唇を重ねながら、高坂は優しく雑渡を蒲団へ押し倒した。
緊張で心臓が口から飛び出そうだが、それを必死に抑える。あまり格好悪いところを見せたくはなくて、脳内で落ち着け高坂陣内左衛門と何度も唱える。
想いを受け入れてもらい、そして彼からも想いを返してもらえた。それは天にも昇るような幸福だったが、それで終わりではない。高坂はずっと望んでいたのだ。この方と、身も心も繋がりたいと。
そして今日がその初めての日であり、何度も脳内で復習した事を必死に思い出そうとする。だが、目の前の彼を前にすると何もかもが吹っ飛んでしまう。
それでも高坂は唇を離すと、緊張で震えそうになる指を何とか押し留めながら彼の寝巻の腰紐に触れた。
しゅるりと響く衣擦れの音すらもひどく色めいていて、普段なら何とも思わないその音にすらも興奮してしまう。高坂は彼の寝巻の合わせ目を開き、その肢体を上から見つめはっとした。
雑渡は世間で言うと大男の部類だ。背がとても大きく、横に並ぶと誰もが小さく見える。
だから勝手にこう考えていた。雑渡は背も大きいし、身体も大きいのだと。実際普段一緒にいて、自然とそう思えていた。だから何の違和感も感じていなかった。
けれど。
思わずまじまじと彼の裸を眺めながら、高坂は自分の考えが間違っている事に気が付いた。
雑渡は想像よりも細身だった。勿論美しく鍛えられた身体は均衡の取れた筋肉をつけている。が、もっと豊満だと思っていた胸も、美しくついた筋肉はあるが大きいとは言えず、ぺたんとしている。そこからきゅっと括れた細い腰があり、すらりと伸びる長い脚。そのどれにも無駄な肉はなく、細いと言える。今は隠れてしまっている尻も小さくきゅっとしているのが判る。
「陣左」
声をかけられはっとして顔へ視線を移すと、雑渡は片手で顔を覆い隠してしまっていた。
「そんなにじろじろ見られると、恥ずかしいよ」
「す、すみません!」
あまりにも不躾だった。ばっと顔を逸らすと、雑渡が少し不安げな声を出した。
「がっかりした?」
何故その発想になるのか判らず、思わずきょとんとしていると、雑渡は腕をずらして高坂を見上げる。包帯から覗く白い肌は淡く色付き、とても美しい。
「思ったよりも貧相だろう」
恥ずかしそうに目を伏せて、彼が言う。まったくもって意味が判らなかった。
「…こんな貧相で、醜い身体だ。おまえが抱く気がしないと言うならやめてもいいからね」
どうしてこの方はこんな哀しい事を言うのだろう。ひどく胸が締め付けられた。
「組頭は間違っています」
この方がどれだけ美しいのか、魅力的なのか、きちんと判ってもらわなければ。高坂は指を伸ばし、するりと包帯の上から頬に触れた。
「あなたに醜い場所などひとつもないのに」
火傷で浅黒く変色した肌も、普段目に触れる事のない左目や左耳も、すべて部下を救うために身を投げだした彼の美しく清廉な魂そのものだ。それが醜いなどと思う人間は、このタソガレドキ忍軍には一人もいないだろう。
高坂は指をするりと下ろし、火傷痕の残らない首を撫でる。美しい喉仏を見ていると、そこに吸い付きたくなってしまう。
肩に触れ、高坂はこの包帯の下に隠されている彼のすべてが見たいと思った。そのすべてを美しいと思っていると伝えたい。
「肌を見ても良いでしょうか」
その懇願に逡巡したが、結局雑渡は頷いて身体を起こした。身体に巻かれた包帯はきつすぎず緩すぎず、尊奈門が看病の間に会得した技術だ。それを解いてしまう罪悪感が少しあったが、雑渡が己を醜いと卑下する事を否定するためだと言えば彼も許してくれるだろう。
身体の半分以上は焼け爛れ、皮膚は赤黒く変色している。黒く炭化している部分もあった。
正直高坂は彼が退いていた間、ほとんど忍務であまりおそばにいられなかった。それは仕方のない事でもあるが、悔しく、哀しかった。だからこうしてじっくりと彼の肌を見たのは初めてだと言える。
「触れてもいいでしょうか」
小さく頷いてくれたので、高坂は壊れものを扱うように殊更にそっと触れた。もう痛みはなく、ところどころによっては神経が死んでいるとも聞いた。だが、そんなのは関係ない。
骨格はもちろん大きいが、余計な肉のない身体はとても均衡が取れていて美しい。指先で優しく肩から胸に触れ、脇腹をなぞる。雑渡の口から「ん…」と甘い声が漏れてどきりとした。
白い肌と赤黒い肌との対照がひどく艶やかで、高坂は思わず顔を寄せ、その肌の間に口付けた。
「陣左」
