恐れず宇宙へ進め、俺のスター赤葦の家では各種CSチャンネルを見ることができる。
海外のテレビではそもそも有料放送チャンネルの方が優勢だと聞くけれど、日本では地上波のみという方が圧倒的に多い。それはある程度の費用を然るべきところに納入さえすれば地上波放送を見ることができるからだ。
でもその地上波放送と言えばニュースかワイドショー、あとはコピペのようなバラエティ番組くらいしか見ることはできず、本当に赤葦が見たい番組は地上波で見ることはできないのだ。だから、金を使ってそれを見られるようにしただけのこと。
ここのところ、赤葦はずっとそのテレビに噛り付いている。
一年遅れの五輪が終わってまだ一か月だというのに、世界はもう次の三年後に向けて動き出しているのだ。
ピピ――――という長いホイッスルが聞こえた。
『決まった―――――!最後に決めたのは今日が誕生日の木兎光太郎!龍神NIPPON、決勝進出!これでロシアで開催される世界選手権の出場権を獲得しました!』
熱の籠った実況をするアナウンサーとは逆に、赤葦は、ほう、と一つ安堵のため息をついた。
試合に勝ったこともそうだが、誕生日というそのことで暴走しやしないだろうかとヒヤヒヤしていたのだ。
自分の誕生日はまだ三か月ほど先だけれど、今やもう誕生日以外の日と誕生日の日は同列で、ただ365日のうちの1日でしかない。でも今ちょうどテレビに映っている彼にとっては一年で1番テンションがぶちあがってしまう日。それはもう『あんたどこの小学生男子だ、ちょっとは落ち着けもうアラサーだ』とツッコみたくなるほど。ツッコんだところでどうにかなるものでもないのはわかっているが。
『宮……なんかホントにごめん』
テレビでは木兎がセッターの宮侑の背中に飛びついているが、飛びつかれた方の宮侑は疲労困憊という表情をしている。セットカウント自体は3-1で勝っていて、五輪と比べるとそこまでタフな試合というわけでもなかったと思う。それでもぐったりしているというのは、恐らく木兎の手綱を引くのに相当苦労をしたということなのだろう。海外チーム所属のメンバーのほとんどがこの国際大会には参加しておらず、国内リーグ組主体のチーム構成で戦っている。必然的に木兎に上がるトスの本数も多かったが、同じチーム所属でもあるので宮はよくわかっていただろう。この『世界が俺の誕生日を祝ってくれている』と普通なら思わないようなことを思っているに違いない自チームエースが、何かしらやらかせば『俺、誕生日なのに…』と落ちる。それだけは絶対避けなければならない。多分、相手のブロックを振ることよりそっちに気を使ったことだろう。
本当は赤葦も現地で直接応援したかった。電車でちょっと行けば着く場所での大会だ。木兎からも『チケットなら用意できるよ?』と言われた。でもなんとなく現地に行くのは怖い気がして、こうして大きいジャカ助のぬいぐるみを抱っこして一緒にテレビを通して試合を見ることにしたのだ。
バレーを辞めて普通に社会人になった自分は随分臆病になったように思う。
一歩踏み出すのに必要な勇気は学生の頃の比ではない。
それに、万が一よくない想像が現実になってしまったらどうしようという恐怖が大きい。
例えば、木兎が試合中に怪我をしてしまったら。学生の頃よりマシになったとは言え、それでも調子の波は大きい方だから、もし途中で崩れて交代するようなことになってしまったら。
それを現地で見る勇気が今の赤葦にはないのだ。
いや、逆に現役の頃は怖いもの知らずだっただけなのかもしれない。
でも大人になって、『怖いこと』を赤葦は知ってしまったから。
テレビではヒーローインタビューが始まった。
『放送席ー、放送席ー。今日の勝利の立役者、木兎光太郎選手にお越しいただきました!ナイスゲームでした!』
『ありがとうございまああああああああす』
ああ、音声さんすみません。突然叫ぶから音が割れちゃいましたね…。マイク壊れてませんか、大丈夫ですか。
