白の前、黄金の前 ●
R町は寂れた郊外の町だ。いつもと違うことがあれば、あっという間に町中に広まる。
なんでも、町内の体育館(地域活性化の為を謳って無駄に税金を注ぎ込んで造られた無駄に立派な箱物)を貸し切って、学生層のキックボクシングの合宿が行われるらしい。そこにジュニアチャンプが来るとかなんとか。
つえーんだろーな、おい喧嘩売ってみよーぜ――そんな、不良学生達の下らない会話が道すがらに聞こえた。囲んでボコせば勝てるっしょ、みたいな下品な笑い。
目を合わせたら面倒だから一瞥もしない。親からちょっとしたお使いを頼まれた龍児は夜のアーケードを歩く。
ジュニアチャンプ……ってことは日本一強い高校生(か中学生か大学生?)ってことだろうか。やっぱムキムキでバキバキで屈強な奴なのかな、なんて道すがらの暇つぶしに想像して――……
(……うわ)
実際に居た。それっぽいのが。絶対アレじゃん。ガタイいいし、このへんにない学校のジャージ着てるし、ていうか「こがねが丘高校キックボクシング部」って書いてあるし。格闘技には素人の龍児でも、なんというか華があるというか覇気があるというか目力が強いというか、ただならぬ気配を感じた。
(……目ぇ合わさないでおこ……)
やっぱり格闘技の強い人間って気が荒いんだろうか。分からないが。そのまま数歩。名前も知らない彼と、そのまま龍児はすれ違って――彼我の人生が触れ合うことは二度とないと思ったのだが――
「あの」
立ち止まって振り返って、龍児は呼び留めていた。彼の進む方向は、例の不良共がいた方向だから。
「……はい?」
存外に礼儀正しい言動で、彼が振り返る。しげしげと龍児のいでたちを眺めている。その眼差しに、龍児は若干の「しまった」を感じていた。この状況、どう見てもヨソモンに因縁をつけにきたヤンキーじゃないか。
「どうしましたか」
龍児の最悪な予想がその通りになることはなかった。彼は龍児のいでたちに怪訝な顔も警戒もなく、向き直る。それも敬語で。
「あ~~~……」
龍児は視線を逸らした。あっちの方向にヤンキーいるんで行かない方がいいっすよ、っていうのは、なんか、そのまま言っていいのかどうか……だが黙ったままでは「何で呼び止めたんだコイツ?」になりかねないし…… と、いったところで。
「ちょうどよかった。地元の方ですよね、この辺りにコンビニありませんか?」
彼がそう言う。「あ、それなら」と渡りに船と龍児は口を開いた。「こっちっす」と歩き始める、例のヤンキー共の方は通らないように。
●
「君、高校生ですか」
「ああ……一年す」
「そうなんだ。僕二年。名前は」
「……野上龍児っす」
「風早閃 よろしく野上」
年下と分かると、彼――閃の敬語が取れた。だが見下した様子やコケにするような色はなかった。龍児としても、相手の敬語が取れたぐらいで神経をピリつかせるような気性ではなかった。実際、向こうが年上なのだし。
それに、だ。初対面の人間は、たいてい、龍児のことを外見で判断する。だが閃は龍児に鼻白むことはなかった。そのことが、龍児には心地よかったのだ。だからあれこれと、会話が途絶えることはなかった。
「――へえ、合宿すか」
「ああ。二泊三日で。今日が初日」
今は自由時間なのだとか。夜食を買いにコンビニを探していた途中だったという。
「……あの~……ジュニアチャンプってもしかして」
「あれ、知ってるの? 僕だよ」
「へえ~~~~……すごいっすね」
「すごくなりたくて努力してるから」
「はあ~~~~……」
意識が高いってこういうことなんだな……と龍児は感じた。自慢げな気配もなく、さも当然のように閃が発言するから猶更そう感じた。おかげで感心の間延びした声ばっかりが出た。