不意に押し退けられ、高坂は顔を蒼くする。調子に乗りすぎてしまったか。不快だったろうか。けれど見つめた先で雑渡の白い肌は赤く染まっていた。
「無理をしなくていいから」
「無理などしていません」
「だが」
「あなたのすべてが、私には美しいのです」
真摯に訴えかける。本当の気持ちだ。この火傷痕を醜いなどと思うどころか、高坂にとっては高潔の証である美しい部分だと思っている。
「雑渡様は、とても綺麗です」
右目が大きく見開かれ、それから恥ずかしそうに伏せられる。そうして、透明な涙が音もなくするりと彼の頬を流れ落ちた。
「そんな事を言うのはおまえだけだろうね」
泣きながら、彼は微笑んだ。あまりにもその姿が神々しいほど眩く、高坂は胸がどっ、と激しく跳ねた。思わず顔を俯けてしまい、雑渡の手が心配そうに高坂の手をきゅっと握る。
「すまない。いきなり泣いたりして、みっともなかったね」
「違います! あまりにも美しくて、眩しすぎたので…!!」
顔を上げて力説すると、雑渡は驚いた顔をしてみせたが、すぐに吹き出すように笑ってくれた。その笑顔を見ているだけで心臓が煩く跳ねると同時に、安らいだ。この方が笑ってくださる。それだけで高坂はなにものにも代えがたいほどに幸せを感じられた。
「あなたが笑って下さる事に幸せを感じます。ですが、私の前で泣いて下さる事にも、無上の喜びを感じるのです」
頼ってもらえている。その美しくも弱い部分を見せてもらえている。それがどれだけ幸せなことか。
「だからみっともないなどと仰らないで下さい」
「…うん」
瞬きすると頬に一粒涙が零れる。それを高坂はそっと指で拭った。この方の涙を拭って差し上げる事が出来る場所に自分がいられるという事が、どれだけ奇跡のような確率か。
顔を寄せ、唇を合わせる。ただそれだけで心臓が激しく高鳴った。ちゅ、ちゅ、と吸い付く音を聞いているだけで興奮してしまう。
「ん…でも、陣左」
「何でしょうか」
「こっちはがっかりしただろう?」
こっちというのはどっちだろう。というか、がっかりする部分などひとつもないと言っているのに、どうして雑渡はそんな事ばかり言うのか。
「おっぱい」
「お」
突然飛び出した単語に目が点になる。今、この方の口からおっぱいという単語が出てきたのか。混乱しながらも高坂の目は雑渡の胸を見つめていた。
「揉めるほどはないし」
どうしてそんな発想が。困惑顔をしていると、雑渡は恥ずかしそうにさっと腕で胸を隠した。その仕草を見て思わずムラっとしてしまったのは不可抗力だと許してほしい。
「私のおっぱい、大きくて柔らかいと思われているんだろう?」
一体何の話なのか。高坂は頭を抱えた。
「組頭、それは一体…」
「部下たちが話していたのを聞いたよ。おっぱい大きいだろうから揉んでみたいと」
「それはどこの部隊の誰でしょうか。今すぐ始末してきます」
怒りに顔が熱くなる。組頭であるこの方をそのような不埒な目で見たうえに、その話を本人に聞かれているなどと、そんな不届き者は高坂の拳の制裁を食らわさなければならない。いや、拳などと生ぬるい。刀の錆にと真剣に考えていたら、雑渡にくい、と袖を引かれた。
「陣左は、私を…その、綺麗だと言ってくれただろう」
「はい」
「おっぱいがなくても、興奮出来る…?」
まるで少女のように腕で胸を隠しながら恥ずかしそうに頬を染めている雑渡は、あまりにも可憐で可愛らしく、しかし美しく艶やかで、高坂は頭が一瞬真っ白になった。
「出来ます!!」
思わず大声が出ていて、雑渡が口元に人差し指を持ってきて「しー」と言うので、それにすらも興奮してしまう。彼の一挙手一投足、すべてに美しさとかわいさを感じるし、興奮出来る。出来ないわけがない。
「すみません…」
「いいよ。嬉しい」
恥じらうように頬を染め笑ってくれるこの方に、高坂はもう無礼な奴らの事は一旦捨て置いた。この大事な時間をそんな奴らに邪魔などされたくはない。
「言わせて頂きますが、胸があるないなどと些細な問題に過ぎません。組頭だから興奮するのです」
確かにこうやって身体を見るまでは、組頭のおっぱいは大きいというイメージはあった。確かに高坂にもその印象はあった。だが、実際なかったからとてそれでがっかりする事などありえない。あってもなくてもこの方はとても魅力的で、むしろこのない胸をあえて揉む、と考えると別の興奮が湧いてきた。
「組頭」
「ん?」
「揉んでもいいでしょうか」
右目が見開かれ、雑渡は少し戸惑うように視線がさまよう。まさかない胸を揉まれるとは思っていなかったのかもしれないが、そろりと腕が下りた。
