死になって探したんだよ。だって友人を心配するなんて、当然のことだろ? 」
    世界中の慈愛をまるごと詰め込んだかのような声色に、また泣きそうになる。独りの寂しさを知っている、この人の優しさが好きだった。フィガロは満足気な顔をして、思いやりに胸が詰まって何も言えない晶の手の甲をそっと撫でた。
    「おやすみ、賢者様。」

    ◇◇◇◇
    目を覚ますと天井が低かった。いや、魔法舎の天井が高かっただけでこれが今までの当たり前なのだった。朝の布団の蠱惑的な魅力に抗いつつ身を起こし、カーテンから差し込む光に目を細めた晶がふと隣に目をやると、フィガロが小さな布団にくるまって眠っている。長い手足を窮屈に折りたたんでいる姿はなんだか申し訳なくて、少しだけ可愛らしい。晶が落ちないようにと壁際を譲ってくれたフィガロを起こさないように、そっと灰色のシーツをかき分けてベッドから抜け出した。
    黒くて四角い、テフロン加工が剥がれて少し焦げ付きやすいフライパンをコンロに乗せ、油を多めにひいて双子ではない卵を2つ落とす。じゅわっと軽快な音を立てて白身が透明な縁がふつふつと黄みがかった白に変わっていく。食材が無事なことが、賢者へ変わったはずの晶を取り巻く「日常」の数少ない救いだった。あまり音を立てないように換気扇の弱のスイッチを押して、フライパンに蓋をしようとした所ではっとして手放して、白身にだけかかるように塩を振った。見た目の綺麗な半熟の目玉焼きを作るには、蓋を閉じずに白身に塩をかけるといい。手早く朝食を済ませることに慣れていた晶にとっては贅沢な時間の使い方を空色の髪の魔法使いにそう教えてもらったのだ。平たい皿を2枚取り出した。火を消してからまんまるの黄身がつやつや光る目玉焼きをフライ返しで皿に載せた。それから野菜室からチンゲン菜とベーコンを取り出して、チンゲン菜の根元の土を洗い落としてざくざくと1口大に刻む。ベーコンも二枚重ねて細く切って、先程卵を焼いたフライパンにまとめて放り込む。サッと炒めて塩胡椒を振り、目分量で2等分して目玉焼きの隣に盛る。
    「なにか手伝えることはある?」
    「わっフィガロ、起きてたんですね。」
    「おはよう。いい匂いがするね。」
    フィガロは晶の肩越しにひょいと皿を覗き込んだ後、朝ごはんは目玉焼きか、と笑った。
    「おはようございます。もう少しでできるのでお箸を、ええと、棚の左上の引き出しから取って貰えますか。もし箸が使いにくければ同じ引き出しにフォークもありますよ。」
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