『試合序盤から今日はフルスロットルでしたね!』
『はい!今日誕生日なんで!最初からぶっ飛ばしていこうと思ってました!』
自分からテレビのインタビューで誕生日アピールするか。会場からも拍手と一緒に笑いも起きている。
『木兎選手と言いますと、調子のいいときはどんなブロックがきても打ち抜いてくれるという印象があるのですが、本当に今日はよく相手ブロックを打ち抜いてくれましたね』
『はい!今日誕生日なんで!世界が俺を祝ってくれてるなーって思ったら、こう、……今日の俺は宇宙の誰より最強の1本指だ!ってなって!ブロック全部抜けました!』
全部日本語のはずなのに、翻訳が必要になりそうなそれ。でもみんなそれでこそ木兎だと思っているから大丈夫だろう。考えるな、理解しようとするな、感じてくれ。
『いい誕生日になったんじゃないですか?』
『うーん……でもまだ誰からもプレゼント貰えてないから…あんましよくないんですよね…』
しょぼ、となったのが画面越しでわかった。アナウンサーさん、頑張れ。いや、まだ渡せてない俺のせいか?だとしたらすんません、俺が全世界に向かって土下座します。言い訳するなら、大会中に会うとか無理だから渡せないんですよ。本当にすみません、前倒しで渡しておけばよかったですね。
『そんなに欲しいんやったらくれたるわ』
マイクに遠目に入る関西方面のイントネーション。直後、誰かの手が画面にフレームインしてきて、その手が木兎の顔にタオルを押し当てた。
『んぶぅっ』
木兎の顔にはぐりぐりと何かがこすりつけられている。
場内から歓声が沸き上がる。タオルが外されると、真っ白い何かを顔に塗りたくられた木兎の顔がそこにあった。パイの代わりに白いシェービングクリームが塗りたくられたようだ。
『なんやねん、誕生日やからってはしゃぎよってぼっくんの暴走抑えるこっちの身にもなれや』
『ツムツム~~~~~やったな~~~~~』
『ぎゃ――――――こっちくんなや、クリームつくやろが』
どーん、という擬音よろしく再び木兎は宮に飛びついた。おかげで宮もクリームまみれになる。そこにチームメイトたちもやってきて、場はカオス状態、最早ヒーローインタビューどころではなくなってしまった。
懐かしい。
高校生の頃、バレー部の皆で同じことを木兎に仕掛けたことがあった。昼休みに校舎の屋上にやってきた木兎の顔面目掛けてシェービングクリームで作ったパイを投げつけた。『一度やってみたかった』という木兎以外の総意の元で敢行されたそれ。一瞬置いたのち、木兎は仕返しとばかりにクリームまみれのまま、チームメイトたちに飛びついていった。
そのときと彼は何一つ変わらない反応をしている。
踏み出すことも、怖いことも恐れない、怖いもの知らずの高校生のときのままなのだ。
変わってしまった赤葦と、変わらないままの木兎。
本来なら変貌していくことが普通なのに、変わらない彼がとても眩しい。
名前の通り、眩い光そのものだ。世界で、否、世界にとどまらず宇宙でキラキラ輝く、俺のスター。
「……ま、宇宙で唯一無二の一等星って思ったら、宇宙の誰より最強の1本指ってのは正しいか」
中継が終わってテレビを消し、ソファにジャカ助を置いて、着ていたユニフォームを脱ぐ。
それと同時にスマートフォンが震えて着信を知らせる。
『あかあし~~~~~~!!!』
「木兎さん、クリーム、ちゃんと拭きました?べとべとのままだとスマホ壊れますよ。あと宮に代わってください」
『なんでツムツム』
「お詫びしないと」
『お詫びなんのむしろお詫びされるの俺だよ誕生日なのに!ヒーローインタビュー途中で終わっちゃった!お客さんたちにハッピーバースデー歌って欲しかったのに!』
「はいはい、あとで俺が歌ってあげますよ。いいから木兎さんはクリーム拭ってください」
スターから電話だ。
赤葦だけの、宇宙で一番強く輝くスター。
スマホの向こうでは『あかーしくん!ぼっくんの躾けどうなってるん』と叫ぶ宮の声が聞こえている。