「野上のことも教えてくれよ」
僕ばっかり話してるし、と微かに笑って閃は龍児を見た。
「俺のことすか? いや~~……そんな……教えるほど面白いネタもないっつーか……」
「部活は?」
「野球……の幽霊部員す」
「染めてるけど髪バサバサしてないよな、何使ってるの」
「あ、これすか? 親が美容師で――」
気付けば、親のことをあれこれ話していた。「へえ」「いいね」と閃はひとつひとつに相槌を打ってくれて――だからついつい母親の仕事のことや教えてもらったこととかを話し込んでしまって――喋り終わってから龍児は「これ初対面にここまで話してよかったんか?」とちょっと自らを省みた。そんな頃には目の前にコンビニがあった。
「案内ありがとう。お礼になにか奢る」
来いよ、と自動ドアをくぐりつつ閃が目線を向けてくる。「いやいいすよそんな」と龍児は遠慮をした。だが龍児の目的地もコンビニなので――テレビのリモコンの電池がないので買わねばならんのだ――店内に入るには入る。
そうして銘々に買い物を済ませて。
「野上」
コンビニの出口で待っていた閃が、肉まんを差し出してきた。あげる、の仕草だ。小学生でも分かる。
「あの――」
遠慮を押し通してもいいもんだろうか。逆に失礼じゃなかろうか。龍児は肉まんと閃とを交互に見る。どうしたもんか、なにが一番ベストなのか考えて……龍児はあたたかいそれを受け取ることにした。「どもっす……」と小声で呟いて、それから、半分に割って、大きい方を閃におずおず差し出した。
「流石に全部もらうのは、その……なんで……」
「いいのに」
でもありがとう、と閃は差し出された方――をスイっとかわして、その奥の小さい方の欠片をひょいと取ってしまった。
「あ」
「じゃ僕は帰る」
なんてことない動作で、肉まんを頬張りつつ閃は歩き始めた。が、その途中で振り返って。
「ありがと、助かった。おまえも遅くならないうちに帰れよ」
「あ~~~……どういたしまして……はい」
さよなら、と片手を上げて。都会の人はいろいろ洗練されてんなあ、と思いつつ、龍児も帰路に就いた。
●
――「龍児アンタこれ単3じゃん! 単4だって言ったじゃん!」
と母親に叱られまして。
次の日の同じ時間、龍児はまたコンビニにいくハメになった。
「あ」
「あ」
で、閃と再会した。
「また電池?」
「ハハ……」
叱られてリベンジなんですとはカッコ悪くて言えなかった。話題を変えよう。
「風早先輩、今日の合宿どうでした」
「よかったよ。でも流石に疲れたな~……そうそう、明日は練習試合の日でさ、よかったら見に来る? 午前中だけだし」
「……え いいんすか? 俺、完全に部外者なんすけど……なんだアイツみたいな目で見られたりしません? それにキックボクシングのルールもよく分かってないニワカなのに……」
「ははは 大丈夫大丈夫」
明日は特に用事もなかった。この三日間は祝日込みで三連休で学校も休みだ。こういう格闘技ってナマで見たことないし、折角の機会だし、いいかもな……と龍児は考えていた。
「殴り合い……とか、怖くないんすか? あ、いや変な意味じゃなくて……」
「恐怖心みたいなのはないかな……寧ろワクワクする。この人にどこまで僕の技が通用するんだろう、って」
「へえ~~~……」
「面白いよ。奥深いし。空手とかも楽しいよ」
「空手もやってたんすか」
「最初は空手だった」
「やっぱ強かったんすか」
「まあね」
「はえ~~~……」
店を出る。コンビニの向かいにはゲームセンターがあった。叱られてリベンジおつかいをして、なんかこのまま素直に帰るのも癪で――それに、もう少し閃と話していたかったから――この寂れた町で、昨日と同じ今日を繰り返すありふれた日々で、なんだかすごく刺激的だったから――「あの」と龍児は彼を呼び留める。