「ど、どうぞ…?」
恥ずかしさを我慢するように雑渡が胸を反らす。高坂は飛びつきたくなる衝動を抑え、優しく両手で胸に触れた。
確かに女性のように柔らかいわけでもないし、ぺたんとしている。だが、雑渡の胸を揉んでいるという事実が、高坂を昂らせた。
「ん、ん…」
雑渡の口から恥ずかしそうに、堪えた吐息が漏れる。それだけでもう高坂は心臓がばくばくしていた。
「な、んか…変な感じだね」
「とても興奮します」
「そう、なんだ…」
不安げだった雑渡は目を細め嬉しそうに笑う。
「陣左が興奮してくれるなら、良かった」
ほっと安堵する彼に、高坂はまたも撃ち抜かれてしまった。心臓がど、と跳ね、思わず自分の胸を押さえる。
忍びとしての彼はとても自信に満ちていて、タソガレドキの忍びでなくても彼に憧れている輩はたくさんいるだろう。それほどまでに強く美しいこの方が、どうしてプライベートになるとこうも自信をなくすのか、高坂にはまったく判らなかった。
だが、この方が自信がないのであれば、その気持ちに寄り添い、卑下する気持ちを否定するのは高坂の役目だ。いや、むしろ使命である。
「私は、組頭のこの均衡の取れた美しい身体に興奮します! 胸がないなどと言いますが、とても美しく筋肉のついたこの胸の美しさを組頭は判っておりません。それにこの引き締まった細い腰も、このくびれがあまりにも艶やかで!」
「陣左、待って」
手のひらが高坂の唇に触れ、言葉が止められた。まだまだまったく褒め足りないのだが、顔を真っ赤にした雑渡がぽつりと呟く。
「あまり褒められるのも恥ずかしいから」
「ですがまだ足りません」
「まったく、陣左はバカだねぇ」
困ったように笑われるが、高坂は確かに雑渡馬鹿であると自負しているのでまったく嫌な気持ちになどならない。
「…抱いてくれないの?」
高坂の肩に額をすり、と甘えるように押し付けられ、再度頭が真っ白になり、そのすぐ後に爆発した。その意外と細い身体を抱きしめ、高坂はもう一度蒲団に彼をそっと押し倒した。
「優しくします」
真摯なその言葉は伝わっただろうか。雑渡は目を細め、恥じらうように微笑んだ。
「者ども、行くぞ」
雑渡の低い声が静かに響く。その後ろ姿は大きく、高坂は目を細めその背を見ていた。
あの忍び装束の中身を知るまで、高坂にとって彼の身体はあまりにも大きく見えていた。きっとそれは彼の発するオーラや、忍びとしての憧れ、そういう色々なもので構成された姿であって、決してそれはまやかしではない。今でもその姿は大きく、頼もしい姿に映る。
だが、一度その服を脱ぎ、組頭ではなく雑渡昆奈門その人になった途端、彼はとても可憐であった。一回りも年上の人に使う言葉ではないかもしれないが、そう呼ぶのがぴったりだと思うほど、美しく可愛らしく、そしてとても艶やかだった。
耳に残る喘ぎは高く、普段の落ち着いた声とはまったく違う。だがあの声を知るのは高坂だけだと思えば胸が満ち足りた。
「はぁ…」
初めての夜の事を思うと反省点はたくさんある中で、それでも自分の腕の中で甘く蕩けて下さったあの姿を思い出せば心が揺さぶられる。じんざと甘く名を呼びしがみついてくれたあの姿。忍びとしての彼とはまったく違う、高坂にしか見せないあのお姿。
(まずい)
反芻していたら心臓が高鳴りだした。今は忍務中だ、落ち着け高坂陣内左衛門。胸に手を当てて大きく息をしていると、不意に耳に艶めかしい声が届いた。
「陣左のどすけべ」
いつの間にか隣にいた雑渡にふ、と声を吹き込まれて心臓が破裂するかと思うほど、どきりとした。
「も、申し訳ありません! つい先日の組頭のお身体のことを思い出してしまい…!」
己の卑猥な思い返しを言い当てられ、高坂は咄嗟に謝罪した。忍務中に思い返す事ではないのは判っていて、ついつい雑渡のことを想うと止められなくなってしまう。
先ほどまではからかうように目が笑っていたのに、高坂の言葉を聞いた瞬間雑渡は急に恥ずかしそうに目を伏せ、少しだけ睨めつけるように高坂を見た。
「…陣左のえっち」
心臓に直接手裏剣を打たれたような衝撃。思わずよろけ、胸を押さえた。息が出来ない。あまりの可愛さに心臓が痛い。
「く、組頭…っ」
「まったく困った子だ」
そう言う雑渡の声は柔らかく優しい。
「陣左、忍務が終わったら……ね?」
細められた瞳と、甘い声の艶やかさ。高坂は「全力で挑みます!!」と大声で返事をして「うるさいよ」と怒られた。
2025/03/17