「風早先輩ってパンチングマシーンどれぐらい出るんすか?」
●
「ゲーセンって普段行かないからさ、なんか新鮮」
「……あの、拳痛めない範囲で大丈夫なんで」
快諾されるとは思ってなかった。今更、そういえばこの選択は良かったんだろうかと龍児はゲーセンの賑やかさに紛れそうな声で閃に言う。
「折角なら取りたいし 一番」
閃が顎でランキングを示す。軽い準備体操までしている。そして――前髪をおもむろに掻き上げた。前髪が揺れた時に少し見えていたからそうかもとは龍児は思っていたのだが(これでも美容師の息子だ)、閃は髪の内側を真っ赤に染めていた。髪を掻き上げると栗色の髪が一変する。同時に、纏う雰囲気も眼差しも。
有名な選手はルーチンワークがあると聞いたことがあるが、閃の場合は「これ」なんだろうなあと横の龍児は思った。
次の瞬間、閃の拳がマシンに突き刺さっていた。バムッ、とすごい音がする。周りにいた者がちょっと振り返るぐらいだった。
(うわスゲ……)
間近で目撃する『本物』のインパクトに、龍児はただただ圧倒された。ランキングをハッと見る。当然のように今のが一番になっていた。
「っし」
閃はグッと小さくガッツポーズしている。龍児とのやりとりでは穏やかだが、彼はかなりの負けず嫌いにして勝ち好きであった。
「龍児もやるか?」
髪を戻しつつ閃がたずねる。
「いや~ハハハ 俺はいいっすわ」
龍児は両手をひらひら見せながら苦笑した。あんなん見せられた後じゃどうにも……と思うのと同時に。
(あ、名前で呼ばれた……)
次は何をしようか、と歩いていたところで――UFOキャッチャーの筐体に、弟が好きなゆるキャラのぬいぐるみがいるのを龍児は見つけた。
「――あ」
足が止まる。「気になるのか?」と閃も立ち止まる。ぬいぐるみを見ている。
「……いいすか?」
「ああ」
じゃあ……とぺらぺらの財布から小銭を取り出す。ちゃり、ちゃり、と指定の金額を投入すれば、やたらポップな音と共にUFOキャッチャーが始まった。
「彼女?」
隣で見守る閃が問う。かわいらしいぬいぐるみだから、彼女にでも渡してやるのかと。x軸とy軸の決まったアームが、ぱんぽろぽんぽんとポップな電子音を奏でながら降ろされていく。
「……あ~……その……弟っす……」
龍児は小声でぽそりと返した。視線の先、アームが優しくぬいぐるみを撫でていった。
「まだ小さくて―― ッだああなんだこの雑魚アームッ」
すいませんもう一回いいすかと財布を再び取り出す龍児に、閃は「頑張れ」と応援をした。
……アームはひたすら、ぬいぐるみを優しく撫でていく。
最初こそ龍児の「弟がこれ好きで」とか、閃の「仲いいんだな」とか会話もあったのだが……今は真剣な無言で。
「うぐ~っ……すいません両替してきます、その間この場所とっといてもらっていいすかっ」
小銭が死滅した。軍資金を得る為に、龍児は早足で両替機へ向かった。その間にアームのナデナデで少しずつ『出口』に近付いているぬいぐるみを誰ぞに漁夫の利されぬよう、閃に保守を頼む。「いいよ」と快諾が返ってくる。
「すいませっ……」
急いで両替をして、ジャララララと出てきた百円玉を財布ではなくポケットにつっこんで――龍児が戻ってきたら、閃がUFOキャッチャーに挑戦していた。
「わっ すいません閃先ぱ 顔怖っ」
申し訳無さに駆け寄った龍児だが、閃の鬼気迫り標的を睨み付ける集中顔に思わず感想が口から漏れる。このひと眼力パネェ。
「これ……アーム……何? 弱っ……掴むんじゃなくて開く時の動きで押すのか……?」
UFOキャッチャーに慣れていないのにセオリーをすぐ理解した辺り、勝負事のIQが根っから高いのだろう。
結局、閃が負けん気を発動して「なあもう一回やらせて」「次はいける気がする」と挑戦したがったので――このひとギャンブルやらせたら駄目なタイプだなと龍児は内心ちょっと苦笑しつつ――交代しかながらやることにした。
そして長い戦いの末……
「取れたああああッ」
無事、龍児はぬいぐるみをゲットする。ひとかかえほどある、ふかふかでカワイイのだ。きっと弟も喜ぶだろう。注ぎ込んだお小遣いの額からは目を背けることにする。店員から持ち帰り用のビニールをもらい、それに入れて、大事に抱えて、龍児達はゲームセンターから出た。
「取れてよかったな」
「なんかすいません付き合わせちゃって」
「いいよ、弟くんによろしく伝えといて」
もふ、とビニールに収まりきっていない頭部をちょっと掴んでふかふかを堪能して。閃は顔を上げて龍児を見た。少し表情が綻んでいた。
「うん、楽しかった。ありがとう龍児」
「……はい、こちらこそ」
「じゃ 僕は帰る。おやすみ」
楽しかったのは事実だが、それはそれとして振る舞いがさぱっとしている閃であった。とはいえ龍児にとっては、それぐらいの距離感と湿度がちょうどよくて。
「うす、……お疲れ様です、閃先輩」
龍児は去り行く閃に手を上げて少し振って、踵を返した。抱えるぬいぐるみの柔らかさと、ビニールのくしゃついた音を感じつつ、弟の喜ぶ顔を思いながら……兄ちゃんてのがいればあんな感じなのかなぁ、と少しだけ思った。
●
翌日。
初めて見るキックボクシングの試合は――尤も練習試合ではあるのだが――龍児にとっては「うわ~」「スゲ~」「ヤバ~」だった。
(……人生で初めて跳び膝蹴りと踵落としを見た……)
閃は蹴りを得意としているようで、見ていて感心するような大技を軽々と繰り出していた。おかげでルールを良く知らない龍児も「うわスゲ~」と飽きずに見ることができた。ちなみに弟を連れて行こうか一瞬悩んだが、いや競技でも殴り合いは刺激が強いか……と一人で訪れていた。
その後、観客席の片隅で、少し閃と話す機会があった。閃はこのあと、部内で反省会等をして着替えてちょっとしたらもうバスに乗ることを龍児に伝えた。つまり、会話できるのはこれで最後になるだろう、と。
「いろいろありがとう。楽しかった」
Tシャツにハーフパンツ。ヘッドギア等は外して、髪を上げた状態の閃は、試合の時とは打って変わって穏やかな顔つきだった。何戦もした後だが顔に傷は一つもない。
「いやこっちこそ 楽しかったっす」
思えば奇妙な縁だった。違う場所に住む違う高校の生徒で、部活も違って、接点なんてないはずだったのに。それでも、なんだかんだ、龍児は楽しかったなと感じていた。だからこそ、今日でお別れかぁ、とちょっとだけしんみりする。
「あのさ龍児」
「はい?」
すっかり名前呼びになったものだ――龍児が顔を上げると。
「プロ入りしたら試合見に来てくれよ」
閃は年齢相応の笑みをニッと見せて声を弾ませた。――ああ、これがこの人の夢なんだろうなぁ、なんかいいなぁ、多分マジで叶えるんだろうなぁ、と龍児は憧憬を抱きつつ。
「もちろんすわ、応援してます」
笑みを返した。「ありがとな」と閃の声音は柔らかく――それから幾つか会話をして、ほどなく。こがねが丘高校のジャージを着た部員が「風早先輩ー」と閃を呼んでいる。
「行かなきゃ。またな龍児」
「はい、お疲れ様でした閃先輩。……また」
手を上げ合って、笑い合って。いつかまた会えたらいいなと思いながら。
それはまだ、少年達が何も知らなかった頃。
少年達の世界が未だ、平和だった頃の話。
『了』